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学校の怪談 ~トイレ掃除の華子さん~ No.9

2011-12-23 01:04:40
テーマ:小説

 僕は泰明くんを背負って廊下を歩いた。隣には華子さんが険しそうな顔をして並んで歩いていた。
「あの、助けていただき、ありがとうございました」
 華子さんは僕の方を向いて、一生懸命に笑った。まるで自分は大丈夫だからと言わんばかりの、痛々しい笑顔だった。
「私たちの世界の問題。二人は、それの巻き添えになっただけだよ。ごめんね、怖い思いをさせちゃって」
「いいえ、僕は大丈夫ですけど……」
 そう、僕は大丈夫だ。ただ僕の背中で気を失っている泰明くんが心配だった。今日あったことは全部忘れて……なんて言っても無理だろう。彼はもう、幽霊を知ってしまった。
 華子さんが僕の背中に視線を向けた。
「そうね、生徒に見られてしまったことは、最悪の事態ね」
 やっぱりそうなのだ。泰明くんがどうして夜の学校をふたたび訪れたのか、その理由はわからない。しかし、泰明くんには下手な嘘はもう通じなくなった。今はまだ僕の背中で大人しくしている。
「正直に言いましょうか、華子さん」
 華子さんは無言で頷いた。もうそれ以外に道は残っていないのだろう。例えそれが、幾多の生徒を危険に晒す結果になったとしても。
「それにしても、さっきのは何だったんですか」
 さっきのとは音楽室にいた悪霊のことだ。昨日今日と続けざまに幽霊が現れて、僕はこれからも頻繁に幽霊と接触することになるんだろうな、と予感のようなものがあった。僕は華子さんに助けられたけど、僕一人だとなす術がなかった。もしあの場に華子さんがいなければと思うと、ぞっとした。
「あれは、この学校の七不思議の一つ。二つ腕の亡霊、よ。夜な夜な音楽室でピアノを弾き、獲物を待ち伏せる。ピアノの旋律に誘われた人を、二本の白い腕で締め上げて、殺す。私を冥府へ葬った後に、じっくりと二人を殺すつもりだったんでしょう」
 ぞくりと震えた。二人とは紛れもなく、僕と泰明くんのことだ。
「この学校には、まだ、あんな幽霊がいるんですか?」
 訊ねる声が震えた。あんなのが他にもいると思うだけで、背筋か凍りつくような錯覚に陥る。昨日、華子さんから悪霊の存在は聞いていたけど、話を聞くのと目の当たりにするのではまるで違った。夜の学校がとてつもなく怖ろしい場所のように思えた。
「ええ、いるわ」
 いる。やっぱりそうなんだ。あれだけじゃない。他にも悪霊がいるんだ……。
「この学校には七体の幽霊がいる。故に、学校の七不思議。二つ腕の亡霊は、私が冥府へ葬った。この学校には後六体、いてはいけないモノがいる」
「華子さん、なにか僕に出来ることはありませんか?」
 知ってしまった以上、学校をそんな危険な場所にしておけるわけがなかった。でも、七不思議の一つ、二つ腕の亡霊は華子さんが冥府へ葬ることが出来た。それが僕にも出来れば……。
「幽霊を消す方法は一つ。冥府へ葬り去ることだけ……。幽霊に触れているあいだに、私が二つ腕の亡霊に発したのと、同じ言葉を言えばいい。それが出来れば、人でも幽霊を葬ることができる」
 華子さんがやったことと同じことをすれば、幽霊は消滅するのか。確かあの時、闇へ還れ、と。無理だと思っていたけど、それなら僕にも出来るような気がした。
「でも、明弘には無理。幽霊を葬り去ることは出来ない」
「どうして!」
 思わず声を荒げた。さっき同じことをすれば幽霊を消せると言ったのは華子さんだ。
「ううん、出来ないんじゃなくて、させてくれない。触れているあいだに言葉を紡がないといけない。あの時、悪霊は私の口を塞いで言葉を紡がせようとしなかった。でも、人が同じことをしようとすれば、とたんにすり抜け、言葉が終わった後に今度は口を塞がれて殺されてしまうわ。だから、貴方に出来ることは、今日のことを、忘れること」
「でも!」
「大丈夫、夜の学校は私に任せてくれればいいから。それともなに? 私が悪霊に負けるとでも思ってるの?」
 臭い物には蓋をして、全てを任せる。華子さんだけを危険に晒して、僕は今までの生活を送ってもいいのだろうか。頷いてしまうと、僕はずっとこのままのような気がした。
 生徒の為と言いつつ、自らの保身をいちばんに考えてしまう。それでいいのだろうか。全てを任せたら、もう二度と、華子さんには会えないような気がした。
「それでも、僕だって教師です。悪霊をこのまま野放しにすることも、華子さんに全て任せることも出来ません」
 華子さんは驚いて、すぐに険しい顔になった。
「そのために、命を落とすことになっても?」
「そのために、命を落とすことになっても。一緒に戦わせてください」
「貴方、死んだら、私と同じになるわよ」
 どういう意味で言ったのか分からない。ただ、華子さんは自分の話をするとき、悲しそうな表情を浮かべる。
「華子さんがいるなら、寂しくありませんよ」
 華子さんの表情がふっと柔らかいものへと変わった。呆れられたのかもしれない。でもそれが僕の本心だった。
「バカねえ、明弘が死ぬときは、私が消えた後だから……」
 僕が死ぬときに華子さんは消えている。それは、僕を一緒に戦わせてくれるという意思の現われだった。

 

 梅雨が終われば夏が来る。
 幽霊の季節。
 今年の夏は、今まででいちばん長い夏になる予感がしていた。それでも隣に華子さんがいてくれるのなら、それはそれで楽しい夏になるのかもしれない。
「明弘って本当にバカ」
「それって、教師にいちばん言っちゃいけない言葉だと思うんですが……」
 自分でも頭はいいと思っていないけど、悪いなりに努力して今の職についたんだから。それにバカ呼ばわりされて、教え子に示しがつかない。
「じゃあ言い換える。明弘って本当にバカなくらいの、お人好し」
「それを華子に言われる筋合いはないよ」
 華子はくすくすと笑った。だってこの幽霊は、なんの見返りもなしに、夜の学校を一人で守ってくれていたのだから。

 

 その後、僕たちは事務室で山田さんに、今夜起きたことを包み隠さず話した。泰明くんが目を覚ましたとき、正直に幽霊の存在を打ち明けた。納得してくれたかは微妙だけど。
 一方、山田さんはというと、いつかこんな日が訪れることを予感していたらしく、大して驚いてもいない様子だった。いつものように笑い、あまり無茶をしないように、と念を押された。
 

 次の日の朝。正しくは一時間目が終わった後の休憩時間に事件が起きた。久々に登校してきた泰明くんが、休憩時間、ずいぶん慌てた様子で僕のところへ来た。
「と、戸山先生! 女子トイレに、華子さんがいる!」
「えっ!?」
 驚いた。華子が昼間に姿を現したことは、僕の知る限りではないことだったし、山田さんも夜にしか見たことがなかった。
 そもそも、昼間の学校に幽霊が出るのか?
 僕は慌てて女子トイレへと駆けた。
 すでに女子トイレの周りには人だかりが出来ていた。集まった子供達には華子が見えているようだ。
「わっ、ほんとに幽霊だ。透けてるよ、透けてる」
「触れない、ふっしぎ~」
 自分の腰までしかない子供達に取り囲まれて、華子は苦笑いを浮かべていた。しかし、その表情は満更でもないようだった。
「は、華子! なんでいるの」
 僕の思い違いでなければ、華子は人前に出ることを嫌っていた。あれだけ人を遠ざけてきたのに……。
「あっ、明弘だ。やっほ~」
 あまりに気の抜ける挨拶をしてくる。と、周りに集まった生徒をすり抜け、僕の元までやってきた。
「どうして、貴女がいるんですか!?」
「どうしてと言われても……だって私は、この学校の幽霊だよ?」
「意味不明です!」
「ほら、昨晩泰明くんに、全部話しちゃったよね」
「はぁっ、それが、今の状況と何か関係あるんですか?」
 周りで子供達が僕たちの関係を探るように、ひそひそ話を始めていた。元カップルで死が二人を引き裂いただの、僕が華子を崖から突き落とした、その仕返しに現れただの、根も葉もない妄言ばかりだ。
「大いにあるわね」
「意味不明です!」
 どうして泰明くんに話したことと、華子がここにいることが関係あるんだ。昨日、少しだけ華子の考えていることが分かったと思ったが、やっぱりあれは勘違いだったようだ。
「ほら、落ち着いて、こんな時にこそ深呼吸。ひっひっふ~、ひっひっふ~」
「ラマーズ法はもういいです。それと、小学生の前で、その呼吸法はやめて下さい」
 興味を持ってしまうから。ついでに言えば、さっきから子供の何人かが「ラマーズ法ってなに?」と聞いてくる始末だ。
「あのね、明弘。一人が知ったら、幽霊がいるって噂は瞬く間に広がっていく。夜に忍び込んで確かめようとする生徒が現れるってことは、前にも言ったわよね?」
「ええ」
 華子がようやくまともな話を始めたので、僕も落ち着いた。
「それなら、幽霊を怖がらないようにすればいい。ほら、みんな怖がってないでしょ?」
 教室のドアから顔を半分だけ出して震えている女の子はいるけど、おおむね人気者だ。この場所に来たとき、まるで客寄せパンダだなと思ったくらいだし。
「でも、悪霊を見てみたいという生徒が、現れたら……」
 声を潜めて耳打ちをした。
「大丈夫よ。そのために私がいるし、明弘がいる。私はこの子たちを守るために、消えられない。明弘もこの子たちを守るために、死なせない」
 華子は子供の頭の上に手を置いた。触れられない。ただ、頭をなでるような仕草をする。
「それにさ、消し去るべき相手が増えたわけでも、減ったわけでもない。ただ、最初から負けられないの。それとも明弘、昨日の言葉は嘘だったの?」
「……そうですね、一緒に戦いましょう」
 大切な”人たち”を守るために。

 

 トイレ掃除の華子さん 了

学校の怪談 ~トイレ掃除の華子さん~ No.8

2011-12-23 01:01:29
テーマ:小説

 昨日とは対照的に、夜の廊下を歩く僕の足取りは軽やかだった。あれだけ近づきたくなかった、夜の女子トイレに行くのに、早足だった。
 女子トイレ。
 トイレの中に明かりを向けると、オレンジ色の光を鏡が反射する。トイレの中に入り、掃除用具入れを照らしてみた。冷たい鉄の色。華子さんの姿は見当たらない。
「華子さん、いないのかなぁ」
 そんな台詞を一人ぼやいて、個室の中を一つ一つ確認していく。用を足している最中だったら、平謝りしようと思ったが、そもそも幽霊が用を足すのだろうか。
 いや、あれだけ規格外な幽霊なら、その可能性も無きにしも非ず。
『くすくす、驚かせてやろうっと』
 小さな声が背後から聞こえてくる。というか、僕には聞こえてないつもりなんだろうか。
「華子さん、いないんですか~」
 それなら僕も、それに付き合おう。
『うふふ、気付いてない、気付いてない』
 ごめんなさい、気付いてます。と心の中で謝った。
 僕が三つ目の個室を調べようとしたときだった。
『せーの!』
 意気込んだ華子さんの声が聞こえる。

 
「わっ!」
「きゃっ!」
 僕はそれを合図に振り向いて、逆に驚かせた。もちろん懐中電灯を顎の下に当てて。華子さんは驚いて尻餅をついていた。腰をさすりながら、涙目を浮かべて僕を見上げている。
「その顔は卑怯ですよ」
 可愛すぎます。
「あだだ、どっちが卑怯なのよ。幽霊を驚かすなんて、聞いたことないわよ」
「それを言うのは、僕を驚かそうとしていた、どこの華子さんでしょうか?」
 華子さんは不満とばかりに、今度は両頬をぷくーっと栗鼠のように膨らませる。
「華子さんは、他の幽霊と違って、人を驚かすような悪趣味じゃないんですよね。昨日、僕と初めて会ったときに、確かそう聞いたような気がします」
「明弘って一日経っただけで、ずいぶん性格が悪くなったんじゃない?」
「ふふ、そうかも知れませんね。さっ、立ってください」
 僕は自然と右腕を差し出した。それを見た華子さんは呆れたように溜め息をつく。
「行為は嬉しいんだけど、わざとよね? わざとなんでしょ?」
「えっ?」
 僕は訳も分からず首を傾げた。
「……呆れた」
 華子さんはそう言って、僕の右手に手を伸ばす。
 

 ――あっ。
 

 華子さんの手が触れたとき、なんの感触もなく僕の手をすり抜けた。ああ、そうか、幽霊だから触れないんだ。
「ごめんなさい! わざとじゃないんです」
 全力で頭を下げた。それはもう、床にひれ伏して土下座でもしようかと思った。でも場所が場所だけに、頭を下げるだけで土下座はやめた。
「分かってる。いいよ、もう。それにわざとじゃないなら、嬉しいから……」
「嬉しい?」
「ええ、死んでから、人に人間扱いされたのってこれが初めて」
 さして嬉しそうな顔もせず、ふわりと浮いて立ち上がった。
「こんばんは、戸山先生、それで今日はなんの用なの? まさか、私をからかいに来た、なんて訳でもないんでしょ?」
「当たり前です」
 僕が答えると、華子さんは人差し指を口に当てた。その表情はどこか険しそうだ。
「どうしたんですか?」
「黙って……」
 訳も分からず、華子さんに言われた通り黙る。と、微かな足音が聞こえた。その足音は徐々に近づいてきている。
「ああ、山田さんの見回りの時間ですね」
 この時間ならたぶんそうだろう。昨日の話を聞いて以降、その見回りがすごく大事な業務のように思った。
「あっ、もうそんな時間だったんだ。それで、その、戸山先生がここに来た理由って?」
 僕は君のことが知りたくて……なんて、冗談を言うなら、夜の女子トイレは適切な場所のような気がしない。
「昨日の教え子の話です。いちおう華子さんにも、報告しておこうと思って」
 僕は無難なところから切り出した。
「えっと、確か、泰明くん、よね。それでどうだったの? まさかとは思うけど、私の正体を正直に話したんじゃないでしょうね」
「当たり前です! この学校に幽霊がいることは伏せて、女教員と見間違えたんじゃないかって伝えましたよ」
 

 ――ガシャン。
 

 音。

 激しい音。

 何かが落ちて壊れるような、そんな音。その後に響いたのは、遠ざかっていく足音。
 僕は反射的に廊下へ飛び出た。走り去る後姿は、山田さんのように大きくなく、子供のように小さい。その後姿には見覚えがあった。泰明くんだ……。
「待って!」
 気付けば叫んで、小さな背中を追いかけていた。
 泰明くんの背中は、突き当りで止まった。僕は泰明くんに出来るだけ優しく声をかけようとした。
「えっとね、泰明くん」
 微かに震えている。怖がっている。何を? 誰を? 僕を……だろうか。
「落ち着いて、話を聞いて」
 泰明くんは廊下の右側にある、音楽室へと飛び込んだ。ドアがゆっくりと閉まっていく。
 

 ――カチリ。
 

 ドアが完全に閉まる音が聞こえ、それから物音一つ聞こえなくなった。
「……まずった」
 後から追いかけてきた華子さんは、青い顔をしていた。僕と華子さんは音楽室へと飛び込んだ。しかし、そこに泰明くんはいない。どっかに隠れているような様子もない。音楽室に僕たちが入るあいだ、どこかへ隠れる時間なんてないのだから。
「泰明くん、どこにいるんだ」
 懐中電灯で明かりを照らす。しかし、まったく返事はない。
「は、華子さん、これはどういうことなんだよ!」
 頭の中が真っ白になった。泰明くんはどこに消えてしまったんだろう。焦りと不安ばかりが広がっていく。
「明弘には聞こえない? このピアノの旋律」
 旋律? そう聞き返そうとした時だった。あれだけ静かだったはずの音楽室に、耳を劈くようなピアノの音が響いてきた。足元には、あれだけ探しても見付からなかった泰明くんが、腰をついて震えていた。
「な、なんだ、このバカうるさい、ピアノの音は!」
「……二つ腕の亡霊。悪霊よ」
 

 ――悪霊。
 

 見ようとしなければ見えない。知ろうとしなければ知りえない。だけど人の心が追い詰められたときには、見えて、人さえも殺すことさえも出来る霊。
 そうか、だから僕には見えなかったのか。そして泰明くんには間違いなく聞こえている。怯えた目で、ピアノを見つめていた。動こうにも動けない。
 囚われた空間。あの世との境目。冷たい汗が流れた。
「……僕たちは、死ぬのか?」
 ピアノの旋律が前触れもなく終わり、すっと白い腕が二本浮かび上がった。それを目にした泰明くんが、ころんと倒れる。
「大丈夫、私に任せて。明弘は私が守ってみせる。だから貴方は、自分の教え子を守って」
 華子さんは優しく微笑みかけ、二本の白い腕と対峙した。
「ここは貴方のいるべき場所ではない。闇へ還れ!」
 ひときわ大きな声が音楽室に響く。その瞬間、華子さん目掛け、腕の一本が襲い掛かった。ふわりと浮かび、一撃をかわす。
 顔には焦りの色があった。
「っち、やっぱり大人しく従ってくれるタマじゃないか……」
 次々に襲い掛かる二本の腕を、華子さんは紙一重で避ける。しかし、避けるだけだった。避けるだけで何もしようとはしない。
 もし華子さんが負けるようなことがあれば、僕たちは……。そこから先を考えるのは止めた。最悪の想像しか浮かんでこないからだ。華子さんの息遣いが徐々に険しいものへとなっていく。
「華子さん! なにか僕にできることは」
 このまま戦っていても、いずれ負けるのは目に見えていた。二本の腕になす術がないように思う。
「……いいから、明弘はその子を守って」
 華子さんが僕の方をちらりと見た、その瞬間だった。
「華子さん、後ろ!」
 驚いてとっさに身を翻す。次の瞬間、ドンッ、と身を震わせるような異音が響いた。苦しそうに体をくの字に曲げる。
「華子さん!」
 ――僕が邪魔をしなければ。

 もう、僕たちは死ぬんだ。そう悟った。
 自然と涙が出た。僕が妙な好奇心さえ持たず、華子さんに会いたいなんて思わなければ……。
 

 華子さんは、苦しそうに――

 

 笑っていた。

 まるで、勝利を確信したように。
「……ふふ、口がないのって、不便よね」
 そう言った瞬間、もう一本の腕が華子さんへと伸びる。手を広げて、口を塞ぐように。
 

 ――闇へ、還れ。
 

 それよりも僅かに早く言葉を紡ぐ。華子さんは自分に一撃を加えた白い腕を、両手で力強く握っていた。
 口を塞いだ手と、華子さんに握られた手は、ぱらぱらと崩れ闇へと消えた。

学校の怪談 ~トイレ掃除の華子さん~ No.7

2011-12-23 01:00:17
テーマ:小説
 今日も一日が終わり、静かになっていく校舎。幸いなことに、この梅雨晴れは数日間続くらしい。まあ、梅雨時の晴れ予報なんて、大したあてにもならないんだけど。もちろん傘は常備。それでも雨が降り続くよりはいい。雨の日も嫌いではないけど、お酒も雨天も程々がいいように思う。
 今は、気まぐれな空の神様に感謝しよう。
 教職員が帰った後に、僕はまた事務室を訪れていた。山田さんがいつものようにお茶を差し出してくる。
「今日は、校長先生にたっぷり絞られたようですな。まあ、昨晩はあんな強烈なモノを見せ付けられたんだ、仕方ないというものですな」
 話の皮切りに山田さんが言う。
 僕は苦笑を浮かべて頷いた。山田さんの話では、華子さんの存在を知っているのは僕と山田さんだけのようだ。
「ええ、明け方になるまで寝付けませんでしたから」
 そうでしょうともそうでしょうとも、と同意された。聞きたいことは山のようにあるのだが、なにが聞きたいのか自分でもよく分からなかった。強いて言えば、華子さんの全てを知りたい……なんて、彼女の前で言えば、きっと大笑いしてくれるだろう。
 幽霊には不釣合いな爽やかな笑顔で、幽霊口説いてどうすんの? とか言われそうだ。
「して、今日はどういった用件ですか?」
「用件というか、華子さんのことを聞きたくて」
「若いですなぁ」
 山田さんは、ガハハ、と笑う。なにを意図して、若い、のかは分からないけど、壮絶な誤解が生じたように思った。
「しかし、なんですかなぁ。こうしてこそこそ、気になる女性のことを伺うとは……あまり褒められたこととは言えませんなぁ」
「違いますから」
「はて、華子さんのことが、気になるのでしょ?」
「それはまあ、気になりますが……」
「青春ですなぁ」
 山田さんはふたたび豪快な笑い声を上げた。昨日の今日で、惚れた腫れたなどの感情はないし、桃色っぽい気持ちも芽生えていない。それに、まかり間違っても、相手は幽霊だ。そんな甘酸っぱい気持ちになりようがない。
 女性としては、とても魅力的な方だとは思うけど、生きていればの話だ。
「相手は幽霊なんですよ。からかわないで下さい」
「それもそうですな、幽霊は疎まれるもの。ですがね、戸山先生、彼女はなんの見返りもなく、生徒のことを思っている。わしは、結構似たもの同士だと思ったんですがな」
「は、はあ」
 華子さんの言葉には嘘がないようだったし、自分と同じような子供を見たくないと言っていた。生徒を思う気持ちは、同じ、か。
「彼女、ああ見えて、結構寂しがり屋なんですわ。わしの前にも滅多に姿を見せんからのお」
「そうなんですか?」
 それは少し意外だった。あれだけ息が合っていたし、いつも夜には現れて、雑談しているものだとばかり思っていた。
「ああ、昨日見たのは、数ヶ月ぶりだろうか。彼女は滅多なことで、人前に姿を現さんからの。わしがもう二十も若ければ、恋に落ちても不思議ではなかったろうが、この年になれば恋する心も忘れてしもうたわ」
 そう言ってやっぱり笑う。相変わらず冗談で言っているのか本気で言っているのか、わからない人だ。
「二人が真に生徒のことを思っておると感じたから、引き合わせたが」
「ええ、そのことには感謝しています。幽霊とは言え、なんだか友達ができたような気分です。昨日会ったばかりなのに、ずっと前から知っているような、気心知れた友達というか」
「わしは、幽霊だから、恋する資格はないと思ってなくてな」
 いつも話している時より、声を低く山田さんが言う。真剣な口調だった。ふと、時計を見ると、昨日華子さんと会った時と同じくらいの時刻になっていた。あれからまだ、一日しか経っていないのか……。
「彼女もいい子だから、戸山先生を引き合わせたが、そこから先は若い者二人に任せよう。彼女のことが知りたいんだろ? わしに聞くより、華子さんに直接聞いてみればどうじゃ? 戸山先生が行けば、うきうきしながら現れてくれると思うが。わしの見る限り、戸山先生に気を許してるように思うたしな」
「それもそうですね、華子さんとはいくら話しても、話し足りないような気がしますし。懐中電灯、お借りしますね」
 テーブルの上に置いてあった懐中電灯を手に取る。オレンジ色の明かりがともった。
「くれぐれも、壊さないように、お願いしますな」
「それは、華子さんに言ってください」
 山田さんは笑い声と共に、僕を送り出してくれた。夜の学校にはずっと、不気味なイメージがあった。オカルトの中でもっとも嫌いだったのは、学校の七不思議。いつ、どうしてそれが嫌いになったのか分からない。
 この学校にもトイレに華子さんがいる。個室をノックしなくても、出てきてくれそうな、それでいて気さくな幽霊だ。オカッパ頭でもなければ、小学生にも見えない。どこの学校にも七不思議があるのなら、彼女は間違いなくその一つだ。
 学校の七不思議に会いに行くなんて。
 僕の中で、学校の七不思議という存在が、少しだけ変わったような気がした。

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