春日局 史料を超えて ver. 2.1 | 歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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徳川幕府第三代将軍はご存知、徳川家光です。ご母堂はスイーツ大河ドラマでおなじみのお江(ごう)さん。

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のはずですが、最新の研究ではどうも違うようです。では家光将軍の生みの母は誰か。これはもう間違いなく確信的に春日局(かすが・の・つぼね)であるというのが新説です。

提唱者は九州大学の福田千鶴(ふくだ・ちづる)教授です。2010年に上梓された『江の生涯』(中公新書)では、産月の関係から次男・家光は御台所(江)の子供ではないと喝破されています。なんでも十月十日あるべきものが9ヶ月しかない。それも通常分娩だったとの事です。福田女史は息子さんがおられるので経産婦です。そこから真実が発覚したというわけ。

要するに、史料を超えて一人の人間として、女史は歴史上の人物に立ち会ったわけです。では家光将軍の本当のお母さんは誰なのか。名もなき側室である可能性はもちろんあります。『江の生涯』(中公新書)ではそのあたりが言及なしです。

それが2017年に出された春日局 今日は火宅を遁れぬるかな』(ミネルヴァ書房)では、もうはっきりとその正体が顕(あら)わになりました。決定的な証拠とは、家光将軍は乳母である春日局の母乳で育ったという事です。この時期、記録によれば春日局は妊娠・出産をこの時期にしていません。にも拘らず母乳が出る。これはもう決定的ですね。経産婦ならではの発想です。これまで男性研究者の誰もが見落としていた事実です。それにしても、自説を毅然と唱える福田女史の胆力には頭が下がります。歴史学の世界は強固なヒエラルヒーで成り立っています。どんなに間違った学説でも提唱者が派閥ボスなら、その人が亡くなるまで批判は許されない世界です。そんな中、母親としての経験値を根拠に通説を覆したのですから「母は強し」です。将軍家乳母に応募したお福さん(春日局の本名)とどこか似ています。

春日局が生みの母であるという前提でいろいろ探ってみると、家康に直訴したとか、神前での薬断ちの約束とか、いろいろと見えてきます。​​​​​​​

 

御台所(みだいどころ/将軍夫人)のお江さんには、国松(駿河大納言忠長)が生まれます。この子は正真正銘の嫡男です。嫡庶の序は長幼の序よりも重んじられます。母親の出自も大事なんです。それで、秀忠夫妻が国松をかわいがった理由がわかります。

 

嫡庶の序は、伊達政宗の子供、秀宗と忠宗の関係からも確認できます。嫡男の忠宗が当然ながら世継ぎになりますが、お母さんの田村愛(たむら・めご)は、有名な征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえ・の・たむらまろ)の血を引いています。血筋なんですね、モノを言うのは。

 

側室腹だった兄の秀宗は愛媛県に領地をもらいました。子孫に伊達宗城(だて・むねなり)という幕末に活躍する殿様がいます。

因みに、秀忠将軍自身も出自が決め手になった節があります。秀忠将軍の母親は西郷局といいます。本名は西郷愛(さいごう・あい)です。福田女史の『春日局』にも書かれていますが、父方は服部家、母方が西郷家で母方の苗字を名乗っています。父は服部平太夫といって伊賀国(いがのくに)名張城主の服部保章の実弟です。

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服部保章の娘は明智光秀公の側室だったとの事。ゲームに出てくる伏屋姫(ふしや・ひめ)でしょうか。ここで、明智との縁が出てきます。さらに母方・西郷家は美濃の名門、土岐(とき)氏の一族です。つまり三河では西郷局は名門の出自といえます。母方の苗字を名乗ったのは家格が上だったからです。ここでもまた、明智とつながります。信長の側室だった吉乃さんもそうですが、土岐一族出身の女性は賢夫人が多いんです。細川ガラシャもそうでした。そういう身分の高い、性格的にもしっかりいた女性の息子さんですから、秀忠がお世継ぎになったのも当然かもしれません。秀忠の実弟(同母弟)に松平忠吉(まつだいら・ただよし)がいます。この人もまた母親の血が濃いのか、温厚篤実で知られていました。

血のつながりを意識していたかどうかはわかりませんが、春日局と秀忠将軍との間に授かったのが家光将軍というわけです。春日局は御台所配下の女中さんだったから、すんなり認められたわけで、御台所配下の女中さんではなかったお静さんが産んだ幸松(幸松)は隠蔽されて保科家の子供として育てられました。後の名君かつ名相、会津中将こと保科正之その人です。

 

さて、家光は、慣習によって御台所の子供として育てられます。しかし、御台所は本当の嫡男である国松にどうしても目が向きます。家臣もそれを見越して国松の元に出入りするようになります。この国松ですが、生まれたときに排便ができずに生死の境をさまよったとの事です。赤ちゃんが生まれたときに排便が必要だなんてはじめて知りました。胎内で蓄積した排泄物を出さないといけないそうです。出産というのはすごいですね。

普通なら国松を嫡男として発表するのですが、家光も国松も無事に育つかどうか予断がならないです。将軍家が子供ナシなんて決して許されてはならないことだからです。というわけで、嫡男家光、二番目が忠長ということでダラダラ時間が過ぎていくわけです。その後、春日局が家康に直訴することで立場が逆転します。ここから国松の運命も暗転していきます。本当なら自分が将軍家になるはずだったのです。それが庶子に奪われた。それで忠長はどんどんおかしくなっていって最後には自害にまで追い込まれます。一方で家光は晴れて将軍宣下を受け、徳川歴代将軍唯一の正室出身として名を残します。春日局も栄耀栄華の頂点を極めます。僚友にも恵まれます。家康側室でこれまた賢夫人を謳われた英勝院(えいしょういん)ことお梶の方です。本名は太田梶(おおた・かじ)。江戸城築城で有名な太田道潅(どうかん)の子孫です。水戸頼房の公式のご母堂さんです。この人と、阿茶の局が大奥を取り仕切っています。阿茶の局は家康最側近の側室でこれまた優秀な方です。江戸幕府創業は春日局を含めて、女性に支えられていたのです。ちなみに幕末も女性たち(天璋院、静寛院宮)に支えられました。

そしてもう一人、大事な盟友がいます。

天海大僧正(てんかい・だいそうじょう)です。有名な方ですから何も書きませんが、ここにまた明智の影が見えますが、天海大僧正の正体に言及するとあぶないのでこの辺でやめます。深入りすると目を潰されます。

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春日局は寛永20年に薨去(こうきょ)します。同年に天海大僧正も遷化(せんげ/坊さんの死去)しました。前年には英勝院も亡くなっています。家光将軍を支えた人々が立て続けに亡くなって時代は新しい舞台に変わっていきます。この頃には老中体制が確立しており、松平伊豆守はじめ優秀な政治家に育った家臣に恵まれて幕藩体制は盤石になりました。蛇足ですが、家光自身の肝煎りで集団指導体制に移行したのであって、英国王ジョージ一世みたいな、なし崩しではありませんので念のため。ジョージ王はドイツ人で英語ができないために内閣制度が発達しました。

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さて、

『 春日局』のあとがきを読んで、おもわず涙がこぼれてきました。朝廷から従二位の位階と春日の局号を賜り、御府内に複数の屋敷を持ち、諸大名の取次としての信頼も厚く、実家の斎藤家、稲葉家の繁栄も成り、行きたい時に旅行に行けて、江戸と京都に自分の菩提寺を開山させた。不幸といえば、幼少時と離婚したことだが、離婚は彼女の意志で決めたこと。これほどに恵まれた人生を歩んでいながら、辞世の句に「今日は火宅を遁がれぬるかな」と書き記しているんです。要するにやっと苦しいシャバから逃れられると彼女は

書いているわけです。人間誰しも他人には伺えしれない苦悩を抱えているものです。

 

最終章で、福田女史は「筆者は思う」と述べています。お江の方が光であれば、春日局は影であったと。栄耀栄華を極めようがしょせんは女中さんなんです。家光に母と名乗れず、実家の斎藤家も本能寺絡みから名乗れず、ひたすら影となって家光を家臣として支えた。その為にお江の方を悲しみにくれさせたり、国松こと駿河大納言忠長の人生を狂わせたことに罪悪感をおぼえていたのではないかと。墓場まで持っていった苦悩ですから、これ以上は詮索しないのが彼女への供養であると述べて、女史は本書を締めています。

 

あとがきで、春日局の行動原理を「主君家光のため」から、まったくブレがないと、女史は述べていました。家光将軍はたぶん真実を知っていたのかもしれません、家光個人としてです。春日局が息を引き取ったと伝えがあると何も言わずに奥に引き込んだそうです。この大女中の死に7日間もの間、喪に服したのも真実をわかっていたからだと推測できます。

しかし、春日局はついに生みの母と名乗ることなく、お墓に持っていきました。強い精神力です。「母は強し」です。

 

福田女史によって真実が白日のもとにさらされてしまい、泉下(せんか)のお福さんが面白くないことは百も承知で、彼女の隠し通した苦悩に心から共感して、とっきぃは涙を流しました。

 

この21世紀に確実にわかっていること、

それは家光将軍と春日局がパックス・トクガワーナの基盤を盤石にした実績です。この偉業については(左翼史観を除き)日本人が誰でも認める事です。ならば、人としての彼らの苦悩に寄り添うこともまた、あってしかるべきだととっきぃは思います。

 

福田千鶴先生の容姿ですが、本書カバー裏の折り返しに著者近影が載っています。福岡県出身の美しい方です。眉間に縦シワをイタズラ書きしたら般若のお面に似てきました。たぶんシンママだと思いますが、その苦労が実って本書『 春日局』や前著『 江の生涯』が生まれたのだと拝察いたします。「母は強し」。これからも、良書を期待します。ありがとうございました。

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