福島県のいわき市 四倉で観た夕日。引きこまれる程綺麗でした。

6年前、僕が中目黒、三軒茶屋のTSUTAYAで働いていた時の先輩夫婦が、福島県の白河で無事出産しました。
周りの人からは
「そこで産んで大丈夫なの?」
と風評もあり、勇気のいる行動だったと思うけれど、
旦那さん(当時の先輩)は、「そこで無事産んだことに意味がある」と強い言葉を発してくれていました。
先月の12月18日、ハサミを持ち、自転車にて福島へ出発。
普通以下とも言える、ギアチェンジもない、この自転車です。

おおまかなルートは、
東京→千葉→茨城→福島(いわき市→郡山市→福島市→南相馬市→相馬市)→宮城県南部→福島→栃木→埼玉→東京。
正直、僕も家族のことや、自分のことで余裕なんて全くないです
それでも、福島へあてもなく自転車で髪を切りに行ってきました。

この自分の状況から、馬鹿なことを考えてるなと何度も思い返しました、
それでも、行動せずには居られなかったのです。
今回の旅を妹がmixiで知り、母に教えてしまったことは予想外で、とても心配をさせてしまいました
母は心配して止めてほしいとも言ってましたし、
そうすることが親孝行なのかとも思ったりと葛藤がありました。
が、
それでも、行動せずには居られなかったのです。
写真は、福島、南相馬市、相馬市、いわき市で観た光景です。(まだまだ写真は撮りましたが、ほんの一部を載せてあります)







目に見えるだけでも予想以上に復興は進んでいないように感じてしまいました。
街も閑散として、お店の営業時間も短く、僕自身も夜は大変困りました。
話は変わりまして、
福島市→南相馬市へ向かい、避難区域が解除された”飯舘村”を通った時、
少ない戸数ではあるものの、思った以上に多くの人が住んでいる風景を見ることが出来ました。
特に警察、パトカーの数の多さには驚かされました。
主に防犯だとは思いますが、そこからも村の状況を垣間見れました。
確かに、避難区域解除されたからと言って安全であるわけではなく、
命を削って生活することになる可能性も高いわけで、避難した方が安全かと当事者も理解していると思います。
それに関して、
「避難すればいいのに」などと、安易な発言が福島の人を傷つけることがあるようです。
その言い方は考えものですが、こちらの立場上、言いたくなる気持ちも分かります。
ただ、福島の原発周辺、現地の人にとっては、”避難”という言葉も不愉快に感じる人も多いようです。
それは、次の言葉を聴いたから初めて分かったことでした。
郡山市の温泉で話を聴いた時の言葉です。
「故郷を離れたくなくても離れなければいけないのは、子供や、守る人がいるからで、本当は離れたくないはず。
僕達は、ここを守りたいからここに居続けるんだよ。」
と話を聴いた時には、必死に涙を堪えていました。
自分でもよく分かりませんが、涙を見せてはいけない。と思いました。
命を削ってでも守ると決めた愛する故郷を
”避難=非難”
と同じニュアンスで、差別されているように感じると言っていました。
たかが個人レベルですが、復興へ向けて様々考えました。
最近の話をしますと、
東京都は、福島へ旅行をすると都から助成金を出すと決めました。
----------------YOMIURI ONLINE(読売新聞)より抜粋
東京都が福島県の観光支援、旅行費用を助成 : 福島県に日帰り旅行する観光客について、1人1500円を、宿泊客には2泊まで1泊3000円を助成することを決めた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120110-OYT1T01135.htm?from=tw-----------------------------------
ただ、これも条件があり、こちら側からすると色々と言いたくなる様なものですが、日本の経済状況、また政府もまとまらずに大変な状況です。
政府を高評価するわけではありませんが、
こういった復興に少しでも繋がるだろう政策は、少しでもやっていく必要があると思います。
これにしろ、他の政策内容にしろ、不満や批評も多いでしょうが、
実際には、政府側の立場も分からないので、
まずは、決まったことを前向きに受け入れ、復興の手助けを考えるべきかと思いました。
それに、決まった政策に
ただただ、批評していることが、復興の邪魔になってしまうのではと。
福島では、復興支援の為に長期滞在している方も多く見かけたものの、
特に、原発周辺は、街並みに比べると、とても閑散としている印象を受けました。
やはり、1番の復興支援は、福島へ旅行しに行くことではないのかと考えます。
これは、経済的な復興だけに留まりません。
皆さんも是非、福島の現状、努力する人を観て知り、伝えて、より早い復興を応援して欲しいと思います。
やはり、何事も想っているだけに留まり続けていても、行動にしなければ伝わりませんし、なかなか変わりません。
また、福島が抱える風評被害は、僕達が感じてる以上大きく、それは経済的な落胆だけでなく、現地の心までも汚染しかねないものであります。
目に見える復興はもちろんですが
目に見えない復興、つまり、心からの復興が1番大切で、
福島へ来てくれたということは、少なくとも嬉しいはずです。
出来れば、その旅行先にいる街の人と会話をしてほしいです。
応援の言葉に迷うと思いますが、
「頑張って下さい」のような言葉は、良いとは思いません。
言い方にもよるのかもしれませんが、
自分にとっては”他人事ですけど”と言ってる様なもので
不愉快に感じる人もいるでしょう。
「身体のことを考えて、頑張り過ぎないで下さい、応援しています」
の様な、言葉が良いと思う人が多いでしょう。
実際、そう伝えてくれた人がいました。
こちらは、福島県いわき市の四倉で出逢った人です。

僕が東京から来たと伝えると
溜まっている不満や憤りを30分もの間発してくれました。
「がんばれ」「がんばれ」と多くの人が言ってはくれるけれど、
僕たちは、ずっと死ぬ気で頑張ってきていると。
某有名女優が復興PRの為に福島へ来てくれたが、
そのあからさまな上辺の言動が許せなかったこと
報道人は、原発が水素爆発すると
老人や子供を助ける素振りもなく見捨てて、一目散に東京へ戻っていったこと
本当は違うのに
原発から近いだけで放射能レベルが高い、危ない所だと風評被害を作られたこと
仲間が津波で亡くなったこと
そして…、そのお墓も見せてくれました…
今回、自転車で行動した為、様々な風景を観ることが出来、人との出逢いも多かったと思います。
福島県、いわき市で髪を切らせてもらったミドリさん。
家が半壊したものの、家族は無事だったと当時の話をしてくれました。

同じくいわき市の小名浜でご飯を食べた食堂で話をしてくれたおじいさん

郡山市の温泉で飯舘村の状況から、放射能、若者がいなくなったなど、沢山の話を聞かせてくれたオジさん方。
飯舘村の隣、飯野のセブンイレブンにて、業務中にも関わらず、周辺の状況、先の道を詳しく案内してくれた店員さん。
南相馬市の原町の駅前交番でアドバイスや電話してくれたり最後まで心配をしてくれた警察の方。

どなたかは結局分からなかったのですが、僕の行動を見て、相馬市の市役所へ連絡をしてくれた方。
それを受けて、仮設住宅の場所を細かく最後まで案内してくれた相馬市役所の松田さん。
星さんを始め、相馬東高校の仮設住宅で過ごしている皆さん方。
(おばちゃん達の勢いがすごくて、休む暇、写真撮ってる暇もなく2時間半でカット12人…笑)
高齢者と子供を中心に200人以上いる仮設住宅



福島県の原発から近く、被害を受けているとは言え、
やはり、福島県の皆さんは元気で明るく、思い遣りを感じる方ばかりでした。
僕のした事は
本当に小さなことだな と感じています。
周りからどう見られるかも怖い部分はありました。
現地の方からの反応は沢山ありましたが、TwitterやFACEBOOKなどの媒体からは反応もあまりなく、
反応を求めていたわけでもないのに、冷たい目で見られているんじゃないかと不安に感じることも多かったです。
自分は正しい事をしている、とても良いことをしているんだ なんて思いもしません。
何よりもやりたいことをやり切りたかったのです。
それはそうと、
僕は、こういった小さい言動が重なり、より大きく復興へと繋がっていくと信じてます。
これは、南相馬市の流された地で見た一本松。

強く生きようとする懸命な姿は、周りに良い影響を与えてくれますよね。
僕も、これから、より強い覚悟で、夢を追い、守りたいものを守っていこうと改めて決めました。
※書きたいことが溢れかえってます。この旅では、写真を700枚くらい撮りました。またいくつかに分けて、改めてブログに書かせて頂きます。