こんにちは。
立春をすぎ、梅が咲き始めているのを見かけたり、ヒヨドリたちが、元気に飛び回っているのを、よく見かけます。
羽根木にいた頃は、この頃になると、ベランダに、めじろが遊びに来たり、羽根木公園で、梅の花や木にたわむれるめじろたちを、よく目にしました。
今、住んでいるこの地域では、めじろを、それほど多く見かけないものの、きれいな小鳥たち、野鳥、水鳥が、元気に飛び回っています。もうしばらくすると、鶯も、きれいな声を聞かせてくれそうです。
朝夕は、“う~、さむい”と、思わず声がでるほど、寒い時もありますが、寒ければ寒い程、ケンタロウが、元気な様子を見ていると、もうしばらく、寒くてもいいかなと思えてきます。
今週、また雪に会えそうな、そんな予報。子供たち、動物たちは、喜びの時を迎えそうです。
みなさま、もうしばらく、あたたかくされて、お過ごしください。
 
さて、今日は、バイオリズムについてのお話です。
体全体が、移り歩むうちに、バイオリズムが、昔とは、印象が変わってきているような…、バイオリズムが、なくなっていくのかしら?と、ふと思ったとき、愛する花の命が、こんな話をしてくれました。
 
 
自らの発光とバイオリズムキラキラ
       (愛する花の命)
     
これは(バイオリズム)、活きる。
誰にでもあるし、四季があるように、人の体、心、精神、
人を表すすべてに、これらは、存在する。
 
人が、その心に、忠実に生き、自らをいたわり、愛し、
それぞれにみる(体)機能を敬い、生きるようになると、
 
人は、その時々の、自らが発している発光に、敏感になっていく。
 
敏感になればなるほど、今、どんな姿・表しが、ふさわしいか?
手にとるように分かり、自らの光に応じた、その光そのものの姿、
生き方、表現をしていくようになる。
 
こうした生き方、表しを、しはじめていくと、
人は、自らにも、愛情いっぱい、他者にも、愛情あふれる眼差しで見て、地上が、楽園になっていく。
 
手をだす(自分以外の何かに)タイミング、シーンは、明確に見えており、己が憔悴するほど、(他者に)はたらきかけることは、ないだろうし、
 
人や自分以外の魂の成長を、さまたげることはしなく、
それぞれが、それぞれを活かし輝く手立てを、その時々で、理解し、そのように、たたずまいを見せていることだろう。
 
そして、今の世にみるバイオリズムとは、ずいぶん装いの違ったものを見せ、生きるようになる。
 
その季節ごと、流れごとの表し、その時期の己の光を、純粋に表し、生きる様は、多くの魂の手本となっていくことだろう。
 
キラキラ キラキラ キラキラ