メオダムの「国道一号線を北上せよ・・・チェンマイ編」の続きです。
温泉を11時過ぎに出発し、再び北上を続けます。ハイウェイへはカンペンペットと言う街で合流したいと思ってます。
温泉からカンペンペットまでは、ミャンマーへと続く山脈の裾を縫うようにして150キロほど田舎道同然の地方国道を走ります。林や耕地が入り混じりながら続き、時々集落を通過します。集落周辺ではタイの国花ゴールデンシャワーが黄色い房状の花から、ヒラヒラと花びらを舞い散らせています。そして、黄色いゴールデンシャワーと並び、真紅や朱色、オレンジ色をした火焔樹(鳳凰木)が満開です。この燃え上がるような満開の大木を見ると、清楚と思われがちな「花」と言う存在にも、物凄い力強さがあることを再確認し、驚いてしまいます。
午後1時過ぎにカンペンペットを通過。カンペンペットは13世紀頃にタイで最初の王朝となったスコタイの衛星都市で、要塞都市でもあったようです。市内の至るところに古い防塁や城壁などの遺跡が見られます。カンペンとはそうした壁や城壁の意味で、ペットとはダイヤモンドの意味だそうです。つまりダイヤモンド砦みたいなものでしょうか。
当時のスコタイを取り巻く状況ですが、スコタイ王朝を築いたタイ人たちは中国南部の雲南省周辺から南下してきた人たちだったと言われています。スコタイより北はヒマラヤ山脈から続く山岳地帯の東南端にあたり、深い山に包まれています。そうした山々を越えてきた移住者たちが最初に平野を目にしたのがこのスコタイから続く大平原だったはずでした。当時この大平原にはクメール人(現在のカンボジア人)たちのアンコールワットを中心としたインド的な文明を持つ世界が広がっていました。スコタイ王朝はそうしたクメールの文化を積極的に吸収し、豊かな王朝を築き上げました。文学や芸術、宗教などでも、スコタイは大変隆盛を極めたと言われています。
そうした文化面とは裏腹に、スコタイを取り巻く地域情勢は、決して平穏なものではありませんでした。
当時のミャンマーはすでにフビライカンに支配され、蒙古帝国は勢力圏をインドシナ半島全域に広げようと虎視眈々としており、その防御のためにも、ミュンマーに近いスコタイ西部の守りの重要性は増していたものと思われ、堅牢なカンペンペットの要塞が築かれたものと想像されます。
カンペンペットから再び国道一号線を北上続け、タークと言う街を過ぎます。
昔メオダムが学校を出て社会人になったばかりの頃、つまり旅行業界に入ったばかりの頃はまだ「戦友会」が盛んでした。第二次大戦当時の同じ部隊にいた兵隊さんたちが全国から集まって宴会をしたり、旅行をしたり、かつて駐屯した土地を再訪してみたりと言った企画がたくさんありました。メオダムも戦友会の仕事を通じて、たくさんの事を勉強させてもらいました。戦時中のタイと日本は友好関係にあり、タイの各地に駐屯していた日本の兵隊さんたちも、他の地域の兵隊さんたちと比べると大変恵まれいたようです。兵士たちと土地の人たちとの交流も和やかなものだったようで、村祭りに呼ばれて一緒にラムウォン(日本の盆踊りのように輪になって踊る踊り)を一緒に踊ったり、物々交換の話など、当時のタイの様子を色々と教えてもらいました。
タークに駐屯していた日本兵だった人たちと一緒に、タークを再訪したこともあります。当時タークはラーヘーンと呼ばれていたそうです。タークと言う名前はどうやら戦後に改名されたようで、トンブリ王朝を打ち立てたタークシン王の出身地だったことにあやかって、タークと名づけられたようです。その日本兵だった方、すでに70歳を超えていらっしゃり、奥さん帯同で再訪ッアーに参加されていらっしゃったのですが、昔タークで恋仲になった女性にもう一度会いたいと言い出され、当時の恋人探しに半日お付き合いさせていただきました。何でもマンゴーやバナナをプレゼントされ、祭りで一緒に踊ったことが忘れられないのだそうです。市場などで老婆を見かけては当時のことを聞き出そうとしましたが、結局見つけられませんでした。恋仲だった女性も、記憶の中の娘さんのままでいた方が良かったのでしょう。
タークを過ぎて再びガソリンを補給します。やはり燃料計の針は半分くらいを指しています。今度はガソリン代が930バーツになっていました。あとチェンマイまで300キロほどです。このガソリンスタンド併設の食堂でちょっと遅めの昼食とします。
このガソリンスタンド併設の食堂は、味が良いので毎度チェンマイへ行くときには立ち寄って食事を取っています。ただ、以前に比べると、使っているお米の格を落したのか、以前ほどおいしくなくなってきているのは残念です。
一言でタイ米と言っても、さまざまな種類もあれば、それぞれ味も違います。やはりカオマリと呼ばれるジャスミンライスの新米はツヤツヤしていてとっても美味しいです。それに比べて安いお米は炊き上がっても艶がなく、味も劣ります。お米だけはなるべく良いお米を使ってもらいたいとメオダムは願っていますが、メオダムが行くような大衆食堂では、なかなか美味しいお米に出会えません。
20年ほど昔、日本の東北地方を中心に酷い冷害になって、お米が足りなくなってタイから緊急輸入米と言うのが入ってきたけど、あの時のタイ米は実に美味しくなかった。当時私は毎月のようにハワイへ行っており、毎回せっせと大粒のカリフォルニア米を土産に持ち帰っていたので、米不足でも大して影響がありませんでした。そしてタイからタイ米を緊急輸入すると聞いた時、私はひそかに喜びました。東京の自宅でもしばしばグリーン・カレーなど作っていた私は、これでもっと美味しいタイ・カレーが食べられるとぬか喜びをしてました。
しかし、実際に輸入されスーパーに並んだときは、日本米とブレンドされ、タイ米100%ではありませんでした。そこでお米屋さんへ行って、緊急輸入のタイ米だけをたっぷり仕入れて喜んでタイ米を炊き上げ、グリーンカレーをおかずにしました。ところが私の想像していたタイ米とはまったく別物で、美味しくありません。むしろ日本米でグリーンカレーを食べた方が美味しいくらいでした。
後日、タイの稲作について調べたところ、世界最大規模の米輸出を誇るタイで栽培されているお米の多くが中東やアフリカなどへの輸出用で、お米の種類がタイで食べるタイ米とは異なるのだそうです。あの時、本当の美味しいタイ米を日本が輸入しなかったのは、とても残念です。
昼食を食べていたら、雷がなり始め、雨が激しく降ってきました。
タイももうじき雨の季節を迎えます。昼食中はネコを車の中に残し、車内が暑くなり過ぎないように窓を少し開けておきました。そのため、食事を終えて車に戻ったら車内が水浸しになっていました。
タークを出るとようやく北タイに入った気がします。それまで平坦な道が続いていたのが、山に囲まれた道に変わります。坂道もカーブも増えてきます。それにつれて景色も良くなってくるのですが、残念ながら雨のため周りの景色が眺められません。
前が見えなくなるくらいの激しい雨です。ワイパーが左右に振れた一瞬しか前方が確認できないほどで、スピードを落として慎重にハンドルを握ります。
それでも、30分もしたら雨は上がりました。タークを出て1時間ほどでトゥーンと言う街に入ります。
北タイはミャンマーなどと長い国境を接しています。その国境の大半が山岳地帯のため、国境を越えて麻薬などの違法薬物がタイへ流入してきます。そして、それらの多くがバンコクへ流れていくのですが、タイ政府は麻薬類の撲滅に熱心で、国境地帯からバンコクへの流通ルートでもあるこのハイウェイでは、何箇所もの検問が設置されています。今回もトゥーンの手前で検問がありました。
普通は北部タイからバンコクへ向かう上り線での検問が厳しく、今回のようにバンコクからの下り線で検問を受けるのはちょっと珍しいくらいです。麻薬の運び屋が通ると言う情報でも入ったのでしょうか、、、。
メオダムも検問では銃を手にした警察官に停車を求められました。
「どこへ行くんだ」=>「チェンマイ」
「どこから来たんだ」=>「バンコク」
と、簡単な質問を受けていたら、警察官の目に車内で退屈をもてあそんでいたネコが映ったようです。
警察官の顔がほころび「ミャオ、ミャオ、ミャオ」とネコを誘おうとします。しかし、メオダムのネコは愛想がないので、あんまり関心を示しません。
「行ってよし」と言われ、メオダムは車を発進させました。
トゥーンからチェンマイへはリーと言う村を経由する旧道と、ランパーンという大きな街を経由するハイウェイの二つのルートがあります。旧道のほうが景色も良いので、今回のような先を急がない旅の時には、そっちを選びたいところですが、雨が降ったり止んだりする天気では、景色も楽しめないだろうし、道も細く、路面の状態も悪い旧道では危険でもあるので、今回はあきらめてハイウェイをそのまま進むことにしました。
前編で書きました「東南アジア紀行」の梅棹教授たちが敢行された半世紀以上前の自動車旅行では、ランパーン経由のハイウェイはまだなく、リーを経由する道しかチェンマイへ通じる道はなかったそうです。その道ですら川には橋も架かっていないという状況だったそうです。
3年前だったか当時活発に息巻いていた赤いシャツを着た反政府系のデモ隊が各地で集会を開いていました。メオダムはソンクランの休暇をチェンマイで過ごし、チェンマイからバンコクへ戻ろうとしたところ、ちょうど彼らはチェンマイとランパーンを結ぶハイウェイを封鎖してしまいました。そのためメオダムは迂回路として旧道を走った記憶があります。森の中の道が続き、峠からは下界に湖がチラリと見えたりと、とても素敵な道でした。
トゥーンから更に1時間走るとランパーンの街の手前に差し掛かります。これまで国道1号線だったこのハイウェイも、このランパーンからは国道11号線となります。国道1号線の方はランパーンから先、チェンライを越えてタイ最北端の町、メーサイまで続いています。メーサイはミャンマーとの国境となっている町です。アジアハイウェイはこのメーサイからミャンマーへと入っていきます。
ランパーンからチェンマイまではちょうど100キロほどの距離となります。途中にはクンタンと言う急な峠があります。ハイウェイは片道2車線または3車線と言う立派な道で、峠をグイグイと上って行きますが、同じランパーンとチェンマイを結ぶ鉄道は、途中にクンタン・トンネルと言うタイで最も長いトンネルで峠を抜けます。最長のトンネルと言っても長さが1350メートルほどだそうですから、日本のトンネルと比較したらお話にならない長さのトンネルではあります。
そのトンネルですが、今から100年ほど前にドイツ人技師たちの指導の下で工事が開始され、そうとうな難工事だったそうです。さらにトンネル工事の途中で第一次世界大戦が勃発し、連合国側に付いたタイはドイツに宣戦を布告、トンネル工事の指揮を執っていたドイツ人技師たちは敵性国民と言うことで捕虜となってしまうと言う事件も発生したそうです。
ハイウェイの方はトンネルもなく、ちょっと坂はきついものの快適なドライブができます。ちょうど峠の頂上付近には祠があり、その周りにはシマウマやキリン、ゾウ、トラと言った動物園の仲間たちみたいな動物たちのコンクリート像がたくさん置かれています。そして、この祠の前を通過する自動車は皆クラクションを鳴らして通過していきます。きっと、山の神様に旅路の安全をお願いしているのかと思います。メオダムもクラクションを鳴らし、ここまでの無事故を感謝し、この先の無事をお願いしました。
峠を越えると再び雨になりました。本当に降ったり止んだりです。
峠を下りきったところがランプーンという街で、ここには大きな工業団地があり、日本の工場もたくさん進出しています。主に精密機械関係の工場が多いようで、チェンマイに住んでこの工業団地に通う日本人もたくさんいます。そして、ちょうどメオダムがランプーンに差し掛かったのが夕方の5時ごろで、工業団地に勤める人たちの退勤時刻と重なってしまいました。
それまで渋滞や信号待ちとは無縁で快適なドライブをしてきたメオダムですが、ランプーンを過ぎると数珠繋ぎの渋滞となり、5時半頃にはチェンマイへ着けるかと思っていたのが、チェンマイ市内に入れたのが6時過ぎとなっていました。
そうして、やっぱりチェンマイ市内も交通渋滞です。
昔、メオダムがチェンマイに住んでいた頃は、チェンマイではたいした渋滞などなかったのに、ずいぶんと車が増えたものです。それでも、チェンマイには地下鉄も市内バスも、タクシーだってほとんどないため、車を持たない人の足は、ソンテウと呼ばれる赤い乗り合いピックアップトラックやバイクが中心です。とくにバンコクではあまり見かけませんが、チェンマイだと白いブラウスにタイトスカートの女子大生がモーターバイクのハンドルを握っている姿をよく見かけます。
6時半。ようやくチェンマイでの宿にたどり着きました。
ゲストハウスのようなところと聞いていたので、あまり期待もせずに、とにかくネコと泊れるならどんなところでも構わないと思っていたのですが、予想に反してなかなか素敵な部屋でした。まずは、車の中にずっと閉じ込められていたネコが一番喜びました。早速部屋の中をキョロキョロ、ウロウロと探検して回るのが楽しそうです。イヤハヤ、ネコよご辛抱さんだったね。
<続く>