稽古に山籠もり⁈

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本日の稽古は、なんと諏訪山公園より再度山にあがる麓にある「稲荷茶屋ホール」にて。

どうしてもジェンベを思いっきり、そして私も思いっきり動ける場所が町には少ない() 場所を探し彷徨って、たどり着いたのがここ?

しかしながら神戸は町から北へ2.30分ほど歩くと山に入れる。この気軽さ。

長野出身・広島出身のメンバーは驚きしきり()

山に囲まれ、ジェンベにディジュリドゥに遠吠えに⁈ 思う存分させてもらった。

 

 

さてさて、今日は昔ばなし。

6.7前に武道を習っていたことがある。

その先生から言われた言葉の数々は、今でも私のここかしこに突き刺さったまま。

 

「いくら理想を掲げても、そこにいけない奴がいる。それは、理想ばかりみて今の自分の現時点を落とし込まない奴だ。いくら遅くても理想を現実にできる奴は、出来ていないことも受け取るが、自分に何が出来ているかもしっかり自分自身が受け取っていくことの出来る奴だ」

私は「これはある」と言い切ることが出来なかった。自分自身に向き合うことが出来なかった。

 

また、ある恩師のおっちゃんから言われた。

「アンタは、自分の器の大きさを知っているか?詰め込みすぎていないか。」

 

この二人からの言葉が、今回の作品をするにあたっていきなり表へ飛びだしてきた。

 

舞台が仕上がることよりも、自分の器の大きさを知りたい。今回「やる」と決めたが、だからといって「結果」にこだわるのではなく、理想と器がどれくらい見合っていないのか、また何が私に「ある」のか。目をそらさずに受け入れようと覚悟をした。

 

それはこれまでの自分との向き合いであり、今後の自分の財産になる、かなり重要な分岐点と思ったから。

本番を四月にと計画しながら書き始めると、なぜかいろんな調整から3月11、12日にすることとなり、時間にも追われることとなる。

 

それでも自分の表したいものに自分の技量がどこまでくらいつくことが出来るか、自分がどこまで踏ん張れるか、台本書きをギリギリまで粘ってみた。

何度も「これが私の器の大きさかな・・・」

と、諦めそうに、放り出しそうになりながら、

「本当にそれでいいのか」と誰に言われるのでなく、自分で自分に叱咤激励しながら()

 

今ここに、A3裏表一枚の台本がある。

 

紙切れ一枚

 

カミキレイチマイ

 

かみきれいちまいの器が今、どんどん広がり理想を現実にしてしまう勢いだ()

 

でもそれも、油断が出来ない。

なんせ、カミキレイチマイの差で物事は反転してしまうから。

 

私たちは日常でカミキレイチマイを感じることがあるだろうか。でもこのカミキレイチマイの世界に目を向けてみると、なんとも豊かだということに気づく。

それは丁寧でなければならないし、でも大胆でなければならない。それこそがもう「豊か」なのだから。 

 

そうして皆の力で、ほんの少しずつ器は、確かに広がっていく。

 

 

「カミニウモレタものがたり」

私は戦争を、戦争の悲惨さを表したいのではない。

どんな環境・状況であれ、逞しく生きる命がそこにある。

これは「生命賛歌」なのだ。

今こそ私たちは、自分たちの持っている、与えられているものをしっかりと認識することが大きなエネルギーになること実感できる。

「生命賛歌」

この言葉も、私から出たのではなく、メンバーから()

こうして皆で広げていく。

ありがたいね。

 

日時3/11() 16:00     19:00

12()       11:00     14:00    17:00

詳しくはhttps://www.facebook.com/events/1788650698122670/

 

 

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今回の作品を書くにあたって、ずっとイメージとして離れなかったのが

「子宮」

 

洞窟のように丸みを帯びた空間

遠くの方に微かに見える、、、いや感じる光

 

そういえば、7.8年前の作品では生まれる前の赤ちゃんが、親や社会の声や音を聞いて生まれることをボイコットしはじめる話を書いたことがあったけれど()

あのあたりから、私の関心は「見えない方」へと移っていったのかもしれない。

 

この作品を書こうと思い始めたころ、ある友人に子どもが出来た。

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子どもの「子」の字も欲しがっていなかった⁈友人が、子どもが出来た途端(そう、お腹にね)、彼女の顔が変わり、生まれてからは、もう性格まで変わっていく()

子どもってすごい力を持っている。

 

で、その子どもの何が素晴らしいのか、

いつからこの素晴らしさよりも、「何かを教えよう」と、「社会に馴染まそう」と私たち大人の視点が変わってしまうのか謎だったけれど、

先日その友人から、四か月目の赤ちゃんを前にして面白い話を聴く。

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「新生児のころをもう少し一緒にいたかったわー」

「え?全然まだ赤ちゃんやん」

「いやー、生まれてから一か月ぐらいまでやな、新生児って呼ばれるのは」

「へー」

「新生児は命そのもの。四か月もなると個性というか、好みが出てくる。それはそれで面白いけど、新生児のあの、無垢というか全てを受け入れている感じ、ありのまま、食べる、寝る、泣く、という行為が命そのものみたいな、あの感じは新生児のころしかない気がする」

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「おおおおお」

 

私が関わってきた子どもたちは、ほとんどが小学生以上。

そうか、その頃にそんな素晴らしい変化をするのか。

 

ん⁈ 待てよ。。。

 

そうなのです、今回の作品「カミニウモレタものがたり」の中で私が描こうとした世界の中にあったのです。

 

その、新生児ともう個性を持ち始めた「人」との差が。

 

無意識って怖い。

 

誰に連れていかれているのだろう、私は。

 

今回の作品の生まれ方は、本当に不思議でならない。

未だに、なぜこんな進み方が出来たのか分からない。

「書かされる」ってことがある、と聞いたことがあるけれど、

もしかしたら自分にも起きたのかもしれない。

もし、本当にそんなことが起きていたのだとしたら、

きっと私の子宮に書かされたに違いない。

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こんなにも、生みの苦しみを味わったのは初めてだから。もちろん子どもは生んだことがないわけだし~(笑)()

でも本当に「生まれた」と感じたから。

 

この作品は、もう新生児ではないけれど、どんなふうに個性を発揮し活ききるのか、

今、スタッフキャストが全力をかけていろんな経験を作品にさせてくれている。

 

そして、私もただただそのうちの一人であることが嬉しくてたまらない。

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というわけで、いろんなお店にもチラシを置かせていただいています。

灘区・王子公園駅ちかくにある「ルリカケス」さん。

ありがとうございます。


 
公演詳細は
https://www.facebook.com/events/1788650698122670/

 

 

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出た❗ 一喝(笑)

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この時期になると、ミュージカルの子どもたちの演出が土日と続き始めます。

面白いもので、子どもたちの演技への取り組み方も地域によって個性に溢れて⁈おりまして()、どこが良いとかではなく、どうであろうが必ず【苦労する面と、楽しめる面】が、共に見え隠れしながら本番まで進んでいくもので。。。

 

で。

そのいろいろの面に刺激を与えていくのが私のお役目な訳だけれど、

最近、いろんなところでワークショップをする機会が多くなったせいか⁈ 私の声の通りが一段と増し()、子どもたちに声がスコーンと突き刺さってしまうようで( ̄▽ ̄;)

若いころからエネルギッシュに声をかけていたけれど、今は「できるだけ柔らかーく」なんて心の中では自分を抑えているわけで・・・

 

でも、今日よーくわかりました。

中途半端は良くないねー、やっぱり()

声や言葉だけで調整しようとすると、真意が伝わらない。

 

現代はやはり、情報社会で。あまりに多い情報に、「言葉」だけを受け取り進んでいくことが多い。

言葉がたくさん溢れていて、その言葉の「意味」は飛んでしまう、流れてしまう。

 

自分の言葉が、誰かの心に影響があり、またそれが言葉や行動につながる。

言葉は、その言葉だけならずそこに意味がついてしまう。

「はい」と言っても、疲れていたなら「疲れた」の意味がつく。

「ありがとう」と言っても、悔しければ「悔しい」と意味がつく。

 

けれど台本を読む限りでは、言葉を言葉通りに伝えようとばかりして、まったく誰の心にも影響が見えず、んんんん????と、とっても無機質なものになりがち。

 

ダンスや歌は、振付やメロディがついているので、目標が見えやすい。けれど芝居の部分は、「疲れた」だの「楽しい」だの「悲しい」だのを自分の表現で表していく。

その時、助けになるのが共演者。目を合わすだけで、誰かに触るだけで思いが通いだす。

通い出したものが絡み合って出来るのが物語の中の時空間。

だからこちらが伝えたいのは、「上手い、下手じゃないんだよ。通わすはずの貴方からの表現が、こちらに見えてこないんだよ」ということ。

これを伝えるのに、今日は出ました! 久しぶりの一喝!()

でも今日はかなり食らいついてきたね☆ 大したものんだ()

苦労が楽しみに変わり始めた瞬間が、どんどん次の場面へと繋がり始めた。

「舞台に共に立っている」という実感。

「自分の一歩が舞台の中のひとつ」という実感。

その実感が、声の張り、動きの大きさ、目力をつくる。

いよいよだ、エンジンが全快に動くぞ。

残り稽古数3日。

 

あー楽しみだ。

気が付くと、声は枯れぎみ、お腹はぺこぺこ()

最近分かったことだけれど、

私はいつもこうして、子どもたちと舞台に立たせてもらってきたんだなー()

 



夢キラリ3月5日 本番です。

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