フーテンひぐらし

永遠の放課後。「お前そろそろ大人になれよ」な毎日。人生のテーマ曲は「ダイナマイトが百五十屯」@小林旭


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仕事ができる人や業界でバリバリ走る人は経験値高く、明快で爽快な解決法と答えを持っていたり目から鱗が落ちるような言葉を発したりする。傍にいると感動してその人の価値観にどんどんハマってくんだけど、そうすると知らぬ間に「強くない人」「そこに文句をいう人」を愚かだねと切り捨てるようになる。

 

「強く賢い人」や「自ら解決できる人」自身とそれに共感する人たちは、確かに素晴らしい。
だけどいつしか他の人を「理解力も解決力もない愚かな群れ」だと決めつける人間になってしまいがちなんだ。「やれやれ、馬鹿はほんと分かってないね」みたいに。
また、そこまで行かないまでも「まあ…話しても分からないだろうし」と高みでため息つく感じ。

 

何しろ以前の私が完全にそっち系だったからよく分かるよ。
「過程はいいから結果を」「で、やるのやらないの」「AがだめならBをやればいいじゃん」…そういう物言いや判断の仕方は、仕事ならばすごく有効だ。だけど調子に乗って日常生活でもそれを他人に言ってたよね。
ここに何度も書いてるけど、母親の悩みと愚痴に対してそういう返しをしたら最後に泣かれた。「そんな言い方しなくても…」って。そんで気づいたよね。こういうのは人を傷つけるって。

 

私は当時、単に若く健康で活気ある業界に身を置けていて、病気もしたことなく老いも感じず差別を受けたこともなかっただけ。「人がなぜそうなるかに想像力を使わない、思いやりのない人」になってただけだったなんだよ。

 

「利口な馬鹿」ってのは、大衆じゃなくそういう人のことだ。

 

もう資生堂の話はしたくないけども…事象だけで過去のクレーム案件と一緒くたにして「また馬鹿が騒いだ」ていうのは乱暴だ。 コラムにも書いたがCM制作意図は世間に受け取られたものとは逆だったのはよく分かるから、中止の必要はなかったと私は思う。(意図があるなら、堂々と続けて、分かるように伝えることだ)


でも「なぜ女がそんな過敏なのか」には、これからきちんと耳を傾けてほしいなと思う。

 


私は忠臣蔵が大好きです。
しかしよく考えたら、当時の武士道から言えば、彼らっていわば赤穂藩の中の「超・意識高いチーム」だよね。実行力、企画力、胆力もあったしね。

 

 

かつて立川談志は言いました。
赤穂浪士は四十七人。だけど赤穂藩には、それ以外の「仇討ちに参加せず逃げちゃった奴」が数百人いたわけで。そしてそいつらも、それなりに生きたんだ。
落語とは、赤穂浪士じゃなくてその「逃げちゃった奴」に焦点をあてて語るものだ、と。

 

逃げちゃった奴が弱虫なのか。安全なところからわーわー言う人は総じてズルくて愚かなのか。くだらないのか。きっと、そうじゃない。意識高い人、死ぬほど色々考えてつくっている人からみるとしょうがねーなーって思うかもしれない。でも。


「いらない何も捨ててしまおう」「AじゃなきゃBをやろう」「すっきり割り切って笑おう」そう簡単にできない事情や思いがある人たちってたくさんいる。そこに焦点をあてる、目線を配ることは忘れちゃいけないと思うんだ。

 

 

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2ヶ月ぶりの更新でいきなり戦闘的で何なんですけど、なんか腹立つんですよ。

 

いま「CM Fun」というサイトでコラム書いていまして、ここ最近、立て続けにこういうのをアップしました。

 

★誰が為に「キレイ」は在る?

 

★もうそれ、いらないんです。 〜続・「誰が為にキレイは在る」〜

 

最初のコラムでアジエンスとパンテーンの真逆のアプローチに驚いて、アジエンスどうした一体…!?となったんだけど、間を置かずに同じ資生堂であるインテグレートがあっという間に炎上したので、続編を書いてみたわけです。

 

これらについて言いたいことはコラムの中で全部書いたから読んで頂ければもういいのです。納得いかないのは、このCM自体についてではないのです。
 

私がこの件についてネットのさまざまな意見を眺めていて「え?」と思ったのは、「大げさに騒ぎすぎ」「たかがCMになぜ過剰反応すんの」「笑い飛ばしてスルーしなよ」「まあ怒るなよ」「目くじら立ててると表現の自由は無くなる」と、一見、大人な感じのコメントです。

 

いや、映像の受け取り方なんて人それぞれだから「ひどいね!」でも「そうでもなくね?」でもどっちでも自由なんですよ。でもね、怒ったり悲しんだりしてる人に対して「そんなの、ささいなことでしょ?」「ほら怒ると損よ、笑って」というのは、残酷に過ぎると思うんだよ。まして表現の自由と話をごっちゃにするなんて意味分からないよ。

 

 

ちょうど今日、電通の女子社員が仕事の色々が辛すぎて自ら命を絶ってしまった報道があった。彼女が上司に言われていた言葉は、インテグレートのCMの中の言葉に何となくリンクする。それこそ「そんなのただの軽口だしよくあることだよ。スルーしなよ」と言われそうなことだ。(現に私だって、インテグレートに関しては「さほどでもないな」と思ってた)

 

 

ご機嫌に暮らす、笑ってかわす、いちいち気にしない。
そういうのが良いのはみんなそら知ってるよ。でも誰かの「そんなのささいなことだろ」って言葉は時に人の心をぶん殴るよ。瑣末かどうかは他人が決めちゃいけないんだ。本人にとってはささいではなく「ダメ押しのつらい一発」かもしれないんだから。

 

言った人は前向きなアドバイスのつもりかもしれないけど、そういう前向きさは悶々としてる人の頭を撫でながら抑えつけることになるんだ。

 

 

 

私はかつて広告会社にもベンチャーにもいて、性的なツッコミもホステス的扱いも連日深夜労働もさんざ経験している。だけど私自身がそれをセクハラだとかブラックだとか思ったことは、実は全然ない。嫌だなと思わなかったのだ。最近ネットで話題になった「女性がタクシーに乗るとよく受ける暴言」も1、2回くらいしかない。

 

 

だから私自身は、いま女性たちが怒っているような「女ゆえに食らう理不尽な仕打ちや物言い」をほとんど経験していないのだ。(ゼロではないけれど人に比べて非常に少ないと思う)

 

 

でもそれはすべて、人と環境に恵まれ、たまたま幸運だったからだと今は思う。


ミニスカ&高いヒールだろうが、強面で、いつも言いたいことを言い、不満も疑問も怒りもすぐ相手にぶつけ、痴漢に遭おうものなら全力で追いかけ、つまり好き放題生きている人間であるというのもデカい。

 

だけど世の中、私のように鈍感にはできない人もいるし、強く振る舞えない人だってたくさんいるんだ。ものすごく嫌だなと思いながらも、表面はニコニコ笑うしかなかったり、後からじわじわつらくなってきたり。

 

だからそういう人がSNSなどの言いやすい場所でぶちまけるくらい、いいじゃねえかよと思う。特に女性やマイノリティの人など、これまでは黙って耐えるしかなかったものに「NO」と言えるようになったのは時代の進歩だ。そこらのクレーマーと一緒にしてはいけないと思う。

 

そして「強くあれる人」「力のある人」が、そうできない人を簡単に「弱い」「ネガティブ」と断じちゃいけないと思う。

 

 

 

だからみんな好きに愚痴れ、怒れ、泣け。
つらくて心が死んだり、実際に死んでしまったりする前に。

 

 


エロでも下ネタでも下衆くてもくだらなくても、何でもいい。人がそれで楽しくなったり切なくなったりドキリとしたり反省したりハッパかけられたり。そう、表現というのは自由だ。

だけど「そんなつもりじゃなかった」「大したことではないはず」のもので悲しむ人が大勢いて、実際にそれでつらい経験をしていて、その人たちが明確な意見を投げかけているのならば、その自由は、きちんと再考しなければならないと思うのです。

 

 

私の大好きなマンガ「お天気お姉さん」(安達哲)より。

このマンガこそ、エロくてゲスい。でも大好きなのは、主人公・仲代桂子が女の武器を進んでバンバン使い権力者の男性に取り入りつつも、結局べらぼうに強いから。いつも心に仲代桂子。

 

 

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こないだの「怒れ泣け嫉め止めるな」にひもづくようなことなのかもしれないけど、


元気な人って、ときどき残酷なんだと思う。
その中にはもちろん自分も含まれている。

 


元気というのは、1人で自由に出歩けて、仕事があって、自分で決めた予定を自分でこなせる人ということ。

 

(もちろんいつだって心身共に健康で悩みがないなんて人はこの世にひとりもいないと思うので、元気な人がいつでも元気なわけじゃないけど)

 

ひとまず元気で、家族や身内もひとまず普通に暮らせている人が、その基盤から発するものの考え方で世の中を判断する。それ自体が、誰かにとっては時にひどく残酷なことになる。


元気ならば正論で物事を語れるし、ポジティブでいよう!と言えるし、自己責任!と言えるし、ネガティブな言葉づかいや考え方を断罪できる。

 


ウガーッと怒ったり、毒のある言葉を口にしたり、すごく泣いていたり、愚痴ってばかりいたり、弱音吐いたりする人がいるとして。

そういう人がこちらに来て「このつらさから抜けたい。どうしたらいいか教えてくれ」と相談してきたのなら、「お前しっかりしろ!いいか、まずそのネガティブをやめてだな…」と言うのもアリかもしれない。

また、自分がそれで害をこうむっているなら、説教してもいいと思う。

 

だけどそうでないのなら、ろくに知らないその人に向かって「コイツらのこういうところがアカンのや」と断ずるのは、あまりに傲慢だと思うのだ。

 

よしもとばななは「世話ををするということはどういうことかというと、自分の予定が自分では一切たてらないということである」とエッセイの中で書いていた。

 

これは、子育てする人も、介護する人も、また自分の身体や頭が思い通りに動かせない年齢や境遇の人も当てはまるだろう。老いた身内もそうなっていくだろう。
そこまででなくても、さらにその人にしか分からない(けどのっぴきならない)理由で「思い通りにいかない」人というのはいると思う。

 

 

国だとか言葉づかいだとかを大切にしろ、嫌ならお前が変われやという前に、その「思い通りにいかなさ」に少しでも目を向ける余裕をつくらなきゃいけない。

憂うべきは、未来のことや、人類がキリッとしていないことじゃなくて、目の前のその人が血を流している、ということだ。

 


強さやクールさや活気や品や自立心は、自分で人生を切り拓く上でもちろんものすごく大事。自分の中ではそれを大切にしたらいい。それを熱く語るのもいい。(私だってそれをブログで書き散らしてる)


だけどその輝く剣をふりかざして誰かをぶった斬らないよう、いつでも自分が残酷になりうるということを、忘れないようにしたいのだ。

 

 

 

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「可愛いね」「きれいだね」とか褒められて

全力で否定するときに使うエネルギーが、
世界でいちばん無駄だ。
そのことばを味わう時間を失くしているから。

 

 

「大好きだ」「あなたのことが大切」
「あなたといるとすごく楽しい」

恋人でも夫婦でも家族でもないひとに
そういう気持ちを伝えたくなる瞬間って
人生で、わりとある。
(もちろん異性でも同性でも)

 

だけど、照れくさいなとか
変な意味にとられるかなとか、
向こうが引いちゃったらやだなとか
そういう葛藤をした挙句に、
そんなことはみじんも思ってない、
私の感情は波立っていないよという
顔をつくったりふざけたりして
ことばを飲み込んで過ごしてしまう。

 

恥ずかしくて死にそうになったり

がっかりしたりすることを意地でも避けるために、

目の前のひとに「あなたの存在なんて

私には大したことはないよ」というポーズをとる。


これもやっぱり世界レベルに

無駄なエネルギーかもしれないなと
この頃、思うのだ。

 

人生は、短い。

 

 

 

 

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30代までは全然分かんなくて、40超えてからしみじみ思ったことは
「秘密にしたいことは誰にも喋るな」でした。


仲良しの友達にだけ喋るとかも、なし。

これ結構、難しいもので。
特に同性同士だと、
喋りたくなっちゃう場合がある。

別に「人に言ったらどこかで漏れる」とかの
リスクの問題じゃないんです。
(もちろんそれもありはしますが)


例えば、これは男性に顕著ですけど
パートナーがいるのに外で浮気なり遊びなりしてることを
気の置けない仲間にはかなりオープンに、
ネタとしてガンガン話したりしますよね。

私は女として意識されてないのか、
そういう話をいやというほど聞きました(笑)

私、この人のパートナーとも知り合いなのに
まあよう話すよな…みたいなケース、
過去にたくさんありました。



どんなに仲が良くて
どんなに「まあそういうことも人間あるわな」と
理解してるつもりでも、正直、聞くと引きます(笑)

(そして逆に私も若い頃そういう秘密暴露、してました…)



「自分は表の顔の他に、こんなワルなことを影でしてまっせ」
ということを男はついつい言いたくなるし

「誰かに話したい!共有して相談してスッキリしたい!」
という欲望を女はむらむらと抱えていたりします。

でもねー

そういう、
「ここでは言うがここでは絶対言わない」の
裏と表をやたらと使い分けて暮らしてると、
うさんくさくてちょっとゲスい雰囲気が
なんとなく身についてしまうから

そしてそれは、いつかにじみ出てしまうから

やめたほうがいいと思うんです。


別に色恋の話以外でも。


「秘密なんか持つな」という話じゃないです。
人間、誰にだってそれはあるでしょう。

だけど使い分けを激しくしたりしないで
秘密だと思ったらひとりで抱えておけ、
それが大人の道だ、って思ったのです。


ひとりで抱えるって、たぶん重たいんだけど
その重たさを背負うのが、大人だなと。



あと、これは秘密とは関係ないですけど
喋る喋らないで言うと

「迷ってる思考過程をそのまんま出しすぎる」ってのも、
なんか与(くみ)しやすい子だっつう印象をあたえるから
時には黙って考えたほうがいいと思うです。


「こうするぞ」「こう思うぞ」じゃなくて
「どうしようかな」「こうしようかな」の表明ばかりだとね
自分が思う以上に、「この人いつも迷ってんだな」と周囲に思われる。
あ、決めるの苦手なのかなと。主体性あんまないのかなと。


自分の中身を人にすぐ明け渡しちゃう人や
自分で決めることが苦手な人って、
ずる賢い人からみたらこの上なく操作しやすい、支配しやすい。

それが若い女性だと、より一層危うい。



今の時代、「男は(女は)黙ってサッポロビール」的姿勢は
古臭いし、コミュニケーション上はそんなん誰にも
伝わらないから言葉にした方が断然いいんですけど、

喋らない方がいい、開いて見せすぎない方がいいものも
確かにあるので、そういう時は


たまには高倉健のようになってみるのも、
必要かなと思ったりするのでした。
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