「いま、ここにいる、わたし」を待ってます。 | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

私が

 

いちばん大事にしたいこと。

 

いろんなことが「合う」こと。

 

たとえば、

 

パズルのピースが

 

あるべきところにパチっとはまるような感じ。

 

時間と空間のなかで

 

なにかがパチっとはまる感じ。

 

出会うべきひとやものに

 

出会うべきときに、ちゃんと出会う感じ。

 

それは

 

「いま、ここ」という感覚。

 

そして、「わたし」という感覚でもある。

 

オイリュトミーでは、「いま、ここにいる、わたし」を大事にしている。

 

大事にしている、というよりは、

 

「いま、ここにいる、わたし」に「なっていく」ことが、オイリュトミー。

 

 

 

「戻っていく」と言ってもいいかもしれない。

 

 

 

 

たいていのひとは、「いま」にいない。

 

過去だったり、この先だったりに意識を向けている。

 

 

 

そして「ここ」にも、いない。

 

「ここ」にこんなに素敵な景色が広がっていても、見えてなかったりする。

 

 

 

「わたし」でも、ない。

 

あのひとのことを羨んだり、比べたりして、自分じゃないものになろうとする。

 

 

 

あるある、私もよくあるウシシ

 

 

 

でも、

 

「いま、ここにいる、わたし」というのは、

 

ほんとうは、すごい場所なんだよね。

 

 

 

 

私は、そこには神さまがいると思うんだよ。

 

というか、「いま、ここにいる、わたし」神さまラブラブだと思うんだよ。

 

だから、みんな、神さまになれると思うんだよ。

 

まあ、神さまって、なに?っていうのもあるけどね。

 

いちど、その神さまを感じてみると

 

神さまが何かわかるんじゃないかな。

 

それは、ひとそれぞれ違っていてもいいし、

 

違っていて、あたりまえじゃないかな。

 

私が思うに、

 

その「いま、ここにいる、わたし」という場所は、

 

ものすごく安心なところ。

 

なんの心配も不安もなくて、安心なの。

 

それこそ、すべてとつながってる感があって、

 

自分ともしっかりつながってる。

 

だから、安心。

 

だから、すごくクリアな感覚になれるところ。

 

 

 

 

 

今、私は

 

インナーチャイルドワークについて書きたくてしょうがないけど、

 

まだ何かが

 

ピタっと合ってなくて、

 

まだ書けない。

 

書きたい気持ちはあるけど、

 

なにかが、まだ、「来てない」。

 

だから、

 

待っている。

 

自分を待っている。

 

もしかしたら、待ってるのは「自分」じゃないかもしれないけど、

 

待っている。

 

これって、私にとっては、けっこう大事。

 

ピタっと合わないことをすると、

 

すごく気持ち悪くなるのを知っているからね。

 

自分にピタっと合わない言葉を言うと、気持ち悪い。

 

自分にピタっと合わない動きをすると、気持ち悪い。

 

違和感って、感じかなあ。

 

 

 

 

 

ピタって合うことを知っちゃっうと

 

ずれてるのが、いやなんですね〜。

 

だから、

 

合うまで待てるときは、待つことにしている。

 

イギリスのオイリュトミー学校には森がありました。

毎年5月、その森はブルーベル(つりがね草)の花でいっぱいになります。

まるで、お花の絨毯を敷きつめたみたいに。

 

 

 

 

 

あ、そうか、今わかった。

 

 

 

 

 

「いま、ここにいる、わたし」という神さまを、待ってるんだな。

 

 

 

 

 

 

 

それでも今日のこの文章は、

 

その神さまが書いたんだよラブラブ

 

でもまだ、インナーチャイルドワークを書く神さま待ちなのだ〜にひひ