障害を持つ人々

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前々回の記事の終わりに、障害を持つ子供さんの母親からメッセージが2通来たことを書きました。

詳しい内容は書きませんでしたが、1通は大層ご立腹のご様子で、もう1通は電車内で騒いでしまう子供は一生、悪い念をぶつけられるのでしょうか、という内容でした。

その後も同様の立場にいらっしゃる方からメッセージが何通か届きましたので、障害を持つ子供さんについて書きたいと思います。

私が住む地域には、とても大きな八百屋さんがあります。

商店街ではなく、町内にポツンと一軒あるのですが、そこの息子さんがダウン症です。

多分、20代後半だと思うのですが、正確な年齢はわかりません。

私が引っ越しをしてきて間もない頃、駐輪場で自転車に空気を入れていると、気さくに話しかけてきました。

「空気はたくさん入れたらアカンで」

「あ、そうなん?」 (私は自転車について詳しくないのでパンパンに入れてました)

その子はいろいろと説明をしながらタイヤを触って 「こんなに入れたらアカンよ」 と言うので 「そうやったんやね~、知らなかったわ。今度から気をつけるね。ありがとう」 と答えました。

その子は嬉しそうに、空気の減りが早い場合、チューブに穴があいてるかもしれない、駅前の自転車屋に持っていけば見てくれるから、と教えてくれました。

「八百屋の○○に教えてもろたって言えばよくしてくれるで」 とも言ってくれました。

「そうだね、一度自転車屋さんに見てもらった方がいいかもね。教えてくれて、ありがとう」

そう言うと、その子は照れたような感じでしばらくそこにいましたが、 「じゃあな」 と、八百屋さんに戻っていきました。

それから、時々、その子に会いますが、いつも向こうから声をかけてきます。

その子は両親が経営する八百屋さんで働いています。

この八百屋さんがすごくて、お休みが正月三が日のみ、なのです。

1年365日のうち、362日働いているのです。

もちろん日曜祝日も営業しています。

ご両親はとっても働き者で、その親を見ているからか、その子もよく働きます。

朝に会うことが多いのですが、私を見つけると 「おはよう!」 と元気に声をかけてきます。

続けて 「今から仕事?」 と必ず聞きます。

「そうよ~」

「仕事、頑張ってこいよ!」

「ありがとう。頑張ってくるわー」

その子が言ったということは、社交辞令なんかではなく、ただの挨拶の言葉でもなく、本気で ”頑張って” と言ったのだと思うし、働き者のその子に励まされると、なんだか自然と笑顔になります。

元気が湧いてきて、私も今日一日頑張ろう、という気になります。

そして、その子に会った日は、本当にツキがありラッキーな日になるのです。

その子は近所の誰からも優しくされています。

あちこちのお店や郵便局、コンビニなどでも見かけますが、みんなニコニコとその子と会話をしています。

その子がいい意味で、人に対して警戒心がないからだと思います。

純粋なんですね。

ですから、自分が話しかけて迷惑じゃないかとか、自分のことを障害者として差別していないかとか、そういう人の腹を探るようなことは考えないのだと思います。

その純粋な裏のない人なつっこさを、人間は無意識に感知出来るのだと思います。

欧米では知的障害がある人のことを、天使と言いますが、それも頷けます。

関西に引っ越して来て最初に住んでいたマンションの近所には知的障害があるオジサンがいました。

当時、すでに60歳くらいでした。

白髪混じりの髪をロングヘアにして、 (束ねずにそのままです) 自転車で近所を走り回っていました。

ある日、母が (当時は1回目の離婚後で両親と同居していました) 近所のお好み焼き屋さんにいて、お店のおばさんとおしゃべりをしていたら、オジサンが来てお好み焼きを注文したそうです。

出来上がったお好み焼きの包みをもらうと、オジサンは、どのコインとどのコインを組み合わせたらいいのかよくわからないので、お店のおばさんに聞きつつ、一生懸命にお金を払いました。

オジサンが去った後、ふと椅子の上を見ると、お好み焼きがポツンと置いてあったそうです。

肝心のお好み焼きを忘れて帰ったのですね。

お好み焼き屋のおばさんと母はなんだか微笑ましい気持ちになり、母が 「私が帰る時に届けるわ」 と言っていたら、オジサンが取りに戻って来ました。

「ワシ、お好み焼き、持ってない・・・」 と言うと、 「???」 という顔をしたのだそうです。

買ったことは覚えていたのでしょうが、自分が持っていないことを、無邪気に心底不思議そうにしていたということでした。

お腹がすいて、 「そうだ、今日はお好み焼きを食べよう♪」 と思って買いに行き、空腹なのにうっかり忘れて店を出て、途中で 「あれ? なんでワシ、お好み焼きを持ってないん? あれ? あれれ?」 と不思議になったのだろうと想像すると、その純粋さに心がほぐれて癒されます。

オジサンはほぼ毎日、自転車で町内や近辺の町を走り回っていましたが、ある日、車で30分以上かかる遠い場所でオジサンを見ました。

「今日、××町でオジサンを見たよ」 と母に言うと 「えー! あんな遠いところに? 自転車で行ってたん?」 と驚いていました。

「うん。国道で見たんだけどね、オジサン、前傾姿勢になって自転車をシャカリキにこいでたよ」 

母はその姿を想像したのか、ほのぼのとした表情になって 「へ~、何か用事があったんやろねぇ~ (≡^∇^≡)」 と言いました。

私は国道でオジサンを見た時、 ”あっ! オジサンだ!” と、何故か嬉しかったです。

”チャリでこんなに遠くまで来てるのか~、ちゃんと帰れるのかな、帰り道がわかるのかな” とも思いました。

オジサンという存在は、見ると心がフッとなごむ、そんな感じでした。

それから私は2回目の結婚をし、両親は弟夫婦と同居するために引っ越し、その町を離れました。

そして月日は流れ、車でその町をたまたま通った時に、オジサンを見ました。

白髪混じりだった髪は真っ白になっていましたが、相変わらずのロングヘアで内田裕也さんみたいでした。

オジサンは今も自転車に乗っていて、でも昔と違ってスピードは出さずにのんびりこいでおり、自宅ではない方向に向かっていました。

「うわぁ! オジサンだ~! 元気にしてたんだ~。良かった~」 と感激しました。

本当に嬉しかったです。

早速、母に教えたら、母も 「元気にしてたんやね!」 と喜んでいました。

オジサンは70歳を軽く越えているはずですが、まだ自転車に乗れるということは、大病を患っているわけでも、足腰が悪いわけでもなく、元気でいる証拠です。

健康に暮らしているのだと思うと、やっぱり手厚く守られているなぁ、としみじみ思いました。

オジサンが自転車をびゅんびゅんこいでいた時に事故に遭わなかったのも、遠出しても迷子にならなかったのも、1人暮らしなのに今も元気で無事に暮らしていられるのも、すべて尊い守りが人より大勢ついているからです。

障害を持って生まれてきた人は、そうではない人に比べて、生きるのが困難です。

でも、この方たちは、障害を持った肉体で人生を過ごしてみよう、という高度な課題にチャレンジしている霊格の高い人たちです。

課題クリアをサポートするためには、いろんな危険からこの肉体を守る必要があり、そのため尊い守りが通常よりたくさんついています。

冒頭の障害を持つお子さんについての悩みですが、電車でじっとしていられなくて、人々の 「うるさいなー」 「静かにしてくれないかなー」 なとどいう悪念を少々浴びたところで、私たち一般人とは守りが違いますから、大丈夫です。

世の中には、障害者を見下したり、差別する人間もいます。

そういう人たちから悪意のある念を飛ばされたりしても影響がないようなシステムになっています。

悪意ある念が飛ばされることは生まれる前から想定内なわけです。

だからこそ、ブロックする守りが大勢いるのです。

公共の場で、障害のある我が子は悪念をいっぱい浴びて不憫だ、かわいそう、と心を痛めなくても、その子を愛する尊い守りが大勢でちゃんと守っていますから、大丈夫ですよ、心配いりません、というのが私の意見です。




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