アメリカの不思議

先日はアメリカの「サービス品質の低さ」について書きました。(その記事はこちら

 

 

米国に住むと、肌感覚として、日本の教育水準の高さ(中央値の高さ)を

改めて認識することになります。

 

米国では経済格差や教育格差が非常に大きく、それらを表す事象として、

「ウォール街を占拠せよ」の「We are the 99%」というスローガンや

トマ・ピケティ氏の「r > g」の流行も比較的記憶に新しいのではないでしょうか。

 

 

米国は資本主義の権化ともいえる国です。

 

例えば、有名な観光地の1つであるエンパイア・ステート・ビルディングには、

「通常の入場チケット」と「少し高い入場チケット」があります。

 

「通常の入場チケット」を購入した場合は、

混んでいる時には2時間も列に並んで

ようやく展望台に行くことができます。

 

一方、「少し高い入場チケット」を購入すると、

列に並ばずに専用レーンで進むことができ、

ものの数分で展望台まで行くことができます。

 

まさに時間をお金で買うという感覚です。

 

 

教育についても同様で、例えば、M7と言われる、米国でトップのMBA7校は、

2年間で2,000万円以上の費用がかかり、経済格差が教育格差につながります。

 

 

そして、毎年のように教育費用は上がります。

 

「r > g」とは、おおざっぱに言えば、資産を持っている人は

所得の伸び率gを上回るrのリターンを得ることができる一方で、

所得水準は平均でgしか上昇していないということですので、

必然的に資産を持っていない人はg未満の取り分しか得ることができず、

資産を持たざる者から資産を持てる者に富が流入することになります。

 

仮に、教育費用が所得の伸び率gと同じ割合だけ上昇するとすれば、

資産を持っている人は教育費用の伸び率以上のリターンが得られる一方で、

持たざる者はg未満でしか所得が伸びず、ますます教育を受けることが難しくなります。

 

 

このような格差は様々な問題を引き起こします。

治安の悪化もその1つでしょう。

 

例えば、ニューヨークは昔と比較して非常に安全になりましたが、

依然として軽犯罪は多いです。

 

当時、流行っていた詐欺に「眼鏡詐欺」というものがありました。

 

レンズの割れた眼鏡を持って物陰に隠れ、

不慣れそうなアジア人をターゲットにして、

突然、ぶつかってきます。

 

そして、ぶつかったことが原因で眼鏡を落として割ってしまったので

弁償しろと迫ってくるという詐欺/恐喝です。

 

他にもCDサイン詐欺というのもありました。

名前を聞かれて教えると、CDにサインをして売りつけてくるという手口です。

名前を書かれてしまっているので返品しにくくなります。

 

このように数十ドル~数百ドルの犯罪は依然として多いのではないでしょうか。

 

 

こうした人が数多くいるにも関わらず、

一定期間に産み出した付加価値の合計であるGDPが

世界1位であることにはある種驚きです。

 

しかし、時価総額の大きな企業を見ていると、

Apple、Alphabet、Microsoft、Berkshire Hathawayなど、

少数の天才によって多くのGDPが産み出されているであろう様子が分かります。

 

 

平均的な人には非常に過ごしやすい日本。

 

しかし、「出る杭を打つ」という同化圧力が非常に強い文化では、

そうした天才は育ちにくいのでしょう。

 

格差の存在を是認した上で、世界を変えるような天才を産むことに

期待する世界が魅力的かどうか、

そのような観点から、各国を評価してみるのも良いかもしれません。

 

 

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「渡米後の生活が落ち着くまで」の記事では、

米国では「1やり取り1エラー」というくらい

間違いが多かった旨のことを書きました。(その記事はこちら

 

しかし、世間一般にはアメリカは生産性の高い国と言われています。

そのギャップの秘密はどこにあるのでしょうか。

 

 

日本のホワイトカラーの生産性が低いと言われて久しくなります。

 

実際にOECD National Accounts Databaseの統計データによると、

2015年において、米国の国民1人当たりGDPは購買力平価換算USドルベースで

OECD加盟国中5位の56,077 USDでしたが、日本は18位の37,372 USDでした。

 

本当に米国は日本の1.5倍も生産性が高いのでしょうか。

米国に住んでみると疑問に思います。

 

 

人材の平均値を比較すると、日本の方が米国よりも圧倒的に優れています。

日本の方が対応も早く、内容も正確であることが多いです。

 

米国では、先日の記事の通り、間違いが非常に多いです。

 

例えば、税務申告は酷いものでした。

 

米国では、基本的に全員が自ら税務申告を行う必要があります。

しかし、多くの会社で、海外から来た駐在員のために、

税務の専門家が代わりに申告書類を作成してくれます。

このサービスの品質は酷いものです。

 

私の税務計算はビザの関係で、非常に簡易なものでした。

計算ソフトに情報を入れれば概算値は2~3分で算定できました。

当局に提出する書類も、初めてでも2時間もあれば作れそうなレベルです。

 

しかし、代行業務は非常に時間がかかりました。

何度も督促して、ようやくドラフトが完成したのはなんと半年以上経った後でした。

 

さらに悪いことに、そのドラフトは大きく誤っていました。

最終的な税金の支払額が100万円近く過大になっていたのです。

 

自らチェックして、何度も確認を要求して、ようやく難を逃れましたが、

「税務の専門家」のことを信頼して、

そのまま提出していたら100万円を損するところでした。

 

このように、仕事が遅く、かつ、誤りが多いというのは

米国では日常茶飯事です。

 

間違っていて困るのは本人のため、問題があれば、

本人が確認して何か言ってくるはずだ。

何も言ってこないのは問題がないためだ。

 

彼らのロジックはこのようになっていると感じます。

 

 

教育水準が高く、平均的に優秀な人が多い日本のサービスに慣れていると

あまりの質の低さに驚くでしょう。

 

 

このようなことを経験していると、

「米国の生産性が高い」というデータに疑問を感じます。

しかし、米国生活に慣れてくると、その理由が分かってきます。

 

米国のGDPが高い理由の1つは、感覚的に端的に言えば、

「日本の1/4の品質のサービスで2倍の金額を請求するから」です。

 

米国のGDPの高さは「許容されるサービス品質が低いこと」の上に成り立っています。

 

米国では「サービス(無形の物)にお金を払う」という文化が根付いています。

 

これは、米国では教育水準に大きな格差があり、中央値は非常に低いため、

日本で教育を受けた人が当然にできることもできない人が多く、

その分、サービスに対して多くの金銭が支払われるということも理由の1つでしょう。

 

 

一般的な日本人の視点から見た米国は以上の通りですが、

一方で、日本のサービスにも無駄が多いという側面があります。

 

特に日本で問題だと感じることに「期待値の確認とコントロール」があります。

 

米国では、早く成果物を出し、上長からリクエストがあれば対応すれば良い、

という考え方をしています。

 

部下は事前に上長の期待を確認し、そこに集中して成果物を作成して、

コメントに対応しますので、部下は効率的に作業を行うことができます。

 

一方、日本では、最初から完璧な成果物が求められる傾向にあります。

あらゆる細部に時間をかけて成果物を作成します。

そして、上長も部下も期待に関するコミュニケーションが得意ではありません。

 

その結果、阿吽の呼吸が成立すれば、

上長の期待を包含する成果物となりますが時間がかかります。

 

悪いケースでは、全く期待されていないところに多くの時間を使っており、

肝心なところについては、期待値に届いていないということが起こります。

 

一般的に顧客が求めていないことに対して

かけている時間が大きく異なるということが

日米の生産性の違いの1つであるように思います。

 

日本は教育水準が高く、サービス受領者として生活するには快適な国ですが、

米国の「低品質」なサービスから学ぶことは大いにあると思います。

 

 

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「国際的分業」の記事では、「外国人だからこそ可能な高度な専門性」が

米国で働くために必要であるという趣旨の記事を書きました。(その記事はこちら

 

今回は、実際にビザを入手することができ、渡米できた後、

現地での生活が落ち着くまでの様子を書きたいと思います。

 

 

始めて米国に駐在する方は最初の数か月、

非常に忙しい思いをすることになります。

 

中でもSSNと略されるソーシャル・セキュリティー・ナンバーと

それに付随するクレジット・ヒストリーがないため、色々と苦労をします。

 

米国では、個人はSSNに基づいて管理されています。

 

税金の支払いや、クレジットカードの利用支払履歴など、

「経済的にその人がどの程度信頼できるのか」についても、

スコア化され、クレジット・ヒストリーとして管理されることになります。

 

このSSNについて、駐在が決まった時点で取得できれば理想的なのですが、

実際は渡米後に申請を行うことになり、数週間はSSNがない状態で過ごします。

 

そして、SSNがないと、各種手続きが大変になります。

 

快適な生活に必須な銀行口座、携帯電話、賃貸などの手続が煩雑になります。

 

SSNがないと、銀行口座の開設に色々な書類が必要になりますし、

携帯電話は$500のデポジットを要求されたりもします。

 

また、SSNがないと、会社は従業員に給与を支払うことができないため、

最初の数か月は日本のクレジットカードを利用するか、

日本から持ってきた現金を使用することになります。

 

運転免許証はSSNがないと取得できませんので、

身分証明書も最初はパスポートしかなく、気を使います。

 

運転免許の取得は、SSN取得後から非常に長い期間がかかります。

実技試験を受ける際に、申し込みから数か月待たなければならない

ということも良くあります。

 

 

色々と忙しい中、米国では「1やり取り1エラー」というくらい間違いがあり、

公的な書類の名前が間違っていたり、

手続に必要な書類のリストが間違っていたりして、

手戻りも多くあります。

 

 

また、クレジット・ヒストリーがないため、

ドル建てのクレジットカードを作ることも困難です。

 

駐在員向けのクレジットカードは作れますが、

渡米後、しばらくしてから受け取れるものが多いことや、

ウェルカムボーナスもなく、還元率が低いものが多いですので、

損をした気持ちになります。(ウェルカムボーナスの記事はこちら

 

 

半年程度経つと、様々なことが落ち着いて、

クレジットカードも作れるようになります。

ようやく、外国人としてではなく、現地人として

生活ができているという感覚が持ててくる頃です。

 

 

駐在員の方は多かれ少なかれ、

このような苦労を経験してきているため、

互いに助け合ったりして、日本人であることの

連帯感が生まれるところでもあります。

 

海外に住んでみると、公私ともに、

自分自身が日本人であることを実感する機会が多くあります。

 

日本人は協力的で親切な方が多く、

日本人で良かったと思う機会が多くありました。

 

新しい視点から、自らが日本人であることや日本の良さが分かることも

海外で生活するメリットであると思います。

 

 

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国際的分業

先日は分業についての記事を書きました。(その記事はこちら

分業の考えは、米国で外国人がどのような仕事に就くことができるかにも関係します。

 

一般的に、米国で働くためには、

米国がロー・スキルで誰にでもできると思っている仕事では難しく、

外国人だからこそ可能な高度な専門性を備えている必要があります。

 

これは、そもそも論として、米国で働く外国人は

「米国人の仕事を奪わないこと」を前提にされているからです。

 

外国人が米国で働くためには、基本的に何かしらの労働ビザが必要になります。

この労働ビザに応募する際に「その仕事が米国人にはできず私にしかできない」

ということを説明することになります。

 

そのため、日本の公認会計士が米国で働く場合には、

米国に多くのメリットをもたらしている日本企業が米国に数多くあり、

そのような日本企業にサービスを提供するためには、

日本文化に対する深い理解や英語と日本語の能力が必要である、

というような説明をすることになります。

 

 

冗談交じりの英語のクイズに、以下のものがあります。

「3つの言語を話すことができる人のことを何と言うか? - トリリンガル」

「2つの言語を話すことができる人のことを何と言うか? - バイリンガル」

「1つの言語しか話すことができない人のことを何と言うか?」

 

皆さん、答えが分かりますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は「アメリカン」です。

 

 

こうした冗談があるほど、米国人は英語しか喋れない

(英語を喋れれば問題ないと考えている)人が多く、

それに加えて、日本企業にサービスを提供するためには、

日本文化についても理解が必要ですので、

米国人だけで、バイリンガル、かつ、バイカルチュラルな人材を

一定数確保することは難しいでしょう。

 

その他、私が赴任していた頃は、健康食として寿司がブームとなっており、

寿司職人はビザを取得しやすい、というような話もありました。

 

 

このような背景ですので、「日本の存在感」というのは

非常に重要な要素になります。

 

上記の例ですと、「日本企業が米国にとってメリット」があり、かつ、

「日本企業がメリットをもたらすために日本人が必要」なため、

日本人は米国で働けることになります。

 

そのため、「日本は重要な国ではない」と見なされてしまうと、

日本人は必要ないということになり、

チャンスは失われていくことになります。

 

世界のGDP合計に占める日本のGDPは、1995年には約17%ありました。

しかし、2015年では5~6%程度しかありません。

 

対米国GDPでも、1995年の71%から2015年の23%に減少しています。

米国が20年で2~3倍に成長した一方で、日本はほぼ横ばいです。

 

 

このような差は物価水準にも表れています。

 

バブルの頃、東京は物価の高い都市であったかもしれません。

しかし、今となっては、東京は発展している都市の中で、

物価の安い都市であると感じます。

 

一般に、日本ではニューヨークは物価の高い都市と考えられています。

 

確かにマンハッタンの住居は、

日本でいう1LDKでも月額40万円程度からになります。

そして、毎年のように賃料が数百ドル上がります。

 

大戸屋のランチも3,000円程度します。

 

駐在ではなく、現地採用の場合、所得に限らず、

税金なども約40%控除されると聞いていますので、

感覚としては、日本の額面の2倍程度で

同じような生活レベルかな、というところです。

養育費も非常に高く、子供がいるとさらに苦しくなりそうです。

 

 

しかし、最近はシリコンバレーの物価が

ニューヨークの物価を超えたと言われていますし、

実感値として、ブレグジット前のロンドンの物価はニューヨークの1.5倍でした。

ニューヨークで10 USDで買えるものがロンドンでは

USDをBRPに変えて売られている感覚です。

 

ロンドンに住んだことのある方々は、

「1ポンド100円で計算しないと何も買えない」と良く言っていました。

当時、1ポンド約180円でした。

 


海外から見ると日本はどんどん安くなっていき、

逆に日本人にとっては全てが高くなってしまいます。

マクロに見ると国としての競争力が失われる由々しき事態です。

 

個人のレベルで見ると、海外でやっていけるようになれば、

海外でお金を貯めることで、現地では大した金額ではなくても

日本では一生遊んで暮らせるという時代もくるかもしれません。

 

しかし、日本の世界における存在感がなくなることで、

将来の若者たちの選択肢が狭まってしまいます。

日本独自の価値、存在感を出していくことで、

より多くの人がチャンスに恵まれ、

チャンスに恵まれた人がさらに存在感を高めていくことで、

さらなるチャンスが生まれる。

 

こうした好循環を生み出す必要があります。

 

 

社会的分業

軽い話題が続きましたので、今回は少し話題を変えてみます。

今回のテーマは「分業」です。

 

 

日米で仕事や生活をしてみると、分業の浸透度の差に気が付きます。

 

仕事の面では、米国では様々な専門家が分業を行っています。

各会計エリアの専門家は想像しやすいと思いますが、

その他、日本でも比較的知られているのはパワーポイントの専門家などでしょうか。

 

また、経理、IT、購買などを最適地に設立し、

世界各国の事務所やグループ会社で共同利用する

シェアード・サービス・センターも数多く設立されています。

 

さらに言えば、人間とITの分業も進んでおり、

コールセンターなどは人工音声が対応することも多くあります。

 

キャリア自体も入口で大きく分かれており、

MBA(経営学修士)を卒業した米国人は、

付加価値の高い仕事を担う人材として

初年度から年収2,000万円以上をもらう人が相当数います。

日本では、第二新卒として扱われるレベルのキャリアですので驚きです。

 

 

一方、日本では、少しずつ変わってきてはいるものの、

依然として、自ら全てを行うことをよしとする文化であるように思います。

 

一応は難関試験と言われている公認会計士試験に合格しても

1年生はコピー取りや確認状の発送業務などの雑用から始まります。

 

 

米国と日本を比較してみると、米国では深い専門性が身に付くため、

国全体で見れば競争力が付きそうですが、

個人のレベルでみると、専門分野が外れた場合のリスクは高そうです。

 

一方、日本では、色々なことが分かるようになりますが、

とがった人材にはなりにくい傾向があるように思います。

 

 

社会的な分業を背景に、米国では「個人主義」として、

「自らの仕事をすれば良い」となりますし、

日本では「みんなで助け合いフォローしながら仕事をしましょう」となります。

 

米国式は、責任が明確化され、良い仕事をすれば評価されやすいと言えますが、

一方で、担当を明確に定義する必要があります。

予測できる範囲を広げると共に、予測できない事態が発生した時に

それをしっかりと認識して対応できるマネージャーの役割は非常に重要になります。

 

 

日本では、全員が全体を考えながら仕事を進めますので、

仕事の隙間は生じにくいかもしれませんが、

責任の所在地がブラックボックスになりがちですし、

重複からの非効率も生じます。

 

また、マネージャーという役割としてではなく、

仕事ができる人ができない人を流動的にフォローすることになりますが、

責任が明確ではないため、フォローしたことも明確に把握されませんし、

文化的にも、フォローしたことに対して待遇面で大きく報いるということはありません。

そのため、大きな不公平感も生じます。

 

 

生活面でも、米国では、役割分担が進んでいます。

 

公共の場で一般の人はゴミ捨てや片付けといったことは行わず、

専門の清掃員が行います。

例えば、日本のカフェでは、飲食の後に、自らトレイを下げますが、

米国では机に置いたままです。

 

 

米国では分業が根付いているため、日本でいう「付き合い残業」が

染み付いてしまっている人は嫌われる傾向にあります。

 

自らの仕事が終わっているのに、他の人が仕事をしているので帰ってはいけない。

分業が進んだ社会では、このような考え方は理解することが

難しいことは容易に想像できます。

 

日本人は会社の上下関係で我慢する人が多いように思いますが、

米国では思ったことをすぐに口にする傾向にあり、

「〇〇さんとは働きたくない」ということを平気で言ってしまうため、

十二分に気を付ける必要があると言えます。