大地震に際して(続き2)

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3日目

午前6時前には目覚め、水がないため、大便も我慢し、歯を磨くこともなく、着替えることもない状態で、昨日と同じ格好で出掛ける事になった。朝の温度は2度ほどで、外の気温も家の中の気温も変わらない事に少し驚いた。兄の車に乗り込み、先ずは一緒に給水をしているグランドに出向き、兄は水を。その時久しぶりに携帯が通じる状態になり、アメリカの家族と話をした。勇気が出る。

午前8時過ぎにはドイツ人の宿泊するホテルに到着し、昨晩の様子を聞いたり、今日のアイデアを披露した。義兄は、その足で会社へと戻っていった。

『兄貴、久しぶりに会って、しかも突然。まさに忙しい最中に、感謝しています。家族のぬくもりを感じました。ありがとう。』

ドイツ人とのプランは、次の二つ。
1) この場に残って新幹線が動くのを待つ。
2) タクシーで南に進み、電車の動いているところまで移動する。
彼らは迷わず、「南へ」を採択した。あとは、タクシーとの交渉のみ。

駅近くのホテルがため、又仙台に比べればかなりの田舎であるため、4台ほどのタクシーが駅前にいた。来るよしもない電車を待つのも、寂しいものと感じていたようだが、そこにやってきたでっかい日本人ぽくない僕と、どう見ても外人の二人であった為、少し焦った様子。

僕の会話した人は、菊地タクシーという20名程のドライバーの在籍する小さな白石のタクシー会社。遠藤さんというマスクをした運転手さんだった。

「南に向かいたいけど、どこまで行けますかね?」これが僕の問いかけ。遠藤ドライバーは、無線で確認して「宇都宮まで行けるかも」と答えてくれた。その時は、宇都宮がどれほど遠いかなど何も考えていなかったというのが、宇都宮に着く間際に聞いた、遠藤さんの本音だった。

高速道路は完全封鎖されているので、国道4号線で南に向かう事になった。トランクは僕らの荷物で満タン。LPガスも満タンの様子。一路とにかく4号線を下った。途中、倒壊しているビルや家屋を眺めながら、又土砂崩れで通れなくなっている国道を迂回しながら、又食べる物のほとんどないコンビニでトイレを借りたりしながらの旅。帰りの事を思うと途中で降りてくれと言われても仕方のない状況で、遠藤さんは優しく、不安いっぱいで僕たちを宇都宮まで送ってくれた。午前8時45分に白石を出た我々は午後4時前に宇都宮着。7時間の行程。本当に、よく運転してくれたものである。メーターは、55,550円という数字を示していたが、価値のあるドライブだった。

途中、何度も福島の核爆発の恐怖を尋ねるドイツ人夫婦。自分たちはとっととこの国を出たいというものであったが、自分が身寄りのない外国でこのような経験をすると当然このような発言になるであろうと彼らを宥めながら、一緒に頑張って7時間の旅をした。

宇都宮で、遠藤ドライバーと固い握手を交わし、ドイツ人夫婦と僕は在来線に乗って一路
東京に向かった。
たった3日間の体験であるが、被災を受けた人や足止めを食らった多くの人たちの事を考えると、逃げてきた自分に少し罪悪感を感じるが、一刻も早く復旧の目処がつく事を願うばかりである。又、勇気づけてくれた多くの友人や家族、特にアメリカでやきもきしていたであろう嫁や子供には感謝している。

まもなく東海道新幹線が新大阪に着く。今日は実家で風呂に入れる。
本当に、助けてくれた方々に感謝したい。

東北地方で被災された方々には、言葉がありませんがなんとか頑張って乗り切って頂ける事をお祈りします。
$僕の周りで起こっている事
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