「道はひとつじゃない」


 


私たちは、特に10代、20代の「生きる」を支援するために、このブログで様々な大人の人生体験談をお届けしています。


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  • 20May
    • 【道 Vol.4】ケンボーさん〜青年海外協力隊と看護師を繋げた2つのキーワード

      ◼︎名前 & 仕事や活動 ケンボーさん精神科看護師◼︎今の自分 〜精神科病院の看護師として働き始めて2年目私は現在、精神科病院の看護師として働いています。看護師として働き始めて今年で2年目。私は日々、幻聴のようなことを言ったり、様々な妄想なのか事実なのか分からないような訴えをしたり、原因は不明だけど気分変動が激しい患者さん達のお世話をしています。入職したての頃は精神科の魅力や楽しさ、意義が全く分からず、イヤでイヤで仕方がなかったけど、今は「なんとなく」楽しくなってきたし、大切な仕事なのかな、、、と思ってきました。そんな私のボンヤリとした目標は、「私は精神障碍者なんだよね~」と言っても「あっ、そう。」という感じでノリよく受け入れてくれる人が少しでも増えた世の中。◼︎10代、20代、昔の自分 〜青年海外協力隊と看護師を繋げた2つのキーワード以前の自分に対して言いたい言葉は三つあります。「バカヤロー!!」と「自己ちゅう過ぎ!!」と「ありがとうございます!!」の三つです。  高校と大学は農業系のところに在籍していました。大学卒業まじかの時には、「将来は漠然と農業系の何かをしているんだろーな」としか考えていませんでした。同時に、このままでいいのかなという漠然とした不安もありました。そのくらいの頃に海外で野菜栽培の指導をしている日本人のことをTVで見て、「これだ!!」と思いました。同時に青年海外協力隊の存在のことも思い出して、「これしかない!!」と志願して、偶然にも隊員として選ばれました。 ここまでは良かったです。ただし、隊員として選ばれたことにのみ注目して自分は何をしたいのか?青年海外協力隊の任務が終わって帰国してからやりたいの?という考えがなかったんです。帰国して一年目はバイトした時期もありましたけど堕落した生活でした。農業系コンサルタントになりたいという漠然とした目標があって、人の紹介を頼りに会社訪問して働き口を探しましたけど、大学卒業して青年海外協力隊しか経験していない私を雇う会社はなかったし。この頃の自分に会うことができるのなら「バカヤロー!!」と言いたいです。 けど、ある時、友人とスカイプをしていたら「私看護師になろうと思うの。」というのを聞いたのがきっかけだった。その時は何も感じなかったです。けど、「看護師になればいいんじゃないかな」という感じに考えたのです。青年海外協力隊の時のことを思い出したときに「人」、「健康」の二つのキーワードがなぜか頭の中に浮かんだんです。それが、看護師という仕事を繋がるのだと思いました。そう思い立ったてから、看護学校の見学会の申込やら受験の準備を大急ぎでして、有難いことに偶然にも受かりました。 そして、この頃の自分に対して「自己ちゅう過ぎ」と言いたいです。会社を紹介してくれたり、私の相談に乗ってくれたり、何よりも家族を振り回してきて、最後には看護師になるって、、、「今までの経験は何だったの?」と言われた時はさすがに悪いと思いました。周囲の人を振り回してきた自分の自己ちゅうなところで多くの人にご迷惑をかけたと思います。そして、看護学校を卒業し、看護師国家試験に受かって現在看護師として働いています。振り返ると「衝動的」、「無計画」、「マイペース」、「気分屋」という4つの言葉がとても似合うと思います。たぶん、こういう過去があったお陰で今があると思うと、過去の自分に対して「ありがとうございます」という気持ちも言わずにはいられないんです。(青年海外協力隊でアフリカにいる時の写真)◼︎変わったきっかけや、考え方の変化 〜海外での生活で強化された自分結論から言います。私はほとんど変わっていないです。むしろ「衝動的」で「無計画」で「マイペース」で「気分屋」なところは強化(悪化?)したように思います。そうなってしまったきっかけとしては、恐らく青年海外協力隊で海外で生活したことだと思います。日本語みたいに敬語とか尊敬語、謙譲語という言葉を使わなくてもいいし、自分のダメな一面を否定もせず受け入れてくれる環境に浸っていたお陰かもしれません。けど、しいて変わったことと言えば、いろんな出来事を「まぁ、いっか」と思えるようになったことかもしれません。 ◼︎今、大事にしていること、信念など 〜「衝動的」で「無計画」で「マイペース」で「気分屋」なところ大事にしてることは2つあります。1つ目、は私の「衝動的」で「無計画」で「マイペース」で「気分屋」なところです。不利益になることもあるけど、なんだかんだで最後にはプラスマイナス0位になっています。天使と悪魔の面があってしんどいけど、今では私にとってなくてはならないパートナーかもしれません。2つ目は、自分と対話する時間を作ることです。悩んだ時とか、迷った時って結局は答えは自分の中にあると思うんです。そんな時に相談する相手は他人じゃなくて、自分と相談することと考えるようになりました。◆事務局より◆いかがでしたか?何か感じた方は、ぜひコメント欄に一言でもお願いします。そして「自分も人生体験を投稿してみたい!」と思った方は、こちらの投稿フォームから投稿してください。どなたでもウェルカムです。あなたの体験談がだれかの「生きる力」につながります。

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  • 29Mar
    • 【道 Vol.3】ハナダサトシさん〜14歳で勉強放棄宣言

      ◼︎名前 &仕事や活動ハナダサトシさん(60) クリエイティブディレクター、心理カウンセラー、コミュニケーショントレーナー◼︎今の自分 〜「この星で、出会い、伝え合い、分かち合う。」広告の制作をしながら、「地球ヒューマンミーツ」という市民活動団体を立ち上げる。合言葉は「この星で、出会い、伝え合い、分かち合う。」。平たく言うと、リアルに集まって何かしようよということ。哲学対話あり、婚活セミナーあり、おしゃべり会あり、性の話でもなんだっていい。手の届くところに人の温もりあり、何か言えばすぐに答えてくれ、悲しい時には抱きしめてくれる。そんなリアルな場を創造しています。 協調性もなく、人見知りで団体行動もできなかった自分が、まさかこんな活動をしているなんて夢にも思っていなかった。人生というものは本当に自分の想像なんてものを軽々と超えてやってくるものだ。そして僕のいまの一番のリアルは、奥さんと4歳の息子といる時間。三人でふざけて抱き合っている時「この温もりこそリアルだぁぁぁ!」と叫びたくなる。泣きたくなる、嬉しくて。◼︎10代、20代、昔の自分 〜いい子であることを求められ、そうすべきと思った 少し複雑な家庭で育った。兄とは異母兄弟で、そのせいもあり父と兄に確執があったことで、僕は過保護で過干渉に育てられた。そして、完全にいい子でいることを求められ、そうすべきだと思ってきた。しかし、徐々にだが、親や大人、社会に対し拭いきれない嫌悪を感じてもいた。何か違う、何か違う、大人の言う通りにしちゃダメだという心の底からの叫びがどんどん膨らんでいった。 ◼︎変わったきっかけや、考え方の変化 〜14歳で勉強放棄宣言 14歳の時、 僕は「勉強放棄宣言」を発令した。親や先生や周囲に対して、そう公言した。いい子のサトシちゃんの反逆の始まりだ。両親にとっては青天の霹靂だっただろうな。勉強放棄って、ただサボるだけだから簡単だと思うかもしれない。いやこれが実はなかなかどうして。適当に勉強している方がずっとラク。いい子を演じる方が波風も立たずリスクがない。中2といえば受験期を迎え、周囲は勉強することが当然という流れになっている。適当に勉強するということは、それはつまり、周囲に適当に合わせ、流れに身を委ねること。だからラクなのだ。僕はそれから3年間、頑張って頑張って(ここ大事)一生懸命1秒も勉強しなかった。授業は聞かない。宿題もしない。塾なんてもってのほか。成績は見事に急降下。親が学校に呼ばれ、母親は泣いていた。可笑しく聞こえるかもしれないけれど、そんな戦い方しか、僕にはできなかった。かっこ良すぎるけど、僕は大人や社会や世間の常識というような巨大なものと戦っていたんだと思う。 両親は教育熱心で親戚は僕の家のすぐ近くにある県内でも随一の進学校を出ていたし、さらに中学校の国語の教科書は、僕の父の兄である叔父(当時、教育大の学部長をしていた)が関わっていて、国語の教科書の最後に叔父の名前を見つけた担任が僕を呼び、「これ、ハナダの叔父さんだろう。頑張らないとだめだな」と言われてもいた。そんな環境の中での勉強放棄宣言の波紋はハンパじゃない。正直いうと、かなりめげそうだった。学校や親からの圧力だけでなく、何か底知れぬ暗い谷底に落ちて行くような不安で、夜中に何度も目覚めた。高校1年まで3年間続けた勉強放棄。あの頃僕は、大きな流れに逆らって必死であえいでいたんだと思う。頭の悪い方法だったと思うけれど、結果、僕は自分を守ることが できたと思っている。いや、自分を獲得することができた、という方が正しいかもしれない。僕は自分に嘘はつかなかったし、自分を裏切らなかったんだと。親の言うままにしていたら、周囲からも賞賛され、よい大学に進み、いい会社に入って親孝行なるものをしていたかもしれないなと思わなくもない。だけど両親には申し訳ないが、それはもう、僕じゃない。そもそも過保護で過干渉で育てられていたから、あの時にあんなバカな革命を起こしていなかったら、僕は永遠に親のコントロール化にあったんじゃないか。そうと思うと、ぞっとする。自分の未来を自分の意思で勝ち取ることができたことは、その後の僕の大きな自信にもなった。主体的に生きることは自分の人生を生きることだ。自分で決めたら、そのツケも自分に回ってくる。自分を生きることは大変だが、その分、自由で、サイコーにハッピーだ。◼︎今、大事にしていること、信念など 〜割り切れない自分こそ自分割り切りたくない。割り切れば、人は殺人もできるし、犯罪もできるし、体を売ることもできるし、非道なこともでき る。割り切れない自分こそ自分だと僕は思っています。数学でいうと、割り切れないと「余り」が出る。その余りこそ自分だと。仕事をしているとどうしても、割り切らないといけない側面が出てくる。割り切った方がラクだし、うまくも行く。大人なんだから、と自分を言い含めようとする自分もいるし、そうしたこともあった。でも、割り切った自分を、僕は好きになれないし、後味が悪い。還暦になってそんな青臭いこことを言って呆れられるが、ここは僕の大事なところなんだな。だから、誰に謝っているかわからないけど、ごめんなさい。このまま生きて、死にます。◆事務局より◆ハナダサトシさんの投稿、いかがでしたか?何か感じた方は、ぜひコメント欄に一言でもお願いします。そして「自分も人生体験を投稿してみたい!」と思った方は、こちらの投稿フォームから投稿してください。どなたでもウェルカムです。あなたの体験談がだれかの「生きる力」につながります。

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    • 【道 Vol.2】戸田友香里さん〜英語を話すもう一人の自分

      ◼︎名前 &仕事や活動戸田友香里さん(27)ライフコーチ、コミュニケーション コンフィデンス トレーナー、英語教師 Web:https://shintoda.com◼︎今の自分 〜自分とつながる、世界が広がる英語セッション 現在「自分とつながる、世界が広がる英語セッション」を行っています。英語を通して、自分とも人とも、より心地よくコミュニケーションができるようになるサポートをしています。英語はあくまでも手段で、英語力アップは最終目的ではなく通過地点。もちろん英語力を上げたい方のサポートは全力でしていますが、大事なのは表現することを楽しみながら、様々な気づきを得ていくことだと思っています。◼︎10代、20代、以前の自分 〜自分は我慢が足りないんじゃないか高校3年になる直前に父がくも膜下出血で倒れ、認知症の祖母の介護が始まり、混乱の大学受験期を過ごしました。精神的にかなりきつかったですが、なんとか入りたかった大学の英文科に入学。しかしながら父の状態は落ち着かず、祖母の介護も続いており楽しい気持ちにはなれませんでした。「ワクワクするってどんな感じだったっけ?」という感じで、暗い気持ちが何年も続きました。大学卒業後、いくつかの会社で働いてみて、自分は我慢が足りないんじゃないか、順応性に欠けているんじゃないか、などと悩んだことがあります。悩むのはつらいですが、その体験を通して人として正しいと思うことができることと、お客様も社員も人として尊重し合える環境が私にとって大事だということがわかり、すべてが大事な経験だったと思います。◼︎変わったきっかけ、考え方の変化 〜英語を話すもう一人の自分様々なバックグラウンドを持った海外の人たちがいる会社で仕事ができたことは、大きな転機になりました。人は違うのが当たり前。「言わないとわからない」がベースだから意見を伝え合います。もちろん個人でできることはしっかりやるけど、できない時はできないと言うし助け合います。お互いに敬意を持ち、上下関係の意識より仲間意識が強く、いい仕事をすることに集中できました。インターナショナルな会社なら必ずしもこうとか、日本企業なら絶対こうとかではなく、気持ちを伝え合えてサポートし合う環境があるかどうかが大事だと思います。仕事で良い発見があった一方で、私自身も体調を崩してしまい、生きるということに全然希望を持てなくなってしまいました。心身落ち込んだ日々が続く中、様々な経験をしてきた人々のスピーチを聞き、本を読み始めました。人生に対して悲観的でしたが、心の底では希望を持ちたかったんだと思います。ライフコーチのTony Robbins、セラピストのSean Stephenson、モチベーショナルスピーカーのLizzie Valasquezなど、自分が置かれた過酷な環境から学び、自分の人生経験を生かして人を助けている人たちに勇気づけられました。その過程で、私も彼らのように自分にできることで人の役に立つ仕事をしたいと思うようになりました。人が自分の生きたい人生を生きるサポートをしたい。その手段として、私は英語を使おうと思いました。私は日本で英語を学んできて、外国語を話すもどかしさや恥ずかしさなど色々な感情を体感してきました。英語を学んで気づいたのは、英語を話すことを通して自分の中にある不安や恐れと向き合うことができ、話すという行為によってそれらの感情と前よりうまく付き合えるようになったことでした。また、英語を通して様々な人々と出会えたことも救いになりました。日本語を話す自分とは一味違う「英語を話すもう一人の自分」のおかげで、物事をより広い視野から捉えることができるようになったと思います。外国語を話すということは、自分の内面で何を感じるか、つまりメンタル面とものすごく関わりが深いと実感しています。生きることへの気持ちの変化は、深い感謝が湧いてきたことが大きなきっかけだったと思います。リハビリに諦めずに取り組み後遺症がありながらも明るく前向きな父と、何があっても熱心に家族を支え続けてきた母を心から感謝し尊敬しています。いつもそばで励ましてくれる夫にも感謝しています。今の自分に「ある」ものに気づき、感謝するようになって生きる力が湧いてきたように感じます。◼︎今、大事にしていること、信念など 〜自分に真摯に生きること自分に真摯に生きることを大事にしています。自分の力ではどうにもならないことは世の中たくさんありますが、そこに対してどう反応するかが人生を大きく左右すると思います。態度とマインドセット(どのように物事を捉え考えるか)は自分で選ぶことができます。自分の本心で決めて行動をするのは時々勇気もいるけど、とても気持ちがいいです。◆事務局より◆戸田友香里さんの投稿、いかがでしたか?何か感じた方は、ぜひコメント欄に一言でもお願いします。そして「自分も人生体験を投稿してみたい!」と思った方は、こちらの投稿フォームから投稿してください。どなたでもウェルカムです。あなたの体験談がだれかの「生きる力」につながります。

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    • 【 道 Vol.1】さわとん〜5年半のうつ、飛び降り、難病

      ◼︎名前 &仕事や活動さわとん(43)カウンセラー・講師。「道はひとつじゃないプロジェクトン」代表 Web:http://www.arigaton.com/◼︎今の自分 〜カウンセラー、講師、ライブ活動など 今のぼくの仕事は、一言で言えばカウンセラーです。悩みがある人、生きづらさを抱えている人と日々お話ししています。気づけば9年になりました。カウンセリングの内容はそれぞれで、人間関係、恋愛・夫婦関係の悩み、将来の不安についての話もあれば、起業したいけど一歩が踏み出せないような相談もお受けしています。カウンセラー以外にも、全国での講演会、居場所活動「カフェありがトン」、著書3冊、ライブ活動など、自分が楽しく心地よいことで活動しています。◼︎10代、20代、以前の自分 〜「みんなと同じような安心な道」に行きたかった 高校の頃思っていたことは「みんなと同じような道に進めればいい」。みんなと同じような道とは、同級生と同じように「それなりにいい大学に入り、それなりに有名な会社に行き、それなりにお給料をもらって出世していく」という感じでした。自分が本当にやりたいこととか好きなことは無かったし、なんとなく偏差値さえよければ幸せになれるのではないかと正直思っていました。  結局、一浪はしたものの勉強を頑張って希望の大学に入学することができました。そして就職は、地元では有名な物流会社に入社しました。いわゆる“安定的なサラリーマン”になり、ある意味夢がかないました。仕事もやりがいもあったし、このままこの会社でそれなりにがんばって、少しずつえらくなって課長、部長と進んでいければいいなと思っていました。◼︎変わったきっかけ、考え方の変化 〜5年半のうつ、飛び降り、難病そんな典型的なサラリーマンだったぼくが、なぜ考えもしなかったカウンセラーという仕事をしているのか、そのきっかけを一言で言えば「5年半のうつ病生活」です。サラリーマン時代、27歳の時に結婚と栄転が決まりました。これで人生トントン拍子間違いなし!と正直思ったものの、実はそこからたった4ヶ月で「典型的なうつ病」と診断されたのです。 うつ病になったきっかけは過労と心労。仕事ができる人ばっかりの中で、なんとか追いていかれないようにと、睡眠時間3、4時間の中で頑張り続けました。次第に眠りも悪くなり、仕事もやる気がなくなり、手につかなくなっていったのです。   ただそれはきっかけで、もっと根本的には人の目や評価ばかり気にして生きてきて、本当に自分がどう思うか、やりたいことが何かわからなことが大きかったと思います。 それから5年半の間、本当に苦しい生活が続きました。5年半で5度のうつ病を経験しました。多いときは精神的な薬を1日10種類飲みながらも会社には休まず行き続けました。一度休んだらもう終わりだ、この道しかない、と思っていたからです。その後休職、復職の失敗、離婚、、、次第に自分なんかいないほうがいいのではないか、「人生やめたい」という気持ちが高まっていきました。  そして2005年8月、、ぼくはマンションの最上階から飛び降りました。そのときのことは詳しくは割愛しますが、気持ちとしてはとにかく楽になりたい、解放されたい、ゼロからやりなおしたい、という気持ちでした。偶然か必然かわかりませんが、足の骨折などだけですみ、今ここにいます。 「人生やめたい」という気持ちは少しずつおさまったものの、今度は体が悲鳴をあげました。潰瘍性大腸炎という難病になり、2007年2月大腸を全摘出する手術を受けました。ぼくの体から大腸がなくなりました。 元気になったきっかけはひとつでは言えませんが、そのひとつは電車の中で席を譲ったら、おばあちゃんに「ありがとう」って何度も30回くらい言ってもらったこと。「こんな自分でも役に立てた」というのがとても大きかったです。 また、5年半のうつ病の最中は、自分にダメだしばかりして嫌なところばかり見ていましたが、少しずつ「まぁそんな嫌な自分も自分の一部」「良い悪いじゃない」と思えるようになっていきました。うつになったことも「もう少し休んだほうがいいよ、というメッセージなんだ」と、前向きに受け止められるようになっていきました。こうして5年半のうつ病から解放され、今から9年前の34歳の誕生日、「過去の自分と同じように辛い思いをしている人の力になりたい」とカウンセラーとして起業、それから9年が経ちます。◼︎今、大事にしていること、信念など 〜道はひとつじゃない&ありがトン起業から9年かけてたどりついたのが「道はひとつじゃない」です。色々な道を経験しましたが、全く思いもしなかった道に今います。そして今、幸せです。いや、モヤモヤもあるけど、それも含めて幸せ。「道はひとつじゃない」今後も伝えていきます。一番大好きなこの言葉とともに。ありがトン☆    ◆事務局より◆さわとんの投稿、いかがでしたか?何か感じた方は、ぜひコメント欄に一言でもお願いします。そして「自分も人生体験を投稿してみたい!」と思った方は、こちらの投稿フォームから投稿してください。どなたでもウェルカムです。あなたの体験談がだれかの「生きる力」につながります。

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    • 道はひとつじゃないプロジェクトン、正式スタートン!

      こんにちは。道はひとつじゃないプロジェクトン代表のさわとんです。本日2017年3月29日、さわとん43歳の誕生日ですが、 「道はひとつじゃないプロジェクトン」ホームページとこのブログがオープンし正式にスタートしましたこの「道はひとつじゃないプロジェクトン」は、様々な人生の道を伝えていくことで、特に生きづらさを抱える10代、20代の「生きる」を支援しています。活動の3本柱のひとつはWeb上で様々な大人の人生体験を伝えていくこと。「あぁこんな生き方もあるんだ」 「今の道だけが幸せの道ではないんだ。。」 読んでくださった方が何か今後の人生のエネルギーを感じて頂けたら嬉しいです。読んでいただくことはもちろん、ぜひみなさんの人生体験もご紹介させてください。人生にいい悪いとか、小さい大きいなんてない。  ひとつひとつの人生が大切な尊い人生。そして人生と人生は重なり合い影響しあっていく。だから、あなたの人生体験がだれかの「生きる」につながります。人生体験談の投稿について、詳しく知りたい方、ご協力いただける方はこちらのHPをご覧ください。この活動はぼく自身もメンバーも色々な方と接しながら人生を感じ、楽しく活動しています。これからも歩みはゆっくりでも末長く活動していきますのでどうぞよろしくお願いします。各体験談のブログへのコメントもお待ちしています。ありがトン♪

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