「就活のバカヤロー」 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

「就活のバカヤロー」


打ち合わせで出かけた帰りの吉祥寺の本屋さんで若い学生さんが食い入るように立ち読みしていた新書。そこの本屋さんでもダントツの売上ナンバー1で、帰りの井の頭線で笑いをこらえるのが大変でした。この金融危機の前の学生売り手市場のときの、新卒採用の現場について書かれた本なのですが就活生、大学、企業、就職情報会社へ、この茶番をわかっているのに全員で踊っているのはなぜだ!「キモいんじゃ!」と関係各位向けて言っている本で、全方位型毒まみれで、かえってすがすがしい。

就活のバカヤロー (光文社新書)/大沢仁

 記事にもなっているようですね。

 「就活のバカヤロー」新書がバカ売れ 学生も企業も大学も茶番?
 
http://www.j-cast.com/2008/11/22030759.html
 担当編集者も氷河期世代のようで「バカヤロー!」と叫びたかったようです(笑)


 就職活動って、多くの人が多かれ少なかれ経験しているので私はあーだった、こーだった思うので、バカ売れするってのもあるのでしょうが、おもしろかったです。ネットで就活というのは私のころはなかったけど、マニュアル批判的なところは昔とあまり変わってないような気もしました。「男は黙ってサッポロビール」とかまだあるんかい!

 最初に「キモい!」とやり玉にあげられるのは「学生の自己分析」です。「あなたはどんな人間ですか?」と聞かれたときのためのものだそうです。「納豆のように粘り強い人間です」とか「電器製品のように明るい人間です」になってしまうのはなぜかということだそうだ。「いるのかーそんな学生!」とか思うんだけど、本書によると、いるそうなのです。「コーヒーのように苦い人間でもあり、お菓子のようにスイーツな一面もあります、ですから食品メーカーを目指しました」とか?
 もうねー質問自体が不毛だし、不毛だということもわかっていて、でもその不毛なものに答えようとして自己分析を学生時代から必死に考えたり、書かせようとするマニュアル本やら、就職サポートとか全部含めて「茶番」だということを言いたいんだろうけど。いやー茶番ですね、何もわからないもんね。

 

 リクルーターも会社にいたときにさんざんやらされて、私はこの質問をした覚えはないんだけど、打ち合わせでヘトヘトになった帰ってきて「はい面接です!急いで!」と人事に言われて、化粧なおしてジャケット着て履歴書やエントリーシート見る暇もなくて抽象的な質問をしている場合は「なんか適当にいろいろとしゃべってくれる間に見よう!話題のとっかかりを見つけよう」と時間稼ぎで聞いてるんじゃないかなあ…。失礼な話ですね、すいません。リクルーターもついこないだまでは学生だった人間が聞いてたりする理不尽なものだったりもします。内定もらってない学生からすると「すごい人ー!」みたいに見えるかもしれないけど、大した人間がやってるわけではないかと。そういう不毛な質問のために自己分析をして「俺には語るような自分がない!」とか落ち込むのは可哀想だなと思います。


 私ごときのあーだった、こーだったっていう話で恐縮なのですが、私も目の前でバブル崩壊の氷河期世代ですが、教育大だったので、まわりが教師になるか公務員になるかということしか想定してないし、私もそう思ってたので、あまり焦ってはなかったかも。教採自体が教職浪人することが珍しくないので。新卒の就活ってこの時期にしかできないから、わりと物見遊山的といいましょうか、ダメもとというかんじで受かれば儲けものくらいだったかな。そういえば、面接先で他校の人が「『尊敬する人は?』と聞かれたら「親」って言うのが、いいらしいよ」と教えてくれたことがあって心の底から驚いた記憶があります。「大原孫三郎とか言ったら、だめなのかなー」と聞いたら、「誰それ?って話で盛り上がらないじゃん」と教えていただいた記憶がある。でも「親も知らないよ」って言ったら、「家庭のことがわかるじゃん」と解説してくれて、これも心の底から驚いたというか、「家は私と関係ねーよ」と心の声が反論していた。もちろん「親」と言わなかったですけど、私が受かったのは偶然といいましょうか面接官との相性でしかなかったんじゃないかと思っております。


 ただ、企業活動というのは学生からみれば多かれ少なかれ、キモいんじゃないかと思う。例えば「朝コーヒーを入れて、新聞をゆっくり読んで、今日、やることは郵便局行ってお金の振込することと、図書館で予約した本が来てるのとりにいくこと、ケーキの作るので冨澤商店行ってバローナのチョコレート買うと!公民館の子どもの水泳教室のバイトが夕方からだな。今日はけっこうやることあるじゃん。」な毎日が幸せな学生さん(私のような)にとっては、朝から年次計画の説明を読みこんで、経営会議で詰められないように武装して、昼イチでコラボ先と見積もりの打ち合わせいって、中国の工場の資材調達の遅れをなんとかせなばならない会議があって、午後4時くらいに昼ごはんをマクドナルドのバリューセットで済ませ、新しい商品のウェブページの確認をデザイナーにせっつかれ、そしてやっとほっとしてたら、人事の面接だったりする会社って、たまにならいいけど、それが毎日だったらかなり向かないわけで、この会社のどういう1日が平均的な1日なんだろうかと面接官に逆に聞いてみて、その毎日と自分の毎日の差異をどこまで整合できるか、今はできなくても、将来的にもしかしたら合わせられるんじゃないかなというのであれば今はこういう一日を送っていますが、ここまではがんばれると思う理由を面接官に相談してみて、面接官が真摯な人でその他者の評価を組み合わせたもので、学生さんの自己分析を聞いてくれる会社ならまあ、よい会社なんじゃないかなあと思ったり。…贅沢ですかね。そうかもしれません。でもそれを全部やらんかい!な雰囲気の会社って、かなりしんどいんじゃないかと思う。


 就職協定がなくなったのは大きいんでしょうね。1回生や2回生から、「仕事とは何ぞや!」、「職業とは何ぞや!」、「私とは何ぞや!」と考えないといけない社会というのはどっちにせよ窮屈なんじゃないかと思います。今でもわからないよ。


 本書からメモ。

-------
 こんな意見もあった。「実は年々、学生に対する期待が高まりすぎているのではないでしょうか」たしかに、10年前は「求める人物像」「求められるスキル」などの概念は今ほど意識されなかった。学生に対する期待度が高まることにより、学生が、そして就活が歪んでいるんではないか、と。さらに「なんのために働くのか?」という問いに対する答えも変質し、それが学生を苦しめているのではないかという声もある。
 最近は「自己実現」や「仕事を楽しむ」というアピールする人事担当者が増えてきたように思う。各媒体の人事担当者インタビューを読んでいただきたい。しかし、就職課関係者や人事担当者のなかにはこのような意見を言う人も現れてきた。「仕事を楽しまなければならない、自己実現しなければならないという、一見楽しそうな概念自体が、学生や若手社員を苦しませているのではないでしょうか」。仕事を楽しむことや自己実現自体はすばらしいことであるがそのこと自体が学生を苦しめてしまっていては本末転倒というわけだ。まずは自立のために働いてみるという。シンプルな原点への回帰が、逆に学生の賛同を得ることになるのかもしれない。乱暴な意見かもしれないが、結局、働いてみないことには、仕事の本質も企業の実態もわからないのである。
-------