さがわのひとりごと。

さがわのひとりごと。

’83年生まれアラフォー。気ままなおひとりさま生活18年を経て、現在北関東で夫婦おふたりさま生活→娘が加わりました。

ついに再開しましたよ…


生理が。


妊娠〜授乳期間中、約2年間止まっていた生理。

はぁ〜〜〜生理のない生活楽ちんだったなあ〜〜〜!!!ホルモンバランスで肌が荒れたり体の不調が起きたりしない生活!着るものも荷物も布団のシーツも風呂も外出もなーんも気にしなくていい!楽ちんだった!!!!!!!


排卵日近くとかもうあからさまに胃腸の調子が悪かったり、便秘になったり肌が荒れたり、下腹部が痛かったり。生理日近くになると頭痛くなったり体がむくんだり。あ〜〜〜生理のある生活こんなんだったっけ…とうんざりですわ😇


生理が上がったら上がったで今度は更年期障害になるんやろか。ホルモンに振り回される我が体。

妊娠前に愛用してた命の母再開しようかな。高いけど。



ハムスターハムスターハムスター



1年前はまだ私のハラの中にいた娘、今9ヶ月で、少し前から伝い歩きしてます。子供の成長、早い。

今年はもう振り返るも何も、って感じですね。

出産!育児!!!以上!!!!!


今年の漢字を上げるなら「生」でしょか。

娘が生まれたかと思えば私が軽く死にかけ、そんで回復したと思ったら心臓がポンコツになっており、そしてまた回復したと思ったら歴史的な暑さでどこにも行く気になれず引きこもり、いい季節になってきたらコロナに罹り、あっという間に年末。人間万事塞翁が馬!


そして自分が如何に人間として未熟かと言うことを思い知る1年でした。不惑の年になった今でも初めてのことだらけ、学ぶことだらけ、知らなかったことだらけだな〜と。人生は勉強…。


なんとかボチボチ今年はやってきましたので、来年からもまたボチボチ頑張ろうと思います。


よいお年を!

いつの間にやら師走て。

今年は春夏夏猛暑猛暑猛暑夏夏夏夏冬!みたいな感じだったので、体内の季節感が狂ってます。


娘もいつの間にやら生後7ヶ月を過ぎまして、「あなた本当に私の腹の中入ってたん??」と疑問に思うほど丸々としてます。もう8kgあります。8kgて。抱っこもおんぶも一苦労です。生まれて初めて腱鞘炎になって整形外科で両手首にステロイド注射してもらいました。

ずりばいでどこへでも行くので、ますます目が離せなくなりました。



5ヶ月目から離乳食が始まりましたが、いやはや めんどくせ 大変ですねぇコレ…。

最近は1日2回食になったので気付けば一日中離乳食作ってる羽目に。3回食+おやつとかになったらどうなってしまうのだ。

料理嫌いの私には苦行ですが頑張るしかないのでレトルトに頼りながらボチボチやってます。


産後の肥立ちがとても悪かったですけど、さすがに今は体調戻りました。先月くらいまでは夜になると産道の傷跡(会陰ではない)がシクシク傷んだりしたんですが、最近はそれもない。

戻らないのは体重と生理でしょうかね。生理のない生活、めちゃくちゃ楽でいいのでしばらく戻らなくてもいいなァ…。更年期障害になるのは嫌なので閉経はまだ嫌だけど。

体重、相変わらずBMI 17〜18あたりをウロウロしています。19~20あたりに戻したいんですけどね。

まあどうせ母乳やめたら太るんだろうからしばらく戻らなくていいやニヤニヤ


今年もあと少し、ボチボチがんばります。


ムッチムチ!笑


5回目のワクチン接種券が来て、さて次打たなきゃなーと思ってるうちにコロ助の野郎にやられましたので、基礎疾患なし・40代女性(授乳中)のイチ体験記をここに記しておきます。備忘録も兼ねて。





  発症0日目

夕方から喉のイガイガ感、咳。急に気温が下がったので風邪を引いたか、それとも花粉症かと思う。前2日は外出してなかったのでコロナだとは露程も思わず。念の為家の中でもマスク着用。


  発症1日目

昼過ぎに37度台の発熱。風邪を引いたか?と思いつつコロナorインフルの可能性が頭をよぎる。家にあった抗原検査キットを使うも陰性。(←多分まだウイルス量が少なかったんだと思う)

娘になるべく近付かないよう心がけ、相手するときはアルコール手指消毒&マスク2重。

15時過ぎから発熱が39度に。あ~これはコロナだわ…!と段々確信にかわり、私が触れたところすべてアルコール消毒して回る。

旦那が仕事から帰宅してから娘を託し、隔離開始。


1部屋を隔離部屋にして、トイレや洗面所へ行くときは、まず手指消毒、使い終わったときには触れたところすべてアルコール消毒。マスクは2重。

夜には40度まで熱が上がる。


  発症2日目

朝になっても熱は39度。近所の発熱外来を予約し徒歩で受診、初PCR検査。鼻ぐりぐり痛い😇

結果が出るまで家で待機。30分後くらいにコロナ陽性の旨電話。インフルは陰性。

そしてそのあとドクターの電話診察、薬局で解熱剤(カロナール500)、炎症止め(トラネキサム酸錠)、咳止めシロップ(フスコデ配合シロップ)、トローチを処方してもらい帰宅。

院内に入れないので支払いは後日。


フスコデ配合シロップの説明文に「授乳NG」と書いてあったので、飲みきったらどのくらいで授乳再開OKなのか問い合わせ。48時間だそうな。

隔離してる間は搾乳器で母乳を搾っては捨て、搾っては捨てする。隔離開始時から娘には旦那にミルクを与えてもらう。

(こういうとき完母の人ってどうしてるんでしょうね…哺乳類拒否の子だったら詰まないか…?)


解熱剤を飲むと熱が36度台まで下がる。カロナール500しゅごい、さすが劇薬。

でも薬が切れるとあっという間に38度台へ逆戻り。しつこい熱である。(←油汚れみたいな言い方)


  発症3日目

朝は38度。若干喉の痛みはあるが、世間でよく聞く、水も飲めないほどの激痛はない。

解熱剤を毎食後に飲めば熱は37度台で落ち着く。

味覚はあるが嗅覚が怪しくなる。普段を10とするならば3ぐらいまでレベルが落ちる。鼻詰まりのためなのかそうでないのかが判別できず。


水も飲めないほどの激痛ではないが、旦那が差し入れてくれたキレートレモンのゼリー飲料はさすがにノドに染みた。喉痛めてる相手に柑橘系のモノを渡す旦那、天然なのか考え無しなのかどっちだ。(飲む私も私である)


  発症4日目

熱、解熱剤を飲まなくても37度台で落ち着いてくる。

発症3日目から怪しかった嗅覚がついにゼロになる。😇味覚は大丈夫。

3日目より喉(喉というか鼻の奥のほうに近い)の痛みが強い。飲み込むには支障ない。

咳止めシロップの副作用で1日中とりあえず眠い。寝て起きてを繰り返す。


  発症5日目

解熱剤が切れても36度台で安定、熱が下がりきる。喉の奥がまだ痛いので、痛み止めとしてカロナールを飲んでおく。咳はもうほぼ出ないが、咳止めシロップは一応飲んでおく。

前日に0になった嗅覚、10段階中の2くらいに戻る。


このへんから、体は元気になってきたのでヒマを持て余す。だが旦那や娘に感染したら元も子もないので隔離部屋でゴロゴロゴロゴロ。


  発症6日目

熱は完全に出なくなる。咳はたまにむせる程度。相変わらず嗅覚は2.5くらい。鼻の奥の痛みはほぼなくなった。いよいよ嗅覚以外は元気な状態に。


  発症7日目

処方された解熱剤・消炎症薬を飲み切る。嗅覚は相変わらず鈍麻。左よりも右側のほうが匂いを感じられない。

近付けば匂いがわかるものもあれば、近付いてもわからないものも。

念の為まだ家庭内隔離。


  発症8日目

咳止めシロップを飲み切る。嗅覚、相変わらず鈍いが、半分は戻る。

夜に抗原検査をやってみると、反応薄めではあるがしっかり陽性。隔離解除しなくてよかった!


  発症9日目

何故か唐突に嗅覚が完全復活。

ゆっくり戻るのではなく何故か本当に唐突に戻った。なんで????


  発症10日目

朝に抗原検査、まだ陽性。しぶといな!!!!

咳止めシロップを飲みきってから48時間経ったが、念の為もう一日空けることにする。

夕方にももう一度抗原検査、まだ陽性。

この陽性反応、感染力のあるウイルスが排出されているのか、ウイルスの死骸に反応しているのかわからないのが悩みどころ。


  発症11日目

旦那に仕事休んでもらうのが限界のため隔離解除。念の為しばらく家の中でもマスクと消毒。


宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人あたま



とまあ、こんな感じでした。

抗原検査は発症14日目にしてやっと陰性になりました。ウイルスが体から抜けるの時間かかるねえ。そら早々に隔離解除したら周りにうつすわな…。


家庭内感染はなんとか防げたようなのでヨシとします。

それにしても、私は殆ど外出せず、したとしてもマスク手洗いうがい徹底してたのにどこで貰ってきたのか。無症状の旦那か、まさかの娘経由…?????


ひとまず嗅覚が戻って良かったですわ。(後遺症で全然戻らない方もいらっしゃるみたいですね…)

インフルもかかりたくないので早よ予防接種打ちに行きます。感染予防も引き続き頑張る。


皆様もお気をつけをば予防

by孔子。


子曰く四十で不惑とのことですが、私はまだまだ迷うことだらけですねえ〜〜日々試行錯誤。


先日、ついに40歳になりました。ヒィヤッハーーー!!!!!

私の中の40歳のイメージって「とてもしっかりした大人」なんですが、私がとてもしっかりした大人かと言えば…うん。

頭の中は中2の頃から大して進化しておりませんね。

いつまでも心が若いと言えば聞こえが良いけどニヤニヤ





そして今年の誕生日は、


コロナに罹り、

前日から40度の熱を出して

寝込んでおりました

ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ


散々な誕生日だぜえ!!!!!!!!!!!!!!

ちょうど少し前に5回目のワクチン接種券来たとこだったんですけどね!!!!

4回目打ったの妊娠中だから、半年以上前ですね。そら免疫も切れとる。

チキショー!できれば罹らずに逃げ切りたかった!!!!コロ助が出てから早3年、遂に捕まってしまった。クソー!!!昇天昇天昇天


去年はつわりでゲロゲロだったし、2年連続で散々な誕生日です😇

コロナ体験はまた別で記事にしますね。ネタにしないとやってられん💢


只今、絶賛家庭内隔離中です。10日間は他人に感染させるらしいのでそれまで隔離してます。


娘は旦那に託してます。(旦那はリモートにしてもらった)

隔離してる間に娘に忘れられるんちゃうかな…笑い泣き

by秋桜。

 

前に「産後の肥立ちが悪い」と書いたと思うんですけど、産後しばらくはほんま何をするにも倦怠感・動悸・息切れがひどくてですね。傷の痛みも手伝って家の中ですらマトモに歩けませんで。

 

その状態で2週間検診に行ったら、あまりに私が調子悪そうなので産科のドクターに産褥心筋症を心配され、循環器内科に紹介されたんですよ。

そして心臓の検査をしたらばですね、

 

 
おうっふ(  ˆᴘˆ  )・:∴
 
血圧低いのは昔からですが…
心不全傾向はないものの、出産時にたこつぼ心筋症みたいなものを起こして、今それが改善傾向なのかもね、とのことでした。なんか心臓の動きがモッサリしていたそうな。

🧑🏻‍⚕️「さがわさんくらいの年齢ならもっと心臓ガンガン動いてるんですけどね…」

ってそんなん言われましても滝汗
そして僧帽弁がちゃんと閉じてなくて血流がそこそこ逆流してると。へぁー?そんなことが起きてたんかい???
 
そしてひと月後に再度診てもらったら、モッサリしていた心臓もちゃんと動いているし逆流もなくなったけど、
🧑🏻‍⚕️「次に妊娠したら同じ状態になる可能性があるので、妊娠したら一度みせてください」
とのことで。
次妊娠することはもうないだろうけど、いやはや。
出産is命懸け…。
 
 
そして先日、輸血後の感染症の検査をしてまいりました。結果はすべて陰性。ヤッタネ!しかし
👩🏻‍⚕️「次お産するときに同じことになるかもしれないから、次は輸血のできる病院の方がいいかな」
とのことで。
次お産することは(ry 
 
まあ何事もなくてよかった。いろいろありましたが、すぐに笑い話になる時が来ますよ。つか既にこうやってブログのネタにしてますしおすし。🍣
 
今はもうすっかり元気ですが、いかんせん引きこもりなので体力が落ちてます。こうも暑いと外に出る気にもならんし。
秋が待ち遠しいなあ。

って何だろうな?と自分の記憶を掘り起こしてみたのですけれど。


兄の幼稚園の登園についていって(連れられて?)、幼稚園のウサギに餌をあげたのが私の一番古い記憶です。

兄と私は4歳半差ですので、1歳半~2歳前くらいの記憶になるんでしょうかね?

※自分の記憶を改竄してなければですが✌( ᐛ )✌


2~3歳くらいからの記憶はパラパラあります、にこにこぷん時代のおかあさんといっしょを見てたりね。

じゃじゃまる!ぴっころ!ぽ〜ろり〜♬(同世代なら歌えるフレーズ)



子どもの世話しながら、この頃(乳児期)の記憶はないんだよなあ〜〜いつ頃から覚えてるっけな??

などと思ったのでこんなん書きました。


皆さんの一番古い記憶はなんですか?ウインク


これは子どもの頃の私。


じゃじゃまるが好きだったかどうかは

記憶にないニヤニヤ


産後2ヶ月経ちました。もう上半期終わりに近付いてますよ。早いなァ…(遠い目)


さて産後ポンコツオブポンコツだった私の体調は、近所のスーパーなら娘を抱っこ紐に入れて買い物に行けるくらいには回復しました。

 

体調はそこそこ回復したんですけど、ガッツリ減ってしまった体重が戻らないです。何なら隙あらば瘦せてしまう。BMIが17になろうとしていますわ昇天


産前のズボン(=ダイエットをした後に買い直したもの)がブカブカです。歩いてると腰パン通り越してケツパンになりそうなくらいに。やばい。

人生で体重を増やさねば!と思う日が来るとは思わなんだ。私は産後太りとは無縁だったようです。いいのか悪いのか。

 一時的なものなんでしょうけどね…


太っていくのも嫌ですけど、体重がガンガン落ちていくのもまた恐怖です。

 


 ふとん1ふとん2ふとん3


 

産後の生活は 授乳→ミルク作り→ミルクあげる→哺乳瓶消毒→片付け を約3時間ごとに繰り返していたらあっという間に1日が終わっていきます。その合間合間に自分の用事を片付ける感じです。どうしても優先順位が 子供>家のこと>自分 になりますね。


なので、無痛分娩と同じく「金で解決できることは金で解決しようZE★」のモットーに基づき、いろんなサービスを使っています。

Amazonや楽天の通販系はもちろんのこと、ネットスーパーなども活用し、

平日の夕ご飯は宅食サービスを使っています。

玄関先に先方が用意したクーラーボックスを指定時間までに出しておけば、毎日決まった時間におかずが置き配されます。献立を考えなくてよければ台所に立たなくてもよいので重宝してます。米さえ炊けば良いので楽チン。その米も我が家は無洗米ですニヤニヤ

便利なもの&文明の利器はどんどん使うのだ!!!!!現代人だもの!!!!!!さがを。




生後2ヶ月経った娘は先日予防接種を5つ同時接種し(注射4本、経口摂取1本)、副反応で高熱を出したので夜通し看病しました。眠い😇😇😇😇


もう5kgを超えたので腕も肩もバキバキです。生まれたときは3kg強だったんですけどね。

しかし、今ではその当時の3kgの重みを思い出せなくなってしまいました。こうやってあっという間に過ぎ去って行くんですねえ。しんみり。

 

さて長々と続いている出産レポ。その③。


 

 宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま



体に繋がれていた管がすべて抜けた&輸血のおかげでちょっと回復し、病室⇔トイレの距離を介助付き歩行or車椅子での移動が可能になった入院4日目の朝。


ドクターの診察後

「よろしければ本日午前中に退院できますけどドヤ?」(意訳)

と尋ねられ、想定外の事態による入院で入院費の心配をしていた私は

「喜んで!」(意訳)

と退院を了承、3泊4日の日赤での入院生活が終わりました。

 

旦那に迎えに来てもらい、車椅子を借りて病院玄関口へ。日赤に運ばれてきたときはストレッチャーだったので建物の天井しか見えておらず、病室に入ってからも管だらけで寝たきり→病室からトイレへの移動しかしたことがなかったので、この時初めて病院の外観を見ました。いやあ広いし立派な建物でしたね。さすが三次救急医療機関…。


今度輸血後の検査のためにまた通院しなくてはいけませんが、それ以外でまたお世話になるような事態にならんように気をつけよう。健康第一。


 

 

で、昼から産院に戻りまして。ある程度自力歩行が可能になったとはいえまだフラフラですんで、病院入り口まで旦那に肩を貸してもらって歩き、病院内は車椅子移動で再入院。

病室内の歩行もヨタヨタでしたんで、看護師さんが点滴棒貸してくださいました(←杖代わり)。

 

そして日赤に入院している間、新生児室に預けっぱなしだった娘とようやっと対面できたのでした。

娘、私がバタバタと救急搬送される前に別れたっきりでしたからね。いや〜帰れて良かった。

  

本来なら出産後一日目から母子同室で赤子のお世話が始まるはずだったんですが、私の全身状態が悪かったので完全母子同室はこの後6日入院したうちの1日のみでした。ほぼ新生児室に預かってもらってましたね…。

授乳、ミルク作り、沐浴、抱っこの仕方、等ひと通り教わる間は一緒におりましたが。なのでがっつり一緒にいるのは帰宅してからです。


普通分娩の場合は4日、帝王切開でも8日の入院のところ、私は結局産後11日まで入院することになりました😇


退院するときも、少し歩いたらゼェハァする始末だったので車椅子で退院しましたよ。

もっと入院してても良かったんですが、ホラあの…入院費がね…💸💸💸

(異常分娩だったので保険適用になって3割負担だったんですけども。後に医療保険もちゃんとおりました)

産院の前で写真撮りたかったんですけど無理でしたね昇天かなしみ。


平穏無事とは呼べない感じの私の出産レポでした。

お産じたいは安産でしたけどね。無痛だったし。無痛分娩はいいぞ!!!!



猫しっぽ猫あたま犬しっぽ犬あたま黒猫しっぽ黒猫あたまビーグル犬しっぽビーグル犬あたま



で、産後の肥立ちなんですが。


退院したはいいものの、息は切れるわ動悸はするわ立ちくらみはするわ全身倦怠感はひどいわ傷の痛みで立ち続けられないわで大変でした。(傷跡は今でもまだ痛みます)あと寝汗がひどかった。朝起きたら枕カバーの色が変わるほど汗でぐっしょりでした。


旦那が育休1ヶ月取ってくれましたし、義母も2週間ほど日中お手伝いに来てくれたので、大変助かりました。気は使いましたが。


現在もまだ傷跡は痛みますし、普段にも増して疲れやすいですが、近所の公園やスーパーに行けるくらいには回復しました。健康ありがたいね。

また産後二週間検診とかで別に問題が見つかったんですが(私に😇)結果が出たらまた書きます。



長々と続いた出産レポ、終了です〜。

不穏なタイトルですね。今は命に別状ある状態ではありませんのでご了承を。出産レポ②です。

 

 

牛しっぽ牛からだ牛あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人あたま

 

 

さて。

「ちょっと出血が多いなあ」というドクターの呟きから始まった不穏な展開。

 

血の気がサーッと引いていくのが自分でも分かり、

「ちょっとしんどくなってきました」「気持ち悪くなってきました」などと言いながら(この辺記憶が曖昧)私の脳裏によぎったのは「コウノドリ」とか「透明なゆりかご」とかで見た出血多量の母体死亡例

(※実際、現代医療をもってしても母体死亡に至る原因の1位が出血多量だそうで)

 

「え〜〜嫌なパターンだなコレぇ」などと他人事のように思う私の耳をつくのは血圧異常を知らせるモニタのアラーム音。

 

血圧の数値チラッとみたら上70/下20 という数字を叩き出しており。いや下20はやベェだろ、と我ながら思った記憶があります。

血圧が一気に下がったせいか何回か吐きました(何も出ませんでしたが)。

 

ドクターやナースに3回くらい「さがわさん!分かりますかー?!」と声かけられたでしょうか。

幸い意識はハッキリしてましたんで「大丈夫です〜」と答えましたけれども。

意識がハッキリしてるぶん周囲の不穏な会話が全部聞こえるんですよね😇 

 

血が滝のように…とか動脈がどうのとか、血が止まらないから血圧がどんどん悪く…という会話とか、輸液や止血のためのガーゼがどんどん追加される様とか、赤く光ってアラートを出す血圧モニタとか全部わかるわけです。それを聞いたり見たりしながら

 

イヤ絶対死なんし💢誕生日=母親の命日になるとか冗談じゃねぇわ凝視

 

などと若干怒りに近い感情がわき出したところが私だな〜と思います。

でもやっぱり精神衛生上良くないね。気の弱い人ならそれだけでショック状態になるんと違うか。

 

結局、血圧は輸液で持ち直し、出血の多かった傷はグイグイ何回も縫われてようやっと出血が止まったんですけど、3リットル強出血したそうで。

通常は経膣分娩だと出血は500ml未満、帝王切開でも1000ml未満だそうな。ヒェ。

 

あとから聞いたところ、子宮の戻りが悪かったことと、娘の頭が大きくて産道がズタズタ裂けたことが大量出血の原因だったようです。娘、腹の中にいたときからビッグサイズでしたからね…。

 

そうこうしてるうちに今度は全身がガタガタ震え出し。失血のせいかと思っていたんですけど、看護師さんに熱を測られるとなんと39℃。これは無痛分娩の麻酔の副作用だったみたいです(事前説明ありました)。熱は数日続きました。

 

血圧は持ち直したものの失血がひどかったので、なんだかんだ日赤へ救急搬送と相成りました。人生初の救急車。ゴールデンウィーク真っ最中の道路、救急車に道譲ってくれたすべてのドライバーに幸あれ!!!!🙇‍♀🙇‍♀🙇‍♀

 

日赤へ着いてからERへ運ばれ、あ〜〜医療ドラマとかドキュメンタリーで見るやつ〜などとのんきなことを考えて考えつつ色々説明を受け(意識はありましたがヘロヘロだったのでこのあたり記憶が曖昧)、CTだのレントゲンだの何だのを撮ってから病室へストレッチャーに乗ったまま移動、輸血となりました。

 

ちなみに入院手続きだの何だのは、救急車をあとから自家用車で追いかけてきた旦那にしてもらいました。

本当だったら(コロナ禍なので)出産立会後2時間位で病院を退出しないといけないルールだったんですが、緊急事態のためずーっと付き添いしてくれてたんですよ。旦那も色々気が気じゃなかっただろうなあ。

 

輸血を受ける前は体を起こすこともままならなかったのに、400mlの血液パック2本入れてから体起こせるようになりましたね。ありがたや献血。献血してくれたすべての人に幸あれ!!!🙇‍♀🙇‍♀🙇‍♀

 

日赤にいた間は左腕に輸血・右腕に点滴、足には血栓予防の着圧靴下+フットポンプ、心電図・呼吸数・心拍数モニタ、パルスオキシメータ、そして導尿😇 となかなかの装備&管だらけでベッドに磔でした。日赤には3日入院したんですがうち2日は完全介護ですよ😇😇着替えから何から全介助!

 

会う看護師さん会う看護師さんに「ご出産おめでとうございます、大変でしたね〜〜」と言われまくる入院生活でした。

 

2日間に渡る輸血が終わり、重症貧血→中等症になってから日赤を退院(しかし急激に血を失ったからか歩行できなかったので車椅子で)、産院へ転院&再入院したのでした。

 

また長くなったので今回はここまでで。

 

 

ふとん1ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん3

 

 

 

タイトルの「産科危機的出血」、今回の私コレだったんですが、

 

 

 

前述の通り現代医療をもってしても未だに分娩の際母体死亡に至る原因1位がコレだそうです。

あとからググってちょっとゾッとしました。生還して良かったなあ。

「お産は命懸け」と昔から言いますが、身を持って思い知りましたわ。

 

あとやっぱり献血大事だな〜っと思いました。私は今回輸血を受けましたんで、もう一生献血出来なくなってしまいましたけども。

 

過去に私が数回やった献血も、どこかで誰かの命になっているといいなと思いますにっこり