生きる意味

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妻は4年前に施設に入り介護の心配もなくなった。子供達も手が離れ、それぞれの人生を歩いてる。親としての役割もそろそろ終わりかなっていうことを意識している。同時にオウムも辞め、反カルトの流れに大きく人生も変わってきた。世相も大きく変わっているが、私の人生も転換期だなと実感もしている。

 

今後はいかに自分の人生を歩いていこうかと模索している時に、ある女性と出会った。そして恋に落ちたようだ(笑)。団体に言わせると不倫男の本領発揮ってことだろうな(笑)。

 

高齢社会に突入し、老人さんたちの恋愛や性の問題も認知されるようにはなってきた。今まではどこか他人事のようにも考えていたが、私も半世紀以上生きてきて決して他人事ではなくなってきた。


生きる意味とか人生の価値とか真の幸福だとか哲学的な事はいくらでも言えるのだろうが、死を意識することで、逆に生が見えてくる。生と死は相対的関係で、どちらか一方だけで存在することはできないからだ。

 

もし、明日死ぬなら何をしたい?

 

若いころにも同級生とよく話していたことでもある。ハルマゲドンも何かと話題にもなっていたのでそんな話もしていたのだろう。

 

実はこの問いこそ、自分にとっての生きる意味を教えてくれていたりする。。死を意識することで自分が今何をしたいのかが見えてくる。自分が欲しているものが明確になる。それが今の真の自分の姿そのものであろう。金?名誉?権力?それを欲していたならそれが偽りない自分の姿なのである。

 

おそらくは明日死ぬとわかっていて、それを欲する人は少ないだろう。自分の大切な人とその瞬間を迎えたいのではなかろうか。

 

カルト宗教などは終末思想などを利用して、「救済」とか「利他」などという言葉でもって生きることの意味づけをしたりする。孤独な人たちこそ、その言葉の誘惑に負けてしまうのかもしれない。誰しもが人のためになって死にたいという願望をもっているということなのかもしれない。

 

その日が来ても淡々と日常生活を送っていきたい。。。

 

それが私の理想とする生き方だった。日常において、その瞬間、瞬間で一番自分の欲すること、やらねばならないことをしてきているということだろうから。

 

人生の折り返しも過ぎたであろう今、何度も問い直す。

 

何がしたい?

 

あの人に会いたい。それが答えだった(笑)。自分でも不思議な感覚かな。女子高生?と自分でも突っ込みたくもなる(笑)。これが私の生きる意味?(笑)

 

でも人生って難しく考えるといくらでも難しくもなるが、案外こんなものかもしれない。悟り?解脱?そんな高尚な言葉で人を惑わす必要はない。支配も導きも必要はない。

 

人と人とが助け合い、互いに支えあいながら尊重しあう。そして最後には「ありがとう」と言えたなら、それで人生は大成功なんじゃないのかな。

 

今日はあいにくの曇り空。月は見れなかったが、大阪と東京とで二人同じ夜空を眺めることはできる。

 

それが今の私の生きる意味かな。

 

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