58本目(11月1日鑑賞)
スティーブ・ジョブズ
監督・製作:ジョシュア・マイケル・スターン
脚本:マット・ホワイトリー
編集:ロバート・コマツ
撮影:ラッセル・カーペンター
衣裳:リサ・ジェンセン
音楽:ジョン・デブニー
出演:アシュトン・カッチャー/ジョシュ・ギャッド/ダーモット・マローニー/ルーカス・ハース/J.K.シモンズ/マシュー・モディーン
大学内を長髪、無精ひげ、裸足で歩く異端児スティーブ(アシュトン・カッチャー)は、大学の卒業を無意味と感じて中退。インドへの旅を経て、ヒューレット・パッカード(hp)で勤務しはじめるが、同僚を見下す態度には協調性が一切なく、社内でも浮いた存在となる。
ある日、友人のウォズニアック(ジョシュ・ギャッド)が、家庭用のコンピューターを企画していていることを知り、その基板を目にして「この世になかったもの」と絶賛。基板を片手にコンピューター関係者へのプレゼンを始める。パーツ屋への売り込みに成功するも資金不足を痛感。ウォズニアックとともにアップル・コンピューターを立ち上げ、スタッフ、スポンサー探しを始める。
映画のオープニングはi-podの発表。
ジーンズに黒いシャツというお馴染みのスタイルで登場。
あらためて思う。コンピュータというマシンは国家や大企業…そういうものが持つものだった。コンピュータ室を埋め尽くすクローゼットサイズのマシン群、そんなイメージだった。
なぜか、ウォズニアックは考えた。「個人用のコンピュータ」が作れるのではないかと。そして、テレビとマシンをつないでキーボードで操作する、という現代人が見慣れた基本形を考えついた。
文字に書いてしまえば実にサラッとしてしまう。これがどれほど画期的なことか、物心ついたころから「インターンネット」という言葉がふつうにあった子どもたちには、想像もつかないことなのだろう、と思う。
ところがこんな「大発明」をしたウォズニアック自身に、山っ気がない。それを製品化して、ユーザー視点で改良を重ね、世に送り出したのはまぎれもないスティーブなのである。
早逝されたスティーブ・ジョブズの人物評価は、実にさまざま。ここで語ることではないかと思われるので、ここまで。
ただひとつ、hiroのスティーブ・ジョブズのイメージは、「上司やバディにはなりたくないが、非常に好きな人物」です。
アップル誕生の瞬間!
手前の太っちょがウォズニアック。
映画は、ヒッピー然としたスティーブの奇行にサラッと触れ、小さなガレージでのアップルの誕生から、大企業への成長、アップルからの追放、そして復帰までを追う。
ただ、「知られざる」的部分は少なく、講談社から発刊された「スティーブ・ジョブズ I」「同 Ⅱ」(ウォルター・アイザックソン著)を読んだ方には物足りないかと思う。
彼の家族観やピクサーに関することはほとんど触れられることはなかった。女性関係については、ある有名ミュージシャンについて触れる必要があり、ピクサ―に関しては同じ映画産業であり、ハードルが最も高いグループである。一切触れないほうがいい、という判断だったのかもしれない。
こういった「大人の事情」と尺の都合で、スティーブの半生を追うとなるとこうなるかな、というところに落ち着いた感。
スティーブを演じたアシュトンは好演。適度に似ていて、かつ物マネに陥ってはいない。オープニングのスピーチだけは、何度も映像見て研究したんだな、と思ったけどね。ただ、爽やか過ぎた? もっと傲慢でわがままでイヤな奴、というイメージだったけど、かなり今作爽やかだったかと。
音楽はよかった。そうそう、スティーブ・ジョブズはボブ・ディランのファンだった。70年代、80年代の風景というよりも、ディランの楽曲を使用することで、映像自体がスティーブの心象風景になったのでは。
爽やかなスティーブ像。
hiroは、全体としてやや不満残り。ただし、スティーブ・ジョブズのことをよく知らない方は、観ておいて損なない。本を読むよりは、「いい人」に描かれているので、彼のことが好きになれると思う。(笑)
「本気で世界を変えられると信じているクレイジーな人々が世界を変えている」
スティーブ・ジョブズは、愛すべき仲間たちを讃えながら、自分もまたクレイジーだと言っているのだろう。
世界は偶然かわるものではないですよね。
変えようと思わなければ変わらない。
hiroも。
あなたも。
世界を変えられる。
hiroでした。