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Sat, October 29, 2005

佐伯彰一『日本の「私」を索めて』

テーマ:文学研究・批評

◆佐伯彰一『日本の「私」を索めて』河出書房新社、1974年9月

日本文学で「私」と言えば、「私小説」が取り上げられたり、「近代的自我」という言葉で語られる事が多かった。本書は、そうした「常識」とは異なり、近代的自我と古層の繋がりを明らかにしようとする。

論じられるのは、鴎外、漱石、三島、川端、円地文子、折口信夫、そして志賀直哉だ。漱石、鴎外、三島には、「武士的な自我の路頭」をみとめ、川端には「仏教的なコズモロジー、汎神論的につながる自我の地層」を、円地と折口には「仏教以前の古神道、あるいは巫女、語部的な鉱脈」をみる。

興味深い一節がある。

《「やまと心」はもちろん「から心」に対する言葉で、わが国の場合、文化的な固有性、自主性の自己主張は、どうやらきまって、エロス的なものの文脈においてなされたらしいのである。外来文化、移入要素の圧力に対する、抵抗素のごときものとして「色」がよびこまれ、頼られていた趣きである。(p.154)》

弱いものの抵抗の手段としての「エロス」というものがあったのか。弱さとエロスという結びつきに注目した点が興味深い。

Fri, October 28, 2005

茂木健一郎『脳と仮想』

テーマ:エッセイ

◆茂木健一郎『脳と仮想』新潮社、2004年9月

小林秀雄賞を受賞した本ということで興味を持った。最新の脳科学についての本だと予想して読み始めたのだが、中身は普通のエッセイだったので、やや拍子抜けした。しかも、合理では捉えきれないものがあるといった調子の科学批判は、もはやおなじみのものだ。小林秀雄が話題となっているから、賞がもらえたのだろうかと皮肉が言いたくなるような本だった。私は、情緒的な自己語りよりも、バリバリの科学論を期待していたのだが。それは別の本を読まないといけないのか。

茂木氏は、「仮想」が人間の生にとって切実なものであることを説く。これは虚構に対していかなる態度をとるのか、その問題に対する一つの解答だと思う。

茂木氏は、脳内現象一元論、あるいはクオリア一元論といった考え方をする。そこから茂木氏は、現実も仮想も「一リットルの脳内現象」であることを指摘する。どちらも脳内現象にすぎない。私たちが「現実」だと感じているものは何か。それは、「脳の中の一千億の神経細胞の活動によって生み出され、私たちの意識の中にあらわれる様々な表象が、複数の経路を通って一致し、ある確固とした作用をもたらすとき、私たちはそのような作用の源」(p.95)だという。「仮想」は、このような一致に至らずに浮遊しているもの、ということになる。「現実」は私たちの生の確固として基盤となるが、「仮想」は自由をもたらしてくれるだろう。

ベースとなるクオリア一元論のためか、本書はまるで現象学者が語るようなエッセイとなっている。たとえば、竹田青嗣などの本を読んだ人なら、この本の内容は見覚えがある懐かしいものだと感じるのではないだろうか。

茂木 健一郎
脳と仮想
Thu, October 27, 2005

宮台真司・北田暁大『限界の思考』

テーマ:社会科学

◆宮台真司・北田暁大『限界の思考』双風舎、2005年10月

非常にボリュームがあって読み応えのある本だった。内容も、社会学やカルチュラル・スタディーズ、70年代・80年代論、左翼・右翼など、多岐にわたる。それでも、中心となるキーワードは「アイロニー」であろう。アイロニーは、最近の宮台氏にとっては欠かせない重要な概念だし、前の仲正昌樹氏との対談本でも論じられていたことだ。

宮台氏がアイロニーを語るとき重要視するのは、それが「オブセッシブ」であるかどうかということだ。宮台氏が批判するのは「ベタ=オブセッシブ=依存」であり、特に虚構に依存してしまうことに注意を与える。オブセッシブつまり強迫的なアイロニーは、「韜晦」とされ、「どうせオイラは…」という開き直りのために、自分自身がズレることに関心がなく、対象をズラすことだけに執着する。一方、ノンオブセッシブなアイロニーは、「諧謔」と言われ、対象をズラす自分からもズレる。それによって、アイロニーから自由に離脱可能となる。対象をズラすだけか、対象をズラす自分からもズレるか。この違いが重要で、「あえて」ということが推奨されるのは、こういう理由からだ。

「諧謔」から「韜晦」への流れを、「教養」から「批評」という流れでも説明している。「教養」とは何か。教養は「ズレること」だという。それに対し「批評」とは、「ズラすこと」だと言う。教養のイメージは旅のイメージだ。旅によって見識を広げ、拡がった世界の中に自分を位置づけし直すことを「教養」であると。「教養」はズレることへの欲望であると言う。そして、宮台氏の世代=原新人類世代は、このような「教養」な世代だった。しかし、続く世代は教養主義から批評へと移行してしまう。批評は「ズラす」ことだけで、ズラす自分からズレることがない。そして「教養から批評へ」と変化するにつれオブセッションが、つまり対象をズラすことがやめられないという状況が強まったのではないかと言う。

「批評と韜晦のコンビネーション」の依存からどうやったら抜けだせるか。これが大きな問題となっている。北田氏も、基本的にこうした宮台氏の見取り図に同意しつつも、宮台氏の戦略には限界があるのではないかと、時折疑問を差し入れているところが良い。本書によって宮台氏の考えていることが理解しやすくなったのも、北田氏の存在が大きい。宮台氏と向う方向は一緒でも、北田氏なりの方法を模索している姿も注目に値する。宮台氏が理路整然として自身の理論体系を語るのに対し、北田氏も逡巡しながらも自分の立場を提出している。このようなコントラストが興味深い。

さて、オブセッションをいかに回避するのかについて戻ると、宮台氏はここで「歴史」を持ち出している。このあたりは、ルーマンの意味論などを例に出して説明したりもしている。これも「教養」に繋がることなのだが、要するに歴史を遡ることによって、同じにみえる意味が、かつては違っていたことを理解し、それがどう違って、どのような経緯で変わったのかを理解する訓練が必要なのだ。こうして、もういちど世界の時間軸のなかに自分を位置づけし直すことができれば、不透明さのなかで抑鬱的になる若い人もカタルシスを得られるだろうという。(p.397)

このあたりは、私はその通りだと思った。「いま・ここ」ばかり注目して、歴史を顧みないような批評はイヤだなと思う。最近の文芸批評がつまらなくなったのも、「いま・ここ」ばかりを問題にして、歴史の軽視や教養の軽視しているからではないだろうか。文芸批評がどのような歴史を辿ってきたのか、もう一度確認する必要があるのだろう。

宮台 真司, 北田 暁大
限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学
Tue, October 25, 2005

三島由紀夫『文章読本』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『文章読本』中公文庫、1973年8月

これは文章を書くための本ではなく、文章をいかに味わうのかをレクチャーした本だと思う。というのも、三島は冒頭でチボーデを参照して、読者を「普通読者」と「精読者」に分ける。「精読者」とは、「趣味人の最高に位し、「いわば小説の生活者」と言われるべきものであった、ほんとうに小説の世界を実在するものとして生きていくほど、小説を深く味わう読者のこと」だと述べ、この『文章読本』を通じて、この本の読者を「精読者」に導きたいと書き記している。(p.10)

三島は、情報化の社会のなかで「文章」を味わう習慣が少なくなっているという。そして、「昔の人は小説を味わうと言えば、まず文章を味わったのであります」(p.43)と注意を促す。これなどは、大岡昇平がかつて「美文」というジャンルがあったと漱石論のなかで主張していたことを思い出させる。物語だけ楽しむのではなく、文章そのものを楽しむこと。三島の評論は、たしかにその傾向があった。三島は、文章を味わうために、ゆっくりと文学作品のなかを歩いて欲しいとも言う。そうすれば、これらが「言葉の織物」(p.44)であることがはっきりと露呈する。昔の人は、この「織模様」を楽しんだのだと。そして、「小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職人的喜びといたしました」(p.44)と三島は書いている。ここで、「言葉の織物」と意味は異なるけれど、ロラン・バルトと似たような言葉を使っていることに興味が引かれる。

三島 由紀夫
文章読本
Mon, October 24, 2005

三島由紀夫『三島由紀夫未発表書簡』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『三島由紀夫未発表書簡』中公文庫、2001年3月

ドナルド・キーンへの書簡97編を収めた本。昭和31年から死の直前の手紙まである。これらの書簡から、いかに三島がドナルド・キーンを信頼していたのかが理解できる。文学研究者としても翻訳者としても、三島はキーンを信頼していたのだ。

三島は、死の直前にキーンに宛てて、こんな手紙を書いている。

《小生たうたう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓讀は学問的に正に正確でした。小生の行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思つてゐました。(p.197)》

これは、まあなんとも痛ましい手紙だなと思う。昭和45年あたりの手紙は、楽しく近況を報告しつつも、どこか暗い影がつきまとっていて、しかも何かを諦めたような雰囲気もある。しかし、キーンを最後まで頼りにしていて、「豊饒の海」は全4巻の翻訳がきちんと出るように最後にお願いしている。三島は、「暁の寺」が批評家に冷遇されて、日本の批評家を「無知」だと諦めていた。その一方で、世界ではきっと認められるだろうと、それを楽しみにしているとまで書いている。

三島 由紀夫
三島由紀夫未発表書簡―ドナルド・キーン氏宛の97通
Mon, October 24, 2005

三島由紀夫『中世・剣』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『中世・剣』講談社文芸文庫、1998年3月

三島の二十代に書かれた作品が主に収められている。収録作品は、「中世」(昭和21年)、「夜の支度」(昭和22年)、「家族合せ」(昭和23年)、「宝石売買」(昭和23年)、「孝経」(昭和24年)、「剣」(昭和38年)。

20代の作品だと、ラディゲの影響が残っているように感じる。たとえば、「夜の支度」の次のような文章などはどうだろう。

《 しばらくして自分よりはるかに烈しい頼子の動悸を、彼はまずふしぎな不安と嫉ましさを以て感じている自分に気づいた。頼子にとって最初のものである接吻が、芝にとって最初のものではないからとて、彼が頼子を非難する理由になろうか。(p.68)》

「……とて、……になろうか」という語り口は、ラディゲの翻訳本で見かけそうな文章だと思う。というか、ラディゲの文章に対する私のイメージが、「……とて、……になろうか」というものなのだ。こういう語り口を見ると、私は勝手にラディゲっぽいなと感じてしまう。実際、ラディゲの文体ではないかもしれない。

ほかに、剣道を扱った小説「剣」がとても面白かった。己の理想へひたすら邁進するストイックな男性を描くときの三島は良い。

三島 由紀夫
中世・剣
Sun, October 23, 2005

三島由紀夫「複雑な彼」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「複雑な彼」(『決定版三島由紀夫全集12』新潮社、2001年11月)

「複雑な彼」は、昭和41年(1966)の1月から7月まで『女性セブン』で連載。お嬢さまの「冴子」と謎めいた過去を持つ「複雑な彼」である「譲二」の恋愛物語。譲二は「自由」であることを望む男であり、束縛を嫌って日本はもとより、世界中を放浪しては、各地で女性と関係を持つというコスモポリタン。

この小説を読んだ田宮二郎が「この役をやれるのは日本中で俺一人だ」と言ったそうで、その言葉がきっかけとなり大映で映画化されることになったという。連載第一回目に「大映・映画化決定」と銘打たれた「複雑な彼」は、昭和41年6月に島耕二監督によって映画が作られている。

その後、『女性セブン』には「私は"複雑な彼"のモデルだった! ボクの青春は恋と反抗と冒険の連続だった――と語る安部直也氏(29歳)のドラマチックな半生」(初出:『女性セブン』昭和41年7月27日号)という記事が出て、「複雑な彼」のモデルが紹介されている。

三島によると、「複雑な彼」は「ある友人からきいた話をもとにして書いたもの」であり、三島自身も外遊体験があるので、「自分の知つてゐる土地を、この奔放な主人公に、自由自在に飛び廻らせてみたかたつた」(「大映映画『複雑な彼』――原作者登場」(初出:『小説現代』昭和41年8月)、引用:『決定版三島由紀夫全集12』p.570)とのこと。

ということで、三島は友人から聞いた話と自分自身の旅行経験をもとに、この「複雑な彼」という小説を創作したようだ。主人公のモデルという「安部直也」氏は、のちに作家となる安部譲二のことだ。安部譲二は「正しく私は、この三島由紀夫先生の「複雑な彼」のモデルでした」と文庫版の解説で書いている。

《 この「複雑な彼」は、私の二十七歳までの半世記で、背中に彫物が……等の細部を除けば、なんとも私が生きて来た事実そのままです。(引用:『決定版三島由紀夫全集12』p.570-571)》

安部譲二は、昭和28年頃に三島とゲイバーで知り合いになったという。こうした背景は、小説そのものよりも興味深い。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈12〉長編小説(12)
Thu, October 20, 2005

三島由紀夫「夜会服」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「夜会服」(『決定版三島由紀夫全集11』新潮社、2001年10月)

これは、昭和41(1966)年9月から翌42年8月まで『マドモアゼル』で連載された。これも女性雑誌に書かれた物なのだろうか。「お嬢さん」にしろ「夜会服」にしろ、当時の女性の読者に向けて書かれたのだろう。「夜会服」では、有閑マダムの豪華な衣装が描写されたり、新婚旅行でハワイに行くなど、当時だったらけっこう夢のような生活が描かれいたのではないだろうか。

戦後の海外旅行の歴史をちょっと調べてみると、海外への観光旅行が解禁されたのが、昭和39年(1964)4月1日。4月8日には羽田からハワイへの団体観光客第一陣が出発したとのこと。その後、1970年を境に日本人の海外旅行が急激に増えていくという。三島のことだから、当時の時代の状況を巧みに取り込んだことだろう。

物語は、絢子(あやこ)と俊男というカップルに、俊男の母であり絢子にとっては姑になる滝川夫人の3人の関係を描く。滝川夫人の父は、財閥の大番頭だったということで裕福な家で育ち、一生彼女がぜいたくできる財産を残した。滝川夫人の夫は、各国の大使をつとめたあと亡くなっている。したがって、絢子と出会った頃、俊男と母の二人で暮していた。だが、俊男は母の滝川夫人のことをあまりよく思っていない。母親の世界から抜け出して独立したいと思っている。

そのような状況で、俊男と絢子の結婚生活がはじまる。絢子は俊男と滝川夫人との間に挟まって苦労する。滝川夫人は、絢子と俊男の結婚生活を邪魔しようとする。そして、夫人の開いた宮様を迎えたパーティーを、絢子と俊男がすっぽかしたことで、滝川夫人は激怒。二人に離婚するように命令する。しかし、ここは俊男と絢子がうまく立ち回り、見事に関係は修復してハッピーエンドとなる。嫁と姑、母と息子という関係を描いている。

結局、滝川夫人が二人の生活を邪魔した原因は「さびしさ」であった。女のさびしさを描いた物語となる。「あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?」(p.610)「それはね、自分を助けてくれる人はもう誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければならない、といふ味なのよ。」(p.611)「黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味。しつこい、諦めの悪い味。」(p.611)

なかなか洒落た言い方だなと思う。最後に夫人は、絢子に心境を吐露する。

《さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。ずうーつと前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。(p.611)》

その通りなのかもしれないと納得してしまう言葉だ。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈11〉長編小説(11)
Thu, October 20, 2005

三島由紀夫「お嬢さん」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「お嬢さん」(『決定版三島由紀夫全集8』新潮社、2001年7月)

昭和35年の1月から12月まで『若い女性』というところで連載された。昭和36年には、弓削太郎監督によって映画化されている。

作中に、「永すぎた春」なんていう言葉が出て来るのだが、これはもちろん三島自身の『永すぎた春』という作品を意識している。三島自身、「「永すぎた春」といふ小説のその先の人生を書きたい」と述べていた。『永すぎた春』では、婚約期間が長かったゆえに生じた心理的な変化を描いていたが、「お嬢さん」では婚約期間から結婚まではあっという間で、その後の新婚生活における女性の心理の動きを分析している。

「かすみ」と「景一」は理想的なカップル。何の障害も起きずに結婚したのだが、新婚生活でかすみは景一をいろいろと疑うようになる。以前、景一に結婚するように迫った女性「浅子」の登場が不安を引き起こしたり、かすみの兄の妻である「秋子」と景一が実は付き合っているのではないかと邪推したりして、ひとりで思い悩むかすみ。かすみの心境を、つぎのような一節が物語っている。

《ここまでじつと無言で景一の話をきいてゐるあひだ、かすみの精神的姿勢は、抵抗の一語に尽きてゐた。丸め込まれまい、だまされまい、といふ一心で、景一の一言一言を、トランプの札を裏返すやうに、神経質に裏返してゆくけれど、言葉が手より早くて、はうばうに裏返せない札が残つてしまふ。すると、それをそのままにしておきたい弱気と未練も起り、しかもそんな弱気と必死に闘つてゐるのである。(p.437)》

景一が、秋子との間には何の疑わしいことはないのだと切々とかすみに説明する場面で、かすみは必死になって景一の言葉を疑おうとしていく。かすみの心理のネガティブな動きを、「トランプの札を裏返すように」と書いているところが、面白いと思う。マイナス思考の時は、たしかに、一枚一枚トランプの札を裏返すように、あらゆることを悪いほうにもっていく。うまい比喩だ。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈8〉長編小説(8)
Wed, October 19, 2005

三島由紀夫「幸福号出帆」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「幸福号出帆」(『決定版三島由紀夫全集5』新潮社、2001年4月)

この作品は、昭和30年の6月から11月にかけて『読売新聞』で連載されている。物語では、大がかりな「密輸」が見せ場となっているのだが、なんでも当時、密輸事件がけっこう起きていたらしい。実際の事件がモデルになっているわけではないのだろうが、同時代の出来事を巧みに作品中に活かす三島の方法が、この作品でも生きている。

この作品もエンターテイメントとして上出来な作品で、密輸という「犯罪」と登場人物たちの「恋愛」の物語は、映画にしやすいだろうと思っていたら、どうやら昭和55年に斎藤耕一監督によって映画化されていた。

三津子と敏夫の兄妹は、三島の好きな「兄妹愛」のテーマを担っている。三島は、「熱帯樹」でも兄妹愛を描くのだが、兄妹の間の恋愛という形に理想的な恋愛像を見ていたのだろう。とはいえ、この「幸福号出帆」において、三津子と敏夫は本当の兄妹ではなかった。ただ二人だけが、自分たちは兄妹であると信じていた。三津子の産みの親であり、敏夫の育ての親である「正代」は、最後にこんなことを言っている。

《「もし二人が、お互ひに男と女として愛し合つてよいことに気がついたら、それで幸福になつたとも限りませんもの。兄妹愛、美しい清らかな愛、永久に終りのない愛」(p.725)》

兄妹であると思いこんでいるがために、実現される理想的な永遠の恋愛が完成する。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈5〉長編小説(5)

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