2006年09月15日(金) 06時30分18秒

徒然草考

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日本から発信されるブログのトラフィックは、大変な量で本家のアメリカをも凌駕する勢いであるらしい。その理由を考えると、日本には、随筆や日記という形式の文学があり広く読まれていることに起因していることが考えられる。

日記、随筆というと日本人なら誰もが「徒然草」をはじめに思い出すだろう。学校の教科書に載っていて誰でも少しは読んでいる。解説書も多い。

しかし、多くの人が、「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつれば、あやしゅうこそものぐるおしけれ」という序段の文章を読んで、その先は、あまり読んでいないのではないだろうか。

私も、その一人で、過去に何回か、チャレンジしたが途中で挫折した。その理由は、「徒然草」は兼好が心に浮かんだ事を脈絡もなく書いているので、テーマが飛んでいて読みにくいからである。

ある日、本屋で「徒然草」の段をバラバラにしてテーマごとに編集し直した本に出会った。講談社から出ている中野孝次氏の「すらすら読める徒然草」という本である。

これが、実に読みやすい。「徒然草」とは別に、次のようなカテゴリーに分けてある。世俗噺、しばらく楽しむ、何となく良い話、生死、名人、シンプルライフ、一事に専念せよ、心の不思議、良き趣味悪しき趣味、美とは何か、ありがたい話、実践的教訓。それぞれのカテゴリーの後には中野孝次氏の解説が載っている。それを読むとさらに理解が深まる。

この本で、もう一度「徒然草」を読み直すと、実に良い蘊蓄が書いてある事が分かる。何百年も読み継がれてきたこの本の良さに、この年になって初めて気づいた。秋の夜の貴重な出会いであった。
2006年09月02日(土) 07時27分13秒

足長蜂との戦い(長文です)

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庭先を歩いていたら、髪の毛に異物が当たった。何だろうと思って、回りを見まわすと、雨戸の戸袋の横に蜂が2~3匹集まって、小さな巣を作っていた。小指の第一関節くらいの大きさの蜂である。体全身に黒と黄色の縞が見える。足長蜂の一種だろう。見ていると、その中の一匹がぎょろりとこちらを振りかえった。次の瞬間、すごい勢いで髪の毛に突進してきた。先ほどの異物が判明した。どうやら、ここに近づくなと言っているらしい。女房は、早く退治してくれと懇願したが、こんな小さな蜂の巣なんて大丈夫だろうと高をくくっていた。蜂を見ながら時を過ごすのも風流なものだなどと思っていた。こんな句が新聞に載っていた。

「巣をあるく 蜂のあしおと 秋の昼」 宇佐美魚目

さて、何日かして、朝顔の水やりに庭に出た。ジョウロウで水をやろうと腰を曲げた時に、首筋のあたりがチクリとした。やられた、と思った。蜂はそのまま飛び去っていった。巣を見ると、この前は豆粒くらいだったものが小さなミカン程の大きさになっていた。その回りに、10匹以上の蜂が集まって何やら口から唾液のようなものを出して巣に塗りたくっている。巣は取りやすいところにあったので、子どもの虫取り網を使って素早くすくってコンクリートの地面にたたきつけた。網の上から足で踏みつけた。

次の休みの日に、庭の草取りをした。草をかき分けていると、ツワブキの下に大きなガマがいた。丸々太っている。何を食っているのだろうと思って上を見ると、そこに蜂の巣があった。同じ種類の蜂らしい。ガマは、この蜂を食って太っていたらしい。その巣も虫取り網で取って退治した。巣を取っても、逃げた蜂が巣を作るということが分かった。ガマの上にいた蜂も、しばらく辺りを飛びまわっていたが、今度は、枝が茂ったつつじの木の中に集まりだした。数日で、また立派な巣が出来あがっていた。

今度の場所は、虫取り網では取りにくいな、と思って戻ろうとして後ろを向いたとたたんに、足にの甲に激痛が走った。蜂が捨て身で刺しに来たのだ。針が深く刺さったらしく、足を振っても離れない。ようやく離れた蜂を見たら、すでに虫の息になっていた。すぐに踏みつぶしたが、刺された足は、焼けるように痛かった。始めて怒りが沸いてきた。相手が本気で来たのならこちらもそれに応える必要があろう。やられたらやり返せというのが喧嘩の鉄則だ。頭の中で、どのようにすれば茂みの中の蜂の巣を取れるか考えをめぐらせた。

そこで、一つの仮説を立てた。蜂も生き物なら、夜は眠るだろう。攻撃は夜に決まった。刺されないように、長袖、長ズボン、ヘルメットもかぶった。首を隠すためにタオルで巻くのも忘れなかった。暗くなった庭先を懐中電灯を持って徘徊する姿は不審者以外の何者でもなかった。しかも暑い。蜂の巣の周りには沢山の蜂たちが丸くなって眠っていた。仮説は正しかった。しかし、枝が邪魔して虫取り網が入らない。考えたあげく、柄の長い枝切りハサミで巣の付いた枝ごと切り落とす事にした。恐る恐る近づいて、切ると巣は眠っている蜂たちを付けたまま雑草の中に落ちた。空かさず虫取り網を被せて退治した。終わった時には、全身、汗だらけになった。戦闘が無事に終わって安心したら、急に喉が渇いてきた。冷蔵庫のビールに手を伸ばした。

次の日、巣のあった枝のあたりを見てみると、生き残りの数匹が集まっていた。敵は、仕返しの作戦会議をしているのかもしれない。ここで油断したら、また、やられると思った。玄関に置いてあったフマキラーを念入りに吹き付けた。奇襲攻撃に一瞬驚いた様子だったが、後の祭りだった。敵は殲滅し完全に蜂は庭からいなくなった。
2006年06月01日(木) 01時46分52秒

「世界街歩き」という番組

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NHKを見たら「世界街歩き」という番組をやっていた。夜中の0時から45分番組だ。素人がハンディカメラで撮っているような映像が映し出される。ナレーションの小池栄子の素人っぽさも良い。今回は、ドイツのリューベック という街だった。

道を歩くような視線でカメラが動いて行く。川に出ると、おじさんが釣りをしている。

「釣れますか?」
「大漁だよ。見るかい」(字幕)
「ワァ、すごいですね。スズキですね。これ、食べるんですか?」
「釣った獲物は、俺のものさ。晩飯のおかずだよ」(字幕)

こんな、会話が、ずっと続いて街を見て行く。引き込まれて最後まで見てしまった。こういう番組は良いな、と思った。旅行好きにはたまらない番組だった。
2006年05月26日(金) 03時08分17秒

「時をつかさどる者」

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30年以上前だろうか、新聞で「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」から始まる文を読みメモをしていた。それを無くしてしまい、ずっと探していた。長い間、出典が分からなかった。世阿弥か誰かの言葉だろうと色々な本に目を通してみたが見つからなかった。それが、昨晩、グーグルで見つかった。驚くことに、何と、聖書の中の言葉だった。

私にとっては、シュリーマンのトロイアの遺跡の発見と同じくらい重みのある出来事だった。博識な方から見れば些細な事かもしれないが、大きな喜びであった。

まず、グーグルに感謝したい。浄土真宗の檀家だが、世界一のベストセラーと言われている聖書をもう一度読んでみたいと思った。
インターネットでは、こんな出会いもあるものかと改めて、その奥深さに驚いた。

◇◆◇

「時をつかさどる者」

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
(新約聖書 伝道者の書 3章1節から8節)
2006年02月09日(木) 07時07分31秒

電車で聞いた話

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京浜急行は、泉岳寺から三崎口までを走る赤い電車だ。
八景で乗ると二人の男の人が話をしていた。
六十過ぎの会社の経営者らしい人と担当部長のような感じだった。

「何で、横須賀っていうか知っているかね」
「・・・」
「須賀というのは、海の浅瀬に砂がたまったところを言うんだ。安浦のあたりは、ずっと砂地でそんな場所だったんだ。横須賀は、その横にあったからそう呼ばれていたんだ。」
話がなかなか、おもしろい。しかも地域の話なので、乗り合わせた人はみんな興味がある。社内はその社長の独演会にのようになっていた。

「横須賀には不入斗(いりやまず)という場所があるね」
「あの読めない字ですよね」
「料、すなわち、年貢が入らない土地という意味なんだ。山口百恵の出身地なんで有名になったが、昔は、作物が何にも出来ない荒れ地で、誰も住んでいなかったんだ。」
なるほど、そういうことなのかと感心した。

話は、まだ続いた。
「横浜に元町という場所があるだろう。」
「山下公園の近くのきれいな通りがある町ですね。」
「今から150年も前にペリーが浦賀沖に来た頃は、横浜は小さな漁村だったんだ。開港の時に、そこに住んでいた漁民を近くの場所に強制的に移して、外国の船を入れるための港を作った。それが今の横浜なんだ。元町は、元の横浜に住んでいた人たちが作った町という意味なんだ。」
元町には、そんな意味があったのかと思った。

「お台場だって、その頃出来たものだよ。黒船を江戸に寄せ付けないようにするために人工的に海の中に作った要塞なんだ。昔は8つあったが、まわりが埋め立てられて、今では2~3個しか残っていないよ。」
若者であふれているお台場にそんな歴史があるとは知らなかった。

「ところで・・・」
話はまだ続いていたようだが、横浜で人がドドッと押し寄せてきて、その二人とは離れてしまった。もう少し聞いていたいと思った。それにしても、世の中には博識な人がいるものだと思った。

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