ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。


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先日の楽天・一場の登板に続き、西武・涌井秀章も初登板、なんと150km/hをマークした潜在能力の高さは定評があり、出るべくして出た、といったところか。結局2回を無失点、堂々のデビューである。



中学時代から注目されていた逸材は、横浜高校でも順調に成長を重ねてきた。あくまでダルビッシュに次ぐ存在としてマスコミには扱われてきたが、筆者にとってはその実力はダルビッシュを上回る逸材として注目してきた。



ともすれば既に完成された感のある投手でもあるが、野球に対してストイックなところ、今キャンプでも自らの課題を自覚し、克服していったこと等を考えると、のびしろはまだまだあると考えていいだろう。オープン戦初戦にていきなり城島の胸元に直球を投げ込んだ腹の座り具合と速球投手ながらコントロールがいいのも投手としてたまらない。



投球フォームの柔らかさ、特に肘の使い方は特筆もので、松坂大輔にあって今の涌井に無いもの、つまり力感が備われば毎年12勝以上は固いと思われる。あとは決め球となる圧倒的な変化球の習得であろうか。



現段階では一場よりも涌井の方が活躍を予感させる。いわゆる投手らしい投手として今後も順調に伸びていって欲しいものである。
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雪がちらつく中のプレーボール。巨人の先頭打者仁志に投じた初球は150km/hをマーク。スピードはさすがだった。

が、その後結局3回を被安打4の2失点。打たれたのは全てストレートだった。最初の阿部慎之介の打席を見たが、いくら一場が力を込めてストレートを投げても数球続けてあっさりカットされていた。要は球筋が見やすいのだろう。よく指摘されている踏み出した左足の開き、このために体が早く開き、一場の球筋を見やすくしてしまっている。そしてリリースポイントを安定させられていないせいか、ストライク、ボールがはっきりしてしまっている。



さすがにはまった時の球は打てないであろうが、プロははまらなかった時の失投を見逃してはくれない。そういった意味で、紅白戦を通じて被本塁打が多いのもうなずけるところである。



今は見るからに上体の強さに頼った感のあるフォームだが、しっかり下半身を鍛え、左足の開きを修正できれば大化けの可能性大であるが、このまま行ってしまうとソフトバンク・寺原のようなポジションに落ち着いてしまうような気がしなくもない。



いずれにせよ今はまだオープン戦。開幕までにチームの中でどのようなポジションを築けるか、楽しみである。
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ドジャースとの契約が決まった中村紀洋。

いろいろと活躍を疑問視する声もあるが、私は非常に楽しみである。



中村の存在を知ったのは彼が高校2年の1990年、夏の甲子園に出場した時である。大阪府立渋谷高校が甲子園出場ということで、その名も知らない高校に興味をもった。

大阪といえば名門私立の宝庫。PL学園、上宮、大阪桐蔭、などなど公立高校が出場することはまずないであろうと思っていた地区である。

中心は投手で4番打者の2年生。その2年生が府大会決勝で日生球場レフト場外とセンターバックスクリーンにどでかい本塁打を放って優勝。甲子園では1回戦で敗退したが、その2年生が中村であった。ちなみに相手は上宮。巨人・元木、中日種田を中心にベンチ入り15人中7人(元木、種田、宮田、小野寺、中村、市原、藪田)が後にプロ入りしたスター軍団である。

そんな野球漫画のような展開と、プロ顔負けの豪快なスイングをもっていた彼のキャラクターに非常に魅力を覚えた記憶がある。



プロ入り後、豪快なスイング故の手首の怪我はあったものの順調にキャリアを重ね、現巨人のタフィ・ローズとのコンビで超弱体投手陣ながらもチームを優勝に導いた彼の打棒は記憶に新しいところだろう。中村46本、ローズ55本、2人合わせて101本塁打というとてつもない記録をつくったのもこの時である。



彼の野球センスはずば抜けたものがあると思う。

当時、あのイチローをして「なぜ中村はあのスイングで打てるのか」と言わしめたくらい、右打ちが上手いのが特徴である。

つまり常にフルスイングながらも軸がぶれない下半身の強さ(膝の故障とともに成績が下がったのはこのため)とバットコントロールを可能にするリストの強さがあるからこそのものであり、そういった点では落合博満に通じる部分もあると思う。

そしてあの守備の上手さ。あの身体でありながらフットワークは軽快で、なによりグラブさばきが柔らかい。肩も強い。

打のイメージがかなり強いが、普通の公立高校にいながら投手として激戦区の大阪を制して甲子園に行った彼の野球センスと、ハートの強さ、そのあたりをふまえて見れば、下馬評は高くないものの、筆者はメジャーでの大活躍を期待せずにはいられない。
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第80回大会の甲子園でPL学園の主将だったのが
今年から楽天に加入した平石選手。

あの強烈な個性をもつ選手たちの中で
私が彼を覚えていたのは、あのPL学園で
控えながら主将を務めていたことだ。

私は野球部に所属していたわけではないので
体験したわけではないが
高校生の部活動で控え選手でありながら
主将というのは珍しいと思う。

人間性などが、プレー以外の部分で評価することは
高校生に求めることは難しい。
だからこそ、選手間も当然強化の基準がプレーになる。
しかも、野球集団であるPL学園で控え選手がチームを
まとめていくというのは、よほど何かすばらしいものを
もっていないと難しかったのではないかと思う。

あの試合を見ていて、率直に感じたのはPL学園のチームのまとまりの
すばらしさであり、同時に主将の平石選手の力だった。

その彼が、大学-社会人を経て楽天に入団する。
プロ野球は、技術だけではないと私は考えている
精神力、人間力もその選手の魅力だと思う。

正直彼のプレーを見たことはないが、
楽天でいい影響をチームに与えて
私の持論を証明してもらいたい!
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スライダー。90年代を代表する球種と言っていいだろう。

今では高校生ですら「自称」スライダーを放る投手はごまんといる。

スライダーという球はその名の通り、ストレートに近いスピードで横滑りする球のことをいい、よく耳にする縦のスライダー、あれはこの球種の定義から外れてしまっている。正確には「小さく割れる縦のカーブ」だろう。



小言はさておき、元々スライダーをいちばん最初に投げた投手は誰かというと、古くはインディアンスの火の玉投手、ボブ・フェラーと言われている。

もっとも彼の場合、豪速球が自然に曲がっていたものであって意識して投げたものではなかったろうが、偶然にせよ意図的にせよ、豪速球に「クッ」と横に流れられたら打者としてはたまったものではない。

そしてこのボブ・フェラーのスライダーを史上最高のスライダーと仮定するならば、日本で彼に一番近づいた投手は元ヤクルト・伊藤智仁と言って過言ではないだろう。



ちなみに彼の経歴は以下の通りである。



京都・花園高 - 三菱自動車京都。高校時代は2年生秋の京都大会で優勝し近畿大会に出場する。元木(巨人)、種田(中日)のいた上宮に敗退し、甲子園出場なし。三菱自動車京都に進み、バルセロナ五輪日本代表のエースとして、銅メダル獲得に貢献。広島、オリックス、ヤクルトの三球団に指名され抽選によりヤクルトへ。



彼が最も輝いたのはルーキーである1993年、快刀乱麻を切るという言葉があるが、彼のピッチングはまさにその言葉がぴったりのものだった。流れるように美しいフォームから繰り出される最速153km/hのストレート、そして当時広島の江藤をして「ホームベースの角から角に曲がった」と言わしめた高速スライダー、あの投球は神々しくさえあった。

特に6月9日の巨人戦、筆者も生で観ていたが、観ていて鳥肌が立つスーパーピッチングだった。巨人の打者は5回までに12三振、切れに切れた伊藤のスライダーはまさに魔球、ストレートと思ったら外角を鋭くかすめるスライダー、歴代の強打者の中でも打てる者がいるのだろうか、と思わざるを得ない内容だった。

9回2死までノーヒット・ノーラン、16奪三振、あとひとつ三振を奪えばノーヒット・ノーランとセ・リーグ1試合奪三振記録のダブル達成、誰もがそれを疑わなかった次の瞬間、ドラマが起こった。一呼吸打席を外し、息を整えた巨人・篠塚に、次の投球をライトスタンドに運ばれてしまったのである。結果はサヨナラ負けであった。



この年、伊藤智仁は7勝2敗4完封、109回126奪三振、防御率0.91で新人王に輝いた。後半は肘を故障したため、この年実働3ヶ月での恐るべき数字である。



しかし1年目の輝きと引換えに、そしてあのサヨナラ負けが暗示していたかのように、彼の野球人生は坂道を転げ落ちるように転落していく。

その後11年間、常に故障と向き合いながら、そして周囲の「もう一度あの輝きを」という期待を背に負いながら頑張ってきたが、二度とあのスライダーが復活することはなかった。一時はストッパーに転向、カムバック賞も受賞したが、全盛期のスライダーはもう見ることができなかった。

そして最後の2年間も故障のため登板できず、以下の引用が彼の最期だった。



14.2度と冷え込む秋空のもと、フロント、一軍コーチ陣が見守る中で562日ぶりに実戦マウンドに上がった伊藤。その結果は、あまりにも悲惨だった。最初の打者は「この日最速となる136キロの外角直球で見逃し三振」(10月25日付『日刊スポーツ』)に打ち取るが、二人目の初球、通算僅か9球目、打者の背後を通る暴投を放った瞬間、彼の肩はまたも壊れた。

「何かが起こったのは明らかだった。静まり返るグラウンド。マウンドを降りた伊藤はベンチに戻ると小川2軍監督らの前で何度も右腕を振る。しかし、右肩の痛みは取れなかった。『これ以上投げられません』

トレーナーの治療を受けながら、涙がこみ上げた。谷川コンディショニングコーチは『一過性の亜脱臼。生まれつきのルーズショルダー(肩関節が緩い症状)で本来なら右肩を固めてから登板に向かうんだが、そういう準備をしていなかった。それだけせっぱ詰まった精神状態だったんでしょう』と話した」(同日付『スポニチアネックス』)。




まるで花火のように一瞬の輝きを放ち、彼は引退を迎えることになる。

以下は彼の引退時の言葉である。



再びこのマウンドに帰って来ようと自分なりにめい一杯努力したつもりです。

歯がゆいとき、苦しいとき、もちろんありました。

その時、野球がやりたい、野球が好きだという気持ち、そして、大切な仲間、そして家族、ファンの声援がありました。

今、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。

たくさんの人々に出会い、そしてたくさんの愛情に囲まれ、その中で、大好きな野球ができたことを今私は大変幸せに思います。

最後にもう一度、私を支えてくれたチームメイト、球団関係者、スタッフ、家族、そしてファンのみなさん、本当に本当にありがとうございました。




相次ぐ怪我に泣かされ短命に終わってしまった彼だったが、あの芸術的なスライダーの輝きはプロ野球史に燦然と輝くものだろう。

あの古田をして「過去受けた中で最高の投手」と言わしめた伊藤智仁、その言葉は伊藤を気遣ってのものでなく、古田自身の本音に違いない。
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