RALSのあと夕方になって、主治医から母と私に説明があった。
おそらく、たまにしか来ない母に、経過を説明するというのが主な目的だとろう思う。


今日の説明の概要はこうだ。

前半部分の3分の2のところまで治療が終わって、今日のCTでもリンパ節はキレイなままだし、他への転移も無いし、経過は順調です。
白血球がなかなか増えず、化学療法は出来ていません。
ひょっとしたら、もうこれからも放射線治療の間は化学療法が出来ないで終わるかもしれませんが、温熱療法だけでも放射線治療の効果を増強させますから大丈夫です。
それで今後、治療が全部終わったら、また地元の病院で引き続き経過を観察してもらってください。
放射線治療が全部終わって、それから3ヶ月後くらいに画像検査をして評価する、ということになるでしょう。
このまま、リンパ節がキレイなままなら、もしかしたらこれで治療終わり、ということもあるかもしれませんね。
この調子で頑張りましょう。

と、いう説明だった。


母は、「本当にあの先生の話は分かりやすい。家に帰ったら父と祝杯だ。」と言って喜んで帰って行った。
(しかし、お酒は飲まないし、父は猫舌なので、乾杯と言ってももっぱらアイスカフェオレだろうが。)


現実を踏まえつつ、より希望の持てる説明の仕方ができる、というのは、すごい技術なのだと最近思う。

今は、医療訴訟を恐れるあまりか、手術の前にわずかな危険性のあるものまで全部説明している。
そしてそれが今時の普通なのだと思っていた。

ところが、ここの病院に来て思うのに、確かに同じ事を説明しているのだが、何かが違う。
話しが終わったあと、今後に向けていっそう頑張ろうという闘病意欲が湧くのだ。

何が違うのか、というと、ある確率で起こりうる有害事象を説明するのにも、
「○○ということが起こるかもしれませんが、そういう時には△△というように対処します。」などの具体策を添えて説明したり、起こる確率の低いことに関しては「××が起こることもありますが、そう心配要りません。」といった感じだ。

病状と治療方針の説明の時も、
「確かに厳しい現状ではありますが、治療はまだまだこれからです。一緒に頑張りましょう。」と最後に言ってもらって、よし頑張ろう、と思ったこともあった。


私も、もし臨床に戻ることが出来たなら、患者さんや御家族に話す時、そういう話し方ができるように心掛けよう。