前回の記事の続きです。(以下、ジッポーについて、Wikipediaより引用)

2.1.起源

「ジッポー」の名称起源には諸説ある。
創設者ブレイズデルが、ジッポーと同じく同じペンシルベニア州で発明された「ジッパー(チャック)」をもじって「ジッポー」と名づけたとする説。
ケースを開けて点火する際の擬音からの着想説。 等がある。しかし正確な起源は不明である。
ジッポー開発のきっかけは、ブレイスデルの友人のライターだったと言われる。この友人は有名な伊達男だったが、なぜか、作りの如何にも粗雑なオーストリア製オイルライターを使用し続けており、その使いにくさに悪戦苦闘していた。「もっと良い物を使ったら?」とブレイスデルが諌めたが、当人曰く「ライターなんか、火が点きゃいいんだよ!」。しかしブレイスデルは大幅な改良によって「もっと良い」ライターを開発した。このエピソードは、パッケージのケースにある「It works!」の文字に残されている。
ちなみにこの友人のライターは“CYKLON”なるオイルライターだったという記録が残っている。キャップ式の蓋を持つこのライターは、当時のライターとしては機能面で洗練され、構造的にも単純であるために機械的な故障も起き難く、また風防形状から見て、かなり風のある場所でも使用できたと見られる。しかし回転ドラムの支柱が脆弱な体裁であり、使用材質や板厚から見て、強度面での難が推測される。またキャップ部分は使用時に引きぬいて取り外すため、ジッポーのように片手で使用する事は困難である(注1)。

1.http://www.richardszippo.com/cyklon.htm 英文記事・写真付き

3.構造と特徴
インサイドユニットと呼ばれる部分と、それを収納するケースから成る。
その形状は現代に連なる製品では長い間変化していないため、これが愛好者筋の好む要素ともなっている。ただし、その初期においては1932年の最初期の製品から1934年のモデルで1/4インチ高さが低くなっているほか、1939年には現行の主要モデルに見るような蓋上部が丸くせり出したモデルが登場している。角型モデルとも呼ばれる発売以降1941年までのものは、製品が手作業で作られていたため個体差があったほか、1936年まではヒンジ部分は外付けとなっているため、このヒンジを中付けすると元々のインサイドユニットが納まらないという構造上の違いがある。
インサイドユニットの内部に収められている綿球(レーヨンボール)にオイルを吸収させ、ウィック(芯)に毛細管現象によって吸い上げさせ揮発、気化させる。フリント(発火石)とフリントホイール(回転するやすりドラム)との摩擦から発せられる火花によって引火着火する。火はフタを閉めれば、酸欠によって即座に消える。インサイドユニットは基本的に1941年より後のレギュラーサイズのジッポーライターで共通化されている。つまりインサイドユニットは同じ機能を持つため、モデルや販売価格による着火性や動作など性能の差はない。なおレギュラー以外には、卓上型とスリム型があるが、卓上型では専用ユニットを使うモデルも過去の製品に見出される。
ケースは、インサイドユニットを収納するボトムケースとリッドと呼ばれるフタより構成され、ヒンジ(蝶番)で結合されている。リッドの内側には板が取り付けられている。この板とインサイドユニットに取り付けられたカムが接触することによりスムーズな開閉を実現すると共に、ジッポーライター独特の金属的な開閉音を響かせる。
ケースの材質は真鍮が基本で、デザイン性、意匠性を高めるため表面にクロムメッキなどが施される。またケースの材質には真鍮以外に、金、銀(スターリングシルバー、一部で「スタシル」と略称される)、銅(Copper)、チタン(Solid Titanium)等が使われるモデルも存在する。また過去には、鉄、ニッケルなどで製造されたモデルも存在する。
ケースの底面には、一部のモデルを除き、1957年よりイヤーコードと呼ばれる記号が刻印されており、これにより製造年が判別できる。このイヤーコードは当初、点や線で構成されていたが、1982年より平行してアラビア数字表記のものが登場、1985年からは同じく並行してローマ数字で記載されたモデルも出ている。1986年からはA~Lの12文字で現された製造月も刻印されている。1936年後半から1967年のモデルまではパテント番号が刻印されていたが、ジッポーのパテントが切れた同年8月1日以降の製品ではこの刻印が省かれた。ただし1980年代よりのレプリカモデルでは一部にこの古いパテント番号が記載されているものもある。

4.アメリカ軍との関係
ジッポーライターの普及には、アメリカ軍が大きく関わっている。 第二次世界大戦中、「どこでも、どんな状況でも点火できる器具」が求められ、ジッポーが注目された。ジッポーは耐風性が高く頑丈で、かつ必要最小限の構成ゆえ部品も少なく、修理も容易だった。また戦場では燃料としてガソリンが入手できた。
アメリカ軍は製造元であるZippo Manufacturing Companyに軍へのライター納入を依頼した。納入された正確な数は戦闘部隊数が知られてしまうため極秘とされており不明であるが、相当の数が納入されたようである。
当時は戦時で、ジッポー本来の材質である真鍮材は、薬莢製造用に優先して回されていた。この資材不足対策として、軍用ライターのケースの材料には鉄を使い、その上に錆止めの塗装を施した。これらは黒い塗料の表面が細かくひび割れたように見えたため、通称「Black Crackle」モデルと呼ばれた。これには後に「戦場では、光る物は反射で自分の位置を知らせてしまうので、敢えて反射止めに黒く塗った」とするもっともらしい俗説が付いた。ただ関係者筋に拠れば「苦肉の策だった」ことが明かされている。
このライターは兵士達に大変好評で「GIの友」とまで呼ばれ、売店に入荷するや基地内の兵士の間では取り合いになったという。大戦中、アメリカ軍の名将として知られ、ノルマンディー上陸作戦を指揮したドワイト・D・アイゼンハワーも「私の持っているライターの中でどんな時でも火がつくのはこれだけだ」と賞賛した。
当時は市販品製造より軍納入分の生産を優先したため、ジッポー不足は著しかった。戦地に赴く恋人のために、ある女性一市民がラジオ放送を通じ、ジッポーを譲ってくれる人を募集したというエピソードもある。
戦地で実証された耐久性の評判は、アメリカ軍兵士を通じて一般国民や諸外国(敗戦国・被占領国も含む)にも広まり、「アメリカの豊かさと文化の象徴」の一つとして世界的なヒット商品となった。日本でも第二次世界大戦以降からベトナム戦争の時代に日本国内の米軍基地の兵士が持っていたものの一部が伝わっており、1980年代よりはビンテージ・ジッポーの人気も上昇、1990年代頃よりは盛んにジッポー関係のムック本もワールドフォトプレスなどから出版されている。
なお、ジッポーはアメリカ合衆国軍に制式採用されたことはない。軍に供給されたジッポーライターは、全量がアメリカ軍PX(売店)での販売用である。アメリカ軍は、戦中、国外の基地内PXで、兵士の士気を維持するために、特にアメリカ的とされる製品を多く並べた。第二次大戦の開戦当時、PXではほかのアメリカ製ライターも販売されていたが、兵士らは専らジッポーのみを好んで購入した。プレイズデルは開戦のニュースを好機ととらえて、軍から部隊章などの提供を受けた場合は、一個につき20セントの手数料で取り付けるとしたサービスを打ち出した。また同時期には、PXへの卸価格は10%の値引きを表明している。

(以上、Wikipediaより引用)

「Zip!deポン」というタイトルを見て、deポンという言葉の部分の響きが「デュポン」に似ていると個人的に思いました。「デュポン」といえば、名家「デュポン家」、ライターのデュポン、デュポン社を連想します。デュポンライターの製造元は言わずと知れたデュポン社であり、デュポン社といえば、以前、当ブログでご紹介しましたが、1930年代に無線電話機(現在でいうところの携帯電話)を開発していた巨大企業です。また、デュポン社の化学工場が大爆発して多数の犠牲者がでた痛ましい事故が起きたことはご記憶に新しいかと思います。(機会があれば、この化学工場爆発事故についての記事をたちあげようと考えていますが、今回は割愛させていただきます。)

今回の記事の主題は、朝の情報バラエティ番組「Zip」で、「悪魔のサイン」が堂々と披露されていること、その「悪魔のサイン」が、桝太一アナウンサーの自発的な発信によるものか、上からの命令により発信に至ったのかは不明ですが、近年、露骨にオカルチックなサインやロゴの採用が目に見えて増えていること、「Zip」ならびに「Zip!deポン」という番組ならびに番組コーナーの名称を深く掘り下げると、個人的に、ですが、興味深いことが判明すること、です。結びになりますが、以下、画像を添付いたします。


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