ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。


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榎本喜八



榎本喜八(1955-73)2314安打




 73年に現役を引退。その後は球界と縁を絶って生活しており、よって名球会発足時も当然加わらなかったために脱会扱いになっている。しかし、選手時代の数々の逸話、求道的な生き様はその求道的な生き様とともに伝説の大打者となっている。「安打製造機」と呼ばれた最初の選手であり、31歳7ヶ月という日本球界最年少記録で2000本安打を達成した。「打撃の天才」と言われる広島・前田智徳が近年のインタビューで「話を聞く限り、彼には私と共通するものがあると思います」とコメントしている。




落合博満(1979-98)2371安打




 戦後最強の右打者「オレ流」落合が名選手が集まって親睦を深めたり、チャリティーに参加している姿は想像できないが、やっぱり名球会入りはなかった。三冠王落合が入っていないのに、駒田や石井琢が名を連ねていることで名球会の権威が揺らいでいることは否めない。往年の選手の記録のパンチが凄まじすぎるために近年入会している選手の小粒感は否めない。




江夏豊



江夏 豊(1967-85)206勝




 もともとは江夏も会員だった。多摩の一本杉球場での江夏引退試合は名球会の後援で行われている。93年の覚せい剤取締法違反によって除名処分を受ける。ただ、彼の異名は「20世紀最高の投手」「優勝請負人」であり、Yahoo! JAPANが企画した「20世紀日本プロ野球ベストナイン」の投手部門でも、沢村栄治、金田正一、稲尾和久ら往年の名投手を抑えて1位に選出されていることかわも分かるように名実人気ともに最高の選手であった。

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山本和行






大野豊(1977-98)148勝138セーブ

斉藤明夫(1977-93)128勝133セーブ

山本和行(1972-88)116勝130セーブ




 03年から名球会への入会条件が改訂され、投手は250セーブ以上も有資格者となった。時代が違えば、選手起用も違う。連日連夜の連投が賢い選手起用でないことは誰しも分かっていることである。そのためか、投手分業制を謳われる今日、名球会の頭の固い面子も柔軟な姿勢を見せたと言ったところではないか。新しい基準で大魔神佐々木、高津の両セットアッパーが新会員となったが、250セーブを基準に入れるなら、100勝125セーブも新しい基準にしてほしい。なぜなら、250セーブ以上を記録するためには一貫して抑え投手として起用され続けることが大前提となるからである。先発投手として起用されるか抑えになるかは本人の適性だけでなく、その時々のチーム事情にもよるからである。よって肩の出来が早い投手なんかになると、先発、抑えにフル回転、年によって起用法が全く違うという状態になってしまう。だからこそ、200勝または250セーブが入会資格であるならば、「100勝かつ125セーブ」も入会資格にする。そうすれば上記の投手たちが有資格者となるが、いかがだろうか。




 大野は150キロのストレートと七色の変化球で一時期の広島投手陣を支えた。斉藤も80年代の大洋を支えた投手の一人。球速もコントロールも傑出したものを持たなかったが、人並みはずれた気迫とヒゲの強面で相手打者を威嚇して討ち取ったと言われる。山本も先発、抑えにフル回転した一時代を築いた阪神の投手である。

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江川卓




江川卓(1979-87)135勝

掛布雅之(1974-88)1656安打




 江川は言わずと知れた怪物投手。その逸材は松坂にも劣らずと言ったところであると思う。江川の回りにあるブラックな話題が残念でならない。数字以上にファンに注目された投手であり、オールスターでの8者連続三振は狙ってできる芸当ではない。故障がなければ、もっと言えば変化球がカーブ以外にもう一種類あれば、もっと勝てた投手だと思う。江川のライバルであり、ミスタータイガースとして同年代のスター選手であった掛布はもともと中距離打者であったが、田淵の移籍というチーム事情から長距離打者へと自ら変貌した。江川は32才、掛布も33才という若さで引退した。名球会に入会するためには故障の少ない、そして選手寿命が長い選手が結果として名を連ねることになる。名球会に入会基準には遠く及ばなかったこの2人を取り上げたのは、80年代のセ・リーグを代表し、且つ知名度の高かったこの2選手が入っていない辺りが名球会への難しさが伺えるからである。200勝、2000安打という記録以外に何ものでもない。だからこそその会の付加価値があるように思える。




佐々木誠 (1985-2000)1599安打




 結果としては名球会入りまで残り401安打もあるが、彼ほどおしいと思える打者はいないだろう。なぜならプロセスを調べると完全に達成ペースだったからである。 97年シーズン終了段階で、佐々木は32歳。既に1519安打を打っていた。この年、打率.304で規程打席に達して137安打放っていたのだから、順当に行けば4年以内で2000安打到達の計算だったし、おそらく本人もかなりの確立で達成できると信じて疑わなかったはずである。ところが、結局辞めるまでに打った安打は80安打。.304を打った翌98年が65安打で終った佐々木は西武を退団して、野村監督が就任した阪神に移籍。再び2000安打を目指すが、99年15本、00年3本と全く打てなかった。阪神を解雇になった後、本人は現役続行を望んだが声はかからず、米独立リーグに入って復帰を期したが、結局引退した。

 王、張本は通算の大記録を打ち立てる条件として、異口同音に「35歳からのもうひと踏んばり」を挙げているが、この佐々木といい、先の高橋慶彦といい、いずれも35歳で引退を余儀なくされている。




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山本昌




あとわずかで名球会に入れなかった選手を紹介する。




石井茂雄 (1958-79) 189勝

足立光宏(1959-79) 187勝




 同時代に阪急で活躍した2人である。石井は太平洋、そして最後の年は巨人でプレーしたが、引退前の3年間は5、 5、 2勝であった。日本シリーズでいぶし銀の芸術的ピッチングを見せた阪急の足立も晩年の3年間は7、 4、 0勝で引退した。この記録だけを見るとメジャーに挑戦する桑田を思い出してしまう。

この時代の阪急は上記の石井、足立に加え、更に350勝の米田哲也(1956-75)、そして254勝の梶本隆夫(1954-73)と200勝以上またはそれ近く勝った投手が同時期に4人もがいたことになる。80年代の巨人の3本柱がかすれてしまう投手陣である。




木俣達彦(1964-82)1876安打




 69年ににセ・リーグの捕手では史上初の30本塁打となる33本塁打をマークした中日の強打の捕手。典型的な長距離打者であったがゆえに粗さが目立っていたが、一本足打法でグリップを極端に下げてからトップの位置に持っていくマサカリ打法を編み出し上からボールをぶつけるレベルヒッターへ転向し安打を量産した。捕手として2142試合出場は野村、伊東に次ぎ、1876安打は野村に次ぐ堂々の2位である。




松岡弘(1968-85) 191勝




 堀内(203勝)、江夏(206勝)、そして平松(201勝)という同時代同リーグのエースが200勝を達成したのに刺激され200勝を目指した。73年には21勝、78年の日本一とMVP、沢村賞、80年には最優秀防御率を獲得。しかし、引退前の3年は順に、11、 1、 0勝。最後の2年は限界であった。




高橋慶彦(1976-92)1826安打




 70年代後半~80年代の赤ヘル黄金時代に、1番打者として活躍。古葉監督の下、「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得。79年には33試合連続安打の日本記録を打ち立て、同年の日本シリーズではMVPにも輝いた。全盛期は福本豊の後継者とまで謳われるほど活躍した。選手時代に1741安打を記録。この時にまだ32歳だったために2000本は十分射程距離内だったが、ロッテ-阪神と渡り歩いた3年間は54、26、5本とたったの85安打に終り、35才でパットを置いた。




真弓明信(1973-95)1888安打

石毛宏典(1981-96)1833安打

松永浩美(1981-97)1904安打




 2000本目指して最後まで現役にこだわったが及ばなかった3人である。

真弓は晩年2年間に主に代打の切り札として 45、 3本の安打数。阪神を自由契約になっても現役続行に意欲を燃やしたが、他球団からの誘いは無かった。石毛は西武の監督要請を断わり、ダイエーで2000本を期したが、在籍2年でそれぞれ26、5本を記録。最後に失速した。松永も最後の2年は24、 3本。メジャー入りを志したが実らなかった。




斎藤雅樹(1983-2001)180勝

星野伸之(1985-2002)176勝




 分業制確立で、投手の名球会入り、つまり200勝達成は確実に難しくなっているのは事実である。その中では先発として着実に重ねて来た斎藤雅、星野に期待がかかった。しかし斎藤は5、3、2勝。オリックスから阪神に移籍した星野は5、1、2勝といずれも失速してしまった。斎藤は言わずと知れた80年代の最高の投手であり、星野もスピードボールだけがプロではないと示した偉大な投手であった。それでも200勝は遠かった。現役選手では山本昌が名球会に最も近い投手であるが是非とも頑張ってほしい。

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毒島章一
 


毒島章一(1954-71)1977安打




小玉明利
 

小玉明利(1954-69)1963安打




長谷川良平
 


長谷川良平(1950-63)197勝




秋山登
 


秋山登(1956-67)193勝





杉浦忠
 


杉浦忠(1958-70)187勝




200勝・2000本安打という基準に惜しくも達することができずにいた名選手を紹介したい。名球会入りまであとわずかというところまで迫りながら引退した選手達である。しかし、彼らの晩年、現役最終年の成績を見ると限界と言う状態だったと思われる。そもそも彼らが現役を終える頃は名球会自体の存在がまだ無いときに現役を終えた。つまり、2000本、200勝というのはその記録以上でも以下でも何でもなかったのだ。ただ、名球会が発足してから初めて、そのメンバーを見て初めて「もう少し頑張っておけば良かった」と思ったかもしれない。


チームの強さがその記録に繋がることも無視できない。弱小球団で頑張った小玉(近鉄)や長谷川(広島)の知名度があまりにも低いのが気になってしまう。






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