2013-12-08 12:00:00

アメリカでも変ら無い「真珠湾攻撃」に関する誤った通説

テーマ:大東亜戦争

 今日は12月8日即ち72度目の「真珠湾攻撃の日(日本時間)」です。下の本は、筆者が「ルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていたとの陰謀」を必ずしも決定的に決めつけた物では有りませんが、「陰謀はかなり事実だったのでは無いのか?」との考え方に立脚して書かれています。


 この件は、「特定秘密保護法」に関し野党議員が知ったかぶりに言っていた「アメリカは或る期間が過ぎると総て情報を公開している」は全くの嘘で、南雲艦隊の交信した受信記録等の重要な情報が未だ今だに公開されていません。(開戦後直ぐに廃棄された疑いも有ります)


No!自虐史観


(窪田明著・株式会社冬至社・2005年1月発行


 本の中から、「日本は何故真珠湾を攻撃したのか?」に付いて書かれた部分からの1部をご紹介します。実に情けない話ですが、日本人の中にも今でも「日米戦争は、真珠湾攻撃から始まった」と思っている人達が大勢います。


 そう言えば先日古本屋で入手したあの終戦直後のドラマ「君の名は」のテレビ化でヒロインを演じたと言われている岸惠子のエッセイでさへもそうでした。(多分毎日東京裁判を現実に新聞・ラジオ等で知らされていたから仕方ないとも言えます。しかし、その後の真実を知ろうとする努力が感じられない)

 このような人達は、少し冷静に考えれば、「日本民族が狂犬でもあるまいし理由も無くあの巨大な米国の軍事基地に青天の霹靂の如く奇襲攻撃を掛けるなんておかしい?」との考えも有ってしかるべきでしょうが、戦後のGHQによって仕組まれたWGIPの為に教育・メディアの主張が、そうはさせません。
(だからと言って攻撃当時の我が国に全く落ち度の無い状況だったのかの歴史観は、全く別の問題と成りますが、「日米の戦争は、日本が一方的に真珠湾攻撃から始めた訳では無い」ことだけは明記しておきます)

 因みにWikiからアメリカが日本を真綿で首を絞めるようにジワジワと経済的に挑発して行った事実を貼り付けました。当時日本は、今のようにアラブ諸国からでは無く、石油の輸入量の約80%をアメリカに依存していたのです。下の(略)にも資源等の制裁の内容が載っていますが、総てをご覧に成りたい方は、下のURLをクリックしてください。


No!自虐史観


対日経済封鎖

アメリカによる対日封鎖と経済制裁のあらましを記す[9]。

・1937年(昭和12年)10月5日 ルーズベルトによる「隔離演説」
・1939年(昭和14年)7月 日米通商航海条約破棄を通告
・(略)
・1940年(昭和15年)1月 日米通商航海条約失効
・(略)
・(略)
・(略)
・1940年(昭和15年)8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、

航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
・(略)
・1940年(昭和15年)9月 屑鉄の全面禁輸
・(略)
・(略)
・1941年(昭和16年)7月 日本の在米資産凍結令
・1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸
http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2


■上の本の中から非常に興味ある部分を転載します。

>(前略)筆者(管理人注:窪田明氏のこと)が北米で、聞いたり読んだ限りでは、北米の一般市民の間で、真珠湾攻撃をそのような形(註1)でとらえられている例はかなり多いようだ。

 三つほど実例を挙げてみよう。その一つは、20~30年前(註2)にもなろうか、米国のハーバード大学における真珠湾攻撃についての講演の録音を聴いた際のことで、演説者が日米外交交渉の詳細を説明し、その不幸な結果を報告し、その後で、
付け足しとして、米国の対日経済封鎖の制裁のことに言及すると、その講演を今まで静かに聴いていた学生たちが一斉にげらげら笑い始めたのである。

 その時の筆者の受けた印象は、大部分のハーバードのエリート学生は、史実としての米国政府による正式な対日経済封鎖のことをそれ以前に学んでおらず、その時、そのことを初めて知り、「何だ。そうなのか。それなら日本が真珠湾を奇襲攻撃するのは、当然の話ではないか。わかった。驚くことはない。当然予想すべきことでなかったのか」というものである。

 一般に米国の高校での歴史教育では、そこまで掘り下げることはしないのである。筆者の知る限りでは、北米では、その当時はエリート高校であっても、歴史を北米中心のものから離れて、世界史的とかアジア史の見地から取り扱うことは、比較的に稀だったのだ。(註3)

 二番目の例は、筆者の知人で、最近(註4)ロシアから日本に移住されて来られた元ロシア科学アカデミーの自然科学関係の研究者の述懐であるが、
「日本に来て、テレビの番組を見て初めて、真珠湾攻撃前に、米国が対日経済封鎖をやったということを知って、段々様子がわかり始めた」と述べたことである。

 三番目には、日本の総合雑誌で読んだものであるが、ドイツで日本の大学教授が講演した際に、聴衆の一人から質問を受け、その質問は、「日本はなぜ真珠湾攻撃というような途方もない大変なことをやったのか」というものであった。

 このドイツ人の質問者の歴史的な背景についての一般的な想定は、その直前まで、日米関係はかなり正常なものであったに違いないというものらしかった。多くの米国の一般大衆の考えているように、多くのドイツの一般大衆は、米国政府は真珠湾攻撃直前まで、日本に対して、あまり「変なことはやっていないはずだ」といったものらしい。

 特に恨まれることのないはずの巨大国に対して、比較的に小さな国が奇襲攻撃を仕掛けていけば、もちろんそれに対しての自然な反応は、「途方もない、非理性的な、狂いじみた行為」ということになる。(52,53ページから)

■同じ本の部分より。

> 歴史を勉強する際に、「もし」という表現を使うことは危険だという。「もし」という構想を繰り返していくことによって、ほとんど無限に論理的に可能な進路を追及することになり、多量に知的な労力を無駄使いをしてしまう可能性があるからだ。頭の体操も有益だが、それには限度があるようだ。

 ただ、その「もし」という表現を、ここで一度だけ使うことを許してもらうとすれば、それはその当時の米国の強硬な態度は、多分、米国にとっても、日本にとっても、世界にとっても誤りであって、もっと柔軟な態度を取るべきであったのではないかというものである。

 「もし」米国が、チャーチルの意見等を退けて、もっともっと柔軟な態度で日本に対応していたならば、日本にとっても、英米にとっても、その後により望ましい国際的な関係の発展を見出したのではないかというものである。

 日本語で書かれた真珠湾攻撃直前の日米交渉についての一部の文献によれば、米国務省高官のスタンレイー・ホーンペックらを、対日強硬論の主な出所としているものもあるようだが、政治力とかその他の理由から考えてみると、この点では、チャーチルの貢献の方がより顕著であったというのが、筆者の現在の仮説だ。(後略)(163、164ページから)
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【著者紹介】(2005年1月時点)
 窪 田  明(くぼた・あきら)
1932年8月30日に米国カリフォルニア州サクラメント市生まれ。
東京大学法学部卒業。米国ミシガン大学政治学博士。カナダ・ウインザー大学
準教授。東京福祉大学教授。東京大学東洋文化研究所客員研究員、カリフォル
ニア大学ロサンゼルス分校アジア系アメリカ研究センター客員研究員、その他。
く主な著作〉
Akira Kubota, Higher Civil Servants in Postwar Japan: Their Social Origins,
Educatinal Backgrounds, and Career Patterns (Princeton, NJ: Princeton
University Press, 1969)、アキラ・クボタ著"「アンフェア感覚」の日米落差〟
「諸君!」第19巻、第4号(昭和62年4月) 80-88頁、その他。
く所属団体〉
日本政治学会その他。

(註1)米国では、真珠湾攻撃は一般的に「大変汚い行為である」と見做されていることを指す。
(註2)1985年から1975年前
(註3)147ページによると、2005年頃の米国の1部の高校では、真珠湾攻撃前の対日経済制裁を教科書に取り入れ始めたとの事
(註4)2005年頃









↓とにかくこの素晴らしいサイトをご覧ください!↓
No!自虐史観
konichiwaさん のページをご覧下さい。 (今度は跳びます)
http://ameblo.jp/konichiwa/entry-10855640314.html








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