hits-keyの先天性PTSDってヘンですか?

先天性PTSDの たにぐち"hits-key"明生が,うつ病や依存症などと言われる症状をはじめとした 心の問題の対処法を語ります。宗教を科学的に解明します。宗教は「本物です」。そして、人生に必要です。また,独特の切り口で社会問題をみていきます。

私には、産まれる前の記憶があります。
母親がハラスメントを受けたときの記憶が残っています。
母親と一緒に、悲しみや恐怖を感じていました。
それで、産まれる前からPTSDです。フラッシュバックや運動機能障害などの諸症状があります。俗に言ううつ、双極性、依存症などもあります。かつて人格解離もしていました。
産まれたあとのいままでの人生でも、嫌がらせ、ハラスメントなどなど再被害を受けてきました。
母は先に自死しました。自死遺族です。
重度のアレルギーもちです。呼吸器系(通年性・季節性とも)、食物アレルギーなどもあります。
そんな超マイノリティの立場から、ブログを書いています。

私や母のPTSDも、世の中の問題も、そのほとんどが、あなたも私も含めて、人間の生き方の問題です。誰もが当事者であるということを、忘れないでください。
このブログでは、俗に言う「メンタルヘルス」にかかわる実益のある記事が主体です。うつ、各種依存症、自死増加問題対策なども含まれます。
しかし、人間の生き方を扱う以上は当然に、広範な社会問題にかかわり、「環境問題」にもかかわっています

宗教関連の記事も多いですが、宗教は人間の生き方のアルゴリズムのようなものであり、メンタルヘルスや社会問題に直結します。
私の信仰は、仏教・浄土宗、神道(神祇信仰・神社神道)です。ちっとも怪しい者ではありません。それどころか私は、どこの宗教団体にも属していない、独立系宗教家です。
平和主義者、地球人。より本質的に言えば、宇宙信仰。

記事の内容は、社会問題、環境、健康、宗教が中心ですが、経営、法律、役者、音楽、アニソンまでいろいろなんでも。

・このブログには、役に立つこともたくさん書いてありますが、無料です。アイテム課金もしません(笑)。収益性はなく、公益活動として提供しています。むしろ、私の研究成果も何もかもを無料で提供していますので赤字です。機会がありましたらこのブログから買い物でもしていただければ、ブログ継続にほんの少し役に立ちます。
・アメブロの有名人ブログでもありません。それどころか、サイバーエージェントからは毛ほども意識されていません

※アメブロのURL以外に、 http://hitskey.net/ でもアクセス可能です(ここに転送されます)。リンクフリー、連絡不要です。むしろ、良識の範囲内で、じゃんじゃんリンクを張ってください。
※ブログのほかに、日記を書いてます。 日記「明生流」http://hitskey.biz/
メールマガジンもやっています(無料。「まぐまぐ!」で配信)。



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何度も言うけれども、カネを払うのは善です。
カネをケチるのは悪です。

カネは、つかってもなくならない。
まあそのうちボロボロになって日銀に回収されるが。
しかしいまの時代は、有体物としての貨幣すらつかわなくても、カネがつかわれているくらいでしょう。

カネをつかうのがもったいないだなんてトンデモ勘違いをするから、みなカネがなくなる。

カネは、行為に対して払う対価です。
自分たちの生命活動に対してカネを払わなければ、自分たちのカネがなくなる。

つまりそれは、つかったからなくなるのではなくて、外部に流失しているからなくなるのです。
自分たちに払わないで、外国に払っているから、日本のカネがなくなるのです。
外国からものを買い、外国人に対して金利や配当を払っているから、日本人のカネがなくなるのです。

こんなのあたりまえで、みたまんまのことです。

この国の初等教育はなっていない。




資源エネルギーは、つかったら大概はなくなる。
だから、資源エネルギーをつかうのがもったいない。

だからたしかに、大量消費はもったいない。

そもそも、大量生産がもったいない。
生産するというのは、原料を消費することだから。

したがって、もったいないと思うのなら、生産から止めなければならない。

たとえば、木がもったいないからといっても、植えた木を伐らないのはもったいない。
山を木でボーボーにしていてはいけない。
同様に、耕作放棄地を荒地にしてはいけない。
ひとの手をいれたものは、生態系を復元させなければ、返したことにはならない。

捨てるのがもったいないというよりも、そもそも、つくるのがもったいない。
捨てるのがもったいないというよりも、モノを買ってくるのがもったいない。
モノを増やすのは、資源エネルギーを消費するからもったいない。
しかも、モノを維持するのにも資源エネルギーを消費するから、なおさらもったいない。




モノにカネを払うのではなく、ひとにカネを払わなければならない。

ひとの行為にカネを払わなければならない。

人件費をケチるのなんて問題外です。
人件費ケチって出した利益を外国人に配当していたら、日本人のカネがなくなるのは当然である。
それはアホにもほどがあります。救いようがない。

モノを生産したらもったいないからには、
モノを生産する、モノを消費する以外の行為にカネを払わないと、貨幣経済が成立たない。
いっそのこと、貨幣経済を終了させたほうがよいくらいかもしれない。

カネの理屈を残すのであれば、モノの生産から、知的生産にシフトしないといけない。

たとえば、釈尊はモノを生産しなかった。
仏僧はモノを生産しない。知を生産する。


世間は脱原発などと言っているが、
そもそも電力ベッタリ、資源エネルギーベッタリのdependから脱却しなければなりません。

いまのひとたちの多くは、言っている次元が低いのです。

なにがもったいないのかわかっていない。
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動物は、危険を感じた相手と敵対したがります。
そうやって、自己防衛しようとする、生存本能です。

勝てるかもしれない相手だったらわざわざ戦おうとするし、
勝てそうにない相手だったら隷従することもあります。

そうやって、犬が吠えることもあるし、熊に襲われることもあります。

熊に襲われても素手で勝てるひとはまれでしょうから、熊に出遭ったときには戦わないほうがよいですね。
死んだふりして助かっているひともいます。
もっとも、死んだふりをしたら熊が警戒して調べにくる可能性が高いので、あまりおすすめはしません。




「嫌い」という感情は、自分の生存にとって都合が悪いと感じるから起こります。

「嫌い」と「怖い」は、本質的な部分はおなじです。
自己生存本能なのです。

表層的な、形式的なちがいから、「きらい」と「こわい」でそれぞれに語彙があるのでしょう。
実際には、感情というのはとても曖昧なものです。その曖昧さを表現するために、語彙が多数つくられたのです。




ほとんどの生物は、実害がなさそうならば戦いません。

ところが、人間は観念で生きる自我中心的な動物なので、
実害がないとわかっても、
嫌いな相手に対してわざわざ戦いを仕掛けたがる傾向があります。

「嫌い」という感情が暴走するのです。


わざわざ戦おうとせずに、喧嘩を売らずに、ぷいっとしていれば、実害がないことが多いのです。
それなのに、喧嘩を売る奴がいます。

そういうのは、自己洞察のできていないガキです。
ガキとおとなの差は、自己洞察をしようとしているかどうかの差です。




いつも危険を感じている、怖がりな人間は、自己保身をしなくちゃいけなくなります。

だから、自己の強さをひけらかして安心しようとする奴がいます。

誰にも逆らわせないで、なにもかもが自分の都合のよいように動いていないと気がすまないわけです。

ですから、こういう奴は実はとっても怖がりです。

嫌いな相手がいたらいちいち喧嘩を仕掛けないと気がすまない、
ほかのひとがみな自分の都合のよいように動いて隷従していないと気がすまない。


本当は、いちいち喧嘩を売っていたらキリがないし、
そういう奴は、ほかのひとたちから嫌われます。
こういう奴はわざわざ加害してくるわけだから、嫌われるわけです。




さて、しばしば、「いじめは、いじめられる方にも問題がある」とも言われていますが、
その指摘は因果論であって、罪悪論ではありません。

いじめは、加害する奴に罪悪があるのは明白です。

因果、原因の議論と、罪悪、責任の議論は、区別しなければなりません。

いじめられるほうは実害を起こしていないのに、いじめるほうが実害を起こしているのならば、
いじめる奴の罪悪なのは明らかです。

そして少なくとも、いじめる奴というのは、ほぼかならず、自己洞察のできていないガキです。

子どものうちはガキが多くて、いじめはよく、子どもの間で起こります。
大概の者は、歳を重ねていくうちに、自己洞察の意識がついてきたおとなになって、いじめをしなくなります。

ところが、少なくともいまの日本では、大人のいじめがよく見受けられます。
ということは、いい歳こいてもガキだということなのでしょう。

あるいはもしかすると、昔も大人のいじめは多かったのかもしれませんが。




人間の生存本能は過剰です。

ほかの生物は大概、生存本能が適度で、つりあいがとれています。

人間の生存本能が過大だからこそ、たとえば、いまの人類の人口も70億を超えているわけです。
そういう「異常増殖」が起こっているわけです。
人類は、地球を食いつぶしている「癌細胞」です。
人間にとってみれば、秩序にしたがわずに異常増殖して母体を死なせてしまう癌細胞は、悪にみえるでしょう。
けれど、当の癌細胞も、生き残りたくて必死なのかもしれませんね。それで、自分のことばかりで、自分の立場・役割をわすれてしまう。
地球と人類にしても、人間と癌にしても、おなじです。フラクタル(相似関係)にできています。


ほかの多くの生物も、自己洞察のできている人間も、いじめはしないし、戦争もしないでしょう。

いじめをする生物とか、戦争をする生物とかいうのは、「進化」が中途半端なのです。

自分を客観的にみることができる、つまり自己洞察のできているおとなというのは、
自分の観念を超越している、自我を超えている、覚醒した(さとった)ひとです。

もともとの日本のひとたちも、戦いたがらずに、たがいに共存共生をめざしていた、さとったひとたちだったかもしれません。
少なくとも、かつての為政者には、そういうひとが少なくなかったのでしょう。

いまの人類には、我に凝り固まっている人間が多数います。
そして、いまの日本人も、我に凝り固まった理屈で生きています。
その域に達していないガキだからこそ、偉そうな態度をとって、必死に生きたがります。

ガキからみれば、我のないひとのことを理解することができないかもしれませんが、
ガキだからです。中途半端だからです。

そういったガキの群れが、しょっちゅうガタガタ言って、世の中を荒らしているのです。
ですから、いまの日本は衆愚です。


我がなければ、世界全体を、宇宙全体をみわたして、己の生き方、役割を追究することができます。
たとえば、釈尊にしても、あるいは古代の日本の「かみ」クラスのひとたちにしても、その域に達していたわけでしょう。
Jesusだって、あえて被虐されて、ついには処刑されてしまったけれども、あえてそれが自己の役割だと思っていたわけなのでしょう。

わざわざ喧嘩を売るのはガキです。
そういうガキに対しては、ときには叱り諭し、ときにはあえて殴られてやらないといけないのかもしれません。
やられたらやりかえすというのでは、ズタズタになるばかりです。
我のない覚ったおとなというのはときに、あえて被虐されてあげることもあるのです。




「おせちもいいけどカレーもね」というような日本人の良心は、
客観的な良し悪しと、自分の好き嫌い・相性の問題とが区別できているから言えるのです。

自分が生きるために都合が悪い相手でも、自分に対して実害を加えてくることがなければ、あえて喧嘩を売る必要はありません。

嫌いな相手を潰す必要はないし、むしろそうしてはならないのです。

虫も、病原体も、鬼も、自分のところに寄ってこなければそれでいいのです。

「嫌い」は「怖い」であって、それは自己生存本能からくる主観的なものなのだということを、わきまえないといけません。
そうしてはじめて、おとななのだといえるでしょう。

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初詣で「出ますように」と言ったからかどうかはわからないが、
ドラゴンクエストの新作が出るそうである。


だが、それとはあまり関係ない。



タイトルを見て何の話か想像がついたら立派なものでしょう。


ドラクエのゲーム内にもカジノがある。

このカジノというゲーム内ゲームに、うつつを抜かしたうつつまで抜かしたひとも少なくないでしょう。
世界を救うはずの主人公がうつつ抜かしてカジノである。


このカジノで当てれば、ゲーム内アイテムが手に入る。

なお、このゲーム内アイテムは、ゲーム中で売却してゴールドに換金可能であるが、
もちろん、円にはならない。

なお、円天にもならない。
ましてや、楽天ポイントにも、楽天Edyにもならない。


それでも、ドラクエのカジノに熱中するのはなぜなのでしょうかね。

もちろん、ゲーム内アイテムを入手してゲームを進めるというのはあります。

しかし、カジノやっているうちに、アイテム目当てでなくカジノ中毒になるプレイヤーが続出します。

次第に、スライムレースよりも、ポーカーとか、ただボタン押しまくるだけのスロットに打ちこむようになっていきます。
ひたすらボタン押しまくって、7が並んだらひたすら長いファンファーレが鳴る。


ドラクエはそもそも、ロールプレイングゲーム(RPG)です。
つまり、役を演じるゲームに興じているわけです。

日常社会生活の現実を忘れるために。

さらにそのうち、ゲーム内の現実を忘れてカジノに興ずるようになります。
もしかすると、ゲーム内の現実に取り組むのでさえも苦痛になってくるのかもしれません。


さて、射倖性ですかね???


だから、何度も言うように、射倖性ではないのです。


中毒、アディクション、逃避、麻酔。


円に交換することのできる賭博ですら、非日常的な空間を演出して盛り上げ、中毒にしていきます。
賭博にいれこむひとたちももしかすると、儲かるとか射倖性とかいうことは二の次になっていることもあるかもしれません。

パチ屋にいれこむ一人暮らしとか、主婦とか。
パチ屋は、日常生活を忘れさせて興奮するようにできています。
店内はすさまじい騒音でみちています。
そして、視野狭窄になって目の前の台にがっついて、孤独で社会生活が破綻していようが、目の前にやることがあるから安心するのです。

ホストにいれこむ独身「OL」とかいますね。(※OLは「和製英語」であり、そんなことばはない。)

暇をもてあまして生きがいのない、生ける屍みたいな無職とかじいさんとかが、パチ屋にしても、場外馬券場、外向発売所にしても、はびこっています。

暇をもてあましている無職とか、孤独な老人とかが、タバコをチェーンスモーキング、酒をチェーンドリンキングで、酔っぱらって、自己麻酔術をおこなっているのです。


そしてきょうびは、「ソーシャルゲーム」か。


起こっている中身はみな同じで、表面的なちがい、いれこむ対象の違いでしかないじゃないですか。


マスコミも、大衆も、国も、みんな、バカだなあ。


そういう私は、現実と取っ組みあって、悲哀と苦痛と悪夢と涙と空腹と胃痛と(略)の日々を送っている。
私は、喫煙はしないしできないし、いまの私は酒も飲めないし、肉も食えないが、
散々苦痛だが、生きる価値の塊だ。
えぐいまでに色とりどりに、生命力が爆発していると思う。

「健常者」だろうが、ちまたの「障碍者」だろうがなんだろうが、現実と取っ組み合っているかどうかで、
生きているか、生ける屍かがちがってくる。

いまの世の中は滅んだ毒沼だらけの町かなにかか?
へんじがない ただのしかばねのようだ

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