昨日の終わりより、少し時間が経過してます。
次で終わりです。最後の方で、「またシリアス?」的な感じになってますが・・・ちゃんとあと1回で終わります。
では、どうぞー。
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ぬるくなってしまった手拭いを濯いで、ベランダの手すりに干す。
(『夏の大陸』のこの暑さなら、すぐ乾くでしょ)
キリエの眠る部屋のベランダ。そこから雲一つ無い空を見上げて、モルテは満足気に頷いた。
青年はまだぐっすりと眠っている。緊張が途切れて一気に気が抜けたのかもしれない。
トッピーもまだ戻らないため、当初の予定通りにモルテが看病をしていた。
けれど、そろそろ帰ってくる頃合いだろう。
(そうすればもう『クマクマ』言う必要も・・・)
「・・・トッピー、いる?」
室内からキリエの声。もう起きたようだ。
思ったより早い目覚め。
むしろ、早すぎる。この展開は、モルテの想定には無かった。
(まだトッピーは帰ってないのに・・・!)
焦ったモルテは、
「な、なんだクマ?」
と思わず返してしまって、直後に己の誤りに気付き頭を抱えた。
(何言ってるのよアタシ!?)
トッピーと看病を交代したとかなんとか言って、堂々と顔を出せば良かったのだ。
そんなことに今更気付いたところで遅い。モルテはかがみこんで、再び窓枠下の壁に隠れた。
そのまま部屋の中の様子を窺うべく耳をそばだてる。
聞こえてくるのは布の擦れるものと木が軋む小さな音のみ。床板を踏む音はしない。
衣擦れだけでなく、寝台が音を立てた。それは、つまり。
(ベッドの上に身を起こしただけか・・・)
こちらに歩いてこないなら、誤魔化しようは有る。
壁にぴったり張りついていれば姿は見えないはずだ。視覚についてはクリアだ。
しかし、キリエは先ほどより大分意識がはっきりしてきたようである。
となると、声でバレるかもしれない。或いは、口調の微妙な違いを察知される可能性もある。
(これは、あんまりしゃべらない方がいいわよね・・・相づちをうつ程度にとどめておかないと)
自分がトッピーの振りをしていたことは、できることならばれてほしくない。
先程の真面目な話題で、わざわざ語尾に『クマ』をつけて会話していたなど、この世から消し去りたいくらいだ。
普段は大胆なモルテも、今回は慎重に考えを巡らせている。
「僕、寝ちゃったんだね・・・・」
「そう・・・クマね」
「何かトッピーの言葉を聞いたら安心したっていうか・・・・」
「うむ・・・クマ」
極力トッピーの声に似せるよう努めて話すが、10代の少女にそれはあまりにも難しい。
「せっかく話を聞いてくれるってトッピーが言ってくれたのに」
「なら、これから聞く・・・クマ」
「え?」
(そうよ! 向こうをしゃべらせれば、アタシが黙ってても不自然じゃないわ!)
思いついた妙案に、モルテはガッツポーズをとった。
正直に白状するという選択肢は、候補にすら挙がらなかった。
『仲間』に対してその姿勢はどうなのだろうか。・・・・確かに、完全な理解は諦めたらしいが。
「でもさっき話したことでだいぶスッキリしたし・・・」
「・・・・何でもいいから話し・・・話すクマ」
「そう言われても・・・」
キリエの困惑が声にも表れている。
これはマズいかも・・・と、壁際の彼女は思案した。
(このまま無理に押すと、強引な態度を怪しまれるか・・・。キリエが自然に話せるきっかけを作った方がいいわね)
実戦ではそこいらの男にひけをとらないモルテだが、かといって舌戦が不得手というわけではない。
男より口喧嘩が強い女性は珍しくない。彼女もその例に漏れることは無いのだ。どうも最近では、口先で丸め込むより力押しで物事を運びがちだが。
(きっかけ・・・たとえば、キリエが得意な話題・・・・うん、そうだ)
使えそうなネタは、割と簡単に見つかった。
余談だが、その要因のひとつは、馴れ合いを好まなかったモルテが仲間達とろくに会話をしてこなかったことである。
今はそれはいいとして。
「キリエは、なんで料理人になった・・・クマ?」
その質問はとっさに出たものであったが、聞いてみたかったことなのも確かだ。ただ、悩むのに忙しくて聞く余裕は今まで無かった。
世界を監視し、必要とあらば破壊する者が、記憶を無くしたからといって何故に料理人なのか。その職業選択の理由は一体?
モルテは興味津々で答を待つ。
キリエは話に乗ってきたらしく、「うーん・・・」としばらく考えてから口を開いた。
「ヒト族のみんなが楽しそうにご飯を食べてるのを見てさ、何かいいなーって思ってたんだ・・・」
「・・・・・?」
青年の言いたいことが呑み込めず、沈黙するモルテ。
「ほら、僕って不老不死だったでしょ。別に何も食べなくても全然平気だったんだ。空腹を感じることも無かったし。だから食事の経験が無くってさ」
続く説明を聞いて、やっとモルテは得心がいった。
世界を見守る存在が、餓死することもないだろう。そんな状況、哀しすぎる。
「一日に何度も食物を摂らないと生きられないなんて、生物はなんて不便なんだろうって思ってたんだけど・・・でも何だか、ご飯食べてる時はみんな楽しそうに見えて。塩加減がどうとか甘すぎるとか・・・・」
確かに、食事というのは生物が最も生き生きする時だ。
生命活動に必要な栄養を得るためだけでなく、家族の団らんや同僚と親睦を深める場として利用されることもある。
そんな事柄が浮かんだのは、青年の憧憬のこもった眼差しのせいだ。
(寂しそうな、目・・・・)
そんな感想が、モルテの脳裏に浮かぶ。
帰る場所も無く、気の遠くなるような歳月を独りきりで生きてきた青年。
男も女も、老人どころか赤ん坊さえ、自分より先に死んでいく。
永遠の命、と言えば聞こえは良いが・・・世界でただ独り、己独りがそんな状況に置かれたとしたら、それは――
(この上ない、孤独・・・)
悪寒がモルテの背を震わせた。
彼女は、『孤独』の恐ろしさを知っている。
(それも、アタシなんかの比じゃない。キリエは、それをずっと味わってきたんだ・・・。アタシったら、今まで考えたことも無かった・・・)
モルテは自身の浅はかさに嫌悪感を覚えたが、このタイミングで思い至ったのは僥倖とも言えた。
もし以前にこのことを思いついたとしても、ありえないと打ち捨てていただろう。
彼から永遠を奪った自分を無理やり正当化する理屈に思えただろうから。
真っ直ぐ向き合えたのは、今だからこそだ。
つづく
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