2009-09-02 15:15:30

『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』濱口桂一郎著 続き

テーマ:ブログ

 民主党が圧勝しましたね。テレビ見てると「民主党はバラバラだ」と言ってますけど、自民党のハトとかタカとかはなんだったんですか(笑)。バラバラじゃないんだったら、公明党とか共産党のほうがいいってこと?別に民主党をかばいたいとかじゃなくて、ただ不思議な批判だなあ、と。


 前のエントリー で「開けた労務管理のプロが企業にいたほうがいい」と書きましたが、こういう方が、以前いた企業にかなり偉い位置でいたんです。厳しいこともおっしゃる方でしたが、先日定年退職で送別会があったんですけど、バイトさん、派遣社員、もちろん正社員から、早期退職でやめた方も含めて「お礼を言いたい」という気持ちで集まって大盛況でした。私も、異動したり、やめてほかの企業で働いている元同僚の友人と贈り物を買いに行ってから伺いました。社員の立場に関係なく、非常に目を配っていた方で「こういう人こそ今の時代に必要だ!」と話をしました。私も労務関係だけじゃなくて、法務関連でトラブったらいっつも泣きついてました。

 ですから、先生、お弟子さんを作って企業に送り込んでくださいませ。「職業的レリバンス」のある分野だとシミジミと思いました。


 濱口先生の本を貫いている感覚で、すごく納得できるのは、“今、ワーキングプアという労働問題が政策課題として“発見”されたが、それは昔からある問題であって、それを串刺しにしたうえで労働問題を論じたい”というところだと思います。「経済良ければ問題なし」的な単純なオチにはならないわけです(経済が良いにこしたことはないんですよ。両立する議論なのですが、うちの省庁とマスコミは景気が良くなると、無視しちゃうか、厳しいほうに舵をきっているんです、それはなぜか?というところをきちんと説明されているわけですね)。その観点から「男性正社員の長時間労働」、「シングルマザーのワーキングプア」、「偽装請負問題の射程の狭さ」を指摘していらっしゃいます。つまり通俗的に言われるところの小泉・竹中改革だけが労働問題の本質ではないということです。例えば歴史的に見ても80年代の厚生省(当時)の123号通知から生活保護を利用する人は減ったんです。そのときに全国の福祉事務所は審査を厳しくするようにと指導を受けたわけです。別に小泉で「水際作戦」が生まれたわけではないのです。もちろん、PASONA会長に就任というある種の天下りを実現した竹中に象徴されるような非正規雇用の拡大に関して、重要な法改正が小泉の時代に行われているわけで、急激過ぎだったとは思いますが、非正規雇用という労働の在り方自体が問題なのは別の重要な問題というわけです。


 その辺りについて、景気の良い日本と“幸せ”な日本型雇用システム、それとくっついている“長時間労働”からも自然と排除され、その“幸せな景気と幸せなシステム”を根拠にして公的な保障からもはずれ、世界でまれにみる割合で「働いても貧乏なシングルマザー」が量産されてしまったわけですが、つまり非正規雇用の方が家計の担い手となる、家庭と労働の両立という思想が、日本の社会にそもそもに組み込まれていないというわけです。

 前回のエントリーで、クラボウの大原について書いたので、もう少し膨らまします。

 すごいざっくりな歴史の概観ですけど、日本は近代化いうても、お金なかったですから、維新後日本は資本家をたくさん作ろうとして、あっちこっちの分野で規制を緩和しました(例えば株仲間の廃止とか)、それはいいんですよ。そして輸出が増えて、技術がない、人材ない、お金ないの三拍子。当然というか、「粗製濫造」が問題になりました。今は「日本商品は質がよい」というのは当たり前のように言われているので意外に受け止める人もいようと思います。例えば、今は「日本のコメはおいしい」ってなってますけど、当時は「産米改良」という言葉がけっこうでてきます。維新後、管理がむちゃくちゃになって、水でふやかして重量ごまかした米とか出回ってたんですね、いわゆる「食品偽装」です。再度、検査制度の確立やら、米の品評会とかいろいろやってました。

 紡績は当時の日本の主要産業になったわけですから、働く人が足りません。引き抜きが横行します。引き抜いてこき使うほうが安上がりなので、いわゆる「女工哀史」や「職工事情」的な労働問題があったわけですね、ただ、「ちょっと待てよ」と考えた企業ももちろんありました。「こんなんだったら、工場に定着してくれない、よって技術が伝承できない」。長期的に経営を考えている人からは、まあそう考えます。それだけじゃないですけど、そういう問題意識もあったのが、大原率いる倉紡だったり、鐘紡武藤さんだったりしたんでしょう。鐘紡などは、条件がよかったので、女工さんが集まり過ぎて、地元のまわりの企業が人材不足になって、文句言ってたりしてたかな。「うちじゃできません!」という意味の文句でもあります。まあ余裕がないと難しいですわね。

 

 たまたま今の「倉敷中央病院」の理事(クラボウで長く人事・労務をされた方)講演資料を見つけました。経済はしぼんだり膨らんだりしますし、大幅な制度変更もありますから、それをどうのりきって対応してきたか、そして働く現場のカルチャーはどうなのか、こういう会社の歴史や働く人の状態を知っている人事の人は組織の宝だと思います。あと大原社研での講演みたいですから、大原やアカデミックへのグチは言ってませんが(「伝える普遍の理念などない」と言ってるあたり、暗に言ってる気もするんですが笑)、現実的な苦労がにじみ出ている、そしてユーモアのあるお話でとてもおもしろかったです。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/606/606-06.pdf

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 病院は1923年にできましたが,その5年前から企画を始めておりました。きっかけは,倉敷でインフルエンザが非常にはやってたくさん人が死んだ。倉紡もどんどん大きくなっていって倉敷に三つの工場ができ,職員の健康管理や治療が診療所では間に合わなくなった。(略)倉敷の住民に理想的な医療を提供したいというおもいがあったからだと思います。

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 最後がつけたしみたいです(笑)。今の病院では、患者さんのホスピタリティ向上という意味で、病院ボランティアを市民がやっていらっしゃるのもあるのですが、医療崩壊、人手不足といわれるなか、比較的人がたくさんいて安心できる病院です。人員数のこともちょっと書いていらっしゃいましたが、地域に開かれた明るい病院になっていると思います。

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 石井十次は信念だけで孤児を集めてきて,お金のことを考えませんでした。「孫三郎君,君は数字のことばかり言うな。もう少し信仰を持ちなさい。信仰こそエネルギーだ」と言っています。私はこの岡山孤児院の1200人の子どもたちの写真を見るたびに,この中に孫三郎がいるのかいないのか知りませんけれども,いつもミッションと経済ということが思い浮かびますし,職員にも話しています。

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 捨て猫拾うがごとく孤児がいたのは事実ですが、石井はほんとにお金のことは考えてませんねー。私なら確実にキレてますね。「このルソーかぶれー!!」とか言って(笑)。

 このあたりの福祉の面倒みてた人というのは、ほんとにすごいなあと思います。孫三郎もそうですけど、渋沢栄一などは「いったい何人いるんですか!」と思うほど。

大原は「ほんとは国がやること」と言ってた記憶がありますが、「民間:会社で面倒みるから、国は口出すなー(本音は深夜営業をさせて)」「国:ほな、よろしく」みたいな方向にも行くんで先生曰くのネオリベちゃんとリベサヨちゃんが仲良しになれるわけですね。工場法の制定に時間がかかるわけです。

 石井の晩年の孤児院運営については、大原は内心は批判的だったんだろうと思います(でもほかにないのでなくすわけにはいかないという現実もよくわかっていたかと思います)。ある種、貧困チルドレンを利用した農地開拓になっていました。「教育」ではなくて「働く」というところに重心を置いているので、石井が死んだあとは、「施設による母子分離」について問題を指摘していた研究者を後継者にしようと思っていたようです。

 これは、実は「子ども最貧国・日本」の山野さんの指摘でもあるわけです。私はあの部分を読んだときにほんとに「貧困問題って変わってないんだなあ」と感じました。山野さんの指摘は経済合理性から考えても施設での運用よりも生活保護の弾力的運用(金銭支給だけじゃなくて、サービスはモノの支給も含めて)のほうが、お金がかからないし、母子分離の心理的抑圧を子どもから回避できるといったものです。

 先生の本のタイトルは「新しい労働社会」です。「教育」、「女子労働」、「児童手当」といった、近代化の熱狂の中で、冷静に社会をよくしようと(実際良くした人でもある)考えていた人とつながります。宗教による慈善ではなく、「社会として問題をどう解決していくか」と考えた人たちが訴え続けていることでもあります。だから、あのタイトルの「新しい」は近代人としての「新しい」ではないでしょうか。

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 しかし彼は事業家,起業家でしたから,合理性,効率も必死に追求しているという感じがあります。倉紡の経営を見ていると結構シビアにやっています。悩みながらこの間を行き来したのでしょう。「ミッション」と「経済主義」。これはいろいろ理屈をつけていますが,ミッション重視だと言いながら,結構,経済主義だったのではないかと思います。私自身は四つとも迷いながら,経営はアートだといいかげんなことを言って,あっちへ行ったりこっちへ行ったりしています(笑)。
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 そのため,大々的な増改築の着工は,50周年の昭和48年になりました。その直後に大石油ショックがやって来まして,ものすごく大変な時代に建てることになって大借金を抱えますが,何とか自力でやり遂げました。ちょうど高度経済成長期であり,なおかつ当時はまだ病床の規制がなく,どんどん税収も上がった時代でしたので,診療報酬も上がって,非常にラッキーだったという感じはあります。

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 このエレベーターは,今はもうさすがに使えませんが,倉敷で一番古いエレベーターです。創立当時の建物はほとんど1階だったのですが,2階を造ったときに,このエレベーターを付けました。それほど患者さんに配慮していたということを忘れないためで,現在は電話室として使っています。入院患者さんのためのアトリウムもあります。病室やエレベーターホールには,浜田庄司さんの高弟である滝田項一さんの陶板を飾って,ちょっとぜいたくをしています。集中治療室はオープンの病院が多いのですが,当院は個室化しています。4人部屋の通路側のベッドにも窓がとれるようにと工夫しました。特別室は畳の間があるので好評です。部屋代は2万円ですが,東京では15~20万円する広さだと言われています。新幹線代を使っても安いですから,(笑)いつでもお越しください(笑)。

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 ちなみに倉敷中央病院は台湾の李登輝さんがいらっしゃった病院です。いろいろ大変だったみたいですけど、おいでくださいました。後藤新平の絵のことなどもちょろっと話されてますね。

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 人間性と合理性のバランス。これは大変です。聰一郎(孫三郎の長男)は事業共同体の精果を高揚すると言いました。事業体としては合理性のぎりぎりまで、共同体としては人間のぎりぎりまで追求せよ。その双方ぎりぎりのところまで行ってみてアウフヘーベンしていって、新しい展開が開ける。そういうところに初めて、得るべき人生が職業のなかになるということを彼の観念的な議論から聞いたことがありますが、なかなか難しいことです。

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  “アウフヘーベン”使ってみたよー、サービス、サービス!と(笑)しか読めない私はひねくれものでしょうか。先生の本書の最終章の言葉で翻訳してみます。「利害関係を抜きにしないこと」そして「妥協が義務!」ですね。

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 利害関係者がその代表を通じて、政策の決定に関与していくことこそが、暴走しがちなポピュリズムに対する防波堤になり得るでしょう。重要なのは、具体的な利害です。利害関係を抜きにした観念的抽象的な「熟議」は、ポピュリズムを防ぐどころか、かえってイデオロギーの空中戦を招くだけでしょう。利害関係者が政策決定の主体となる以上、ここでは妥協は不可避であり、むしろ義務となります。

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 さて、最近の倉敷の話題だと・・チボリの後始末ですかね。

 行政はチボリ公園の後始末もクラボウに泣きついてたけど、ヨーカ堂と組むんだね。いいんじゃないの。でも駅の反対側、重要な観光地域でしょうに。美観地区。倉敷はラッキーなことに空襲を受けなかったことも大きいけど(これは噂話ですが、大原が軍の駐屯を嫌がり、大原美術館があったからという知識人はけっこういたようです)。ともかく、倉敷の観光資産はほぼ大原が作って守ったものです。駅からだと、あの商店街が抜けるんだから、あそこの活性化にお金出そうよ。全部白壁と赤レンガにしちゃえばいいのにって言ってもよいくらいでしょ。チボリはじめるときもクラボウに無理言って、やめるときも倉敷用水も売ってもらうのね。ほんと倉敷市はクラボウ市だなあ。みょうに見えるかもしれませんが、「昔の人は倉敷用水を通って花見に行ったのですー!」と共産党の市議が保守みたいなことおっしゃってて、クラボウに同情してました。観光資産という意味では、縁もゆかりもないデンマークのものをもってくる貧困な行政に任せていても「夕張」にならないのはなぜかというのを考えて欲しいです。

 http://osaka.yomiuri.co.jp/re-eco/news/20090828-OYO8T00382.htm?from=ichioshi

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 石井知事は「クラボウに要望していた倉敷駅周辺のにぎわいの創出と地域振興につながる開発をとの趣旨に沿っており、今後に期待したい」とのコメントを発表した。

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 実は倉敷は大きな公立病院がないそうで、確かに私も昔は「倉敷中央病院」が公立だと思っていました。けっこう勘違いしている倉敷市民が多いんじゃないかしら。私は基本的には国がやろうが企業がやろうが、快適であるなら、主体がどこでもかまわないと思っています。中央病院のように歴史があって、現場のスタッフが優秀で、行政よりも行政らしく「地域のことを考え」、「公の精神」があるところは下手に手を出さず、口を出さず(お金は出しても)のほうがいいと思いますよ。ただ、福祉分野については民間に甘えず、お上ももうちょっと働いてくださいな、という気持ちにはなります。


 本の内容というより概観に触発されて、“社会保障を担う民”というおかしさという観点から書かせていただきました。実際の本の記述は、現代のことを詳細に書かれていますので、現場の人も役立つ内容になっています。ぜひ何度も何度も読み返していただきたい本です。

 新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)/濱口 桂一郎


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コメント

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2 ■組合員A様

こんにちは。

そうですね。とりあえず、民主党が民意を得て勝ったことだし、やらせてみればいいんじゃないでしょうか。とりあえず無駄は出てくると思いますし、ため込んでいる財源が出てくるんであれば、別に悪いことじゃないので。

家計の収入は、主に1 営業費(給料など)、2 コストカット(経費削減) 3 贈与 4社会保障 5運用費 6 そのほか(宝くじとか)しかないです。でもこれ基本的には組織でも同じなので。6とか3は置いておいて、倒れないようにするには、このバランスがよいか悪いかですからねえ。

社会保障の受け皿がないところで、規制緩和をやったので、そりゃあ受け皿がないので、それは民とすれば、「ぜんぜんラクになっていない」しとなります。与党としても、「こういうふうにラクになっているんだから、文句言うな」ともいえないですよね。

ネオリベ(笑)さんには「私たちは住宅保障や教育費を厚くしますから、○○は少し削らせてください」とまず高い給料もらっている議員さんが、先に提案すべき仕事なんじゃないかと思います。仕事でもふつうはメリットから先に話しませんかね。




1 ■ネオリベを嫌いながらネオリベ的に振る舞う矛盾

私は条件付きながら増税賛成派です。またこれも条件付きながら(逆進性を廃すること)消費税の増税に賛成です。
日本は国民負担率が他の先進国に比べてずっと低く「低負担・低福祉」の状態にあります。
小泉政権以降、日本人はネオリベの幻想には離れつつあるのに、その実、福祉国家の形体を分からずにいます。
国会議員を減らせ、公務員を減らせ、増税はするな、(自分の地元以外の)公共事業を見直せ。そのくせ小泉-竹中の新自由主義路線は嫌だ…。
随分とワガママ勝手なことばかり言っているんですね。

必要な分の増税は認めて、それで行政サービスを充実すればそこにつぎ込むお金が節約できるわけでして、目の前のお金が消えるのだけが嫌だという考えは近視眼的に過ぎると思うのです。

さて雇用問題となるとさらに不可解な現象が起きています。ルサンチマンなんでしょうか、正社員バッシング、公務員バッシングなどに代表される労働者の分断工作です。雇用が流動化すると、それによって社会がネオリベ化していくことに多くの人が気づいていない。
一部にこうした対立を煽っている勢力があることが最大の原因なんですが、それにまんまと乗せられる国民性もなんとかしないと根本的な解決はできないんじゃないかと感じるのですよ。

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