2006-03-05 23:33:05

どう少年が包囲されていくのか?

テーマ:ブログ

 「監視社会批判」の批判というものがある。産経新聞はこのように批判する。一部抜粋する。

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 「反監視社会」という市民運動的分野がある。新宿歌舞伎町に設置してある防犯カメラや、あるいは企業が情報漏洩(ろうえい)を防ぐために社員の電子メールを監視していることにかみつき、「国家や大企業が人々を監視しようとしている」「これはプライバシーの侵害であり、ファシズムの萌芽(ほうが)である」と批判するというものだ。

 そうした批判者の多くは必ず、ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」を引き合いに出し、「オーウェル的暗黒の未来がやってくる」と警告するのがお約束となっている。そんな時代にいつまで、時代遅れのオーウェルを持ち出し続けるつもりなのか。

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 これはこれでバッシングしてるだけなので大した話でもないんだけど、まあ、確かに、議論としては「監視社会批判」が弱すぎるという主張は否めない。治安維持法の復活だといわれても、知らない人のほうがほとんどだろうし、現実感として見えてこないのは確かだろう。

 プライバシー保護だといわれれても、治安のためには明渡してよいと思っている人間のほうがどうも多いようなのだから、意味がない。それに「犯罪予備軍」の捕捉なんだから、「仕方ない」と思っている人も多いのではないだろうか。私には関係ないわ、と。

やはり現実的にこの「監視社会」というものがどのように構築されていくのかをきちんと見ていかないといけない。

 実際にそういうことをやったらどうなるか検証してみましょう。

 このような記事がある、ITmediaから抜粋する。

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 米国のある企業が、データベースとパターンマッチングソフトを使い、12万人をテロリスト候補として「予言」、その情報を当局に渡していたことが明らかに。

 フロリダ州ボカラトンに本拠を置く社員数300人のSeisintは、巨大なデータベースとパターンマッチングソフトを使って9月11日の同時多発テロの直後、自社の40億件のデータベースから、秘密の公式に基づいてハイジャック犯のプロファイルに一致する人物を探し出したことが明るみに出た。同社は12万人の氏名を見つけ出したという。その中で最もプロファイルの一致度が高かった80人のほとんどが、実際のハイジャック犯か、既にテロ関連の理由で捜査対象となっていた人物だと同社は主張している。報道によると、同社はこのリストを連邦および州の捜査当局に提出。 2004/05/31

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 ちなみに12万人の80人が何パーセントかというと0.06%である。11万9920人のほとんどがきっと「テロ」ってなあに?の人であるということだ。

 では、日本でそれがどのように構築されていくのだろうか。いっけん関係のないところから、権力というものは立ち上がりがちだ。

 昨年「動物愛護法」が改正された。罰則が強化された。鳥インフルエンザや悪質業者の事件が背景にあるようだ。

 その報道がどういうものかをみてみると、「少年」「学校」関連を目立っている気がする。例えば以下のようなものだ。あの酒鬼薔薇事件を彷彿とさせる。何より、「動物虐待」について、「それは極悪非道だろう」という認識は世の中の感性となっているからだ。大変異議のとなえにくい事象。なぜ、いま世の中の感性なのか?しばらく前は家でニワトリしめていた国です。


----少年3人、ウサギ蹴り殺す サッカー遊び「面白半分やった」 2006/2/16

 東京都江東区の小学校で児童が飼育していたウサギをけり殺し、運河に捨てたとして、警視庁少年事件課は動物愛護法違反などの疑いで、同区の無職少年(18)を逮捕、別の窃盗事件で逮捕されたいずれも十八歳の無職少年二人を追送検した。三人は「ゲームのつもりで面白半分にやった」と供述。

 公園では約十五分間、ウサギを取り囲み、逃げようとするとけって虐待を加えていた。三人はオートバイ盗やひったくりを繰り返していたグループの一員で、うち二人は同校の卒業生だった。けるのをやめるように訴えた少年は別の小学校で動物の飼育係だったという。少年三人は「最初は面白半分だったがエスカレートしてしまった。サッカーのインサイドキックやボレーシュートのようにけった」と供述しているという。

 死んだウサギはオスで名前は「ゆきのすけ」。

----産経新聞より一部抜粋


----中3、猫を踏みつけ殺す 愛護法違反容疑で補導/山口・下関 2005/9/21

 山口県下関市で8月、市内の中学3年男子生徒(14)が、子猫を踏みつけて殺し、県警下関署に動物愛護法違反容疑で補導されていたことが20日、分かった。生徒は犯行を認めている。

 同署や住民によると、生徒は8月19日午後3時ごろ、ビルとビルの間(約50センチ)にいた親猫と子猫2匹のうち、子猫1匹を踏みつけて殺した。鳴き声を聞きつけた近所の人が目撃し、「何をしてるんだ」と大声で注意したところ、生徒は走って逃げたが、通報で駆けつけた署員に補導された。

 同校によると、少年は特別目立つようなこともなく、2学期も休まずに登校しているという。住民から連絡を受けた同校は事件当日の夜、担任教諭と生徒指導教諭を生徒宅に派遣した。生徒から事情を聞いたという。

 同校の校長は「信じられない事件でショックだ。子猫を殺した動機は分からないが、警察で厳しく諭されたので、特に指導はしていない。今後、(カウンセラーなどを通じて)心の奥底にあるものを見ていきたい」と話した。

----読売新聞より一部抜粋


 早速、産経新聞は少年事件「増加」のイメージを活用して、「少年事件の前兆行動」として、下記のようにアピールしている。


 ----特に、昨今の少年、少女による殺傷事件の増加の前兆現象として「動物に対する虐待行為」があると聞くとき、動物の飼育体験を介し生命を体感することを通じて心の健康教育を推進することが望まれる。【産経新聞より一部抜粋 2005/12/13】----


 アメリカのある州では実際こういう考え方のもとに、動物虐待の事実があると捜査官が子どもであろうとも身柄を押さえるそうだ。つまり、「犯罪予備軍」としての捕捉である。

 「殺人者になる少年」は過去「動物虐待」をしているという一般「常識」が広まり、それが、このたびの少年法改正、教育機関と警察との連絡制度とかといっしょになると、まったく違った意味の包囲網が敷かれるのではないか。少年法改正案でも「ぐ犯少年」(将来罪を犯すおそれがある)の行動や交友関係を調べられるよう警察に調査権限を与えようとしている。


文部科学省でも平成16年10月 「児童生徒の問題行動対策重点プログラム」が発表されている。そのなかで「学校警察連絡制度の推進」が掲げられる。

「一般的な情報交換にとどまらず、都道府県及び市町村レベルにおいて、学校と警察が相互に問題行動や非行に関する情報の連絡を行い、協力して対策を講ずる学校警察連絡制度の普及・充実を図る。」

 最近、少年犯罪の「前兆行動」って、言われるようになってきた。これも犯罪精神医学と同じロジックで犯罪者の人生を振り返ったとき事後的に見出されて、意味づけられる、あとから見つけられる「前兆」なのだ。

そして予防テクノロジーについては、以前は「教育」だったけど、いまは環境犯罪学的な意味で、ノイズの除去するというロジックの中にあるほうが強い。


 私はもちろん動物大好きですし、「ゆきのすけ」あまりに可哀想だ。そういう法(ルール)をもってる国なわけだから、その罪で捕まって罰せられることは今となっては異論はない。

 今、きっと動物愛護法に少年を排除する意思など全くない。しかし、それがどういう意思のもとに再活用されるかは注意をしなくてはいけないということだと思う。


 しかし、この予防のデータマッチングというのは、アメリカの例にあるように、0.06%を見つけだすために、99.94%を囲い込む。この全部をウォッチし続けるというのか?はっきり言って捜査当局も無駄足ばかりではないだろうか。警察官が何人いても足りないだろう。その0.06%だってあくまで「容疑者」である。

例えば「動物虐待」のほかに、さまざまな要素が付け加わると、人口よりも多くなるのではないか? たとえば「万引き」、たとえば「深夜徘徊」と。たとえば「ひきこもり」、たとえば「不登校」と。


 でも、この数字を見てて思うのは、圧倒的多数は無論犯罪者ではない。例えば、警察官は「テロってなんですか?流行りのお菓子ですか、それ?」みたいな人にまで捜査のリソースを思い切り投入するということになるのか。警察官もやってて士気もあがらないだろう。税金の無駄遣いのほうが圧倒的に多くなるだろう。産経も保守なら、そういう意味で反対してはどうかしらん。

 犯罪者になりやすい「プロファイリング」というのは存在する(精度のいいかげんさはここでは置いておく)。しかし「犯罪者になりやすい」傾向をもっていたとしても、ならない人のほうが多いのだ。その人たちにどういうサポートがあったのかを調べるほうが、まだ有効だし、モチベーションもあがるし、無駄がないんではないだろうか。

 施策としては福祉の方向になるだろう。

 そのほうがマイノリティばかりではなく、大勢の人が幸せになる気がしてならない。300人あれば、統計調査としてのユニバースの信頼性は確保されるのではないかと思う。12万人を追いかけるよりも、はるかに効率的だ。

 私自身がデータの解析をやっていたので、仕事としてやるなら、12万人を犯罪予備軍とするより、300人のほうがいい。基本的には怠け者なので。


 映画「マイノリティ・リポート」が公開されたときに、産経が批判しているような「監視社会論」がたくさん出てきた。住基ネット批判などもその域を出ていなかった。「見張られる」ことだけに恐怖していても仕方ないではないか。あの映画の制作にいたっては、多くの専門家が「来るべき未来」に関して、わりと現実感をもって再現したというのがウリであった。そのなかで唯一、非現実的だったものは、「犯罪予測」を「超能力者プリコグ」がやっていたことだ。あれは「プリコグ」を救う物語だ。スピルバーグは「犯罪予測なんてできないよ、犯罪予測をやってる人も幸せになれないよ」ってことを言いたかったのではないか。


 ITmediaの記事にはこうも書いてあった。

 「12万人の生活に厄介な問題を引き起こした可能性があることが明らかになった」

どういう厄介なことが起きたのか書いていないが、おしてしるべし。テロリスト予備軍と判断されたわけだから、それはそれは厄介だっただろう。身に覚えのない厄介なことに巻き込まれるのはごめんこうむりたい。

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コメント

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17 ■質

量じゃない「質」だ!暴力は規範でなんかコントロールできない、そういう少年がわらわら出てくるんじゃー、って「現実」問題として、言いふらしたということですね。ゲンコツ。

16 ■露庵さま、ここははっきりさせましょう

「なぜ人を殺してはいけないのか」という「疑義」の流通に関して、宮台さんが行なった解釈はその通りです。しかしながら、彼のように社会の規範意識(大きな物語)の喪失の函数として、少年のあいだにそのようなポストモダン的「疑義」が現れたというのは間違っていると思います。もしそうであるなら、それこそ殺人統計に大きな変動がでるはずです。
ぼくの解釈では、そのような「疑義」はその当時の少年たちによる「卓越化」の手段だったと考えたほうが良いと思います。あそこはブルデュー的な解釈を下すべきところだったでしょう。端的に言えば、当時、「人を殺してなぜいけないの」という問いを発することが「かっこよかった」だけのことです。
さて、問題はその先です。露庵さんもご指摘のとおり、「宮台社会学やポストモダン思想を信奉するニヒリストの知的若者の規範意識が全ての若者の規範意識と勘違いされ」、「
今の若者は底が抜けているという俗流若者観が、自分のために若者は平気で殺人をするという印象をまき散らしました」。
はっきりさせましょう。「教祖様」の言説こそが、少年犯罪の不可解化と凶悪化言説の強化に力を貸したわけです。つまり、彼は少年法厳罰化の間違いなく「戦犯」のひとりです。
ぼくが『ホラーハウス社会』で「動機なき殺人」というのも、あくまで作品化の一形態にすぎないと書いたのも、「脱社会的存在」という考え方を否定するためでした。
 
 

15 ■うん

怖いのは、宮台社会学やポストモダン思想を信奉するニヒリストの知的若者の規範意識が全ての若者の規範意識と勘違いされることです。

宮台社会学の規範意識ってなに?「自己決定」とか?まあいいんじゃない、自己決定するのは。えらいえらいって思うけど。ポストモダン思想っていろいろ解釈あると思うけど、ニヒリズムだったの?言葉で遊びすぎっていう意味?
>ポストモダン思想を信奉する全ての若者の規範意識と勘違いされることってのはまずないんじゃないかい?・・・。絶滅の危険性という意味ならわかるけど。

14 ■あっそうそう

 宮台さん、確か、2ちゃんねる論のなかで検挙率が急に下がったのにマジで恐怖していらっしゃてるので、社会学者のわりには、あんまり数字みれないんじゃないかなあ。

13 ■無題

「殺人をしている人を見て怒りを感じますか」
 うーん、そもそもベースレートが低くかないか?毎年人殺してる少年って100人前後だからね。ほとんどの人は殺人するところなんて見たことないしね。聞く価値があるんかなあ?と思いますが。 「人の物を盗もうとしている人に盗むなと言えますか」
 これも何人くらいを想定していってるの?
「殺人をしている人を見て怒りを感じますか」「人の物を盗もうとしている人に盗むなと言えますか」だと、感情/行動でないの?質問みる限りは。

12 ■底の抜けた社会2

 若者における道徳規範の衰退が本当か嘘か議論が分かれるところですが、その辺の意識調査は本当に難しいです。
 道徳規範の調査においては、知識としての所有と、価値観としての内面化のレベルを分ける必要があります。単なる知識としての所有は、怒りの感情を伴いません。例えば、他人が殺人をしているのを見て、道徳的憤慨を感じるのなら本当に道徳として内面化していることになります。道徳規範が否定されたのを見ると、自身の自我も否定されたと感じる自我構造となります。自我と道徳規範が結びついた時に、はじめて道徳を内面化したと言えます。反対に、殺人をしてはいけないというのは、みんながそう言っているし、刑罰を受けるので、従うべきだと思うというのは、知識のレベルです。その道徳規範が世間や法律では守るべきだと言われているという知識として所有されているだけです。知識と価値のレベルは区別しておく必要があります。
 そこで、若者の道徳意識を調査する項目は、「殺人をしている人を見て怒りを感じますか」「人の物を盗もうとしている人に盗むなと言えますか」という質問のほうが妥当です。
 また、道徳規範の形式と内容の区別も必要です。道徳規範の内容が昔と変わっているだけであり、形式は強化されていることもあるからです。例えば、伝統社会の男尊女卑という道徳意識から民主主義社会では男女平等という道徳意識に変わっています。男女平等でない腹が立つというのであれば、すでに道徳的自我と言えます。人に価値観を押し付ける人を見て腹が立つというのも、人権思想道徳です。道徳の内容がなんであれ、その人の自我に対して道徳として機能していれば、道徳意識は高いと言えます。
 「検証・若者の変貌」における道徳意識の調査は、道徳の内面化のレベルとしての(知識/価値)の区別、それと(内容/形式)の区別がなかったことが致命的です。

11 ■底の抜けた社会

 お返事おくれましてすみません。
芹沢さん、安原さん 色々と意見をありがとうございます。

 自分の比較的得意な分野が出てきたので、コメントしたいです。
 「底が抜けた社会」 
 この表現はやはり宮台から来ているタームです。要するに、社会から与えられた大きな物語に依存して自尊心や生きる意味を調達する時代は終焉を迎え、人々が頼ることのできる大きな物語がなくなったということを示しているようです。また、別の脈略では、奨励的規範である文化的目標としての大きな物語の衰退だけではなく、道徳規範の衰退も意味しています。仲間を殺してはいけないという殺人禁止の道徳規範も究極的に根拠がないから人を殺しても構わないと考える人が増えると言うことです。殺人禁止の道徳規範の正当性の根拠がない社会です。自明とさていた道徳規範がその根拠を問われ、自明でなくなる社会です。
 少年Aの事件以来、「人を殺してもいい」という若者が増えているという俗説が流布し、永井均のような哲学者もその波にのって、殺人禁止の道徳規範について本格的に論じるようになりました。子供に殺人禁止の道徳規範の根拠をテーマにさせて、しゃべり場などで討論させる場面をよく見ていました。しゃべり場一期生で社会学おたくのM君が自分のために殺人をしてもいいというような発言をしていたのが印象的でした。全ての物事に論理的根拠を求めるタイプの若者であり、殺人禁止の道徳規範の正当性に論理的根拠が見つからないので、そう言ったのだと思います。今の若者は底が抜けているという俗流若者観が、自分のために若者は平気で殺人をするという印象をまき散らしました。
 
 怖いのは、宮台社会学やポストモダン思想を信奉するニヒリストの知的若者の規範意識が全ての若者の規範意識と勘違いされることです。

 

10 ■遊鬱さま

過分なお言葉、ありがとうございます。終身刑のテーマも確かに、面白いかもしれませんね。ふむ。
さて、世界の底が抜けたとか、わけのわからないことを言う人がいるから、定量的議論が届かなくなっちゃうんですよ。困っちゃいますよね、まったく。だいたい、脱社会的な少年が万引きするくらいの覚悟で人を殺し始めているとかいえば、そりゃあそれを聞いた人びとはびびりますよ。
定量的議論が届かない状況で、どうやって現状を変えていくか、それをぼくらで考えましょう!

9 ■定量的議論も届かないというのが世界の底が抜けたということかも(笑)

芹沢さま
このような力作を読ませていただいて本当に幸せでした。医療観察法について本当に摩擦なく通ってしまったため、著書でその詳細な経緯を知るまで(まさにフーコー「狂気の歴史」をなぞるような)無関心でしたから。精神障害者→少年の流れから推測して、次著はおそらく刑法改正で新設される終身刑を中心に犯罪者の更正から監視の流れとよんでいますがいかがです?

確かにこと安全に関する議論でいくらその危険性が確率として低いかを訴えても通じないでしょうね。その1%が起きたらどうするんだという強弁の方が受け入れられやすくて、同時に0%にするためにどれだけのコストがかかるかという負の側面も同時に俎上に上げて選択を迫っていくしかないのでしょうね。

まー、リスクゼロの社会なんてそもそも不可能だから永久課題にしかなりようがない(人類が滅亡しない限り!)はずですけれど。

8 ■数字ね・・・

 数字の議論って、そもそもの考え方をひっくり返したうえで語らない限り、その思想のさらなる精度をあげてしまう話になる場合も多々ありますね(身も蓋もない・・・)。統計ってある軸からの見方なんで。
 環境犯罪学は「場所」に注目してるから、よしっていう話では全然ないんですよね。ここの危険性はかなり気がついてない人が多い。人にかえってきますよ。

7 ■リスクアセスメント

そうなんですよね。国会の証人喚問でも、精神科医がリスクアセスメントといっても、これだけの高い確率で再犯を犯さない人たちが拘束されると、数字をあげて反論してたんだけど、全然、効果がなかったからね。
やっぱり数字ではダメなのかしら?
世界の底が抜けるとか、象徴界(ラカン)が崩壊したとか(笑)、具体的にどのような状況なのか、ぼくもぜひ教えてもらいたいものですね。

6 ■どういう状態なんですかね

>「脱社会的存在」とかいうのは…(笑)「世界の底」は抜けてませんよね。どういう状態なのか具体的に教えていただきたい。

5 ■リスクアセスメントね

リスクアセスメント(危険の査定)ね。(本来は)確率です。企業を主体にすると、ハザードが(事故の要因となる危険な事情)ですね。ハザードはふたつあって、マクロハザードが企業の力でどうにもならないもの。地震とか政治とか。ミクロハザードがなんとかなるもの。事故とロスの先行要因がハザード。アメリカはすぐ裁判起されますから、こういう考え方に企業がないと、裁判でつぶされてしまうのです。でも「ハザード」は社会的コンセンサスに依拠します。公園の遊具だって、ハザードかといわれれば、全部そうなる。そうすると全部撤去するしかない。鉄棒だって落ちる場合もある、でも撤去すると鉄棒をすることによるメリットもろともなくなる。では落ちてもいいように鉄棒の下にクッションになるものにしようという考え方をする。例えば、公園の地面がコンクリは困る、これは土にしようとかもそういう考え方もできる。メリットがわかる場合は社会的コンセンサスとのバランスがある(撤去されてるけどねー)。この考え方を人に使うと「メリット」のない人間はすべて除去されることになる。つまり、この考え方でくると、「私は社会に役に立ってるんです」という抵抗のロジックをもってくるしかない。

4 ■無題

露庵さま
そうですね、結局はブルデューということになるのかも。緩い使い方ですが竹内洋さんの本は面白いですしね。総じて教育学者の書くものは広田照幸さん等、説得力のあるものが多いです。それに比べて、「脱社会的存在」とかいうのは…(笑)
遊鬱さま
本を買っていただけたのですね。ありがとうございます!確たる数字に基づく危険性、無効性、コストなどのデメリットについておっしゃるとおりですね。ただ、医療観察法のときもそうだったのですが、確かに犯罪の「危険性」は予測できないけれども、「リスク」の予測は可能だということになってしまったんですよね。「危険性」から「リスク」へという言葉遣いの変化が問題なんですね。この辺、安原さんは専門家ですね。

3 ■こんばんわ

>「反監視社会」という市民運動的分野がある。新宿歌舞伎町に設置してある防犯カメラや、

の一節についてプライバシーが~という観点からの批判は広がらないでしょうね。疚しくなければ関係ない、プライバシー<安全の構図(小宮先生は公道などは公共の場である以上プライバシーは低く見積もって構わないというスタンスで違いますが)でしょう。

だからこそ安原さんが指摘されているようにいったいどれだけの冤罪の人間が嫌疑をかけられる(た)ことになるのかという数字は確率だと誤魔化されてしまうので実数として出す、こういうカタチこそ有効な反論となりうると思います。いざ自分が容疑者になってからでは遅いという脅しは警察に対する不信とあいまって効果的でしょう。

また監視カメラに関して言えば、その有効性は先進国イギリスでもいまだに実証されていないことは、小宮先生の著書である『犯罪は「この場所」で起こる』でもせいぜい4%程度で投資に見合う効果とはいえない(だからやめるべきだとは言わず、有効である駐車場の例や更なるデータ蓄積を訴える点が萎えますが)ときちんと記しています。

このような曖昧な思想に基づく批判ではなくて、確たる数字に基づいて危険性、無効性、コストなどのデメリットが浸透していくことを願うばかりですが…ね。

2 ■ご指摘ありがとう

訂正しますねー。

1 ■訂正を

>いまは環境社会学的な意味で、ノイズの除去するというロジックの中にあるほうが強い。

環境社会学ではなく環境犯罪学の間違いだと思われます。06年2月25日の朝日にも立正大の小宮さんが載ってましたが、割れ窓理論とかですよね。環境社会学では、水俣病などのような公害問題が対象になりますし。

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