ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。


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清原
 



清原がとうとう500号を放った。

500本のうち257本がセンターより右の本塁打。記録達成の本塁打もまたセンターバックスクリーンへの一発で、清原らしいバッティングだった。

世界の王は本塁打の多くが右方向、長嶋もほとんどが左方向、センターより逆方向への本塁打の多さは出色である。



球をギリギリまでひきつけることの出来るスイングスピード、そして弾き返すためのリストの強さ、高いスキルに裏打ちされた清原のバッティングがこの数字には表れている。




しかし清原の通算打率は低い。.275くらいであろう。右方向への打撃が上手ければ、落合のようにもっと率を稼げてもおかしくない。そこが清原らしいといえばらしいところか。

チャンスや大舞台に強い清原。もしかしたらそういう場面でしか集中力が高まらないのかもしれない。ここで打ったら目立つ、もしくはファンにしてみればここで打って欲しい、そんな場面で打ってきたからこそ、今の清原像があるのかもしれない。




評価されるべきは入団以来、常勝西武の4番をはり、球界の盟主と呼ばれる巨人の中心打者として500本塁打を重ねてきたこと。時として自分を犠牲にしないといけない場面もあったことだろう。奔放なイメージの清原であるが、好き勝手に打っているだけでは今の清原はなかったかもしれない。




次は落合の510本。故障が悪化しているとか、引退説も出ているとかいろいろなことが報道されているが、チャンスでの集中力がなくなったときこそ彼の引退時期。今シーズンまだ始まったばかりだが、今季の清原はそのような目で追っていってみたい。




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大社氏

 





日本ハムの選手が左肩に喪章をしてゲームに臨んでいた。何でだろうと思っていたところ、球界の名物がまた一人他界したという。








以下記事を読むと、本当に野球が好きな人だったんだなと実感する。何かと話題の楽天・三木谷オーナーも、参入後、いつぞや自チームのことだけにご執心のような気がする。大上段に構えた「プロ野球改革」も今ではチームをいかに強くするか、そこだけにしか目が行っていないのではないだろうか。オーナーが100敗してもいいというくらいの気構えでいたら、逆に現場はどれほど心強いことだろう。新規参入チームが好成績を収めること自体が難しい話であって、本音で期待をしている人が多いはずがない。だからこそ、魅力的なプロ野球とは何なのか、楽天イーグルスというチームを通してファンに訴えかけて欲しいし、魅力的なチームになればいい選手だって集まるはず。今のままでは単なる弱小チームで今年を終わり、当分低迷するのではないだろうか。そんな予感がしてしまう。





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日本ハム球団の前オーナーでハム・ソーセージ業界最大手の日本ハム創業者、大社義規(おおこそ・よしのり)氏が 27日、午後5時45分、心不全のため兵庫県内の病院で死去した。90歳。1973年(昭和48年)、人気が低迷していた日拓ホームフライヤーズを買収して野球界に参入。野球を愛し、球界一球場に足を運ぶ名物オーナーとしても知られ、81年に念願のリーグ優勝を果たした。02年、牛肉偽装問題で引責辞任したが、チームの北海道移転にも影響力を発揮したといわれる。





一代で日本ハム本社を業界トップ企業に育て上げた名物オーナーが静かに旅立った。数日前に入院し、長男で球団の会長を務める啓二氏ら親族にみとられ息を引き取った。「球界一、球場に足を運ぶ」オーナーと呼ばれた。85年から4年間、監督も務めた高田GMは「負けているときも応援に来てくれた。そこが普通のオーナーと違った」と振り返った。





100キロの巨体にふさわしい豪放磊落(らいらく)な性格だった。一方で、人一倍気を使う性格だった。携帯電話が出始めたころ、箱形のバッテリーつきの電話を肩から担がせ球団職員に1イニングごとの試合経過を報告させた。引退後は全試合観戦できるようにCS放送を自宅に完備した。80歳を越えても2月のキャンプインには千葉・鴨川に足を運び選手に声を掛けた。「おやじのような存在」(大沢啓二・元日本ハム監督)と大社氏を慕う球団関係者は多い。





42年に27歳で同社の前身、徳島食肉加工場を設立。戦後、全国に進出し事業を拡大した。73年、第1次石油ショックの中、球団買収に動いた。中学時代、県大会で4番、三塁手として決勝に進出した球歴の持ち主。銀行筋から「道楽が過ぎる」と非難されながらも決断した。球団を持つことで本社経営に好影響を与えた。前年の73年7月決算では850 億円だった売り上げが翌74年に1091億円、昨年は9600億円へと飛躍。「食肉業界の松下幸之助」と呼ばれた。





02年8月、日本ハム関連会社による牛肉偽装問題が発覚した。引責辞任し、入退院を繰り返したが野球への情熱が冷めることはなかった。北海道移転では本籍地の四国と北海道が移転先の候補に上がっていたという。啓二氏が決意した移転を、後押しした。昨年4月2日、札幌ドームの本拠地開幕戦はバックネット裏で観戦。プレーオフ進出を決めたオリックス戦は自宅で「バンザイ!」と叫んだという。81年にリーグ優勝を果たしたが、日本一は見ることが出来なかった。





[日刊スポーツ 4月29日]








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清原


 







数日前の話題になるが、清原の「チン●コ」発言であるが、良くも悪くも実に清原らしいと思った。












星野SDを怒らせ、温厚な岡田監督をも不快感を覚えたとコメントした通り、大人の発言でなかったことは確かである。仮に高校生だったとしても、自分の発言がどれだけ影響力を持ったものなのかをきちんと理解していれば、すべきでない発言だったことは容易に理解できるはずである。その点、「株を下げた」という大方の見方は納得できる。












しかし、4番という打順に人一倍の思い入れをもつ清原だからこそ、藤川のフォークは納得いかなかったのではないだろうか。












藤川のストレートは実に素晴らしい。150キロを超えるきれいな球筋のストレートは、現在のプロ野球界において三本の指に入るといって過言ではないと思う。藤川にとっての生命線であり、勝負球はそのストレート。そして4番の仕事とは相手のいちばん得意とする球を打ち砕くこと。試合以前の勝負ということを考えれば、清原の気持ちも分からないではない。



もちろん2ストライクに追い込まれるまでにストレートを叩けばいいといってしまえばそれまでかもしれない。しかし追い込まれた後のストレートこそ、まさに勝負の一球であるし、4番にこだわる清原だからこそ、藤川にはいちばん得意な球であるストレートを望んだのではないだろうか。












こんなエピソードがある。












PL学園・清原の最後の夏、決勝は宇部商であった。この試合2本のアーチを放ち、不滅の1大会5本塁打、甲子園通算13本塁打を記録した清原だが、その記録以上に、初めて4番としての仕事ができたと喜んだという。



というのも、この日2本の本塁打はいずれもが同点アーチ、清原のバットによって2度もチームが息を吹き返しているのである。相手の宇部商はそれまで大会4本塁打の藤井進を中心にした強力打線。それだけでなく準々決勝、準決勝と好リリーフで波に乗る投手・古谷を擁している。リードされるのがどれほど危険なことか、幾度の修羅場をくぐってきた清原だからこそ、その危険性は直感していただろうし、そんな中での2本の同点アーチ、当の本人も「記憶にない」というのだから相当嬉しかったのだろう。そしてキャプテン・松山のサヨナラヒットでPL学園は頂点に登りつめる。










この時のことを清原はこう回顧している。







古谷の武器には鋭いスライダーもあったが、「絶対にストレートが来ると信じていました。彼の持ち味はやっぱりスピードボール。ピッチャーだったら、やっぱり自分の最も得意とするボールで勝負したいんじゃないかと思っていましたから」



「彼もそこで変化球を投げて、たとえ抑えたとしても・・・うーん、そういう勝負じゃなかったんじゃないかな。彼にとっても、最後の甲子園だったから」












勝負とは相手がいて初めて成立する。試合であれば相手がいなければ自動的に不戦勝と、勝敗は成立する。



清原が求めたのは最高の舞台で最高の投手が最高の球を投げ、それを最高の打撃で本塁打にし、チームを勝利に導く、ということであり、相手にとって不足はない藤川だったからこそ、最高の球と思っていた勝負球のストレートを投げてこなかったことに不満を感じたのではないだろうか。500本塁打がかかっていたことも確かにあると思うが、勝負師として非常に残念な思いをしたからこそ、思わずあの発言が出てしまったのかもしれない。同じ勝負師・星野SDも、もし清原が自チームであればかばっていたような気がしないでもない。












事実、真っ向勝負の中日・川上を全く打てなかった際には何の負け惜しみもなかった清原。清原人気は、試合を超えた勝負にこだわるところにあると思うし、例えその姿勢が我が侭にとらえられることがあるにせよ、それがプロ野球の醍醐味だし、もっとそういう勝負が増えれば、プロ野球人気もちょっとは回復するのに、と思ってしまう今日この頃であった。












そろそろもう1本が出そうな清原。筆者は清原党ではないが、勝負強い清原の打撃は好きである。先日も書いたが、右翼へのきれいな放物線を期待している。












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江藤
 




12球団それぞれ、その球団のある程度決まった予算の中で、費用対効果の高い選手を獲得、補強しようと考える。その中で、金銭トレードもあれば、3A、2Aでもしかしたら日本のプロ野球に合っているかもしれない助っ人外国人を獲得する。稀に予想外に活躍する外国人もいれば、一度ピークを超えた選手が新天地で復活するケースもある。




例えば、元近鉄の本塁打タイトルを獲得したブライアントは、元々中日の2軍にいた第3の外国人であったことはあまりにも有名な話である。あとは、野村再生工場で復活した阪神「遠山」、ヤクルト「田畑」、ヤクルト「広田」、ヤクルト「小早川」などが記憶に新しい。




そんな中で、豊富な資金力を武器にありえない補強をするが、本当に弱い在京球団がある。例えば、ヤクルト時代にメッタ打ちにあった広沢がFAした際に獲得、実際はベンチを暖めることが多かった。


最近の一番見ていて辛いのは、嘗て広島時代に二冠王にもなったことがある江藤である。レギュラーで年間フルに使えば、2割8分、30本近く、最低でも20本は本塁打を打つと思う。たまたま地味があるために、ベンチを温め続けている。




本日の試合では、七回裏、1点差に迫ってなお一死一、三塁のチャンス。ここで代打に指名されたのが、江藤だった。ところが、本当にとことんツキがない。ここでヤクルト投手が左腕の石川から、右の吉川へ交代。お金持ち在京球団はこれをうけて「代打の代打」清水を送り、江藤は一振りもしないまま、監督に肩を叩いて慰められながら、ベンチへ引き上げた。コメントは「代打の代打? あれはチームの方針だからしようがない。僕は言われたことをやるしかないんだからね」。淡々と答えていたらしいが、目は笑ってなかったらしい。江藤は広島時代の93年に初の本塁打王に輝き、95年には本塁打、打点の二冠王に。いくらなんでも、この扱いはないんじゃないかと思う。




江藤は通算350本塁打にあと1本と迫っているが、それが出るのはいつのことやら。他球団にいれば、400号は確実に超えていると思う。ただその在京球団の幹部は他のセリーグ他球団に行かれるよりはマシだと考えているのだと思う。




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son
 




巨人が弱い。本当に弱い。一昔前は、斎藤雅、桑田、槙原の3本柱を中心に投手王国として守りの野球に徹していた時もあった。それが、現在は投手に悩まされている。先発は早々と先取点を与え、追いつこうにも中継ぎ陣が追加点を与え、正式なストッパーが不在。基本的に野球は守り重視である。この状況では優勝は確実にできないであろう。




ストッパーと言えば、過去現在と素晴らしい日本プロ野球界は生み出してきた。横浜佐々木、ヤクルト高津、ロッテ小林雅、広島津田、巨人鹿取、あげれば切がない。そんな中で最も活躍した助っ人外国人ストッパーは元中日の「宣銅烈」であろう。150kmを超える速球とありえないスピードで鋭く変化するスライダーを武器に、セリーグ各球団を苦しめた。宣銅烈が出てくるまでに試合を決めてないと、まず逆転は難しかった。また、ドラゴンズファンとしてはこんなに心強いストッパーいつことは大いに安心して試合を見れたのではないか。




【韓国の至宝】と呼ばれた韓国史上最高の投手。光州一高で全国制覇。高麗大時代に世界青少年野球選手権で韓国を優勝に導く。82年には世界アマチュア野球選手権で優勝し、最優秀選手に選ばれる。ロス五輪にも出場し、85年にドラフト1位で韓国プロ野球のヘテに入団。




1年目は、シーズン後半から出場し、7勝4敗8セーブという成績ながら、防御率1.70で最優秀防御率のタイトルを獲得。その後、7年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得。86・89~91に最多勝。93年からは本格的にリリーフに転向し、31セーブでセーブ王と0.78で最優秀防御率。 95年にも33セーブ、防御率0.45でセーブ王となる。




96年、33歳にしてついに日本のプロ野球に移籍を決意し、中日ドラゴンズに入団。1年目は、日本への適応に苦しみ、5勝1敗3セーブという記録にとどまる。しかし、2年目には実力を発揮し、1勝1敗38セーブ、防御率1.28でセーブ王を獲得。99年、28セーブを挙げて胴上げ投手となり、優勝に大きく貢献したにも関わらず、36歳の若さで余力を残して引退。球を放すのが遅く、位置が低いため、宣の球は投げ下ろしているにも関わらず、下から上に伸びていくように見えた。全盛期には160キロ出ていたという直球と140キロを軽く超える高速スライダーを武器として、韓国でも日本でも投球回数以上の奪三振を稼いでいる。

 

韓国プロ野球での成績(11年間)

146勝40敗132S。防御率1.20。最多勝4回、セーブ王2回。最優秀防御率8回。


日本プロ野球での成績(4年間) 

10勝2敗98S、108SP。防御率2.70。セーブ王1回(1997)。


全プロ野球生活での合計

156勝42敗230S・防御率1.36。




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