今を生きる

人生を楽しめない事ほど残念な事は無い。


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2013年11月29日
機会を得て、女学院でお話をすることがありました。
そのときの受験をまじかに控える高校3年生に向けてのメッセージと病気の経過などをつつった原稿です。

女学院2013.11.29

 

 みなさん、こんにちわ。

 まず、軽く自己紹介を軽くさせていただきます。

 山下弘子です。みんなの3個上に当たるので今年で21歳になりました。同じ青ジャージの学年ということで、親近感沸きますね。

 けれど、私はみんなと同じように来年の4月から大学1回生です。正確には大学1回生の後期が4月からはじまります。 一年浪人した上に、病気で一年半もの間休学していたからです。皆さんの前でこうして元気に話していますが、一年前のちょうどこの時期に余命半年っと医者に宣告されました。 


 それはまさに二十歳の誕生日の一ヶ月前の日。その日の大学のお昼休みに突然なんの前触れもなく、呼吸するたびに右胸に激痛が走りました。最初は感じるか感じないかくらいの痛みでしたが、夜になるに連れ、徐々に立つこともできないくらいの痛みに変わり、大学近くの町医者に見てもらうことにしました。胸が痛いので、肺の何かの病気かな?っと医者は思い、レントゲンをとりましたが、何の問題もありませんした。今までの経験上のことですが、普通なら、そこで鎮痛剤、痛み止めを出してもらい様子でも見て見ましょうっと医者に言われるんだろうなーとっおもったのですが、親切にもそこの医者は、ついでにお腹も見て見ましょうっと言ってくれて、エコーをしてくれました。エコーしてみると、案の定問題が見つかり、ここでは詳しい診断はできないので、紹介状を書きますから大きい病院に行ってくださいっといわれました。

 

 母にことの成り行きを言うと、もともと母子感染で先天性B型肝炎をもっていたため、心配した母はネットで肝臓の治療実績のある○○病院に翌月曜日連れて行ってくれました。今思い出すと本当に長い長い一日でした。朝一番に病院に向かいましたが、主治医に会うまでに、まず血液検査、エコー検査、心電図、待ち時間待ち時間待ち時間...やっと自分の順番が回ってきた時には昼の16時をすぎていました。まるまる6、7時間は待っていました。ついに結果が分かる!いったいなんだったんだろうか、少し嫌な予感を胸に抱えながら、診察室にはいると、告げられた結果は、まさかの余命宣告でした。

 

 お腹の半分もあろうかの面積を占めたのは、肝臓ガンでした。あまりにも巨大すぎて、肺にあっていたために痛みを感じたんだそうです。肝臓は沈黙の臓器で、あまり副作用がないので、なかなか癌なども見つけにくいんだそうです。私も大きすぎて肺に当たっていなかったら、見つかってなかったのかもしれません。滅多に見ないこの大きさのガン、この調子なら、きっと色んな臓器に転移しています。手術も化学療法もできません、治療する方法もありません、死を待つばかりの状態。

 さらに悪い状況はそれだけでなく、肝臓が巨大化しすぎて水風船みたいに破裂寸前でした。肝臓は血の塊なので、いったん何かの衝撃で破裂すれば大量出血で即死の状態だったそうです。なので、笑えない笑い話ですが、道歩いていて誰かとぶつかって、当たり所が悪ければ、その場で大量出血をして即死でした。ぶつかってしまった人はきっとトラウマになっていたでしょうね。破裂しなくても、もって半年がいいほうですね。一応ctでどのような状態か見て見ましょう。では、外の待合室で待ってください。こうもあっさり、いつでも死と隣り合わせの余命半年宣告をされてしまいました。その日は今でも本当に鮮明に覚えています。

 

 自分ははっきりと十代にして死というものと向き合いました。余命半年だと宣告された三日間、確かに落ち込みもしました。けれど、自分でもびっくりするくらいにすんなりと受け入れていた自分がいます。周りがどん底の中、一人だけ「これからやりたい事リスト」を作っていました。人生は残りわずかとなってしまいましたが、でも今すぐ終わるわけじゃありません!私はまだ半年もあります!もしかしたら奇跡がおきて半年よりももう少し長くこの世を楽しめるのかもしれません!テレビの中でも、余命宣告されてから余命よりももっと長く生きた人が何人もいるじゃないですか。私はまだ幸運です。だって、現にこうして半年だといわれながらも自分はまだ今いきている、世界にはたくさん死を実感する前に無くなる人がいます。何がいつどういう風に起こるかは誰にもわかりません。もしかしたら、何秒後かに交通事故で即死になるかもしれませんし、何かの事故や天災に巻き込まれしぬのかもしれません。それに比べたら、私は死というものと向き合いながら、後悔だってすることができますし、大切な人々とお別れする時間だってくれています、遣り残したことだって実行する時間が半年も残されています。さらに、死が身近にあるからこそ、今生きている事に感謝することだってできています。 

 みなさんは普段生活していて、今生きているだけで、幸せを感じたことはありますか?さらに、それだけじゃなく、私たちはいったいどれほど恵まれているのか、みなさんはすでにご存知だと思います。一体どれほどの人が「今、生きている。」ただそれだけで幸せな気持ちになれるのだろうか。たくさんの人々が命というものよりももっとちっぽけなことで悩んでいます。私だって余命宣告されていなければ、たくさんのことで悩んでいました。今だって、すごいたくさんのことで悩んでいますが。でも、その時の自分にとってそれらの命に比べたらちっぽけな悩み事は、そのときの自分にとって何よりも大切なことです。精一杯悩んでいいと思います。けれど、悩みすぎて投げ出したり、自暴自棄になってはいけません。悩みすぎてどうしようもなくなったときは、一度たち止って、自分の周りにある幸せを探してみましょう。

 私も余命宣告されて、絶望した時だってあります。悩んで悩んでどうしようもなくなったときだってあります。私も人間だから、今だって時々気持ちが沈んで絶望するときもあります。けれど、そのたびに私はこう思うようにしています。時間は無限にあるわけじゃなく、限られています。その限られた時間の中で、有意義に過ごしたほうがいいっとおもって。だからいつも、落ち込んだ自分を無理やりふるい立たせます。無理やりテンションをあげます。たとえば、病気に悩んでいるときは、周りに目を向けて見ます。私が少しでも長く元気に生きれるならばと、命をも差し出す覚悟のある母。それはもう過保護の域を超えて、24時間私のことを思っている。母の家系は仏教だったのだけれども、まったく信じていなかった母ですが、私が病気になってから毎日私のために4時間以上ずっと念仏してくれています。それは今でも変わりません。私のために食事を徹底的に変えました。塩分ゼロ、油分ゼロ、肉あまりなし、野菜とキノコ、豆類メインの食事に変わりました。家族みんなの分とは別に、私だけいつも特別メニューです。おかげで超健康的な食生活過ぎて、たまに無性に肉が食べてくなって爆発しますが。時間さえあれば、本嫌い文字嫌いだった母がずっと私のために難しそうな医学の本だったり、漢方の本をよんで、いろいろと試しています。おかげで毎日苦い苦い漢方の薬と付き合っています。などなど、まだまだたくさんありますが、そんな母を見ていると、こんなにも自分は愛されている。なんて幸せなことだろうか!母だけじゃなく、家族みんな、友達みんな、友人たち、女学院の先生方などなど、たくさんの人に心配されて、愛されていて、なんて幸せなのだろうか!いつもこう思うたびに、なぜか心のおくから温かい気持ちになって、ついさっきまで絶望していた気持ちがまったくなく、心配が消えたわけじゃないですが、それでも、がんばってみよう、楽しく前向きにがんばってみよう。どうなるかは、だれにもわからないけれど、とりあえず、悩んでいてもいかたがないので、気持ちをたかくもってみよう。と、おもっています。 だからといって、絶対に悩むな!といっているわけじゃないんです。悩むことってすごくいいことだと思います。悩みがあるってことは、そこまでこのことに真剣で一生懸命だということじゃないですか?悩みがあるからこそ、せいちょうできるんです。悩みと絶望はまだ違うと思います。悩んでどうしようもないときは、一度たち止って周りの幸せに目を向けて、つらく悩むのじゃなく楽しくなやんで、解決できないような悩みも生きているからこそ、きっとその大切な悩みも時間と共に消えたり、または幸運に変わるかもしれません.

 

 すべてのことに意味はあると思います。人生の中で無駄なことはひとつもないと思います。

 私は受験に失敗ばかりしています。高校3年間理系のクラスだったにもかかわらず、希望学部は文系でした。浪人をして一から文系科目、また第一志望が無謀にも京都大学だったため文系科目が普通の大学よりも多く、政治経済、倫理、世界史、を一から学びました。すごいしんどい浪人の一年間でしたが、それでも志望校を目指し必死に毎日勉強していました。結局願いかなわず、合格できませんでした。あのしんどい浪人の一年間は今思えばすごい大事な私の宝物になっています。あの時に、ちょっとやそこではあきらめない精神や忍耐力が培われたし、また一から勉強した文系科目によって、社会を見る目が変わり、世界渦巻く様々なことをより一層理解しこれからの人生にとって役立つことになったと思います。さらに、この受験の失敗が私人生において、とてつもなく大切な出来事につながり、私を救ったといっても過言ではない出来事が入学してから半年後に起こりました。
 もし、大学近くのその親切な町医者がいなければ、あの時親切にもお腹のエコー検査をしなければ、私はもしかしたら今頃ここにいなかったのかもしれません。もしあの時、鎮痛剤だけ出してもらい帰っていれば…実際痛みはその晩をピークに翌朝にはもうすっかり収まっていたので、たぶん何の疑問も抱くことなく、あ、痛み止めで直った!わーい!で、終わっていたのかもしれません。そして、何事もなかったかのように日々を過ごしていたのでしょう。気づいた時にももう手遅れになっていたのかもしれませんし、さらに、どこかではしゃぎ暴れているときに何かにぶつかり即死していたのかもしれません。誰かに軽くぶつかっただけで破裂するかもしれない肝臓を抱えながら、即死の状態で日々を生活していたのかもしれません、ということを想像しただけでおそろしいですね。

 運命はこうも不思議です。何か起こるかは誰にもわかりません、しかし、きっと一つ一つの出来事に意味はあります。それらの出来事は人生の中で大失敗なのかもしれませんが、受け止め方一つですべてがかわります!だったら、自分が成長できる方に考えませんか?逃げるのではなく、その失敗の中から学び、反省し、将来に生かしていく!だから、もっと失敗することに恐れずに、人生を楽しんで行きましょう!

 話がかなりそれましたが、余命半年宣告をされてから今まで、半年どころが、もうすぐ一年になろうとしています。余命宣告されても、不思議にも「私は大丈夫だ、ぜったいに大丈夫」だとずっと根拠のない自信を持っていました。それが、ほんとうに大丈夫になったんです!病院いってから三日後、突然病院から一本の電話が!電話の向こうの冷静な看護士の声とは裏腹に、ヒステリックに泣きながら笑っている母がいました。「ctスキャンの結果、どこにも転移していません、奇跡です!外科手術ができます。」こう、母は言われたそうです。「ああ、やっぱり、私はまだここで終わる命じゃないんですね!」余命宣告されてから一度も涙したことがない私は、この時母と2人抱き合いながら号泣しました。今思えば、あの時なぜこんなにも気丈に、明るく振る舞っていられたのか?人間は不思議なものです。きっと半分信じながらも、半分催眠術のように病気のことを考えず、受け入れていない自分がいたんだと思います。受け入れない、自分のテンションを無理やりあげさせることによって、病気からの、死からの心へのダメージを和らげていたんだと思います。

 ほんとに奇跡がおこったのです。手術も無事に成功して、手術後に医者は両親に、取り除いた物体をみせたのですが、その物体は私の顔よりも大きく、思わず母は「え?癌はこの物体のどこにありますか?」と聞いたそうなのですが、返ってきた答えに私もびっくりしました。なんと、顔よりも大きいその物体すべてが癌だったのです。重さを量ってみたら2キロもありました。そりゃ、医者も最初はあきらめるわけですよね。この大きさは本当にないんだそうです。あらためて、こうして無事にいることが、助かっていること自体が奇跡なんだなっておもいます。

 こうして無事に手術も成功を収め、抗がん剤治療もせずに今年の四月になりました。めでたく大学にも復帰することが決まり、死の淵から奇跡の生還を果たし私は希望に満ちていました。私の場合、この病気の五年生存率が20%というデータがあります。五年後には5人に1人しか生き残れません。私はこのとき、自身に満ち溢れていたので、まったくなんとも思っていませんでした。それは今でも変わりませんが、しかし、病気の休学から復学して一週間。なんと、肺にガンが転移していることがわかりました。やはりあれだけ大きな癌細胞は転移しないはずがありませんでした。再び恐怖になり、落ち込みました。この時、私は神様を始めて恨みました。なぜ、私にまたこんな試練を与えたのだろうか…一度もうすでに堪え難い困難な試練を与えたのに、なぜ再び?と思いました。転移した癌は早期発見でしたので、無事に取り除けばなんの命に何かあるわけじゃありません。この間の肝臓がんよりは本当に月とすっぽんみたいな存在でしたが、けれど、私は五年生存率20%の怖さに怯え始めました。癌はなぜ恐ろしいのか、それは無秩序に拡大し、いろんな臓器を侵略し、機能を破壊するからです。癌で怖いのはやはり、転移と再発です。私の場合、元のがん細胞が巨大すぎたため、転移によって引き起こすさまざまな副作用により死にいたる可能性が大きいのです。転移が私に与える恐怖は本当に大きかったです。

 そんな時、一個の聖書の箇所に出会いました。


新約聖書コリントへ手紙の10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

 試練にあった時、きっとその試練に意味、目的があります。無駄な試練は神の中にはありません。神様に対して、なぜこんな試練を私に与えたのか!と、うらむのではなく、そこにきっと何か意味がある、今はまだわからないけれども、いつか将来役に立つと受け取り、神様の導きがないか、考えましょう。逃げるのではなく、苦しみとも向きあっていきましょう。その苦しみによって私たちは成長すると思います。そして、何よりも大事なのは、あなたは一人じゃないということです。どんなときでも、一人じゃないということです。こういうときこそ、普段は感じられない真実の愛が感じられるのではないだろうか。その愛が試練を打ち勝つのだと、私は思います。私はまだ21ですが、それでもすでに何度も感じました。今までの人生の中で何一つ無駄なことはなかったと思っています。女学院は高校からでしたが、最初はいやいやながらでした。実家は完全なる仏教でしたし、なぜ女子高にこなければならないのだろうかと、本当にいやでした。けれど、女学院でみっちり3年間聖書について学んだからこそ、今の私の考えがあります。この3年間の学園生活はこれからの私の人格形成上ですごく大きな役割になっていると思います。無駄だと思っていた聖書も、卒業してからどれほど役に立ったのかしれません。さらに、女学院で出会った友だちに、病気のさなか、どれほど心のささえになっていたのか。もし、女学院に入っていなければ、病気になった時点で崩れ去っていたのかもしれません。何一つ、無駄なことはありません。この病気だって、ほんとうに感謝でいっぱいです。この病気も、このつらい体験も無駄じゃないんです。この病気で得られたものは、どれほど多いのだろうか。みんなに、病気になってから、なにか変わったねっとよく言われます。私も本当にそのとおりだと思います。この病気で、私の人間性が磨かれたと思います。考えが成長し、人間的にも成長できました。そして、転移して、その転移した試練も乗り越えたことによりさらにまた新たに得られたものがあります。一度目の病気は、前向きな心と、感謝する気持ちとこの世をすばらしいと思える心を得られました。肺に転移したことで、私は負けない精神力と、あきらめない心、頑固たる意思を得られました。


もう一つ心の支えになっていた聖書の箇所があります。
ハタ先生の修養会に参加した高3の皆さんはよく知っている箇所だと思います。
新約聖書マタイによる福音書
6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

偶然にも私が高3だった時も波多先生の修養会でした。
受験で悩み、苦しんでいた私はこの箇所で救われました。
そして、今病気と向き合っている私も再びこの箇所に何度も救われました。
世界は大きすぎて、深すぎて、私たちの考え理性では到底理解しきれません。だから、思い悩んだってし方がない。たとえ明日この世から消えて亡くなったとしても、十分幸せだったと思えば、それでいいじゃないんかな?
毎日一生懸命後悔のない日々を過ごす!これが今の私のモットーになっているんです。
後悔はして欲しくありません。
でも、焦りや今無駄になっている事への嫌悪感による悪のスパイラルにははまってほしくありません。今やる気が出ない、どんなに頑張っても結果がついてこなくて焦っている人も多いんじゃないかと思います。でもそれはそれでいいじゃないですか?

 みんなは受験ですごい不安や、先が見えないなくて、怖いと思います。私も三年前、浪人もしていたのでそれを数えると二年前まで、皆と同じ状態でした!でも、今思えば無駄な事は一つとして無いんです。だから、焦らなくていいと思います。かといって、一生懸命頑張らなくてもいいというわけではありません。目的達成のために努力は必要です。でも、頑張りすぎて、頑張っても頑張っても結果が出ない、なぜ結果が出ないのかと自己嫌悪に陥り、それで悪のスパイラルにはまり、抜け出せなくなくるよりも、きっと、その頑張りはいつか振り返った時に何か意味があるんだ、だから、思い悩むよりもとにかく一生懸命挑戦して見ましょう!失敗したって、それが財産に変わるのかもしれません!
 後悔するな!ってずっと言ってきましたが、それも少し違いますね。何事にも両面性があり、いいこともあれば、必ず悪いこともある。同じように後悔することも必ずしも悪いことばかりではありません。気づくって、なかなか難しい事なんです。何かをきっかけとして、何かに気づきます。そういう意味で、後悔や失敗はとてもいい気づきです。後悔をしないとその時間が大切だと気づかないのかもしれません。後悔するのは大切なことだし、後悔するから、その時間が無駄だったと気づきます。後悔してもいいじゃないですか?その後にちゃんと反省し、後に生かすことが大事だと思います。その後、その事を活かしなければならない。誰だって失敗はある!その失敗をどう生かすのかは自分次第。言うのは簡単です。私だって完璧じゃないし、ときにはできなかったりする!でも、出来るだけその事を心に止めて、そうなるように心がけています。後悔はできるだけしないでほしいけど、後悔したのなら、その事で落ち込まずに、改善していけば大丈夫だと思います。肺の転移によって、私はほんとうの意味で死と向き合い、受け入れました。そして、さらに生、命というものに対して愛おしく感じる事ができています。

 肺に転移していたことがわかったので、多分からだの他の所にも転移している可能性が高いということで、抗がん剤治療も始めました。肺の手術も再び成功し、抗がん剤治療開始しましたが、その甲斐なく四ヶ月後の今年八月に再び肝臓にガンが七つ見つかりました。けれど、今度こそ安らかな気持ちで病気を受け止めている自分いました。
まだどうなるのかは誰にもわかりません。あれほど大きな原発のガンがあったのだから、きっといろんな所に転移していたのでしょう、それがこれからどんどん出てくるのかもしれません。と、医者に言われました。
もしかしたらダメになるのかもしれませんが、何故か私は今度も、きっとこれからも根拠のない自信がずっとあるのだと思います。私は絶対生き残ります。ガンに勝おって見せます!例え本当に万が一ダメになったとしても、それでも真の意味で癌に勝ったと思います。7つの癌を取り除くカテーテル手術をしてから、先月にもう一度入院してまた手術しました。この一年間で計4回も手術をしました。昨日28日に病院でMRIとCTをし、肝臓の中にまだひとつ癌が残っています。ちかちかまだ入院して、取り除く予定です。なんど、転移しても、何度再発しても、私は勝つつもりです。くじけそうになったときは、おもいっきり悩みます。そして、一時間後くらいに自分は一人じゃないことを思い出して、また前向きにがんばって生きたいです。そのつどそのつどの試練、困難が私をさらに成長させてくれると思います。

 病気になってから、いろんな事が変わりました。正直、変な話だけれども、私はこの病気にすごく感謝しています。この病気にであったからこそ、大事なものが見えるようにもなったし、些細な事でも感謝し幸せを感じる自分がいます。今生きているこの瞬間を大切にする事ができる。取り巻くすべての出来事がキラキラして、意味がある。本当に美しいこの世界を知る事ができて感謝します。
高3の皆さん今ほんとうに辛く、大変な立場にあるのだと思います。先が見えない不安でいっぱいだと思います。でも、今のやる事なす事すべてに意味は絶対にあります。かといって、これをプレッシャーだと感じずに、もう少し、少しだけでいいので、ダメな時も含めてすべてを受け入れてしまいましょう。悪のスパイラルにはまってしまうより、ダメな時だってある!と思って受け止めた方が心には絶対にもいいと思います。きっと大丈夫です。どんな時もあなた方は一人じゃありません。その事を心に止めて、あと少しの受験を乗り越えていきましょう!また、受験だけじゃなく、あなたたち、わたしたちにはまだまだすばらしい未来が待っています。受験だけじゃなく、ひとつひとつのことを一生懸命やっていきましょう。今日は、この場でお話をさせていただくことができて、本当にありがとうございました。


最後に、ひとつだけ。

病気になってからみんなに、「ひろこちゃんをみてると、こっちが元気になってくる、なんだか私のほうが元気付けられている、ありがとう!」っていわれますが、ううん、本当は違うんです。元気をもらっているのは私のほうなんです。私はただ、みんなから与えてもらった元気をみんなに返しているだけに過ぎません。だから、ありがとうをいうのは私のほうだな、っていつも思っています。本当に長い間、私が崩れ落ちそうになったとき、何度も何度もみんなに助けられてきました、みんなの笑顔に癒されました、元気付けられました、私が今こんなにも元気にここにいられるのは、みんなのおかげだと思っています。ほんとうに、本当にありがとうございました。

一緒にがんばっていきましょう。


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