フーテンひぐらし

永遠の放課後。「お前そろそろ大人になれよ」な毎日。人生のテーマ曲は「ダイナマイトが百五十屯」@小林旭


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組織でも行きつけの店でもお気に入りのアーティストでも何でも、新しいことを始めようとすると必ず「このままがいいのに」「変えたらダメになる」「そんなこと望んでない」「それより既存の我々を大切に」という意見がドッと出るなあ。

従来の規模と顔ぶれとやり方に慣れた人たちは、とにかく現状を変えたくない。そりゃ今が心地いいもん。

 

確かにそういう意見は一理あるし、新しいことを試した結果ダメになって「ほーら言わんこっちゃない!」となるかもしれない。その確率は結構高い。
それでも新しい挑戦をしたり、顔ぶれを変えたり、規模拡大するタイミングというのは必ずある。いまだ、という時がやってくる。その時に外野の声を聞いてビビッて変えず、そのうち停滞し色褪せたとしても「ずっとこのまま」を望んだ人々は当たり前だが責任を取ってはくれない。ただ去ってゆくだけだ。

 

だから変化は常に必要なんだ。

 

そういうベンチャースピリットを自分ひとりでも持つべきだなと思うし、自分が持たないならばそのスピリットを駆使しようとする人たちへ少しの理解と期待をかけてあげるといいと思うんだ。「変わっちゃった!」「昔のがよかった!」とただ悲しんで暗い未来ばかり予想して疾走の足を引っ張るくらいなら、黙って離れればいいと思うんだ。

 

 

私自身は現状を変えるのが異様に苦手で「永遠にこのまま」ですぐ満足しちゃうタイプなので、そういうスピリット大事にしようぜって心に刻む...ひとのも、自分のも。

 


例えば私は綾小路さんと氣志團の仕掛ける新しい施策がとても好きだ。
自分の望む方向や好みと合わない場合でも、ファンに「毎回いきなりなんだよ…何やってんの」とか言われたとしても、その姿勢自体が眩しいと思う。「また新しい(怪しげな)こと出してきたな!」ってなるのが好きだし、毎回うおお〜見習いたい!と思う。

 

あとね、LDH所属アーティストはやたらと夢っていうんですよ。「夢を叶える」って。最初は薄ら笑いで聞いてたけど最近気づいたんすよ。あれ「新企画」の言い換えだと。
上から指示される活動だけじゃダメ。グループ活動で安心してちゃダメ。個々の新しいアイデアをどんどん実装せよ!という企業方針。常に自己プロデュース、常に新企画、常に変化。だから彼らは1人1人が結構必死だと思うのよ。その疾走感がまた結果的にファンを惹きつける。

芸能ゴシップ的には何だかんだと批判されてても、そういう意味でLDHという組織はいいなと思います。

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先週、ネットプライスから配信されているメルマガにこんなことを書いた。

 

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フツーの自転車じゃなくて、ギアをいちばん重くしてる自転車とか、スポーツジムの足でこぐマシンとか、いままさに坂道をのぼろうとしている自転車。それをこごうとする自分を思い浮かべてみて下さい。

 

最初は、とにかく重たいんですよねペダルが。

平地でフツーに自転車に乗る時みたいにスーッと軽快には滑り出せず、その重さに「うっ…!」って一瞬息が止まる。そこからふんばって体重かけると、ゆーっくりと回転を始める。その時がいちばんつらい。普段あまり使わない脚の大きな筋肉を使い、全身でこいでゆく。心拍数が、息が、上がる。そうするうちに回転のスピードは速くなり、どんどん前に進んでゆく。気づけば自分が最初のうちほど力を込めなくても車輪がぐんぐん勝手に回っているのを感じる。

 

…なぜこんな話してるかというと、最近このイメージが頻繁に頭の中に浮かぶからなんです。ボクササイズのジムに集中して通い始めて午前中からハードな運動をしてるのですが、終わってからも全身を血がガンガンかけめぐってるんですよ。それで勢いが止まらずに「よっしゃ、このままアレとコレを済ませよう!」と積極的に用事をこなしてゆき、変なテンションで「仕事だ仕事ー!」と机の前に座れるんです(笑)

皆さんにも覚えがありませんか?部屋の片づけを溜めに溜め、嫌々ながら取りかかったらどんどん拍車がかかり、あそこもここも…と手を広げ、しまいには気づいたら捨てなくてもいいものまで勢いで捨てちゃってること。とっかかりはものすごーく気力と体力が要る。とてもつらい。でもそれを過ぎると自分の中の歯車がぐるんぐるん回り続けて止まらない。こういうのをランナーズハイというのだろうか…?

 

何はともあれ「無」から最初に押すスイッチはものすごく重たい。つらい。でもええい!とそのまま進んでしまえば、どんなことだって意外とぐるんぐるん回り始めるのかもしれませんね。運動と家事以外の、いろんなことも。

 

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このことは相変わらずしみじみ感じ続けているけど、「テンションとやる気が回転し始める」だけじゃなくて

 

「楽しい」と感じるまでにも一定の時間と工程がかかる

 

ということもすごく思うんだ。

 

私は基本的に面倒くさがりなので、本来は「今のままで平穏にのんびり暮らせればいい」と思ってたりする。新しいことは面倒くさい。だからものすごーく腰が重い。

本当は絵を描くのも文を書くのも好きだけど、誰にも何も言われなければそんなの書かずにまんが読みながら胡池屋ポテトチップのり塩を食っていたい。

 

でもどこからかひとが現れて「文章を、絵を描いて下さい。いついつが締め切りです」って言われる。だから最初は「わーん面倒くさい」と思いながら机の前に座ってやっとこさ手を動かし始める。

 

そうして筆が乗ってくると「あ、私はこれが大好きだった」と気づき始め、そのうちに「うわーーこれやってる時ってたーのしー!」となり、やっと「私は絵と文をかくフレンズなんだね!」って思うのである。(とても遅いタイミングで流行りに乗ってみた)

 

何とおこがましいことか。人に頼まれて締め切りという強制力が働かないと好きな世界に入り込めないのである。きっと世の中で成功している人は「〜せずにはいられない」というキャントストップ系のひとたちだ。(だから私はずっと中途半端だ)

 

冒頭のメルマガに書いた文章とおなじく、始まりは「めんどくさい」「重たそう」なのだ。でも途中から気づく。これが大好きであることを。だから、最初のめんどくさいで挫折してはいけない。その後には「楽しい」と「好き」がかなりの確率で待っている。一度そう思ってしまえばあとは習慣にしてゆくのがだいぶ楽になる。キャントストップ系になるにはやっぱり、最初は重たいペダルをこいだり、いやいや机に座ったりする第一歩がどうしても必要だ。

 

 

だから思う。私の前に「あなたのかいたものがいいと思うので、かいてください」と現れて締め切りを設定してくれるひと。彼らは全部、天使なんだな。

 

 

※そういえば昨日読んだ吉本ばななさんの文章にも、この感覚に少し通じる部分があったな↓

 

ボクとワタシの「幸福論」第4話   「手を動かす」

 

 

 

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Eテレの「漫勉」がまた始まった。うれしい。
ものをつくるひとの話すことばはおのずと名言の宝庫だし、1コマ描くだけでこれだけの労力と熱量をかけるのかというさまにはほんとに心打たれる。

 

漫勉観るたびに言ってることだけど、漫画家さんの仕事ぶりもすごいけどこの番組は浦沢直樹の好奇心、気づき、分析力で成り立っていると思う。ほんと彼のそれは毎回面白いし「よくそういうところを感じ取ったなあ」と感心してしまう。さらに誰とでも話を深堀りできるコミュ力、ちょっぴりのアウトロー感。だから漫勉の結論はいつも「浦沢直樹ってモテるよね」だ。

 


先日の伊藤潤二さん(ホラーまんが)の回では、浦沢先生が怖さというものについて「一瞬だけ見るから怖いっていうのはある。真正面からじっくり見たらそのうち慣れる。怖さというのはチラッと見えることだ」というようなことを言っていた。

 

ああ、まさにそうかもしれないと思った。そしてそれはホラーに限らず、「自分が恐れて(畏れて)いること」に関してもそうなのだ、きっと。

 

自分が始めようとしている新しいこと、まかされそうな役割、いきなりやって来るトラブル、まだ直接コンタクトを取っていないあの人。そういうものは結構な手前で「近づいたらこうなるかもしれない」「こう言われるかもしれない」と色々思ってしまう。そういうふうに想像するだけとか、少し触ってみただけとか、一歩踏み出したたけとか、その段階がいちばん怖いのだ。そして私は、その段階できびすを返して逃げてしまうことがとても多い。

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とまでは言わないけれど、覚悟を決めてええいやるかと真正面から取り組んだり、思い切って至近距離に近づいて直接対峙してみると、思ったよりもそれは小さく、単純で、意外と優しいのかもしれない。

 

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人の目の前で何かをしようとする時、こちら側とあちら側の温度は想像よりずっと大きな差がある。これは舞台に立ったり、人前でプレゼンをした経験があるひとなら一度は体感したことがあるはず。
こちらが何かし始めたからといって、目の前の人たちが(例えお金を払ってそこに座っていたとしても)簡単に入り込んでくれるわけではない。最初の壁は大きいし低温。あちら側があたたまるのには時間と理由が必要だ。


最近、ものすごくかっこいい踊り手や、ものすごく上手い噺家(落語家だったり講談師だったり)を続けて観る機会があって、ふと気づいた。

ためてためて、解放して。ふんわり抱えて。
右から左へ上から下へ運んで。切り裂いて。

空気と時の流れを自在に動かして支配する。
なのに体幹(自分の真ん中)はブレない。

これが、ダンスにしても話芸にしても「うまい人・思わず魅了されてしまう人」の共通点なんだと。

上手くない人は、場の流れを動かそうとすると勢い余って自分がブレてしまう。下から入ろうとしたり、顔色をうかがってみたり、無理にこねくりまわしたり、「何か」に合わせようとしてしまう。センターに、自分がいない。


(たまにそういうすり寄りで誰かを魅了してしまう人もいるが、そういう人はプロフェッショナルなサービス精神と鉄のハートとド根性を持っている)


人前でする芸ではなくても、こういうことは誰かとの関係でよくあることなのかもしれない。

日常の人間関係ならば、「場の支配力」なんてもんを持つ必要はない。ただ、無理に好感を得ようとようとしないこと。焦らずゆっくりやること。自分の軸をぶらさないこと。ぶれない何かを持つこと(「自分は自分」という程度でいい)。
これは忘れないでいたい。
 
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2ヶ月ほど前にTwitterでもつぶやいたのだけど、ここにも書いておこう。


その時たまたま観たトーク番組(しゃべくり007)に、AKBの指原さんが出ていた。
彼女は最近バラエティにひっぱりだこで、どうやら「NG項目ナシ、何でも聞いて下さい、何でも喋りますよ」をウリにしているらしいと知る。確かにとてもサバサバしていてこだわらない性格を伺わせる受け答えだった。

 

恋愛観を語る彼女曰く「ダメな人がわりと好き」「好きな人には、こちらがどんなにテンション高く話しかけても適当にスルーして欲しい」
これを聞いて、ああ…若さゆえの好みだなあと思ったし、同時に、観ている男性視聴者に気だての良さやお人好しぶりを感じ取ってもらえるような上手な回答だなあと思った。だって若くて可愛いアイドルグループのセンターが「好きな男の条件」として色々注文つけたり、「あれこれ私に尽くしてくれないと!」と言ったらとりつく島もない。それよりずっとずっと(男性からは)好感度が高そうではないか。

 

その回答、テレビ的には素晴らしいけど、ひとりの女性としてはあまり幸せになれない方向の恋愛観だぞ…まあ若い頃にはわかんないか、なんて思いながら観ていたら、「指原はブスかブスじゃないか」というコーナーが始まった。街の人の容赦ない声のVTRを受けて、レギュラーメンバー(全員男性)もその議論をしなければならない。

 

本人が目の前にいるので、当然メンバーたちは躊躇した。それはごくまっとうなリアクションだったと思う。「いやだってそもそも可愛いと思うし…」とメンバー。でもテレビ的にはそれでは済まされない。指原さんは言う。「あー、私慣れてるから全然平気ですよ?」
そうサラリと笑顔で言ってのけられたので、メンバーは「それじゃ…」という感じで切り替え、「ブスだと思う。なぜならば…」という前提で議論を始めた。ブスという言葉が連呼され、指原さんにぶつけられる。

 

すると、一生懸命それに応戦しながらも彼女の声が少し震え、その目から涙がポロポロとこぼれてしまったのだ。


あわてるレギュラーメンバーたち。「だからやめた方がよかったのに」という顔である。でもいちばんあわてたのは指原さん本人で、この「テレビ的に面白い流れ」をつい乙女ちっくな心臓でぶち壊しちゃってごめんなさい、という顔をしていた。

 

観ているこちらがもう、色々つらすぎた。

 

 

だいたいいくらNGナシだからといって、なぜこんなコーナーをつくったのだろう。メンバーも、指原さん本人も(本心では)あまり望まないコーナーを。もちろん、お茶の間だって望んでいなかっただろう。よってたかってひとりの人間の容姿をいけてるかいけてないか議論するのの、どこが面白いのだろう。

 

そして同時に、指原さんは一刻も早くそういう「さばけてる女子という役割」を捨てるべきだ、と強く思った。本人の心身によくない。

 

 

テレビ業界は「いま面白いこと」「笑える空気」が優先される。そして圧倒的に男性的思考が柱にある世界なんだと思う。
そのど真ん中に暮らしているから、賢い彼女はそういう「女にしちゃこだわらない」言動がとてもウケること、バラエティなどで重宝されることをよく知っているのだろう。
でも「指原さんあなた無意識のうちにかなりハート削られてるよ…」と思った。目の前にいたら、言いたい。もうそこに積極的に馴染むのやめなよ。自分の本心をもう少し大切にしな…と。だいたいあなたは決してブスじゃねえ。世間の声に慣れてはいけない。

 

 

指原さんがそうなるの、実はよく分かる。彼女は決して無理に合わせて頑張っているわけでも媚びてるわけでもなく、男性中心社会の中にいると「男性間でウケる解答やさばけた受け答え」が無意識のうちに身についてしまうのだ。


私も昔は男友達とばかりつるんでいたからおんなじだった。他の女子がいたら決してできない話やツッコミを、男たちは私にしてくる。それを眉をひそめることなく平然と聞いたり言い返したりすることで喜ばれ、同志としてさらに受け入れられる。
それが純粋に楽しかったし、自分が特別みたいだったからその時間は何の問題もなかった。でも仲良しの男子たちと盛り上がったはずなのに、帰宅したら何故か傷ついてて涙がじわりと出てくることが何度かあった。あれれ?となって気づいた。ああ、私は内心、そんなことは聞きたくないし言われたくないんだと。だからある時期からそのノリを、やめた。

 

かばうわけじゃないんだけど、男たちが意地悪してるわけでは決してない。男同士ってけなし合いダメ出しし合いで親愛の情を示すし、「マジに取らず笑いに落とせる」ことこそがカッケ―って気風がすごくあるだけなのだ。

 

だけど、だけど。それはやっぱりホモソーシャルなんだよ。
女性は(もちろん男性でも)最後までそのノリにぴったり添うのは難しいし、そんなの、無理やり添わなくていいんだよといまは思う。

 

ある集団独特のコミュニケーション方法や価値観に合わせるために自分の心身を削る必要はないし、それやってると自己評価が知らない間に低くなる恐れがある。それを平然とできる人間を尊敬し、できない人間(自分含め)をヘタレとみなすのは、とてもバカらしい。

 

だから指原さんはこれ以上さばけなくていいし、男性の皆さんはそういうキャラの子がいても素直に「そっか男みたいにイジッていいんだなこの子」とか思ってはいけません。たとえ本人が自虐トークをしても、他人に言われるとダメージは数百倍になるので、言ったらだめだよー。

 


それにしても、ついこのあいだも、りゅうちぇるに対し「そんな格好とキャラクターで、将来父親になった時に子供が可哀相だとは思わないのか」と仲間に言わせたドッキリ番組もあった(気丈に言い返したりゅうちぇるは後でくやし泣きをした)けど、「ひどいことをぶつけてそれに対する反応をみる」みたいなテレビのやり方は本当に本当に、やめたほうがいいと思うんだ。

 

 

ひとは簡単に傷つくし、ひとを簡単に傷つけることができる。

普通に生きてたってそういうことはたくさんあるんだから、面白さのために積極的にそこに乗ったり無神経を装ったりしないほうが、ほんといい。

 

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