廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。


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この前も途中まで書いたと思いますが、YSNが私に就職相談を持ちかけ、50万円の前借りを頼んだことが、私が事件の舞台になったI社に入社したきっかけであり、これがなかったら、I社で働くこともなかったと思います。

I社とか書くの面倒くさい上、分かりにくいと思うので、そのまんま市場急配センターと書くようにします。公開している供述調書でもこの部分はそのままにしてあります。これは会社法人のあり方、責任という社会告発の意味もあるので、公にしておきます。異議があればご意見ください。

YSNが面接を受けたのも金沢市場輸送でした。彼は金沢市場輸送の長距離大型運転手として入社したのですが、大型免許を取得するため、すぐに市場急配センターで自動車学校に通いながら市内配達の仕事をするようになりました。

細かいことはさておき、YSNの妻がやった不審な行動を書いておくと、度々アパートに遊びに行っても、ワンルームの部屋の中にあるベットに寝て、シーツのようなものを頭から被って、決して顔を見せようとはしなかったことです。

そんな行動というか態度を続けてきたYSNの妻ですが、平成3年12月22日の夜だったと思います。普通に姿を見せていました。それも出産直前の体です。マタニティのようなおなかを隠す服ではなく、かなりださい感じのジャージ姿でした。化粧もしていなかったような気がします。

昨日の続きで、被告発人・被告訴人YSNに焦点をあてて書いていきます。先程Togetterにもツイートをまとめるリストを作成しました。http://togetter.com/li/40222 リストへは順次追加していく予定です。

平成3年のことが中心になりますが、19年前になるので、思い出すのもきついです。YSNの妻の不審な行動についても早い段階に金沢地方検察庁には知らせてきたのですが、何もしないで放置していたのであれば、お手上げかも知れません。

ノートパソコンですが、Gitでファイルを同期し、編集しています。正直気分は乗らないのですが、少しでも書いておきたいと思います。YSNに関する記述は、hk_YSN.txtというファイルにまとめながらつぶやいています。

平成3年12月22日のことだと思います。前日8号線バイパスの藤江陸橋の高架下で投げ捨てたクリスマスプレゼントを被害者AAに何とか手渡すため、私はYSNのアパートを訪ねました。夜です。時間まで覚えていませんが、19時か20時頃だったと思います。

YSNの妻が初めて顔を見せたのもこの時でした。ジャージ姿であったことは書いていますが、ジャージは下の方だけだったと思います。長袖シャツだったか覚えていませんが、上着は羽織っておらず、出産直前のお腹をあえて目立たせるような服装。

アパートは1DKというのか、割と広いキッチンがあって、部屋は8畳ぐらい。部屋の奥の方は大きめのベッドが置いてあり、部屋の3分の1ぐらいのスペースを占めていました。妙に愛想が良かったのも印象的で、それまでとは別人のようでもありました。

むしろそれまでの対応の方が異常なぐらいでした。ベッドで頭からシーツをかぶり顔をみせようとしないだけでなく、妙に無愛想な態度でした。50万円の保証人にもなっていたのに、お礼や挨拶をすることもありませんでした。

何か食事を作ってくれもてなしを受けたような憶えもります。ただ、妻が台所に立つようなことはなく、YSNが何かを台所で作っていたような気がします。小さいテーブルに向かい合って、妻と話をしていた場面を今でも印象的に記憶しています。

この時は、もう一つ印象的なことがありました。電話が掛かってきて、YSNがしばらく話をしていたのですが、電話が終わると、夜中に走ることになったというようなことを言い始めました。同じ大型長距離運転手の○下の代わりに走ることになった。

8号線バイパスで乗用車の運転手と喧嘩になり、道路に頭を打って気を失ったという話でした。その時自分は東インター付近を頭に思い浮かべたので、その辺という話だったと思います。電話の相手はMHK社長と言っていたと思うのですが、あるいは、

TYNであったかもしれないです。とにかくこの時もYSNは、実にあっけらかんとしていて、不満を口にすることもないばかりか、突然の電話と、突然の仕事が舞い込んだことに驚く様子も全くなく、この日は珍しく終始上機嫌でした。

仕事の内容というのも現在ははっきり思い出せないのですが、愛知県の豊橋の仕事であったことは確かだと思います。空荷で豊橋に向かい、朝一番に青果物を積んで金沢へ運ぶ仕事であったと思われます。この豊橋の仕事は小林運送の仕事でした。

豊橋の仕事が始まったのもこの12月の下旬頃からだったと思いますが、私は運行の割り当てが少なく、豊橋の仕事に行ったのは2回だけかもしれません。それもだいぶん後になってからで、2月の中頃が最初でしょうか。

一度目の豊橋の仕事は単純な仕事でした。朝早い時間に出荷場で白菜のようなものを積んで、すぐに金沢に向かったと思います。昼過ぎには金沢の市場に着き、夕方前には終わるような仕事であったような気がします。ずいぶんと楽な仕事です。

二度目の時は、現地で小林運送の助手を同乗させ、トマトなどを積みにあちこちの出荷場を回りました。渥美半島の先端の方まで行きました。帰りの卸先も、石川県加賀市の大聖寺の市場や、小松市の市場も含まれていたと思われます。

市場急配センターの場合、大型運転手の給料は仕事内容にかかわらず一律50万円の固定給ということになっていました。そういうこともあり、自分の場合、他の運転手がいやがる茨城の古河の青果市場の仕事や和歌山のかつらぎ農協の仕事が多かった。

この小林運送と市場急配センターの関係というのも気になるもので、色々とあるのですが、これは他の人の刑事事件にも関わることなので詳細は書けません。ただ、警察が大いに注目していた可能性があることは、指摘しておきたいと思います。

YSNはプレゼントを手渡すことを、あっさり引き受けてくれました。私は彼女を外に呼び出して、こっそりもらってくれるように頼んでくれと、話していました。無理強いはするなとも言ってあったはずです。当時は携帯電話も普及していませんでした。

12月22日は日曜日でした。23日に七尾でベニヤか製材を積み、24日の朝には東京の練馬区で荷下ろしをし、首都高速の池袋インターから古河の青果市場に向かいました。この日は夕方のセリがなかったこともあり、17時前には関越トンネルの手間にいました。

誤字がありました。手間ではなく手前です。

仕事の電話で彼女と話す機会はあったのですが、受け取ってくれたのか確認することは出来ず、彼女の性格もあるのですが、固い感じでした。彼女は納得のいかないことがあると、固い感じで、もともと無口です。淡々と事務的な対応でした。

25日には会社にも戻っていたはずですが、すぐに七尾に行き、また関東に向けて出発していたと思います。七尾の仕事は、ベニヤが林ベニヤ、製材が能登木材で、全部関東向けの仕事でした。金沢から七尾市までは昼だと2時間ぐらい掛かります。

現在記憶がはっきりしていませんが、この25日に出発した運行の行きか帰りに、YSNに連絡がつきました。妻は出産のため入院していたらしく、電話を掛けても不在でした。YSNが電話に出たのは、夜22時か23時頃、栃木県の足利市のガソリンスタンド

から掛けた電話でした。この時間だと古河からの帰路ということはありえないと思いますので、この25日の夜の可能性が高いです。彼は当日茨城県の土浦市あたりから金沢までレンコンを運んできたような話もしていました。

この時もYSNはあっけらかんとした態度で、渡してやったといい、事務所でIHKに「これAちゃんに、秀樹がどうしてももろとくれと」と言って渡すと、すぐにIHKがAA本人に手渡し、IHKに「どうしたんAちゃん。顔真っ赤やじぃ」と言われていた、

と話していましたが、それ以上は詳しい話をしようとはしませんでした。土浦市内で、トラックの箱を民家の屋根にぶつけ、そのまま走ってきたようなことも、あっけらかんと何でもなさそうに話していました。

なお、YSNのアパートの固定電話は当時でも他に見かけることがなくなって久しかったダイアル式の黒い電話でした。そして電話の線を抜き、掛かってこないようにすることも度々やっていました。

そのおかげでMHK社長や配車係になっていたTYNの指示で、金沢市内花里の彼のアパートまで見に行かされることも何度かありました。尋常でないスピードでトラックを走らせているとか、不安げに話を振ってきたのもこの二人と輪島の浜○の3人です。
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