立ち入り検査と検査忌避

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私が、ひかりの輪で決定的に疑問を持ったのは団体の検査忌避を知ってからのことであった。それまでは団体に疑問を持ったことは無かった。アレフから独立して事件を真正面から見据えて反省し、社会融和していこうとしている団体なのだと信じきっていた。

当時からスタッフは人材不足でもあったし、信徒対応に時間を取られてワークが捗らないというような愚痴を聞かされることも少なくなかった。厄介な信徒は迷惑な存在でワークの時間を削られるのは悪業にもなるのではないかという理屈ですら出てきた。

救済計画の邪魔になる者は悪業多き魂だ、というのと同じ理屈でオウム的な思考からまだまだ脱却できていないんだなと思いもしたし、宗教者として信徒対応以上の価値ある仕事とは一体何なのかという疑問も持った。

しかしながら、激務に追われてそのような自分本位の発言にもなるのだろうという想像はできたし、なんとか会員も主体的に動いていかねばならないだろうと考え、会員同士が連携し互いを支えあい絆を強めていく必要性を感じた。そこで私は積極的に他の会員に関わるようにしていったのだが、そこで知りえたことは、私の想像をはるかに超えて、単なる不平不満ではなく団体の問題点であり暗部であった。オウムは上位下達のピラミッド型の組織であったので、上に文句を言える雰囲気では無かった。ひかりの輪になってある程度、そのヒエラルキー構造は壊れていったものの、自分達が組織を作ろうとした時にオウムと同じような権力構造を持っていたのである。

新しい思想と古い慣習の中で、誰しもが当惑し混乱していたのかもしれない。オウムやアレフで徹底的に思想教育された人たちにとって、上の人間の言うことは絶対であった。新しい思想になれば組織のあり方も変化して当然であろうと思うのだが、旧態依然とした組織のあり方だけは変化することは無かった。

故郷の家を売ってお布施してと言われた老人さんがいる。後から揉めたらダメだということで、ビデオカメラの前で自分の意思でお布施したという確約を取らされていた。私はその時の立会人を要請された。今から振り返ればかなり誘導的であったのだが、その時の私は、当然ながらそのご老人も自分の意思でお布施したのだろうと考えていたのだが、本音を聞くと、致し方なく言うことをきいたという部分が見え隠れしてきた。

私のように自己主張ができて文句も言える人間ばかりじゃない。不満を抱えていてもそれを口に出せずに黙り込む人も多数いることを知った。

声なき声の代弁者になりたい。互いが支えあうような環境を作るためには、ハッキリと上に対しても会員の主張を受け入れてもらう必要性はあるし、末端でしか分からない苦悩を団体で共有することが必要だと思った。また、それができる団体であると当時は信じてもいた。立会人になってしまった負い目も感じていた。

そうするうちに、ある女性信徒から、「こんなもの団体から預かってんねん。」と数々の書類が入っているであろう夥しい数の封筒を見せられた。

彼女が言うには「絶対に中を見ちゃダメ」と念を押されて渡されたそうである。ダメと言われたら見たくなるのが人間の性分であるが、彼女も幾らかの書類を見たらしい。

西成道場関連の書類、セミナーでの誓約書や感想文が入っていたという。そのうちの西成道場関連の書類はスタッフが取りに来たらしく、私が相談を受けた時にはもうすでに無かった。

M派の頃からひかりの輪設立後にかけて、私が打ち明けられるまで、数十回に渡って次から次へと彼女に預けられた。功徳になると自らを言い聞かせるとともに、預けられるたびに襲ってくる不安。その葛藤の中で一人で抱え込むことに疲れたのでもあろう。私に相談してくれた。

何故、そのような書類を信徒に預けるのかといえば、ひかりの輪は団体規制法における観察処分がかけられており、定期的に公安調査庁の立ち入り検査があるからである。

つまり、公安調査庁に見られてはまずいと思うものを、立ち入りの権限がない信徒宅に預けておけば見つからないということだ。

アレフでは、立ち入りがあった時、パソコンの電源を落としただけで逮捕されてもいたので、私は彼女に「こんなもの持っていたら捕まるで。」と言って、団体にその書類を全てつき返しにいった。

その時、スタッフは「会員のプライバシーを守らねばならないからね。」などと釈明したが、私は全く納得できなかった。

社会融和を掲げ、開かれた団体として、アレフを脱会しひかりの輪を立ち上げたにも関わらず、公安に見られたら困ると言う理由で信者を利用しているのであれば、そんな姿勢で社会融和などできるはずもないからだ。

全く納得できないので、上祐代表にも直接訴えた。でも彼は「大丈夫だから」というだけで誤魔化し続けた。

大丈夫であるなら問題はないのだろうと考え、怒りに任せて団体の欺瞞性を広く社会に問うためにネットでも暴露した。

すると、団体は一転。「大丈夫だと言ったのは、黙っておけば大丈夫だという意味だった。」などと言い始め、もしこれが「検査忌避」という犯罪になるのであれば、主犯格はその信者さんと、直接手渡したスタッフだなどと説明しだした。

それから何回か面談を重ねたが、団体の論調としては、暴露した私の責任にしようとしてきたとともにその女性信者との関係を疑うかのような問題にすり替えてきた。

何回か面談して、検査忌避は立ち入り検査の時に妨害行為などがあると違法になるが、それ以外の時には違法ではないと判明して女性信者が逮捕されるということはないと分かり、これ以上話は大きくしないということで決着した。

私としては、この問題を組織的な問題として代表の責任を問うとともに、組織の抜本的な改革にまで持って行きたかったのであるが、女性信者さんが心労で限界に達していたので私も折れざるをえなかった。

その後も、当時の大阪支部長のパワハラに耐えかねて夜逃げしたスタッフが、支部長によって書類を処分しろと命令を受けて西成道場の屋上からJR側の空き地に向けて投げ捨てたとの告白を他の信徒さんが受けたことから検査忌避の問題が再発した。

その時は、その大阪支部長を降格して東京預かりにすることで決着がつき、代表の問題にまで発展させることはできなかった。

その後、この問題で団体を追及することはなくなったが、女性信者さんやスタッフ以外にも、私が知る限り大阪支部長の要請によって物品を預かっていた信者は三人はいるし、代表自身もアレフ時代に「立ち入り検査があるからこれを持ってドライブに行ってきてとCDを渡された。」という証言を得たという人もいる。

やっぱり、アレフとともにひかりの輪でも立ち入り検査の対抗手段として信徒やスタッフを使いながら検査忌避を組織ぐるみで常態化していたのであろう。

昨年、代表とメールのやり取りで議論したことがあったが、その中で彼は、結局、違法ではなかったので当時の大阪支部長に謝罪したとの旨を伝えてきた。違法でもないのに責任を追及したことことが悪かったと思っているようだ。

彼の倫理観は違法であるか無いかで構成されているようだ。全く、反省すらしていないのであろう。

この問題の深刻さは、観察処分の立ち入り検査では、真実は明らかにされないということを意味している。信者に預けていれば、もし麻原奪還計画書などの危険なものがあったとしても国は把握することができないのである。こんなことをしていたなら再発防止処分にいたったとしても仕方のないことでもあろう。自分達の保身のためにどれほどまでに迷惑をかければ気が済むのか。私には到底理解できないし、このような発想は不可能である。もし理解できるのであるならオウムで少なくとも10年ぐらいは暮らさないと理解できないであろうと思う。

これが、社会融和を掲げて設立した団体の長が取るべき態度であろうか。今もしているのかどうかはわからない。やっていないことの証明はできないのだから、常に疑惑を抱えたままで存在しなければならないのだ。

彼は、当初、第七サティアン建設の責任者であった。サリンを70t作る計画も知っていた。にも関わらず事件の責任を負うことはなかった。当時の法律では裁けなかっただけである。

違法じゃなかったから謝ったということは、オウム事件に関しても自らの責任に対してもその程度の認識でしかないのであろう。

彼の立場で死刑囚にならずにたったの3年で娑婆に出てこられたというのは奇跡とも思えることである。死刑囚と彼との違いはほんの微々たるものでしかない。

折角、助かった命をどう使うのかは彼次第であるが、こんな欺瞞にまみれた団体を作っているなら、贖罪はおろか社会融和など到底不可能であろう。

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