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フィジー
 
2007-12-19 02:12:36

日本とトルコ

テーマ:なぜトルコ人は親日

トルコはなぜ親日なのでしょうかはてなマーク


星トルコ人の親日感情の理由にはいくつかの説があります星


ひらめき電球日本近海で遭難にあったトルコの人々を日本人が救助したというエルトゥールル号遭難事件

ひらめき電球トルコにとっても対立関係であったロシアに日露戦争で日本が勝利したことなどの歴史的なもの

ひらめき電球日本が経済大国として近代化に成功したことと、それを作り上げた日本人の勤勉さに対しての感心さからもきていると言われている



多くの方がご存知だとは思いますが、改めて紹介したいと思います

    

                      星大きな映像はこちら から星


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1人でも多くの人に知って欲しい事実です・・・

この事実を知ってからトルコに行くと、より一層良い旅が出来るのではないかと思います流れ星天使流れ星                      

                                        Mika

2006-10-04 00:00:40

ワードカップ日本・トルコ戦 その5

テーマ:なぜトルコ人は親日

ワードカップ日本・トルコ戦


『2002年ワールドカップ』は日本と韓国の各地のスタジアムで熱戦につぐ熱戦をくりひろげていた。一次リーグを突破した日本は6月18日、決勝トーナメントの緒戦で強豪のトルコと対戦。宮城県営スタジアムを埋めつくした観衆の熱気と興奮は頂点に達した。前半12分だった。トルコのユミト・ラバラのシュートが、日本のGKの手をかいくぐってネットを揺らした。


スタンドの観衆もテレビの中継に釘づけの人たちと、日本の同点や逆転を期したが、トルコの守備は固い。
この息づまる熱戦を、公民館の中に特設されたテレビの大型画面の前に集まって見守っている人たちがいた。その人たちの手には、日本とトルコの国旗の小旗が握りしめられていた。そして声援は、「どっちも勝て!」だった。和歌山県串本町の人たち。なぜなら、串本町こそ日本とトルコの友好発祥の地で、いまも交流を続けているからだ。
宮城県営スタジアムの熱戦は、トルコが前半で挙げた1点を守りきって準々決勝に進出。準決勝で韓国を下して3位決定戦の勝者となったことは、まだ記憶に新しいところだ。 

  

2006-10-03 23:56:10

テヘランに孤立した日本人を救出したトルコ航空 その3

テーマ:なぜトルコ人は親日

テヘランに孤立した日本人を救出したトルコ航空


日本とトルコの友好のきっかけをつくったエルトゥールル号の遭難事故は、いまや歴史の彼方、日本では小中学校で教えられることもなく、「地方史のエピソードのひとつ」とった扱いしかされていないようだ。しかし、トルコでは社会科に当たる授業でこどもたちに教えられてきていた。それを実証するできごとがあった。場所はイランの首都テヘラン。時は1985年(昭和60年)。イランへ侵攻したイラク軍との, いわゆる“イ・イ戦争”のさなかのこと。イラクの大統領サダム・フセインは、5年前から始まったこの戦争の長期化にしびれをきらし、「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、この期限以降にテヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告した。
テヘラン在住の日本人は、技術関係者や商社関係の家族など約1000名。事前に国外脱出をしていた人たちもいただが、およそ300名が期限を目前に空港ロビーにかけ込んできた。
ドイツやイタリア人は自国の航空会社の臨時便で次つぎに退去していくが、日本人は埒外。どこの航空機も自国民優先なのだ。日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」ことを理由に、派遣を見合わせるといってきた。空港にとり残された日本人は、最終的に200人あまり。刻々と迫るタイムリミット。テヘランの日本大使館の野村豊大使は、この事態を何とか打開しなければと、日頃から親交のあったトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えた。
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
大使の要請を受けたトルコ航空は、すかさず2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せ、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返したのだった。

エルトゥールル号の遭難は大きな悲劇だったが、民間レベルの友好と親善の始まりでもあった。技術協力、経済協力、トルコ北部大地震の被災地への支援・・・。日本とトルコの親密で、良好な関係は、一朝一夕で築かれたものではない。日本からの旅行者が年々ふえていることもうれしい。一度訪ねると、二度、三度と行きたくなる。筆者はまだ三度しかトルコを旅していないが、数年前に訪ねたアナトリア地方の農家のおじさんは、筆者の肩をたたいて言った。
「わしらとあんたがた日本人とは兄弟なんだ。たぶん、1万年も前からね。だから何ごとも分かり合えて、うまくいくのさ」
その時にすすめられたチャイの、何とうまかったことか。こんどは北部の村や町を訪ねてみたい。


http://www.turkey2003.jp/index.html  より

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