平野謙『昭和文学史』
テーマ:文学研究・批評◆平野謙『昭和文学史』筑摩書房、1963年12月
芥川の死から始まって、戦争直後の昭和20年代までの文学史。特に、昭和10年代の記述が中心で、しかもかなり詳しい。「政治と文学」という切り口で記述している。私は、この昭和10年代に興味を持っているので、この本はけっこう面白く読めた。昭和10年代の雰囲気がよく分かる。
◆平野謙『昭和文学史』筑摩書房、1963年12月
芥川の死から始まって、戦争直後の昭和20年代までの文学史。特に、昭和10年代の記述が中心で、しかもかなり詳しい。「政治と文学」という切り口で記述している。私は、この昭和10年代に興味を持っているので、この本はけっこう面白く読めた。昭和10年代の雰囲気がよく分かる。
◆蓮實重彦『「私小説」を読む』中央公論社、1985年10月
論じられているのは、志賀直哉、藤枝静男、安岡章太郎の3人。『「私小説」を読む』というタイトルから、この本は「私小説」論なのかなと予想していたのだが、まったくちがった。「私小説」かどうかといった問いすら放棄される。いつものように、ただひたすら言葉の「運動」を追いかけていく試み。
◆西林克彦『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』光文社新書、2005年9月
文章理解の障害となるものに「わかったつもり」があるという。「わかった」というのは、わからない箇所がないと思う安定した状態なので、もうそれ以上、理解しようとしなくなってしまう。「わかった」と思うことが、より良く理解しようとする妨げになることを説く。
本書は、文脈が文章の理解では重要であること、文脈から私たちは部分部分の意味を引き出していることを説明する。つぎに「わかったつもり」とは、どのようなことか、いくつかのパターンを提示する。たとえば「全体の雰囲気」によって読み誤ってしまうことなど。そして、いかに「わかったつもり」の状態から脱出するかを最後に提案する。
結論的には、要するに「読み」には終りがないということだ。「わかった」と思っても、別の「わからなさ」を見つけることもある。「もっとよい読み」はいつでも存在するということだ。というわけで、私たちが文章を読むときは、いつも「わかったつもり」でしかないことは意識しておいたほうがよいのだろう。
◆三島由紀夫『沈める滝』新潮文庫、1963年12月
石や機械といった無機物にしか興味を示さない男と不感症の女とで、はたして恋愛小説が書けるのか。三島はそういう実験をこの小説で行なったのだろう。
《そこで、昇が提案をした。誰をも愛することのできない二人がこうして会ったのだから、嘘からまことを、虚妄から真実を作りだし、愛を合成することができるのではないか。負と負を掛け合わせて正を生む数式のように。(p.44)》
こうして、二人の「人工的恋愛」が始まる。昇は、「人工的恋愛」のために、二人は「会わなければいいんだ」とし、さらに遠く離れている間、手紙や電話を使って「お互いに苦しめ合うよう」にすればいいと提案する。そして、昇は雪によって冬の間は交通が遮断されてしまうダムの建設現場へとさっさと向かってしまう。
村松剛の解説では、「既成のものを信じないという立場に立って、その荒廃の上に、あらためて夢なり美なりを、人工的につくり出そうとするところに成りたってきたのが」三島文学の世界であるという。その点において、この『沈める滝』も例外ではないと。「図式的になる危険をおかしてまで、年来のその問題を追及している」(p.289)と、村松は述べている。
私もこの見方に賛成しているの。となると、三島の作品おける「自然」と「人工」という問題が浮かび上がってくる。『沈める滝』でも、主人公たちが「人工的恋愛」を試みる一方で、ダム周辺の「自然」描写がけっこう多い。昇と顕子の恋愛は、顕子の自殺という悲劇的な結末を迎えるが、物語はここで終わらずに、エピローグのような場面が語られ、そこで昇は知り合いの女性たちと完成したダムの見学を行っている。その帰り道、昇はなんでもない場所で休憩をとる。そしてこう言う、「丁度俺の立っているこの下のところに小さな滝があったんだ」(p.287)と。顕子に似ていると昇が思った「小さな滝」。その滝が、いまやダムの建設のために埋まってしまう。妙に象徴的な場面だなと思う。
◆三島由紀夫『殉教』新潮文庫、1982年4月
短篇集。ここに収められた短篇は、私にはちょっと難しい。面白いと思ったのは「三熊野詣」。興味深いのは「スタア」。
「三熊野詣」は、歌人で国文学者「藤宮先生」と、傍で十年来先生の世話をしている「常子」の物語。藤宮は、歌人としても有名で学者として業績があるのだが、外見が美しくないことと、生真面目すぎるところがある。常子は、藤宮を崇拝しており、二人は一緒に生活しているとはいえ男女の仲にあるわけではない。そんな二人が、熊野詣に出かけることになる。そこで、藤宮は三熊野に、それぞれ「香」と「代」と「子」の文字が記された櫛を一つずつ埋めていく。常子には、この藤宮の行為の意味が分からず、ひどく動揺したり、嫉妬したりするのだが、最後に藤宮は事の真相を語る。熊野は藤宮の故郷で、学生として上京するまえに、「香代子」という美しい女性と恋愛関係にあったと。だが、親の反対で仲を裂かれ、香代子は若くして亡くなる。藤宮は、香代子に六十歳になったら連れてきてやると約束していたという。そういうわけで、六十になった今、こうして熊野詣にやってきたのだと常子に話す。
が、しかし、常子は藤宮の語った話は美しいが、それは架空の夢物語なのではないかと直感する。いや、夢ですらもなく、自分でも信じていない自分の伝説を敢えて孤独な人生の最後に作ろうとしているのではないか。そう常子は考える。だが、常子はこの物語を決して信じないような表情だけは一生するまいと決意する。それが、常子が先生に忠勤してきた帰結となるはずだと。
これをどう解釈すればよいのか難しい。藤宮の語った話は本当なのか。それとも常子の直感は正しいのか。平凡な結末で落着くことのない、三島のテクニックがすごい。
◆三島由紀夫『花ざかりの森・憂国』新潮文庫、1968年9月
自選短篇集。「憂国」は、このあいだフィルムが見つかったというニュースがあって、DVD化されるということなので、その前に小説を読んでみた。『憂国』に関しては、三島自身が「三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と言ったことはよく知られている。
さらに、この文庫にある解説で三島は、この小説で描かれた「愛と死の光景」「エロスと大義との完全な融合と相乗作用」を、「私がこの人生に期待する唯一の至福」であるといい、だが、「このような至福は、ついに書物の上にしか実現されないのかも」しれないとする。だから、この『憂国』という小説を書き終えたことで満足すべきなのかもしれないと。実際は、自ら奔走して映画化したわけなので、書物の上だけで実現されることに満足できなかったということだろう。小説家が、小説を書くだけでは満足できなかったという思い入れの強い一編だった、と言うことができるだろうか。
さて、『憂国』の中身だが、どうしても武山中尉の切腹場面に注目がいってしまう。
《中尉がようやく右の脇腹まで引き廻したとき、すでに刃はやや浅くなって、膏と血に辷る刀身をあらわしていたが、突然嘔吐に襲われた中尉は、かすれた叫びをあげた。嘔吐が激痛をさらに攪拌して、今まで固く締っていた腹が急に波打ち、その傷口が大きくひらけて、あたかも傷口がせい一ぱい吐瀉するように、腸が弾け出て来たのである。腸は主の苦痛も知らぬげに、健康な、いやらしいほどいきいきとした姿で、嬉々として辷り出て股間にあふれた。中尉はうつむいて、肩で息をして目を薄目にあき、口から涎の糸を垂らしていた。肩には肩章の金がかがやいていた。(p.252)》
この描写がリアリティがあるのかどうか、つまり実際にこういう事が起きるのかどうかは知らないので迫真に迫る描写だとは判断がつかない。しかし、切腹したところを美しく描こうというよりは、グロテスクに描いているのかなという印象は受ける。腸が飛び出るところはともかく、涎を垂らすところまで描いているのは気になるところ。このあとでも、「生ぐさい匂いが部屋にこもり」だとか、嘔吐を繰り返している中尉の姿を書いている。美しい死よりも、「本物」らしい死を描いていると思う。三島は、ここで「本物」らしさにこだわったのだろうか。ともかく、この場面で、「内臓」までさらけ出してしまうところに、独特のエロスがあると思う。
この短篇集では、ほかに「卵」や「百万円煎餅」といったユーモアのあるコントが良かった。
◆中村真一郎『大正作家論』構想社、1977年2月
取り上げられている作家は、谷崎潤一郎、長與善郎、豊島與志雄、芥川龍之介、佐藤春夫、北原白秋、萩原朔太郎である。芥川龍之介が一番多く論じられているが、あまり面白くない。それよりむしろ、長與善郎や豊島與志雄を論じたところが興味深いものだった。
豊島論の最後に、豊島と芹沢光治良、岸田國士の3人を「明治の岸と、戦後の岸との間に、虚空に弧を描いている橋」だと述べている。中村は自然主義中心の日本の文学を批判しているのだが、その中村にとって近代日本の文学は「知識人の文学」であると言う(p.72)。そして、明治の文学は漱石に代表されるとする。その漱石を受け継いだのは、芥川龍之介ではなく、「長篇小説『反抗』を書いた豊島与志雄」だとするのだ。この考えに興味を持った。豊島与志雄の『反抗』を読んでみたい。
◆三島由紀夫『真夏の死』新潮文庫、1970年7月
短篇集。どの短篇も面白い。そのなかでも、「真夏の死」が一番良かった。
三島自身の解説によると、「真夏の死」も実際に起きた事件を人に聞いて、それを基にして書いたという。そして、最後の一行に眼目があるということだ。
三島は、これを頂点として、「円錐体をわざと逆様に立てたような、普通の小説の逆構成を考えた」(p.292)と書いている。つまり、冒頭に子ども二人と夫の妹の3人を亡くすという「破局」を三島は置いた。このようにすることで、三島は、ヒロインの「朝子」を「椿事を待つ」三島的な人物として描き出している。
朝子は、小説の冒頭で起きた「悲劇」から受けた傷が徐々に日常生活に溶けていくのを、「羞恥のまじった別の恐怖」として感じる一方で、そのことが「ふしぎな充実感」を以て家族を支えているのではないかと思っている。すると、朝子はこのような事態に「退屈」を覚えるのだ。
《一家は気も狂わなければ、自殺者も出さなかった。病気にさえ罹らずにすんだ。あれだけの悲惨事がほとんど影響を及ぼさず、何も起らずにすんだことはほぼ確実であった。すると、朝子は退屈した。何事かを待つようになったのである。(p.182)》
三島は、これをこの小説の主題をとした。
《即ち、通常の小説ならラストに来るべき悲劇がはじめに極限的な形で示され、生き残った女主人公朝子が、この全く理不尽な悲劇からいかなる衝撃を受け、しかも徐々たる時の経過の恵みによっていかにこれから癒え、癒えきったのちのおそるべき空虚から、いかにしてふたたび宿命の到来を要請するか、というのは一編の主題である。(p.292-293)》
過酷な体験をし、その辛い体験を時とともに癒され、再び《日常》が戻ってくるのだが、一度《宿命》を経験してしまうと、《日常》に退屈してしまう。そして、再び《宿命》がやってきて破局が訪れるのを願うようになる。ひとたび《日常》を突き破ってしまった人間は、もう《日常》の連続に満足できなくなってしまう。朝子は、このような三島の小説によく出てくる登場人物の一人なのだろう。
◆三島由紀夫『岬にての物語』新潮文庫、1978年11月
表題作を含む13の短篇を集めたもの。主に三島の20代の時の作品。
ここに収められた短篇は、どれもかなり面白い。読みながら、背筋がゾクゾクッとするような恐ろしさを感じる。
特に恐ろしさを感じた作品は、「牝犬」という作品だ。これは、年上の女性が何から何まで年下の男の世話を焼くのだが、男はうっとうしくなって家を出てしまう。それで、女友達のところに泊めてもらおうと、あちこち歩き回るのだが、常に年上の女性が先回りしていて、逃げ切れない。今なら、この年上の女性の行動はストーカーと呼べるものかもしれない。年下の男のあらゆることを知り尽くしていて、彼が向かう行き先をすべて嗅ぎつけてしまうわけだ。ただ、三島の場合、ラストで意外な展開をさせることが多い。あらゆることを知られていた男は、自分もまたこの年上の女性のことを知り尽くしていたという皮肉。こういうオチの付け方は三島らしい。
「月澹荘綺譚」には、ただ「見る」だけの男が登場していて興味深い。この作品は昭和40年のもので三島の晩年に近い作品だが、「見る」だけの男「照茂」は、この後の「豊饒の海」における「本多」のような人物と言えるかもしれない。
◆蓮實重彦『ゴダール革命』筑摩書房、2005年9月
期待していたほど面白いものではなかった。やはり以前に書いた文章が載せられているからだろうか。
それにしても、ゴダールの評論なのに、いつものように鋭い指摘がないなと思っていたら、この本はたとえば『監督小津安二郎』やそのうちに出版されるであろう「ジョン・フォード論」のような「映画評論」なのではない、と最後に書いている。では、本書は一体何なのかというと、この本は「ドキュメンタリー」なのだと言うのだ。
《ここに『ゴダール革命』として読まれた書物は、それがかりに錯覚であるにせよ、「アメリカ的」であることと「偉大」であることとが矛盾なく共存しえた一時期に、「ハリウッド映画」に目が眩んでしまった二つの個体が、「アメリカ的」であることと「偉大」であることをともに放棄してしまった「ハリウッド映画」の半世紀をどのように過ごしたかをめぐるいささか陰惨な「ドキュメンタリー」にほかならない。陰惨なというのは、当時はまだまだ若々しかったその二つの個体が、いまやともに老境にさしかかっていながら、なお、半世紀以前の錯覚から完全に自由だとはいえそうにないからだ。(p.240)》
つまり、本書は「撮ること」と「見ること」の永遠に決着のつかない闘争の「ドキュメンタリー」ということらしい。
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