歴史家とっきぃの 振り返れば未来

歴史家とっきぃのブログです。

歴史、日本のカルチャー、勉強法、生徒物語などを随時、更新していきます。

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こんにちは。

歴史家とっきぃです。

 

今日は昭和節です。

昭和帝は激動の時代を乗り切って、瓦解した大日本帝国から日本国へ見事に再生への舵取りをされました。あの全国行脚行幸がなければ、日本の労働者が再出発できたかどうか、上に立つ者の責務を見事に完遂なさった偉大なる指導者でした。日本が一国としてまとまっていられるのも、皇室の存在が大きく影響しています。国のシンボルこそが皇室です。国家の安寧(あんねい)を願って一生懸命に祭事をこなす今上陛下や秋篠宮殿下には心から敬服します。この度、当今(とうぎん/今上)様は譲位をして上皇におなりあそばされるそうですが、予算も当今並みを求めておられるのでしょうか。美智子さまとか雅子さまがおねだりでもしているのでしょか。ご隠居ですから、予算も遠慮するべきだとお考えにならないにがちょっと残念です。日本国皇室は男系男子のみの継承です。フランス王国と同じです。皇太子さまの次席は秋篠宮殿下、第三位は悠仁親王殿下です。愛子さまではありません。欧州王室で女系が流行っているから愛子さまでいきましょうでは筋は通りません。女性宮家も同じです。旧皇族男子を一旦皇族に復帰させてからご結婚するのならば、問題ないと思われます。要は男系の皇統を残すことが大事なのですから。昭和節には、皇室のあり方をいろいろと考えさせられますね。

 

今日は荒川区南千住の川の手祭りに行ってきました。荒川区は最近子育て支援に力を入れています。

刑法犯の総数では23区では文京区に次いで2位の少なさだそうです(H27年度)。南千住は特に空き巣が少ないみたいです。隣区の台東区は逆に犯罪は多いです。繁華街が多いからでしょうね。

 

子育て支援といえば、荒川区は先月末、文教施設「ゆいの森あらかわ」をオープンさせました。約60万冊の蔵書を誇る中央図書館、800の座席を用意しています。吉村昭記念館も併設して、書斎まで再現しています。再現とはいえ大作家の書斎に佇むと創作意欲が刺激されるから不思議です。吉村の奥さんで作家の津村節子女史の全面バックアップで実現しました。

それだけではありません。ゆいの森あらかわには絵本図書館が設置されているのです。絵本の数ももちろん多いです。幼児が親子で遊べる子供ひろばも併設されています。三方の壁に絵本が並べてある絵本ホールで、柳田邦男氏の講演会が前に開催されて聴講したことがあります。絵本は人生で3回読めるそうです。幼児のとき、子供に読んで聞かせるとき、そしてこの世を去る前のときだそうです。絵本には人間の感情に直接作用するものすごい力があると柳田邦男さんは述べておられました。講演後に、西川太一郎区長のお話があり、絵本に血税を使うのに最初はかなり勇気が要ったそうです。

ゆいの森あらかわは居るだけでも楽しい空間ですね。特に子育てには毎日来てもいいです。事実、休館日はほとんどありません。未来への投資を断行した西川太一郎区長の勇気を讃えたいと思います。

さて、そういう荒川区の川の手祭りは南千住野球場で開催されました。ここは昔、東京スタジアムと言って毎日大映オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)のホームだった球場です。

若葉の香るグラウンドでは仮面ライダーエグゼイド握手会の締切りで賑わっていました。よくできたスーツですがなんとなくオモチャっぽいのが今どきライダーの印象でしたね。

「仮面ライダーエグゼイド」の画像検索結果

ここに一号ライダーやV3が加わっていたらもっと賑わったでしょうね。石ノ森章太郎先生没後に作られた仮面ライダーは完全にエンタメ化したような気がします。去年は確か戦隊シリーズ握手会だったような気がします。

「仮面ライダーv3」の画像検索結果関連画像

 

まあ、どこもいっしょでしょうが、地域団体がお店を出していたり消防車が講習をやったりボーイスカウトがいたりと、そんなもんです。ステージでは創作ダンス発表会とかバンドが演奏したりと、これもどこにでもある定番。あと緑化されているので家族連れがビニールシートを敷いて、くつろいでいました。

 

とっきぃは生ビールを呑みながら散策しました。筑波ハムが屋台を出していて、500円でハムやら肉やらの焼き詰め合わせを出していたので早速購入してついばみます。かなりのボリュームでなかなか減りません。肉そのもののうまみが出ていて美味しかったです。ゴミは地元の女子中学生がボランティアで仕分けていました。エライですね。

歩いていたら、今度は広島風お好み焼き屋さんの登場です。500円。やきそばめんとキャベツにベーコンが具材ですが、大盛りキャベツは細かく刻んでいるので食べやすかったです。ま、これで満腹しましたので会場から引き上げました。

 

で、不思議なのは、これだけボリュームのあるものを食べたのに胃がもたれないんです。肉とキャベツの比率が高いからでしょうね。ダイエットにいいかもしれない。広島風お好み焼きは太りません。ついでにお肉を食べても太りません

東京では南千住駅近くの仲通り商店街にある広島風お好み焼き居酒屋ふくろうが人気です。上京した広島人がわざわざこの南千住までやってくるというから隠れたスポットですね。写真を検索したら700円でけっこうなボリューム。2014年オープンだそうです。

ふくろう - 広島お好み焼きそば入り700円

今度、行ってみたいと思います。

 

お祭りっていいですね。

南千住では6月に天王祭があります。この日のために地元は一年を生きているといっても過言ではないでしょう。楽しみですね。

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こんにちは。
歴史家とっきぃです。version up記事です。

馬っていいですよね?」と問えば、必ず2系統の答えが返ってきます。

ニッカポッカ姿のあんちゃんが東陽町のコンビニ前で、ワンカップ大関片手に
まいったよ、ワイドで大穴狙ってスッテンテンだよ
という系統の答えがひとつ。

他方、ネイビーブルーのクラシックスーツをまとった美女が南青山のショットバーで、マティーニのオリーブ実を見つめながら「ギャロップは爽快ですわね」という系統がもう一つです。


要するに、
と言えば、競馬乗馬の二種類の解釈が出てくるわけです。
共通項はどちらも、頭に浮かぶのは、アラブ種、またはサラブレッド系の大きな馬です。

とっきぃは競馬はしませんが、乗馬は少々やります(昔、習いました)。
に乗ると、世界が変わります。見える視野が変わるのです。両脚で馬の胴を挟み込んで、手綱と鐙(あぶみ)で操縦します。
馬は感情的な動物で嫌われたらなかなかいうことを聞いてはくれません。顔に青筋を立てて睨みつけます。私もヘッドバットやボディアタックを喰らったことがあります。

競馬と違って、乗馬というのはかなりカネがかかります。何故か?
飼料代がハンパじゃないからです。乗馬クラブは特別に配合された専門の飼料を使いますから、維持費だけでも大変なんです。スタッフもよほど馬好きでなければ務まりません。動物園や水族館と同じく、生き物相手の激務です

これほどまでに手のかかるですが、これはアラビア半島含めて西側の民族の発想なんです。
馬は大きければ大きいほどいいという思考は、軍事的発想からきています。
騎兵は敵が放つ矢を防ぐために鎧(よろい)を着込みますから、人間の体重と併せてものすごい総重量を支えねばなりません。また、敵は切り込んでくるときに最初に馬を狙いますから馬にも鎧を着せます。この重量もかかってくる。
これに耐えうるだけの大きくてパワーのある軍馬が必要だったというわけです。また、農作業に活用するにせよ、運搬能力から考えて大きいほうがメリットがあるという思考です。

以下の資料部分は、西野広祥氏の『「馬と黄河と長城」の中国史』(PHP文庫)よりの参照です。
西側では、は重種、軽種、ポニーの三種類に分かれます。
各々就職先も決まっていて、重種は運搬専門、
軽種は軍馬、ポニーは子供のお相手だそうです。

ところが、ユーラシア大陸の東になるとだいぶ事情が変わってきます。遊牧民族の馬はポニーとおんなじサイズなんですね。体高も小学校低学年くらいしかありません。

その小さい馬がモンゴル馬なんです。ちなみに、頭が大きく不細工な顔です。
このタイプの馬でチンギス・カンは世界を制服しました。

遊牧民族は現在に至るまで、大型化の品種改良をしません。それには理由があります。

遊牧民が主役のステップ高原やゴビ(沙漠)は、草がホソボソとしか生えていません。

テレビのドキュメント番組に出てくるような重草原(じゅうそうげん/緑の絨毯)は少ないんです。

そうした悪条件の中で、生きていかなければなりません。
昼夜の寒暖の差も激しく、冬はマイナス50℃の世界です。そういう中で、生き残るには小さいサイズの方がいいというのが遊牧民の知恵です。ゴージャスな配合飼料なんてもちろんありませんから放置です。ちなみに、というのははサイズが一寸超える毎に飼料代が倍になるそうです。
ですから、重草原ならまだしも、ゴビステップ砂漠ではとてもじゃないがサラブレッドのような大型馬では持たないでしょう。遠征の途上で間違いなく餓死します。

粗食に耐え、悪条件に耐え、生き延びられるタフな馬がモンゴル馬です。いくら毛並みが良くても、贅沢な配合飼料に慣れてワガママ放題のサラブレッドと、数百キロの遠征をこなすモンゴル馬とでは、騎馬の世界では後者に軍配が上がるんです。
突進力などのスペックは当然ながら大型馬が上です。運搬力その他も個別対決ではお話になりません。匈奴の
冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう/匈奴王)にせよ、チンギス・カンにせよその弱点はとっくに織り込み済みです。その上で戦略戦術を練っているんです。
反面、アラブ陣営や欧州軍団は、ポニーみたいな小柄な馬に乗る遊牧民を上から目線で舐めてかかるわけ。勝負は最初から決まっています。訓練された遊牧軍団の
陽動、旋回、再集合で敵は一つまたひとつと撃破されていくんです。
必殺技なんてひとつかふたつが当たり前です。いっぱいあると思っている人は『北斗の拳』の読み過ぎ。必殺技に持って行くまでが戦術なんです。決戦に不利を承知でモンゴル馬を選択したのですから、当然ながら戦術対策も練っているわけです。

それでは、大型馬を選択した欧州はどうだったか?
補給を要する遠征は結局うまくいきませんでした。ナポレオンのモスクワ遠征の時、フランス大陸軍はそれこそ草という草を食べ散らかして、飼料も摘発して騎兵軍団を動員しましたが、帰りは自ら荒廃させた街道で飢えと戦いながら惨めに帰ってます。
「クモナポレオン」の画像検索結果
ローマの場合はどうか。重症歩兵を主力として、騎兵をあえて脇役にまわしています。遠征する場合は、必ず街道筋に駅を置いて、代え馬と膨大な飼料を準備する必要があったので負担を少なくするのもその理由のひとつです。

さて、
古代人は鐙(あぶみ)を知らなかったから馬をうまく乗りこなせなかったという説が長い間通っていましたが、最近「ローマ式鞍(くら)」という説が出てきました。
roman saddleで検索すれば出てきます。ピーター・コリノー博士の業績だそうです

「ローマ式鞍」というのは、鞍本体の前後に4本の角があってそれで身体を支えるという代物です。参照は『古代ローマ軍団大百科』(東洋書林)。

ですので、馬を脇役に投じたのは、馬術の問題ではなかったはずです。やはりエネルギー(飼料)だったと考えられます。
そのローマが戦術を大変換させて、軍編成を重装騎兵(カタフラクトス)主体にしたのは、アドリアノープルの戦いでゴート族に大敗してからです。ただし、それと同時にいかに戦わないかに戦略も変えています。夷を以て夷を制すやり方に変えて、なるべく自兵の損耗を防いでいるんです。
東ローマ帝国の戦略については『大戦略の哲人たち』(日本経済新聞出版社)のルトワックの項参照。

アレクサンダー大王にせよ、ナポレオンにせよ、なぜか愛馬に執着します。しかし、チンギス・カンは特定の馬に執着しません。複数連れて乗り捨てです。かなりクールな人物です。執着がないからこそ、モンゴルは究極のオーガナイザーになれたのかもしれないですね

遊牧民は欧米人が考えているような未開な土人ではありません。欧米は今ですら、アフガンや中東に手をやいています。中央アジアにいたってはどの強国も尻込みして一歩も踏み込めないではないですか
隙だらけのウクライナと違い、中央アジア諸国はナザルバエフ大統領にせよ、他の指導者にせよ、ちゃんと国民の面倒を見ています。ナツィオナル・ゾーツィアリスムス(独:National sozialismus)という政治思想です。この考え方を採用したドイツ第三帝国(ナチス)は、戦争する前はとても内政が充実していました(差別は別の話)。中央アジア恐るべし!


話を戻してモンゴル馬、
粗食に耐え、悪条件に耐え、極寒を乗り越える小柄な頑張り屋さんたち。どこか、近代日本の「背中」を投影してしまいます。


人知れず、歯を食いしばって頑張る人類社会の大事な脇役「馬」と昭和の背中に、マティーニで乾杯しましょう。チン!


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こんにちは。

歴史家とっきぃです。

 

徳川幕府第三代将軍はご存知、徳川家光です。ご母堂はスイーツ大河ドラマでおなじみのお江(ごう)さん。

「大河ドラマ 江」の画像検索結果

のはずですが、最新の研究ではどうも違うようです。では家光将軍の生みの母は誰か。これはもう間違いなく確信的に春日局(かすが・の・つぼね)であるというのが新説です。

提唱者は九州大学の福田千鶴(ふくだ・ちづる)教授です。2010年に上梓された『江の生涯』(中公新書)では、産月の関係から次男・家光は御台所(江)の子供ではないと喝破されています。なんでも十月十日あるべきものが9ヶ月しかない。それも通常分娩だったとの事です。福田女史は息子さんがおられるので経産婦です。そこから真実が発覚したというわけ。

要するに、史料を超えて一人の人間として、女史は歴史上の人物に立ち会ったわけです。では家光将軍の本当のお母さんは誰なのか。名もなき側室である可能性はもちろんあります。『江の生涯』ではそのあたりが言及なしです。

それが2017年に出された『春日局 今日は火宅を遁れぬるかな』​​​​​​​(ミネルヴァ書房)では、もうはっきりとその正体が顕(あら)わになりました。決定的な証拠とは、家光将軍は乳母である春日局の母乳で育ったという事です。この時期、記録によれば春日局は妊娠・出産をこの時期にしていません。にも拘らず母乳が出る。これはもう決定的ですね。経産婦ならではの発想です。これまで男性研究者の誰もが見落としていた事実です。それにしても、自説を毅然と唱える福田女史の胆力には頭が下がります。歴史学の世界は強固なヒエラルヒーで成り立っています。どんなに間違った学説でも提唱者が派閥ボスなら、その人が亡くなるまで批判は許されない世界です。そんな中、母親としての経験値を根拠に通説を覆したのですから「母は強し」です。将軍家乳母に応募したお福さん(春日局の本名)とどこか似ています。

春日局が生みの母であるという前提でいろいろ探ってみると、家康に直訴したとか、神前での薬断ちの約束とか、いろいろと見えてきます。​​​​​​​

 

御台所(みだいどころ/将軍夫人)のお江さんには、国松(駿河大納言忠長)が生まれます。この子は正真正銘の嫡男です。嫡庶の序は長幼の序よりも重んじられます。母親の出自も大事なんです。それで、秀忠夫妻が国松をかわいがった理由がわかります。

 

嫡庶の序は、伊達政宗の子供、秀宗と忠宗の関係からも確認できます。嫡男の忠宗が当然ながら世継ぎになりますが、お母さんの田村愛(たむら・めご)は、有名な征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえ・の・たむらまろ)の血を引いています。血筋なんですね、モノを言うのは。

 

側室腹だった兄の秀宗は愛媛県に領地をもらいました。子孫に伊達宗城(だて・むねなり)という幕末に活躍する殿様がいます。

因みに、秀忠将軍自身も出自が決め手になった節があります。秀忠将軍の母親は西郷局といいます。本名は西郷愛(さいごう・あい)です。福田女史の『春日局』にも書かれていますが、父方は服部家、母方が西郷家で母方の苗字を名乗っています。父は服部平太夫といって伊賀国(いがのくに)名張城主の服部保章の実弟です。

関連画像「服部半蔵 影の」の画像検索結果

服部保章の娘は明智光秀公の側室だったとの事。ゲームに出てくる伏屋姫(ふしや・ひめ)でしょうか。ここで、明智との縁が出てきます。さらに母方・西郷家は美濃の名門、土岐(とき)氏の一族です。つまり三河では西郷局は名門の出自といえます。母方の苗字を名乗ったのは家格が上だったからです。ここでもまた、明智とつながります。信長の側室だった吉乃さんもそうですが、土岐一族出身の女性は賢夫人が多いんです。細川ガラシャもそうでした。そういう身分の高い、性格的にもしっかりいた女性の息子さんですから、秀忠がお世継ぎになったのも当然かもしれません。秀忠の実弟(同母弟)に松平忠吉(まつだいら・ただよし)がいます。この人もまた母親の血が濃いのか、温厚篤実で知られていました。

血のつながりを意識していたかどうかはわかりませんが、春日局と秀忠将軍との間に授かったのが家光将軍というわけです。春日局は御台所配下の女中さんだったから、すんなり認められたわけで、御台所配下の女中さんではなかったお静さんが産んだ幸松(幸松)は隠蔽されて保科家の子供として育てられました。後の名君かつ名相、会津中将こと保科正之その人です。

 

さて、家光は、慣習によって御台所の子供として育てられます。しかし、御台所は本当の嫡男である国松にどうしても目が向きます。家臣もそれを見越して国松の元に出入りするようになります。この国松ですが、生まれたときに排便ができずに生死の境をさまよったとの事です。赤ちゃんが生まれたときに排便が必要だなんてはじめて知りました。胎内で蓄積した排泄物を出さないといけないそうです。出産というのはすごいですね。

普通なら国松を嫡男として発表するのですが、家光も国松も無事に育つかどうか予断がならないです。将軍家が子供ナシなんて決して許されてはならないことだからです。というわけで、嫡男家光、二番目が忠長ということでダラダラ時間が過ぎていくわけです。その後、春日局が家康に直訴することで立場が逆転します。ここから国松の運命も暗転していきます。本当なら自分が将軍家になるはずだったのです。それが庶子に奪われた。それで忠長はどんどんおかしくなっていって最後には自害にまで追い込まれます。一方で家光は晴れて将軍宣下を受け、徳川歴代将軍唯一の正室出身として名を残します。春日局も栄耀栄華の頂点を極めます。僚友にも恵まれます。家康側室でこれまた賢夫人を謳われた英勝院(えいしょういん)ことお梶の方です。本名は太田梶(おおた・かじ)。江戸城築城で有名な太田道潅(どうかん)の子孫です。水戸頼房の公式のご母堂さんです。この人と、阿茶の局が大奥を取り仕切っています。阿茶の局は家康最側近の側室でこれまた優秀な方です。江戸幕府創業は春日局を含めて、女性に支えられていたのです。ちなみに幕末も女性たち(天璋院、静寛院宮)に支えられました。

そしてもう一人、大事な盟友がいます。

天海大僧正(てんかい・だいそうじょう)です。有名な方ですから何も書きませんが、ここにまた明智の影が見えますが、天海大僧正の正体に言及するとあぶないのでこの辺でやめます。深入りすると目を潰されます。

 

春日局は寛永20年に薨去(こうきょ)します。同年に天海大僧正も遷化(せんげ/坊さんの死去)しました。前年には英勝院も亡くなっています。家光将軍を支えた人々が立て続けに亡くなって時代は新しい舞台に変わっていきます。この頃には老中体制が確立しており、松平伊豆守はじめ優秀な政治家に育った家臣に恵まれて幕藩体制は盤石になりました。

 

『 春日局』のあとがきを読んで、おもわず涙がこぼれてきました。朝廷から従二位の位階と春日の局号を賜り、御府内に複数の屋敷を持ち、諸大名の取次としての信頼も厚く、実家の斎藤家、稲葉家の繁栄も成り、行きたい時に旅行に行けて、江戸と京都に自分の菩提寺を開山させた。不幸といえば、幼少時と離婚したことだが、離婚は彼女の意志で決めたこと。これほどに恵まれた人生を歩んでいながら、辞世の句に「今日は火宅を遁がれぬるかな」と書き記しているんです。要するにやっと苦しいシャバから逃れられると彼女は

書いているわけです。人間誰しも他人には伺えしれない苦悩を抱えているものです。

 

最終章で、福田女史は「筆者は思う」と述べています。お江の方が光であれば、春日局は影であったと。栄耀栄華を極めようがしょせんは女中さんなんです。家光に母と名乗れず、実家の斎藤家も本能寺絡みから名乗れず、ひたすら影となって家光を家臣として支えた。その為にお江の方を悲しみにくれさせたり、国松こと駿河大納言忠長の人生を狂わせたことに罪悪感をおぼえていたのではないかと。墓場まで持っていった苦悩ですから、これ以上は詮索しないのが彼女への供養であると述べて、本書を締めています。

 

あとがきで、春日局の行動原理を「主君家光のため」から、まったくブレがないと、女史は述べています。家光将軍はたぶん真実を知っていたのかもしれません、家光個人としてです。春日局が息を引き取ったと伝えがあると何も言わずに奥に引き込んだそうです。この大女中の死に7日間もの間、喪に服したのも真実をわかっていたからだと推測できます。

しかし、春日局はついに生みの母と名乗ることなく、お墓に持っていきました。強い精神力です。「母は強し」です。

 

福田女史によって真実が白日のもとにさらされてしまい、泉下(せんか)のお福さんが面白くないことは百も承知で、彼女の隠し通した苦悩に心から共感して涙を流しました。

 

この21世紀に確実にわかっていること、

それは家光将軍と春日局がパックス・トクガワーナの基盤を盤石にした実績です。この偉業については(左翼史観を除き)日本人が誰でも認める事です。ならば、人としての彼らの苦悩に寄り添うこともまた、あってしかるべきだととっきぃは思います。

 

福田千鶴先生の容姿ですが、本書カバー裏の折り返しに著者近影が載っています。福岡県出身の美しい方です。眉間に縦シワをイタズラ書きしたら般若のお面に似てきました。たぶんシンママだと思いますが、その苦労が実って本書『 春日局』や前著『 江の生涯』が生まれたのだと拝察いたします。「母は強し」。これからも、良書を期待します。ありがとうございました。

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