「刺激」を求めるとは

テーマ:

人は刺激を求める時がありますが
人によって、その頻度や濃厚さには
違いがあります。

 


どんなに穏やかな人でも
食べ物でピリッとした辛さを求めたり

 


案外、プロレスが好きで
流血試合でエキサイトしたり。

 


刺激は、どんなに穏やかな空間の中でも
感じるコトが可能です。

 


最近、竹藪の隣りの部屋で
ひとりの時間を過ごした時に

 


風で揺れる竹の葉の音を聞いていて
刺激を受けておりました。

 


刺激をあえて一言で表現すると
「非・常識」と、言えます。

 


常識は個々で違うので
その個々の常識の外を体感するときに
刺激になります。

 


辛い料理が平気な人と
そうでない人では、辛さの常識が違います。

 


部屋にいる時に聞く外の音についての私の常識は
無音、雨音、車の通る音、ひばりが鳴く音。

 


それ以外は、非・常識になるので
風の音は、刺激になっているようです。

 


自分の感覚の常識を把握することは
非常識を把握することになります。

 


非常識を把握して意識できると
自分のこころをコントロールする
手段の一つになります。

 


例えば、怒り、悲しみ、驚き等も
非常識のカテゴリーに入ります。

 


辛い料理が目の前に出されたら
食べないという選択で刺激を感じなくて済みます。

 


怒りも、食べないという選択と同じように
怒らない選択が出来るはずです。

 


もし、怒る原因を解っているにも関わらず
怒りにスイッチが入ったならば

 


それは、食べるを選択したにすぎません。
自分が辛い物(怒り)を食べると決めたのです。

 


その辛い(怒る)という刺激を求めたのです。

 


スナック菓子も同じですし
逆に甘い物もそうかもしれません。

 


ダメだと解っていても
それを選択しているのは自分です。

 


怒りが目の前に出されたら
受け流して食べないコトを選択しましょう。

 


……できませんか?

 


いや!あなたに合った方法が必ず有るはずです。
そのヒントは呼吸にあるかもしれません。

≪#0650≫


~~編集後記~~

 


今日もありがとうございます。
辛い食べ物が苦手な高坂一彦です。

 


冒頭で書きました
竹藪の葉っぱが風でこすられる音ですが
私にとっては、寂しさの刺激を感じてしまいます。

 


刺激は癖になると言いますか、
中毒や依存症になる感覚と似ています。
(私が個人的に感じている)

 


昔、街頭演説をしている時に
自分の声を自分の耳で聞いて
刺激を受けて陶酔に近い状態を
経験したことがあります。

 


自分の中では、なかなか刺激的でした(笑)

 


そう言えば、嗜好品の多くも
刺激物という表現を使います。

 


カフェイン、アルコール、ニコチン、等。

 


刺激物は、一瞬にして
現実の世界を一変させてくれるので
ストレス発散の効果もあるかもしれません。

 


目には目を歯には歯を
刺激には刺激を。。。(ちょっと違いますね)

 


でも、この方法では
ストレスの根本を断つ訳ではないので
一生、身体にあまり良くない刺激物に
頼ることになりますね。

 


だから、昔から
嗜好品が無くならないどころか
商品として売買されることになるわけです。

 

私はと言いますと

今では、ニコチンは必要なくなり
アルコールも付き合いで飲む程度です。

 


カフェインも出先以外で飲む場合は
カフェインレスのコーヒーを愛飲しています。

 


やはり、日頃から
ストレスを感じない自分を
作るコトが必要ですね。

 


刺激は、そこら中で飛び交っていて
それをキャッチするか受け流すかの
二者択一であるということは間違いありません。

 


どうせでしたら、
受け流す選択をした方が幸せです。
刺激の依存症に成らないように
気を付けたいものです。

 


高坂一彦 拝

 

AD