近江八幡の料理人は  ~川西たけしのブログ~

近江八幡で寿し割烹と日本料理を楽しむお店「ひさご寿し」

料理長のかわにしたけしが料理のことや、近江八幡のこと、営業日誌などを徒然なるままに書いとります。


テーマ:

今年の琵琶湖のゴリ初ものを炊く。

一般的には醤油と砂糖で炊くもんだが、

醤油は使わずに塩と砂糖で詰めてゆく。

 

香りは実山椒の塩煮にしておいたものを入れる。

 

ゴリとウロリは同じものである。

 

琵琶湖のゴリとは漢字で書くと「鮴」。

 

実は数種類の魚の総称で、

本名は

 

ビワヨシノボリ

トウヨシノボリ

カワヨシノボリ

 

などのハゼ科の魚たちが混ざって水揚げされる。

 

ちなみに金沢で名物となっているゴリ料理は、

琵琶湖でいう「カジカ」の事であるが、

カジカもハゼ科の魚であるからややこしい。

 

そしてさらにややこしいのは、

 

大きくなったゴリ(ヨシノボリ達)はウロリとは呼ばない。

 

ウロリとはちりめんじゃこ程度のおおきさなのだ。

 

ゴリは子供のころよく田んぼの水路や川で見かけたものだが、

いまどきはどんなもんだろうか。

塩煮にしたものでもゴリの肌の柄色の茶色が目立つ。

 

湖の国の酒のアテ、ご飯のおともは美味しそうでたまらん。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

文化芸術振興基本法がやっとのことで改正された。

 

 

 文学・音楽・美術・茶道・華道・文楽・能・歌舞伎・雅楽とかいったいかにもというものだけでなく、漫談・講談・漫才・浪曲・落語・歌謡・映画・漫画・アニメにまで文化として国は保護振興するように法律ができていた。

 

ところがそこにいままでは食はなかったのである。

あんな料理に、こんな料理に、

いつもの身近なあの料理に、

伝統のあの料理たちは

実は国から文化と認めてもらっていなかった。

 

つまり、日本料理は文化ではなかった(笑)

 

 

冗談のような本当の話である。

 

 

数年前にユネスコに申請して和食を世界遺産にしておきながら。

 

 

名だたる料理人、料理関係者、食関連企業、政治家、右派左派中道派も垣根を超えて一つの目的のために協力してなしえたこの法改正。なんでこんな風に一致団結してできないのかねえ、いつも。

 

 

さて

そんな日本の食も正式に文化と認めてもらった事なので、いよいよ滋賀の料理もいかに文化的かをちゃんとしないといけませんね。

 

たとえば鮒ずし。

 

鮒ずしに代表される熟れずしは個々に美味しいものも多いものの、ともすればキョーレツなやつも往々にして存在している。

 

時間はかかるだろうがちゃんとだれでも評価できる「鮒ずし生産チェックシート」と食味を評価する「鮒ずし食味チェックシート」をオープンソースでつくらないといけない。

 

いまのままだと消費生活習慣が変わってしまったところで、過去の生活文化として消えていくことになるだろう。ビジネスとして鮒ずしを作る人たちにはやっぱりやってもらいたい。評価の仕方まで整えたところで、それで初めて鮒ずしの評価を海外の人にも評価してみて下さいと言えるのではないだろうか。

 

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

すくい網漁が始まったところを最高の状態で手に入った小鮎を〆てにぎる。すくい網の小鮎は文句なしに最高品質だ。

 

小鮎を小肌の新子のように〆て複数枚付けでにぎるのは、滋賀で王道の寿しを目指す京極寿司の眞杉君が始めた秀逸なにぎり寿しの一つ。彼の仕事に敬意を表して「京極風」と呼ぶとしましょうか。

 

ちなみに京極という名前は滋賀にとっては馴染みぶかく、室町の時代には佐々木源氏・京極高氏(佐々木道誉)が北近江を支配し、近江八幡では一時期、京極高次(浅井三姉妹の真ん中のダンナ)が八幡城主となっている。

 

話はまたまた私の趣味の歴史にそれてしまったが、佐々木源氏につらなる様々な痕跡は、いまもって尚滋賀のあちらこちらに根付いていて、名前や家紋をみれば、「ああ、あなたも佐々木源氏さんですね」というふうにすぐにわかる(笑)

 

さて話は料理にもどって。

実は琵琶湖の小魚は鮎に限らず新子仕立てにしてにぎって美味しいものがいくつかある。だが、何においても「琵琶湖の鮎」はやっぱり誰もが認めることが出来るおいしいもんだ。

 

びわます、小鮎、大鮎、うなぎ、たてぼし、近江牛、鮒、似鯉・・・・

 

賛否はあるかもしれないが、生・煮・焼・〆にいろいろな調理を加えた滋賀ならではの寿しは出そろい増えつつある。

 

 

いつか滋賀の寿しが鮒ずしだけじゃなくて、本当におもしろいと楽しんでもらえますように。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

2017年6月9日、読売テレビの大阪ほんわかテレビの番組コーナー、関西最強ご飯のおともグランプリで優勝した北之庄菜は、いままでにない多くの人に認められるところになった。

 

これは北之庄菜と関わった10年の記憶を忘れないために残す記録です。たいして面白くありません。

 

 

2006年、それが北之庄菜にはじめて出会ったとき。

 

その年、農業まつりが市役所の前で11月にあったと思う。

あれあこれやと農家のひとたちが野菜やちょっとした漬物とか炊き込みご飯とかをもちよって、今でいう一日限りのマルシェという感じだった。料理人にとっては見ていて楽しいもんだった。

 

はと、気が付いたのが、こんなにも野菜がたくさんあるのに、いままでどこに近江八幡の野菜は買われて行ってたのだろうかという事だった。恥ずかしながら、当時は野菜の産地のことなんぞに大したこだわりはなかったものだ。ところが農業まつりを体感してからは、すぐに当時の近江八幡農政課に電話した。

 

「近江八幡の野菜はどこに行けば手に入りますか?」

 

直売所もなんもない近江八幡で、近江八幡の野菜の産地の勉強からスタート。

 

当時の農政課の課長は野田さんで、快くもいろいろ農家さんの事と産地のことを教えてくれた。

 

そこで知ってから今でも毎年使い続けている東川の茄子は品質の高さでは京都中央市場でも1位を争う高品質。検品なしで取引される。

 

 

話はそれたが、紹介された野菜の中に「北之庄菜」が含まれていた。

もちろん農家さんは大西さんの名前を教えてもらった。

 

 

直接大西さんに電話して初めて手に入れた「北之庄菜」。

 

 

なんじゃこりゃ?

 

 

いままで食べてきた、知ってきた野菜とちゃう。

 

どない料理するもんやろか?

 

 

あかん、思い浮かばへん。

 

 

正直いきなりお手上げしました。

まあ、20代の私やったそんなもんやろね(笑)

 

 

つづく

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

日本の国宝と重要文化財は、

脈々続けられる人々のおこないに宿る。

 

 

山王総本宮日吉大社第24回庖丁まつり、楼門にて。

祭が催行されるまえに井口権宮司と雑談。

 

権宮司:「合理化の世界の感覚からしたら、われわれのやっていることはほとんど無駄と判断されてしまう。しかし、大切なことはこういうことやと思うんです」

 

川西:「たしかに。合理的に直接的に料理が美味しくなるわけではないですからね」

 

権宮司「いや、美味しくなってるんですよ(笑)」

 

初めて庖丁まつりの庖丁人を務める緊張の川西を気遣っていただいた和みのひと時。

 

料理関係者他150人ほどに見守られまして、無事「清和四條流 神祇の鯉」庖丁式を奉納させていただきました。

 

信長の比叡山焼き討ちのあと、秀吉によって再建された拝殿の上で庖丁式が執り行われ、巫女さんの神楽「剣の舞」や多くの料理人、蔵元、農業者を代表してJAさんからも様々な奉納と、参列の皆様からは玉串が西本宮の大物主と磐鹿六雁命に捧げられる。

 

 

祭では国宝である西本宮に、実際に宮司・権宮司が上り、庖丁式と神楽舞が行われる拝殿は国重要文化財である。

 

国宝・重文というもんは世界的な感覚であればおそらく大切に大切に保管され、簡単に手に触れたりするもんではない。実際、正倉院の中にある国宝や美術品の類は簡単に触れることはできない。

 

それでも日吉大社の西本宮は日々一般の人でも拝殿の上にあがり、祈祷祈願をしてもらうことが出来る。だれでも簡単に触れることが出来るのだ。

 

木製の拝殿、西本宮本殿などの檜皮葺に欄干は、時の流れですこしづつ朽ちてゆく。歴史の中では時に焼け落ち、それでも何度も修繕し、作り直し、今につながっている。法隆寺に代表される千数百年を経ても現存している木製建築物はもちろん貴重な国宝ではあるが、日吉大社について述べるとすれば古事記が成立した千数百年前の時点ですでに賀茂・松尾と並んで「いつからあるのかわからない」とされるもの。それほど昔から日枝の山の麓では人々が社を築き、祭というおこないを続けてきた。

 

湖北にいたっては祭そのものを「オコナイ」とさえ云う。

 

千数百年にわたって人々に同じことをさせるほどの行動原理というものを考えると、おそらく時代とともに変遷があったと考えられる。時に自然へ畏怖を、時に現世利益を求めた祈祷祈願を、時に享楽を、時に政治の発露を、人の数ほどに様々な思いを呑合しながらも祭は続けられてきた。

 

熱田神宮には三種の神器の一つ「天叢雲剣」があるとされているが実は現物はレプリカで、本物は平家が持ち出し壇ノ浦に沈んでいる。にもかかわらず熱田神宮が人々のあつまるところとなるのは、天叢雲剣を祀る人々の心とおこないによるからだ。三種の神器の一つは心の中にあるといってもいい。まるで「神は心の中におわす」みたいな宗教じみた話のようだが、本当の価値が合理的な現物にだけ存在しているわけではない証左である。

 

同様に、日吉大社の国宝と重要文化財というのは、ただひたすらに変わることなく続けてゆく私たちのおこないの事といえるのではないだろうか。

 

 

という事で、滋賀にある国宝と重文を守るために、合理的無駄を来年も続けます(笑)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

(国宝:山王総本宮日吉大社西本宮社殿)

前回とおなじく庖丁式と日本料理が、日本文化にどうからんでいるのか知られざる歴史をひもといてゆく話。これは今まで語られてなかったり、調べられていなかった事、破片のようにちらばった日本のさまざまなものから、日本料理文化に新しい魅力をみつけだすための記録です。

 

日吉大社西本宮に祀られるご祭神の一柱「磐鹿六雁命」、前回も少し触れたが彼は12代景行天皇に随行した料理人で、日本書紀という書物に初めて料理人として記録された。どれくらいの古い時代の人かというと、西暦200年代の終わりのころの事だ。大陸の王朝はそのころ三国志から晋にうつろうかという激動の時代。磐鹿六雁命という名前は古事記には出てこないが、磐鹿六雁命の父親・背立大稲腰命の子孫がのちに膳臣・高橋氏となって天皇の料理番である内膳司を代々継いでいくことになった事は書記と同じく記録されている。ようするに初めての職業料理人一家が誕生したわけだ。

 

ちなみに磐鹿六雁命のおじさんとおじいちゃんは、四道将軍として崇神天皇の全国平定で活躍した人で、おじいちゃんにあたる大彦命は国宝・稲荷山鉄剣に名前が刻まれている。

 

大彦命の子孫はのちに全国にひろまり、有名豪族となったもの、文化人として名前を残したものなど、多くの人の現在につながっている。古事記を記した人物も太安万侶という大彦命の子孫にあたる実在の人物で、その子孫の一人は近年まで宮内庁雅楽部で勤務されていたとの事。

 

その大彦命の兄、開化天皇は奈良の中心部の陵に眠っていて、まさにその陵に向かって建てられているのが奈良漢国神社である。

 

漢国神社は例祭として行われる三枝祭に清和四條流が長く毎年庖丁式を奉納しているが、その境内は丁寧に守り継がれ、神饌も手作りされて奉納される。後年饅頭の神様として和菓子業界からの崇敬をあつめてきた神社であるものの、おそらくは開化天皇を祀ったのが最初であると考えられる神社である。開化天皇は欠史八代のひとりといわれていたときもあったが、大彦命が実在してその兄弟がいないという事はない。

 

さて時代は3代下って、

景行天皇、以降の天皇料理番・内膳司となった膳臣・高橋一族。このころにはまだ庖丁式は存在していない。大臣大饗が生まれるまであと500年。庖丁式の誕生まではまだ600年ある。

 

今日はここまで。

次は中華と日本の古代料理の歩みをくらべてみよう。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

世間で急に騒々しくなりだしたアニサキス食中毒問題。

 

これだけニュースやなんやと情報が出回ればもはやアニサキス食中毒の説明もいらないかもしれないから、なぜひさご寿しの鯖寿しときずしは安全なのかを説明しておきましょう。

 

ずばり仕込みの工程で一回冷凍するからです。

 

生の鯖を塩締めにするところまではどの店でも同じでしょうが、そこから熟成を経て最低でも1日以上冷凍し、解凍してから酢締めに入ります。

 

冷凍したネタなど食べるに値しないとこだわるのも料理人として良いのかもしれませんが、創業50年を超えて安全に鯖寿しときずしを食べていただくにはこの工程はとても重要です。

 

サーモン、鯖、いか、あじ、ぶり、はまち、いわし、などなどアニサキスは美味しい寿司ネタの多くに含まれていますが、かつてここまでニュースにならなかったのはなぜなんだろう?

 

良いか悪いかの話はおいといて、命をはぐくむための大事な食べ物について一般に知識が深まるのは良い事かもしれません。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

連休前にお稽古いちじつ。

清和四條流に入門して初めて山王総本宮日吉大社の庖丁人を務めさせていただきます。

 

今年は第24回になる「庖丁まつり」。国宝になっている西本宮には、主祭神の大物主とは別に「磐鹿六雁命」という人物が祀られている。彼は料理人として初めて日本の文献に登場した人で、いわゆる日本料理の祖神とされている。ヤマトタケルの父親、景行天皇に随行した料理人。のちに子孫は代々宮中内膳司という最も権威ある料理番となったとされる。

 

庖丁まつりはその日本料理の神様と、稲作と醸造を司るとされる大物主に奉げる祭りだ。

 

 

 

しかし

庖丁式神事を西本宮で奉納することは、さしあたって自分の料理を美味しくしたり商売がうまくいくとかの実利に何らつながるわけではない。

 

それでも続けているいるのは、料理人として日本文化を深く理解するきっかけとなっているからに他ならない。

 

 

料理人の学びはいろいろあるのかもしれないが、自分が好きな歴史と日本文化を、料理という仕事をとおして学び体感し楽しんでいるだけなのだ。

 

 

先般、日本料理アカデミー監修で発刊された日本料理大全プロローグのにもあるとおり、日本料理の歴史的出発点は神社をとおして神に奉げられる「神饌(みけ)」にある。

 

神事・祭祀に神饌としてはじめて日本で料理が形式として誕生し、現在でも各神社で供えられる神饌は昔から決まった形式でととのえられている。毎年11月23日に全国の神社と宮中で行われる新嘗祭などは代表的なものだ。新嘗祭は日本文化と日本料理文化の出発点に何度でも立ち返ることが出来る貴重で重要な祭りだ。


古代アミニズムから、シャーマニズムのなかの形式料理を経て、豪族の発達と仏教が伝来する頃から個々に饗応が生まれるようになり、平安朝廷の時代には藤原氏の大臣大饗によって饗応料理形式が初めて定まるに至る。

 

さて今日はこれくらいにして、日本料理の歴史と日本の歴史のリンクを多角で楽しむ続きはまたにしよう。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

近江神宮春例祭は毎年4月20日。

平成での奉納もあと数回になりましたなあ。

 

4月20日は天智天皇が大津に都を定めた日。

近江神宮は全国でも16社しかない、天皇陛下から勅使が遣わされる数少ない神社の一つ。

 

最近は漫画「ちはやふる」の人気と広瀬すずさんと松岡茉優さんの演で映画化したりで、聖地認定したみたいに近江神宮には20歳前後の女の子たちも見かける。まったく神道を考えたこともない人でも、凛とした境内に入ってみるのはええもんです。

 

近江神宮は激動・戦中の昭和に創建され、戦後GHQによる神道指令で国家神道と過激な軍国主義や用語を排すると決められたまさにその日、昭和20年12月15日に昭和天皇が戦後日本の復興を祈願したことに始まり、現在も毎年天皇陛下の勅使が御幣物を奉納されます。

 

「戦争の対義語が平和であるから、まことに世の安寧を願うなら、平安という言葉をもちいたほうが良い」との話を、つい先日中澤宗匠からうかがった。たしかに祝詞に奏上される祈りの言の葉は「たいらけく、やすらけく」といつも言われる。世界は実力によって変わっていこうとしているが、自然への畏敬、古神道といわれる日本人の源流はのこってもらいたいです。

禊払いをする神域の真榊。

4月の例祭だけはここでお祓いをしてから境内に入ります。

宮内庁から天皇陛下の御幣物を勅使の方が奉じられる。

 

実は勅使の方が来られる前に祭員と参列の方々は先に奉納神事を済ませます。

清和四條流の庖丁式奉納は別のブログにて後日紹介。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

まぢかのじゅんじゅん。


じゅんじゅんは琵琶湖の漁港をもつ地域の一部にその名前が残されてきた郷土料理で、最近はテレビなどでもよく取り上げてくれている。

 

うなぎ、いさざ、なまず、鯉、鮒、あゆ、などなどいろんな湖魚をじゅんじゅんにする。違う種類をごちゃまぜにしてじゅんじゅんにすることは無いが、上に挙げたどの湖魚でやっても美味しい。

(ただし琵琶湖で揚る湖魚であることがおいしさの条件で、河川でとれた淡水魚については味の保証はしないw)

 

じゅんじゅんにするのは湖魚だけではない。

鶏肉や牛肉もじゅんじゅんにする。

 

ただし牛肉については明治のころに竜王から東京にでて牛鍋で繁盛した「米久」以降の話なので、江戸時代まではもっぱら鶏肉だったようで、「かしわのじゅんじゅん」と呼んだ。

 

大中湖がまだ埋め立てられる前は、長命寺の裏側にある伊崎寺の名物「伊崎の竿飛び」を見に船で行くときに「船の上でかしわのじゅんじゅんをよくやった」という話をお年寄りから聞いていた。

 

 

 

じゅんじゅんを簡単に説明するとすれば鍋料理で、すき焼き風の味付と説明するのが一般的でわかりやすいだろう。

 

ただしすき焼き風といえども、いわゆるすき焼き風の甘辛い割り下で煮る味付けは砂糖が普及した後に生まれた味付であって、古来の味付としては砂糖は使わずにつくるものだったろう。もっとも甘さを味付する方法は野菜から煮だすことも出来るから、葱を使った甘さは古来のものかもしれない。もっと厳密に言うと、江戸時代以前は醤油が普及してないわけだから、味噌ベースだったかもしれない。

 

さて現代に戻って。

 

 

昨今はネットの普及で「じゅんじゅん 滋賀」と検索すればいくつかの情報が出てくるので面白いが、案の定に誤解と思わしきものも散見される。

 

「肉の代わりに鰻を焼いた」

「鉄の上で鰻がちゅんちゅんと焼けた音が」

 

じゅんじゅんにするのは鰻だけではない。

そもそも肉のじゅんじゅんの方が後発で、いわゆるすき焼きのように鉄鍋の上で焼くという料理法は従来の郷土料理には伝わっていない。

 

 

じゅんじゅんはすき焼き風と味を紹介はされても、調理方法としては「煮る」料理なのだ。その証明としては、鰻以外の湖魚でじゅんじゅんをしようとすれば鉄の上で「焼く」ことなどできないと言えばわかるはずだ。

 

鍋で煮える音を擬音語として名詞化したのが「じゅんじゅん」という料理名の由来とするのが合理的だろう。

 

もう一点、擬音語をそのまま料理名にしたものが琵琶湖の漁港をもつ地域に残されている。

 

「じょき」である。

 

「じょき」は三枚おろしにした鮒を皮ごと刻んで酢味噌で和えた料理のことで、近江八幡の沖島を中心にその料理と名前を残している。小骨の多い鮒をジョキジョキと刻んだ音が由来だ。同じ料理でも海津では「がんぞ」と呼ぶので、擬音語からの料理名ではない。

 

私が確認できるだけでも沖島には「じゅんじゅん」「じょき」の2点で擬音語が料理名になっている。じゅんじゅんの発祥は滋賀であることは間違いないだろう。

 

 

じゅんじゅんについての誤解はどこで生まれたのかはわからないが、湖魚を生で鍋に入れて野菜とともにじゅんじゅんしたものは、湖魚のおいしさをシンプルに伝えることができる漁師生まれの郷土料理。

 

じゅんじゅんは鰻や牛肉といった誰でも知っているコッテリ味だけでなく、鮒や鯰といった白身で淡泊な淡味なものこそ実はじゅんじゅんして美味しい。

 

春の季節ならば木の芽をたっぷり入れたいものだ。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。