最近思うことがある。

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私たち人間は、何を知るため、何を感じるために自然から離れ旅を始めたのか。

 

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進化という道を選び、友であった木々と別れ歩んだ道が私たちの後ろに何百年分と刻まれた。

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けれど今、少数といわれようと、再度木々の前に戻ってきた人間がいる。まだわずかかもしれないが、確実に全世界に。


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その戻ってきた人間たちは、言葉にはまだそぎ落とせないけれど確かに、旅をして学んできたものを木々の前に広げ、「ありがとう」と深く木々に感謝し、また共に力を合わせた。

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その力は、大地へ。大地と生きるすべてのものを繋ぐという最高の役割を果たしていく。

 

案内人はこうも言う


「掃除をしていくと感じる歴史がある。ここを守ろうとした人間の存在を。」

 

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今、目の前ではまだ無残にも、欲のために伐られている森が全世界にある。

私たちはその森を残すように運動する、声を発する、體を向ける。

でも伐られていく、止められずに伐られていく。

 

目の前で木々が伐られれば本当に辛い。

地球の生態を多様にしてきた木々の役割は本当に大きい。

だからこそ、その場がいろんな開発でまだまだ進化の道を辿ろうとする行為に怒りがこみ上げる人も少なくない。


 

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でも、私はこの日案内してもらった磐座に生い茂る木々の、人間に対する信頼を見た。

「いやあ、久しぶり。思ったよりも長かったな。」と、木々からの声がする。

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木々は、人間を疑ったことなどない。疑うということを知らない。

必ず帰って来る、そしてまた友として歩む。

それしか、ない。

だから笑っている。

 

私たちは友なのだ。

一緒に地球という大地と生きものの中の「命」とをつなげ、いろんなことを可能にしていく。そこに喜びが生まれていく。

 

今、まだ木は伐られている。

けれど今度は私たちが信じる番ではないか。

必ずまた逢える。ここに木々が戻る。

今度は私たちが、次世代に語り継ぎながら、友が戻る日を人間のできる守り方で守る番なのだ。

それは、大地に花を植え、稲を植え、歌を歌い、音を響かせ、踊りながら。

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こうしてみんな、互いに扉を開いていく。

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最近六甲づいている()

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そのご縁は、六甲牧場ではなく、森林植物園でもなく、また夜景でもなく、森の中…

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いや、森と化した木々の中に眠っていた磐座へとつながっていた。

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六甲には、ロッククライミングの人たちにも有名なほど、大きな岩がたくさんある山で、研究者の人たちの手によって見つけられた磐座には名前がついていっている。

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それでもまだまだ名もない岩がたくさんあり、
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その一つ一つが「どうやってここに置かれたのか」はたまた「方角や距離を示していないか」というような意図の感じられる岩(磐座)だったりする。
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また神の名前でも有名
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だいたい山を歩くと、木々の積み重ねた歳月に目を奪われ息をのむことも多い。

でも今回の六甲は違った。

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それをもはるかに超える磐座の、未だに発せられているパワー・存在感に、圧倒された。

そして磐座を覆い隠すように存在している木々は、まるで磐座を守ってきたかのような印象を与える。

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それも、何から守ってきたかって・・・人間から。

いや、過去から・・・いや、進化という一つの現象から。

 

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私を案内してくださった方々は、6年という歳月をかけて主に磐座に対する周辺の掃除を行ってきたのだけれど、ここの木々たちが友として再度人間を受け入れ空気を緩め?温め?たことを、その場に風が通り光が差し、氣が通っていることで感じた。

 

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―そのむかし磐座は、その大地と人がつながる舞台や扉だった。だから木々たちは、人間がそれを忘れないように守ってきた。大事に大事に覆い隠して―

 

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「木というのは、それがどれだけ大きくても人間にとって『友』という存在なんだ」

私は、その場が出しているその人への空気感にそれを感じた。

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木々の方から「友である」ということを主張していた()

 

 

…つづく(笑)

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音楽を通して

ダンスを通して

スポーツを通して

料理を通して

ものづくりを通して・・・

 

それぞれに得意とする方向があって、

どれも違う

でも、掘って掘って掘っていくと、

出会うのは同じ言葉や感触だったりする。

ここへきて「同じである」という感触は、驚きもある反面、懐かしい人に会えた気持ちもして、どこかホッとする。

多くの仲間がいたんだと嬉しくなる。

 

 

結局人は、いろんなものを通じて、

同じものを感じたいと思っているのだとしたら、

得手不得手があっていい。

得手だけを伸ばさなくても、

不得手を感じることもいい。

 

一時では分からない、その場だけでは分からない。

 

時間をかけることに尊さ、贅沢ささえ感じる。

 

演劇を通して感じる尊さは、こんなところにふと出てきたりする。

 

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ものがたりを自分たちで創造する。

自分ではないものを自分にいれる。

一つ一つの役を絡めていく。

 

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昨日子どもたちと、それぞれの役柄に対する性格を書き出した。

自分の役柄のみならず、他の役柄まで書いてくれる子も出てくる。

それぞれに見えているものが違うところもある。

そこが面白い。

 


表現とは「答えは一つでなくていい」

それでも最後の最後に自分が表現するものを「一つ決める」

最初から一つに決めて進めるのではなく、

いろんな方向からのアプローチを體に通して選んでいく。

 

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書き出してから稽古をすると、ただの呼びかけのようなセリフが個性を持ち出す。

そうなると、セリフには書かれていないアドリブも出てくる。

これは、「本当に話しかけられた」証拠だと、私はいつも思う。

ぼわっと誰に投げている言葉かわからないものではなく、自分に発せられていると感じた証拠。

昨日それを受け止めたのは3年生の女の子だった。

直球でアドリブを返す。

受け止めたら素直に返す。

本人も気づいていないほど、会話になっていた()

 

あー、子どもに学ぶところ、本当に多しだ。

 

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それにしてもたくさん出てきた性格の数々。

これを言葉や態度に表していく、

これからが大変で面白い()

 

彼ら長田っ子たちの本番は来年2月

 

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