完全ネタバレです。

まだごらんになっていらっしゃらない方には、全然面白くないネタなので、ご注意ください。


珍しく二度も同じ映画を見ようと言った夫は、二度みたこの作品について、ふと、こう言った。


「この映画って、歌ってないキャラクターは、いらないね」


ポン!

思わず膝を叩いた。


そうなんだ。いらないキャラが多いのだ。

いや、いらないというよりも、存在の薄いというか、キャラのたたない役柄が多いのだ。


冒頭とラストに口上を述べる百姓夫妻とこれにからむ駝鳥道士(いずれもいい役者がそろってる……だって、篠井英介、市川実和子、山本太郎だよん)が、結局、「なんのためにいるのか分からなかった」とまで言われてしまったのも、歌っていないというのがでかい。

彼らが、口上にしろ、「俺は狸じゃない」にしろ、歌っていたらどうだったろう。

もう、全然印象がちがっていたんじゃないかな。


もう一人、お萩の局の分身のうち、若侍の団三郎狸というのが、印象が薄い。

美麗な若侍造りなので、オダジョーと役柄がかぶって、どっちがどっちってのもあるけど、なんのためにいたのか、てんで分からない。

あとで考えたらやっぱり、こいつは歌っていなかった。


お萩の局にはもう一人分身がいて、こいつは牢番の次郎狸というのだけれど、現在、都議選のイメージキャラクターになっている(そのせいで、どうも都議選が狸に化かされてるような気がするのは、わたしだけ?)パパイヤ鈴木が扮している。こいつはちゃんと自分一人の曲を与えられているから、とても印象が強いし、ちゃんとキャラもたっている。


腰元四人衆なんかは、大変に印象が薄くなりがちなキャラなのだが、お姫とからむ歌があるせいで、ちゃんと存在感があるのだ。(まぁ、四人目のりんこさんは、極楽蛙の歌もあって印象強いのは当然だけど、それはさておいても)


家老狸の高橋元太郎だって、ただのおとぼけギャグ・キャラかと思いきや、堂々と歌ってくれたもんね。


オペレッタなんだからあたりまえだけど。

歌わないキャラは、立たない。

そういうことなんだな、この映画においては。


そうしてみると、この歌わないがために、無駄になってしまったキャラたちは、ちょっとかわいそうだったりする。

割り当てられたキャラのせいであって、俳優たちのせいではなさそうだもんね。


まぁ、わたしは音楽にも声にもうるさいタイプなんで、余計にそう感じるのかもしれないけれど、本来そっち方面にあまりうるさくない夫がそんなふうに考えるってことは、これは劇構成上の問題なのかもしれない。



次に。

こんどはオペレッタとして考えたときに、及ばないと思われる踊りの部分について、考えてみる。

というか、ほんっとーに、及んでないよ。

振り付けはどうした、振り付けはー、という感じだよ。

踊らせてないとも言うけれど。


何も『シカゴ』のように踊れと言ってるわけではないのです。

でも振り付けについては、かなりよさげな人脈もそろっているのに、なんできちんと振り付けしなかったんだろう。

そして、なんでちゃんと踊らせなかったんだろう。


一番気になるのが、狸城でのどんちゃん騒ぎのシーン。

東京スカパラダイス・オーケストラの売りのシーンだ。カリプソなのだ。

陽気な音楽にあわせて、楽しそうな狸たちがいろいろ遊んでいる。

大道芸人のような連中がわいわいやっていて、それを「毎日」続けているという話なのだ。

牢番狸言うところの「狸姫さまのお誕生日ではない日をお祝いする日」ってやつね。

大道芸やってるところはいいんだ。

ところが群集が踊ってるシーンが、それはそれはなさけない。

男と女が組になって、ワルツを踊っている。

上半身はなんとなく組んでるんだけど、下半身がお互い退けてるから、まるで「人」の字みたいな格好で、だらだらと踊っている。

ものすごーく、だらしがない。


どうせ下品にするならってんで、女たちが蹴出しからげて男たちがそのあいだをすり抜けるシーンなんかは、それなりに振り付けもはいって、下品は下品なりにちゃんと踊りになってるから、それはまぁいいとしよう。

でも、下品だけどな。

なぜあそこで、ことさらに下品さを強調する踊りを展開しなければならないのか、ちょっと疑問。いや、だいぶん疑問。

別に下品にやっちゃいかん、というわけではない。

極楽蛙を取りにいくやつはいないか~、と家老狸が歌うときに、だれも言い出せずに右往左往するシーンなんかはきちんとストーリーに沿ってできあがっているだけに、意味もなく下品なのが解せないのだ。


せっかく、チャン・ツィイーに歌舞伎の所作までやらせたんだから、要所要所に日本舞踊の一シーンなりと取り入れて、「見立て」で見せてくれたら、と思うのよね。

せっかく、篠井英介なんていう舞踊家もいるわけだしさ。

まるごときっちり踊れというのではなく、そういう日本らしい舞踊の所作を見せることは、別に画面を損なわないと思うわけだ。

下手なワルツで画面を猥雑にすることの意味のほうが、わからんちゅーだけです。


そういうわけで、歌と踊り、勿体ないなぁってところが多々ありますな。

ストーリーに関しては、また別だてでいってみよー(まだいくのか?(爆))


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アレクサンドル・ソクーロフ監督の作品をほかに知らないし、そもそもロシア映画なんて滅多にみないし、まぁたとえ上映されてても敬遠しちゃうタイプのわたくしなんですが(というか、娯楽性の高いロシア映画って、印象にない……わたしにとって映画はとことん、娯楽なんです……)、この『太陽』は、だいぶん前から興味津々でした。


えぇ、もう、イッセイ尾形に!


といっても、イッセイ尾形を舞台で見るとかでもないし、作品といったら追っかけるというわけでもない。


でも、イッセイ尾形が昭和天皇を演じるって……それはもう、みたいぞっ。


もっとも日本で上映できるかどうか、危ぶまれてるけどな。

そもそも配給会社が食指動かすんだろうか。

グランプリってことで、岩波ホールぐらいが動いてくれないかしら。

そんな感じであります。


皇后役が桃井かおり。

どういう理由でソクーロフ監督が昭和天皇の映画を作りたかったのか、そこらへんは分からないんだけど。

なんというか、うん、ちょっといいなぁって思うわけです。


なので。

どこか配給して、プリーズ。

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まずはこちら をごらんあれ。


私でも覚えている、巨人軍元選手のクロマティが、訴訟をおこしたという。


つまり。


クロマティ高校って不良の巣窟やんけ、そんなとこに俺の名前使うとはナニゴトだ!


というわけです。


……えっと。


ようやく7/23公開決定、レイトショーだけかと思っていたら、モーニングショーも決まり、拡大かなぁってちょびっと期待してたのにぃぃ。


てなわけで、公式ホームページはこちら だ!!


すでに、この公式ホームページの半分を埋めるメカ沢の雄姿に、るんるんしてしまっている私である。

見たい!

見たいのよぉぉぉぉっ!


というわけで、どうか、公開差し止めなんてことになりませんようにっ(ぱんぱん)←お祈りモード


でもこれ、原作の漫画はすでに10巻を越えているし、いったんアニメにもなってるんだよね。

なんでいまさら?


いや、それはさておいて、思わずトレイラー見直しちゃったよ。

見たいよ。

お願い、みーせーてーーーっ!!

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監督 ルイ・レテリエ

脚本 リュック・ベッソン

アクション演出 ユエン・ウーピン

音楽 マッシヴ・アタック


ダニー ジェット・リー

サム モーガン・フリーマン

バート ボブ・ホスキンス

ヴィクトリア ケリー・コンドン


五歳の時に誘拐され、悪漢バートに闘う犬として育てられたダニー。

首輪をはずされ命令されれば、そのまま殺し屋となるが、それ以外は、天真爛漫な何も知らない子どものようだ。

あるとき、バートに連れられていった骨董倉庫にずらりと並んだピアノを、盲目の調律師サムが調律しにやってくる。サムに導かれるままに鍵盤を叩き、音楽に目覚めるダニー。

ダニーの戦いで巨額を入手したバートは、ダニーに何かほしいものを買ってやると言った。ピアノが欲しいというダニーを一笑に付すバート。

そしてバート一味は殺し屋に狙われ、唯一生き延びたダニーは、再び骨董倉庫へ足を運び、サムに助けられる。

サムと養女のヴィクトリアに家族として迎えられ、音楽に包まれた生活の中で、人として生きていくことの大切さをひとつひとつ覚えていくダニー。

しかし、バートは殺されておらず、その部下に見つかったダニーは、サムたちを巻き込まないために、再びバートのもとへ戻る。

だが、自分はもう人を殺すことはできなかった。

愛を知ってしまったから……。


という感じでしょうかね。

ユエン・ウーピン師父の素晴らしいアクション指導が冴えてます。

ふだんは十歳ぐらいの感情に乏しい子どものようなしぐさのジェット・リーが、突如として殺し屋と化し、アクションの限りを見せるそのギャップが、まずはこの映画の主眼でしょうか。

そして、音楽。

これは音楽な映画です。

なぜか音楽に惹かれるダニー。なぜかピアノに惹かれるダニー。

ピアノの音を聞いて、それで癒される話かと思ったらとんでもない。

……そのあとはネタバレになるので、ぜひ、劇場でお確かめください。


脚本が実によくできています。

盲目のピアニストを演じるモーガン・フリーマンは名優だなぁ。

平和の象徴であるサムの家庭を補うのは、おしゃべりなヴィクトリア18歳。可愛いです。(しかし、煽り文句のラヴ・シーンがどこにあったんだか……(爆))

ヒロインが金髪巨乳でなく、ロリータ(とはいわないが。リセエンヌみたいだ)であるところが、フランス映画なんだろーなー。


悪の象徴であるバートのほかにも、悪いやつがいっぱいでてきて、悪い世界に関していうと、かなり救いがない感じがするんですが、ラスト、ハッピーエンドに持っていく力量はさすがだ。

あ、こいつはネタバレですかね(^_^;)。

ともあれ年齢不詳のダニー犬を、ぜひ、お楽しみください。

結局、公演最終日にもう一度、みてきました。

先週の水曜よりお客が多かった。最後だったからかなぁ。

しみじみと平幹二郎と由紀さおりがすごかった。平幹二郎の登場シーン、由紀さおりの最後のシーンは感動的。なれど、この二人は二人一組の悪役なので、由紀さおりが退場してからあとの平幹二郎は、いまいち精彩が欠ける感じもあった。バランスの問題もあっただろうけれど、う~む、逆に由紀さおりが最後まで出場っていたら、主人公たちの精彩がもっと欠けちゃったかもしれないから、致し方ない……か?


主役オダギリジョーについて。

まぁ、よくやっているな(苦笑い)という印象。やっぱり、照れてるという意見に賛成。まぁ、ヒロイン役だし、照れてやってくださいというのもあるんだけれど、ポージングに難ありすぎ。これがポージング超うまいチャン・ツィイーと並んで、あるいは絡んで撮られたときに、落差がはっきりしてしまうので、見劣りする。

まぁいいのだ、これは狸姫のお話で、若侍は添え物なんだ、と自分に言い聞かせないと、ちょっと勿体ない。


チャン・ツィイーははまり役すぎて、ほかの役者が考えられない。

というか、たぶん、チャン・ツィイーという素材でもって、話がふくらんでいったのであって(そのぶん、オダギリジョーが損をしたのは仕方あるまい)、彼女の愛らしさを120%引き出して見せるという点で、鈴木清順の手腕が評価できるのではないか。

これほどに愛らしく可愛らしく、愛嬌がある狸だとは思わなかった。

動きの綺麗な役者ではあるが、まぁ今回はお姫様という役柄もあって、あまり太腿丸出しは(サービスだろうけど)しないほうがよかったと思うよ。お姫様のあんよじゃなかったよ。


あちこちで「儲け物」の声があがっていたのが薬師丸ひろ子。いやもう、彼女が出場すると場面がしまる。

とくに乱痴気騒ぎのシーンが多いので、(しかも意味不明に多い)登場するだけで、すぱっと画面が切り替わるその存在感はお見事。

眉を剃り落として、能面のような表情で、彼女の笑顔がみられなかったのはちょっと残念である。まぁそういう役所だから仕方ないんだけどさ。


さて、役者についてあれこれ語っていると前のログと重複してしまうので、今回は、音楽・美術・衣装について語ろう。

音楽は、大島ミチルと白井良明、それに東京スカパラダイスオーケストラ。

大島ミチルはアニメ「鋼の錬金術師」の音楽を担当したことで、名前を知っていたのだけれど、白井良明は知らない人(ムーンライダーズといえば、わかる人はわかるのかな)。

白井良明と、東京スカパラダイスオーケストラのメンバーの一人は、狸楽団のメンバーとして映画にも出演している。

スカパラのカリプソは、乱痴気騒ぎのシーンの陽気なラテン音楽だ。

全体として、歌謡曲系の歌を大島ミチルが、オペレッタ系の歌を白井良明が担当、ふたつがいい感じに絡み合っていて、あまり違和感を感じさせない。このへんは、音楽プロデューサーの手腕だろう。


冒頭、平幹二郎が朗々と歌う「月光浴のノクターン」でやられる。二番目にオダギリジョーのララバイというのは、オダギリジョーにはつらかったかもな。そしてチャン・ツィイーの恋する狸の歌。さらに神様になりたい平幹二郎と茶々をいれる由紀さおり、人に恋してはなりませぬと歌う薬師丸ひろ子。四人の腰元が「狸姫さまの恋のお手助け」とばかりに歌い、牢番狸(パパイヤ鈴木)が狸と人とそれぞれ事情があるわな、と歌う。

そう、ちゃんとオペレッタになっているのですよ。

で、古今和歌で主人公二人が歌いあって、どうやらドラマチックな関係に陥ったところで、メインテーマである「恋する炭酸水」登場。いやー、この歌、覚えちゃいそう。いい曲です。

そして、じゃんけんで負けながら朗々と「びるぜん婆のマイウェイ」を歌いきる由紀さおり。狸城を去る和歌侍を追いかける狸姫に「思いさがりますな」と歌う薬師丸ひろ子。このへん、そりゃぁもう圧巻なんです、が。

怪我して意識不明となった狸姫さまには「極楽蛙の鳴き声がなくては」と家老狸が歌います。いやー、すごい。で、クレジットはでてないけれど、この別バージョンを、腰元4番目の「すあま」こと浦嶋りん子嬢が歌います。実はこのシーンが、このオペレッタの数ある楽曲の中でも一番の楽しみ。りん子嬢の声がきけるんだもんね(←マニア?)最後はデジタル合成美空ひばりの観音経でやんす。はい。


途中に由紀さおりのラップもどきあり、家老狸こと高橋元太郎の極楽蛙はさりげにロックしてるし、主役二人がタップもどきを見せるシーンもあり、とにかく清順さんが好きなものを全部集めてみましたなのか、監督、これいれようよ、あれいれようよとまわりのスタッフが持ってくるものを「あぁあぁ,いれるがいい」とばかりに監督が鷹揚に許可したのか、てんこ盛り状態で、収拾がついてるんだか、ついてないんだか。


これは美術にもいえる。

書き割りと能舞台が基本で、そこに尾形光琳とミケランジェロとダリをぶちこんである。

芝居の基本は、能狂言や歌舞伎の約束ごとが多く含まれているので、知らない人がみたらなんのことやら、(でもそれで観客置き去りは鈴木清順の基本なので、それでいいのだろう)逆にそこの部分が、西洋受けする理由かなぁ、とも思う。

全般的に舞台劇を撮ってる印象がある。

最近のリアル指向のハリウッド的(と言い切ってしまっていいのかどうかわからないけれど)撮影とは真っ向から対抗して、セットはあくまでセット(それも簡素な能舞台や歌舞伎の舞台っぽいものが多い)としてわかるし、ロケはあくまでロケ(菜の花と桜と海がポイントらしい)、CGにいたっては、わざとちゃちくしてるんじゃないのかというぐらいに、作り物っぽい趣向を前面に押し出している。

それだけ、役者にイマジネーションを要求するわけで、そこらへんが、オダギリジョーにとってつらかった部分なのかなと思ったり。


一方でシェークスピア劇というのも、要素のなかで重要そうで、そういう意味で蜷川マクベスの立役者である平幹二郎が安土桃山を演じているのは、「この人しかいない」と思わせるものがある。

で、平幹二郎だけだと、絶対に浮いちゃうだろうけれど、重石(^_^;)に由紀さおりを持ってきて、悪の世界は完成。(というか、駝鳥道士はどうしてもつけたりで、この世界の一人とすら思えないのだよ)

この悪の世界は、銀と黒を貴重とした渋いけれど、豪奢な衣装。派手なのに、どこか重々しく、よそよそしく、いかにも悪辣な感じがきちっとでている。


狸側は、豪華絢爛目にも綾。金と赤が中心(とはいえ、女たちの蹴出しの赤をあそこまで下品に強調することになんの意味があったのか、ちょっと疑問である……)で、色とりどりで目に楽しい。

とくに狸姫の衣装たるやそれはそれは立派で、それをチャン・ツィイーがとても楽しそうに着こなしているのがみていてわかる。というか、和装がぜんぜん違和感ないのはご立派としか言いようがない。

とくに薬師丸ひろ子の役柄は「お萩の局」なので、衣装の前たての部分に大きな萩の房が目立っていて、これがまたかっこいいんだなぁ。

いわゆる「ばさら」とか「カブキ」とかのバテレン南蛮安土桃山風派手な衣装が、簡素な能舞台に映える。


あー、蛇足だけど、最後の狸のお面はいただけなかったなぁ。

単にお面をかぶるっていうシーンそのものがいただけなかっただけじゃなくて、妙に擬人化されたお面の造りが、どうよって思った。

どうせなら、普通に狸のお面を使えばよかったのになぁ。

そのへん、清順さんって、わかんな~い(^_^;)。

書きたいことが、すっっっっっごくいっぱいあるので、いくつかに分けるかも(^_^;)。

ネタバレしないで書くのは不可能そうだなぁ。

というわけで、ねたばれ注意!!です。

とりあえず、まずは、「観客が少ないので、打ち切り早いかも~」という噂を聞いて、おそるおそるでかけてきましたが、水曜日でレディースデイだというのに、繁華街の映画館でけっこう広いほうなのに客がまばらというのは、ほんっとーに危機感でしたよ。


う~ん、なぜだろうねぇ。

まぁ、チャン・ツィイーに集客力あるかって言われるとむずかしいし、オダギリ・ジョーはどうなんですか、クウガ役者ときいていたけれど、そのへんの追っかけさんはいらっしゃらないのかしら。

最大の理由はむしろ、監督かもしれない。

鈴木清順の名前を聞いて、「難解そう」と敬遠する観客がでそうな気がするのは気のせいですか。

すばらしく玄人受けする監督ではあるけれど(まぁ85歳という年齢を差し引いてもね、海外のリスペクトはすごいし)、それだけに普通の映画ファンが、普通に見に行こうと思うものは作らないのかなぁ、なんて思ったりして。


で、観た感じ、やっぱり、清順映画だ、としか言いようがなく。

面白いよりおかしい。

可笑しいというより奇怪しい。

このへんが、はずれるところなのかなぁ。

いや、ほんとーにおかしくって笑い転げたんですけど。


でもね、やっぱり、なんか違うなぁって思うのはですね。

「胸を締めつけるせつないラヴ・ストーリーと、一緒に歌って踊りたくなる最高に楽しいオペレッタミュージカルが一つになった、究極のエンタテインメイト」という制作者側のあおり文句ですな。

どこがラヴ・ストーリーなのか、ストーリーはとっちらかっていたし。

一緒に歌って踊りたく……はならないぞ。

(そもそも、オペレッタミュージカルって……馬から落ちて落馬するんじゃないんだから……)

でね、究極のエンタテインメント……はっきり違います。


鈴木清順がどれほどエンタテインメントを目指そうと、そこに彼の美意識が厳然とあることによって、娯楽映画になりきらない、というのはもう、それが清順節なのだから、としか言いようがない。

それは決して悪いことではないし、たぶん芸術的に評価されちゃう部分なのだろうけれど、そんな清順作品の「これまでの中では一番エンタテインメント寄り」かもしれないだけであって、究極のエンタテインメントってのは……そりゃ詐称でしょー(^_^;)。


楽しめないわけではありません。

いやむしろ、おかしいと思う。

ただ、私が考える究極のエンタテインメントってのは、やっぱり誰もが納得できるカタルシスをもった大団円でやんややんや、なの。

違う?

最後の最後に、いきなりぱかっと舞台が反転して、それまで一体なんの役なのかわけわからなかった百姓女房(市川実和子……この人が悪いわけではなく、この人に当てられた役が……意味不明なのよ)が、突如として口上を述べる。

そしてでっかく「終」の文字。


この百姓夫婦(篠井英介と市川実和子)と駝鳥道士(山本太郎)のエピソードは、いろいろな人が、「必要なかったんじゃないか」「意味がわからん」と言っているようでして、私もその意見に賛成です。

というか、こいつらがでてくるたんびに、盛りあがった興がさがる。

ただ、そういううふうに、盛りあがったところで、ぶったぎってテンションさげるのが、清順流なのだとしたら、彼らの存在は、清順映画になくてはならないわけで。

いやだがしかし、彼らが繰り返し(冒頭とラストで)述べている「十三夜」のネタも、わけわからんっちゃわからんですよ。(たぶん、調べればわかるのかもしれないけれど、調べないとわからないというネタそのものが、娯楽映画にとっては問題じゃないですかね?(^_^;))


それでも。

面白いんだ、なぜか。

もう一度見に行きたいぐらいだよ。

いや、たぶん、なんとかしてもう一回見に行くと思う。

実は清順映画はじめてな私、はまるというのとはちょっと違うんだけど、違和感はありありなのだけど、でももう一度みてみたい。

そこらへんからして、こう、娯楽映画と違うかもしれないけど。


で、この作品をみてふっと思い出したのが林海象の『じぱんぐ』であります。

平幹二郎以外になんの共通点もないんだけどさ~。とっちらかりっぷりと始末の悪さは『じぱんぐ』のほうが上なんだけど。

なんかこう、方向性というのかなぁ、時代性もあるかもしれないけど、こうそこはかとなく、共通項を感じるんですな。

なんだろう。

いや、こちらの作品のほうが、役者はそろっていて、ベタねたの扱いにいたるまで白けないという意味で、全然できはいいわけですが。


それで、平幹二郎が素晴らしいだろうことは、もう完全に想像がつきまして、もちろん想像をはずれないというか、いやそれでもここまでやるのかと感嘆するような演技で、しかもこれって、やっぱり平幹二郎でないと無理だよねってキャラだから……う~ん、でも平幹二郎の場合は「ここまでやって当然」って思われちゃうのがかわいそうかもって思うほど。

すごかったですよ~。


そして、いやもうとんでもねーってぐらいすごかったのが、由紀さおりですね。

この人、普通に『夜明けのスキャット』でデビューしたころとか知ってるんですが(年ばればれ)、女優としての活躍は全然知りませんでして、それはもうごめんなさいと平身低頭するしかないぐらいの素晴らしい演技。脱帽です、まぢで。

もちろん歌唱力は文句ないだろうとは思ってましたが、それでも『びるぜん婆のマイウェイ』は爆笑爆笑また爆笑……ガマンできないぐらいカッコいい。


で、マイウェイ歌って去っていく由紀さおりを「ふっ、敵ながら天晴れ」と言っちゃう薬師丸ひろ子ちゃん(いやもう、ちゃんづけな年代ではありませぬな)が、実は目当てだったのです。

えぇ、なんかこの人、好きなんですよ。どういうわけだか。別に作品をそんなにみているわけでもないのになぁ。歌手としてもベスト盤のCD一枚持ってるだけってのだから、普通、ファンていいませんよね、こういうの。だけど好きなの。

そして、噂にも「薬師丸ひろ子がいいらしい」と聞いてましたんで、期待もしてました。

期待にたがわぬどころか……うわーっ、すげーーーっ、と叫ぶしかない。

彼女はもともと主演女優アイドルの出身、だと思います。まわりから盛り立てられるのが普通って状況を経過して、こういうふうに助演できっちりと脇を締められる演技派になるってのはすごいことだと思うわけですよ。

しかも終始能面のように無表情な役だから、すっごく大変だと思うのに。

でもそういやブルーリボンとってるんだよな、うん。いまさらながら納得。


主演の二人については、チャン・ツィイーはもともと好みの女優じゃないと思っていたんですが、これは撮り方なんだなと思いました。『HERO』のチャン・ツィイーって田舎娘丸出しで、こう魅力が感じられなかったんですね。『LOVERS』はまだみてないんだけど、あっちのほうがよさげではあるんだがな。

ところがどっこい、この狸姫、はまり役です。

本人、すごく楽しそうにやっているもの。

それに、不思議なことに、和装が全然、違和感ないんですよ。北京語しゃべってても違和感ないの。

ほんとーにお雛さまみたいなの。

そのしっくり感が、今回の収穫。


一方のオダギリ・ジョー……この人みるのはじめてなのですが、ヒロイン(笑)な若侍役に苦戦してましたねぇ。いや、そもそも、自力で難関を乗り切る役のほうが、この人向きでしょう。それが、父親に美貌で越えられるかもしれないと嫉妬を受けて放逐され、狸娘に恋されたもののとっ捕まって右往左往、とにかく巻き込まれ型のヒロインなのですから、そりゃぁ大変だ。

ご苦労さま、というのが正直な感想です。

決して悪い意味ではなく。

(ごめんなさい……単純に若い男性の役者さんに、あまり興味がないのよ~。ましてやハンサムさんにまるっきり興味ないのよ~)

あ、でもほかの誰とくらべても遜色なかったから、きちんと演技力があるんだろうな、という評価はしております。(そんぐらい脇に芸達者が多かったもんなぁ)


さて、脇役大好きな私が今回、きゃーっと叫んだ第一弾は、家老狸の高橋元太郎。

水戸黄門のうっかり八兵衛や、大岡越前のすっとびの辰で、そりゃぁもう馴染んだ役者さんなんですが、まさか歌手の出身だとは気づかず。

しかも声が若々しく張りがあって、艶もある~。見た目よりずっと声質が高くて、とにかくいい声なんです。

いやもうほんと、びっくりですよ。


そして、腰元狸四人衆の中でも、並外れて横幅の大きかった(失礼)「すあま」役の浦嶋りんこ嬢。

四人で歌っているときから「もしや?」と思ったけれど、そのあとソロのパートがあって本領発揮。やったねっ。

彼女の日本人離れした声質は、ドリカムのツァーなどでおなじみなのだけれど、和装の腰元でもいけちゃうところがすごい。

これでまた、芸域広がったねって感じです。


衣装と美術と音楽についても、いろいろいいたいのだけれど、それはまた改めて。