脱会

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ちょっと忙しくて、滝本さんの勉強会の報告が出来ずじまいだったので、忘れないうちにまとめておこうと思う。

 

まず、最初におっしゃられていたことはサリン事件の歴史的な重大さということからだった。原爆にも匹敵する化学兵器を二回も使った大量殺人は公式な資料と出ているのは唯一、日本だけということ。

 

そして、サリンをばら撒いた人達も良い奴たちだったということ。何故そんないい奴達がサリンをばら撒くまで至ったのかという問題提起をした後に、その説明を簡単にされていた。そもそも命が大切だという概念が、グルに従うことが絶対とう概念が支配的になり、概念の倒錯が起こってしまい、命よりも修行が大切という考えなどに至ってしまう。薬物使用であるとかの例を挙げて洗脳のテクニックなどを紹介していた。

 

そして、ひかりの輪はオウムを脱会したと述べているし、それを信じているマスコミや学者などもいるが、「脱会」とはなんぞやという根本的な問題提起を行っていらっしゃった。そして滝本さんが本当に多くの脱会者や死刑囚を出会って、本当の脱会へと至る心理的プロセスを明らかにしつつ、上祐に当てはめて検討していく。

 

心に穴があいているのか、激しく自己嫌悪に陥ったのか、麻原を激しく憎んだのかという経緯が本当にあったのかというと、上祐は事業として宗教を飄々とはじめて、そんな心のプロセスを経ていないのだと説明していた。

 

また、オウムからの歴史を追いつつ上祐が全く反省もせず無責任も感じていないという論拠を示しながら欺瞞性を訴えていくという構成だった。

 

私のようにオウム事件やひかりの輪を追っかけている人にはあまり目新しいことは無かったが、サリン製造に関して「上祐案」というものが存在していたということは知らなかった。いちいち彼の総括まで調べないが、「上祐案」に対する記述は全く無いと思う。上祐案というのは、実験室レベルの施設によってサリンの製造が可能であれば、その作り方を学んで、実験室を1000個作れば良いというものだった。

 

滝本さんによれば、このやり方であればサリン70トンとまではいかないにしても、何トンかはできたのではないかという意見を述べられていた。

 

単に命じられてサリン工場の建設の責任者というだけに留まらず、どのように製造したらサリン70トンを効率的に作れるかということを積極的に案を出していたということである。

 

上祐の総括での意見を一言でいうと、盲信していて仕方なかった、というものだが、ここまで積極的、具体的に案まで出して関わっておいて、仕方なかった?

 

そりゃ、滝本先生に反省もしていないと見透かされることであろう。何故あんなことをしたのか。あの時、何故こうしなかったのだろう。あの時なら止められていたのではないだろうか。今、あの時の状況に戻ったならどうするだろうか。恐ろしいほどの後悔と自問自答、自己嫌悪が襲ってくるはずである。

 

そういえば、最近でも、後悔は自己保全とか言ってたかな。

 

私も断言していい。上祐は全く後悔はもちろん、反省もしていない。おそらく、今、あの時の状況になったとして同じ事を繰り返すことであろう。警察に飛び込むなどと言ってはいるが、多分出来はしない。

 

脱会のプロセスを踏んではいないからだ。気が狂うかと思うほどの後悔もしていないのに、業を乗り越えることなどできはしない。


ましてや、宗教をビジネスでしようとは全く思わないことだろう。自分だけならまだしも、人の人生を無茶苦茶にしてしまうかもしれないリスクを負うだけの覚悟は持てない。怖すぎる。人の人生を扱うのは。反省したなら、とてもじゃないができるもじゃない。


でも上祐は無責任にもいまだに人様の人生を簡単に扱ってしまう。自らの欲望や利益のために。「事業」といえるのだから凄いよな。背筋が凍るような思いがする。

 

それは麻原と同じことをしているし、とても「脱会」したとは言える代物でもないだろう。

 

まとめていて、今、滝本先生のおっしゃって来た事が理解できた。上祐は本当に脱会できてないわ。これまでは半信半疑の立場であったが、確信に変わった。

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