前回記事では、
「新自由主義政策」の一環のおかげで、
〈働き手〉のクビが切られやすくなり、
それまで〈中流階層だった働き手/人々〉が、
”「底辺層」に追いやられてしまった”り、
また〈低所得層〉が、
より困窮(こんきゅう)に喘(あえ)ぐようになる事から、
イタリア映画の『自転車泥棒』のような
悲しい事情もふくめて、
”軽犯罪化が増える”など
「全体的に治安が悪くなる」のだが、
その解決策は、治安悪化の根源である
「新自由主義(ネオリベラリズム)」政策そのもの
ではなく、
「〈底辺層〉への取締の徹底化と投獄化」をおこなう、
という「問題のすり替え」が行なわれる為に、
アメリカの〈ネオコン(新保守)のシンクタンク〉
が発明した「刑罰化理論」
――「新自由主義」政策を補完する「刑罰化理論」――
を、アメリカから大西洋を越えて、
ヨーロッパに導入・輸入するための
”下準備”や”舞台裏”、”策動”の模様を見ました。
そこでは「問題のすり替え」、
「問題のすり替え」のために、
「あらかじめ間違った解決策や選択肢だけしか、
用意されていなかった」模様を押さえました。
ロイック・ヴァカン教授いわく、
“大西洋を渡ってきた治安回復の物語は、
福祉国家に対する戦争を背景に、
ネオコン・シンクタンクが普及させたものである。
それらは、ナンセンスな概念、
「理論」を装ったスローガン、
そして社会学的な偽りによって織りなされた、
きわめて退屈な物語だった。”
(ロイック・ヴァカン『貧困という監獄』P.58)
徹底的な取締り/刑罰政策をするための口実である
“「都市暴力」という概念が、
じつは統計上の一貫性も、社会学的な厚みもない、
行政上の完全な人工物であることを明らかにする共に、
この概念が
どのように政治的に発明され、利用されているか
を描写すること、
これこそが研究者の使命なのである。”(P.51)
マスコミも行政も御用政治家も御用学者も、
たとえば「都市暴力」という作られた脅威現象から、
〈まだ「底辺層」に叩きこまれていない市民〉を
”救う”ためには、
”警察を増強し、取締りを徹底化し、
刑罰を厳格化することが不可避である”と、
「捏造された研究結果の累積」を論拠として
正当化しようとするのであるが、
そうした「世の中の動き」に一定の距離をもって、
冷静に物事を捉え、問題の根源を掴もうとする、
ロイック・ヴァカンという社会学者は、
「本当の問題の所在」を、次のように見ています。
”この「都市暴力」の「爆発」こそ、
貧困を刑罰によって管理するという、
いまのジョスパン政権[フランス]の路線転換の動機
――または口実――となっているのである。
この「都市暴力」というカテゴリーは、統計的には、
あらゆるものをごちゃまぜにしたナンセンスに
ほかならない。
(引用者中略)
問題の所在は、
国家が規制緩和政策を推進する一方で、
経済や都市政策の領域から撤退した結果
(引用者:「小さな政府」化した結果)、
貧富の格差が拡大し、
労働条件や社会環境が大きく不安定化したことにある。
しかし、これについては、
口に出すことも憚(はばか)られるのである。”
(同P.64-65)
”これについては、
口に出すことも憚(はばか)られる”というのは、
個人的に興味深いもので、
「保護主義擁護論」や「自由貿易への懐疑」の声を
出すことが出来ない空気が日本国内では成立しているように
(中野剛志『自由貿易の罠』)、
フランス国内などでは”治安問題の本当の所在が、
新自由主義政策であること”を指摘することが、
タブーであって、封殺化の空気が
成立してしまっているように受け取りたくなります。
もし仮にそうだとすると、アメリカのシカゴ大学 社会学部に所属しているからこそ、
祖国のフランスをはじめヨーロッパの世情を、
”憚(はばか)る”ことなく、問題の所在の究明を
続けることが出来たのでしょうか?
――新自由主義の総本山は、
(故)ミルトン・フリードマンを教祖とする
シカゴ大学 経済学部という皮肉――
さて、
「問題の根源」や「問題の元凶」たる
「新自由主義」政策に、
眼差しや問題意識を向けさせず、教えない為にも、
その代わりに、
学術がかった粉飾をふりかけた
”偽物の犯人”を用意することで、
〈一般国民〉や〈大衆〉の視線を
問題の本質や根源から逸(そ)らして
「目くらまし」をさせたままなので、
「問題の元凶」を知らない〈大衆〉を
欺(あざむ)いて利用すべく、
政治や経済的事情からくる〈大衆〉の不満を、
〈移民〉に向けさせて支持を集めたり、
いろいろと好都合な方向に運ぶべく利用する
ヨーロッパの政治家の狡知(ずるがしこ)さを、
今回は取り上げておこうと思います。
ただし、〈ヨーロッパ白人の大衆〉の不満を、
〈(有色人種の)移民〉に振り向けるに当たっては、
司法や警察が、〈(有色人種の)移民系〉を、
”「差別的/不公平」かつ「優先的」に捕まえ、
投獄している”事から、
”きわめて恣意裁量操作的な「既成事実」”が
成立してしまっている事を、まずお伝えしておきます。
”ヨーロッパの刑務所の「常連客」と呼べるのは、
今日ますます、労働者階級の下層部分であり、
とりわけ、
アフリカ系労働者家庭に育った若者たちである。
たしかにヨーロッパのどの国でも、
外国人や「第二世代」と呼ばれる
非西洋地域出身の移民の子ども、
そして有色人種は、厳しい状況におかれている。”
(P.106)
”フランスの刑務所で
外国人の割合が増加しているのは、
一部の排外主義者が唱えるように
「外国人の犯罪が深刻化した」からではなく、
もっぱら入管法違反で収監される人の数が
二〇年間で三倍に増大したからだ
ということが明らかになる”(P.109)
”たとえば警察による一時拘留のような、
一見きわめて中立的で平凡に見える司法の実践も、
外国人や移民に見える人々に対しては、
徹底して不平等に作動する傾向がある。
かつてロンウィ―労働者街の若者たちは、
[このフランス司法のダブル・スタンダードを
揶揄(やゆ)して]
「司法には四〇変速のギアがある」
と表現したことがある。
彼らの表現を借りれば、
この「四〇変速の司法」は、
「問題地区」などと遠回しに呼ばれている、
札付きの地区の住民たちを検挙し、
収監するときには、
トップギアに切り替えて、爆走する術を
[フランス司法は]わきまえているのだ。
もちろん、
そのターゲットとなる失業者や移民家庭は、
「栄光の三〇年」と言われる好景気の時代に、
これらの地区に定住するようになった下層労働者に
ほかならない。
事実、
シェンゲン条約とマーストリヒト条約によって、
EU域内の「自由移動」に向けた法整備が進むと、
EU域外からの移民問題は、
条約調印国によって、
大きく再定義されることになった。
すなわち、
行政の言説と政策の言説の両面において、
移民問題は、組織犯罪やテロリズムと同じように、
各国の内政問題にとどまらず、
ヨーロッパ大陸全体の治安問題として
捉えられるようになったのである。
こうしてヨーロッパ中で、
警察、司法、刑務所が足並みを揃えて、
「外見が非ヨーロッパ人」の人々を
徹底的に取り締まるようになった。
これらの人々は肌の人ですぐわかるため、
それだけ警察や司法の横暴に晒されやすい。
こうして、まさに移民を
犯罪者に仕立て上げる構造がつくられ、
犯罪を撲滅(ぼくめつ)するどころか、
むしろ、
いたずらに犯罪者が
生み出されているのである。
この移民の犯罪者化のプロセスを
大いに助長しているのが、
さまざまな政治的潮流のメディアや
政治家の存在である。
彼らは
「犯罪が増えているのは、移民のせいだ」
と主張することにより、
一九八〇年代のネオリベ改革以降、
ヨーロッパに蔓延するようになった排外主義の感情を煽りたて、
大衆的な支持を獲得しようと腐心しているのである。
このメッセージは(引用者中略)
ますます抵抗なく受け入れられていることは
間違いない。
こうして、(非ヨーロッパ系の)外国人たちは、
世間から常にうしろ指をさされ、
真っ先に疑われ、
社会の片隅に追いやられている。
しかも、国家権力からは
異常なまでの執念深さで追い回されているであろう。
ノルウェーの犯罪学者ニルス・クリスティーの
表現を借りれば、外国人は
「便利な敵(suitable enemy)」にされている。
(引用者中略)
[外国人移民は]
あらゆる社会不安のシンボル兼ターゲットにされているのである。
このように刑務所と刑務所の与える烙印を
背景として、ヨーロッパでは
「白人以下」というカテゴリーが形成された。
このカテゴリーは、
抑圧的な措置による貧困層の管理を
正当化するために、
作りあげられたものである。
しかも、
このような弾圧政策は、
国籍を問わず、
大量失業と不安定雇用に蝕まれる
大衆層全体へ
拡大しようとしているのである。”
(同P.111-113)
以上の引用文を通じて判かるのは、
検挙率や投獄率の累積データや実績が示すとおり、
「移民」や「有色人種の外国人」や
「問題地区の定住者」だから、
「都市暴力の張本人」になりがち、
というよりも、
「40変速ギア」よろしく、
「不公平」かつ「恣意的」に
まず優先して「移民/有色人種の外国人」が、
検挙・逮捕・投獄されるが故に、
「外国人系・移民系」の
「投獄率・犯罪率」データが、
「既成事実データ」として”構築されてしまう”
という事であります。
「困窮」や「境遇」や「居住地域」によって、
就職などが制限されてしまい、
犯罪に奔ってしまう悪循環は、
昔からあり、その点も視野に入れておくべき一方で、
「移民の投獄傾向の既成事実化・常識化」が、
「変速ギア」の恣意裁量的取り締まりで、
構築されることになり、
そして、「マスコミのプロパガンダ」、
「扇動政治家の排外主義マイクパフォーマンス」で、
”常識”や”一般通念”として
「世間的に認知されてしまう」のですが、
その認識は、本質に通じていないので、
やがて結局は、
そうした扇動に乗せられて、利用された結果、
〈自分たち一般国民〉にとっての“禍患(かかん)”
となって、降りかかって来るのでありした。
その”禍患”とは何か?
それが、
恣意(しい)捏造的に構築された「既成事実」を、
〈マスコミのプロパガンダ〉と
〈御用政治家による排外主義的演説〉に
まんまと乗せられて、
〈一般大衆〉圧政策が、
[やがて結局は]国籍を問わず(ヨーロッパ白人も)、
大量失業と不安定雇用に蝕まれる
大衆層全体へ拡大”する、という禍患なのであります。
なぜ「〈外国人/移民〉への弾圧」が成立する
「世間的空気」は、権力にとって都合がよく、
〈外国人/移民〉は、
「便利な敵」なのでしょうか?
それは”社会不安のシンボル”としての
「スケープゴート(犠牲)」あるいは「隠れ蓑」
になってくれるのでありますが、
「便利な敵」に隠れて、
どういう「正体」が潜んでいるのでしょうか?
そこで、何故「〈移民〉への弾圧政策」が、
〈ヨーロッパ白人〉も含めた〈一般国民〉の
「大量失業」と「雇用不安定化」とに、
繋がることになるのでしょうか?
そのメカニズムの話が、
次回以降に紹介していくテーマであり、
このシリーズを設けた理由であります。
なぜ「雇用融解」や「雇用不安定化」、
そして「軍国化」を忌み嫌うのか、
そのワケも、読めてくるのではないでしょうか?