仙台出張中に地震発生

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初日

2011年3月10日は、深夜まで仲間と飲んでいたが、翌朝早くの新幹線に乗る事を考えて、いつもより早めに銀座を後にした。今回宿泊をしている九段下のホテルを出たのは翌朝3月11日の午前6時半頃だったと記憶する。
 宮城県の職員の方のご厚意で多くのアポイントメントを入れてもらい、それぞれのアポに何を話すか準備し、意気揚々と東北新幹線に乗り込んだ。アメリカからの荷物を全て持っていたので、午前9時前に着いたその足で、先ずは宿泊予定のメトロポリタン仙台に荷物を預けた。「夕方6時前に戻ってくるので、その時にチェックインしますね。」とロビーの女性に言い残し、県の職員さんとの待ち合わせ、早速午前のアポ2件を終えた。
 「いやぁ、仙台は美味しい料理もあるし、いいところですねぇ。」そんな会話をしながら、昼ごはんは牛タン弁当をご馳走になった。本当に美味しかった。まさかそれからしばらくご飯を食べれなくなるとは予想もしなかった。

午後のアポは仙台から少し南の太白区鈎取御堂平というところ。2時40分過ぎまで打ち合わせて、見送って頂く先方の方を残し、県の方の車に乗り込んだ。次のアポはもっと南の場所と聞き、又そこまで1時間近くかかると聞き、助手席にゆったり腰掛けて、いざ参らんとしていた。

それから3分もしない時間に、衝撃は走った。

広めの道路を走っていた時、「あ、地震ですかねぇ?」と気楽に話を流そうとして少しした瞬間に体験した事のない横揺れを味わった。車をゆっくり止めて、情勢を伺う事にしたが、前に止まったトラックは今にも倒れそうになっている。耐えきれなくなったトラックの運転手は車を飛び降り、近くのガードレールを掴んでいる。我々もどうして良いかわからず、折れそうな道路脇の街灯を気にしながら、扉を開けていつでも飛び降りられる体制を敷いた。こんな揺れは2分以上続いたように思う。幸いなことに、高台にいる上に、あとで分かったが地盤の固い場所だったようで、揺れはすごかったが、周りも家屋が倒壊するような事はあまりなかった。

ラジオのニュースでは、「緊急津波警報」「早く避難してください」といつになくアナウンサーの声が切羽詰まっていた。「3時には津波が来ると思われます。至急避難を!」

次のアポをどうすれば良いのか、今の地震で街はどうにかなったのか?と考えながらも、二人の決断はアポをとりあえずキャンセルして街に戻ろうというものだった。途中、渋滞と家路に急ぐ人を見ながら、街に向かった。渋滞の為、予約してあったホテルに戻ったのはもう5時を過ぎており、周りは少し暗くなっていた。仙台駅横のホテルでは、多くの人がロビーや入口にごった返しており、「宿泊予約しているんだけど・・・」と長く待つ人の苛立ちの声が聞こえていた。

$僕の周りで起こっている事-仙台ホテル


ここからは、県の職員の人と分かれて一人になっていた。とにかく、今日のホテルの部屋は確保せねばと焦り、カウンターに近いところで、自分の呼ばれる番を待った。その時ふと後ろを見て気付いたのは、照明は緊急用の暗いものであり、ロビーの中央には水たまりができていた。冷静に様子を眺めると、天井からは水が滴り落ち、その後数分で緊急用の照明すらも全部消えてしまった。ホテルのスタッフが懐中電灯を照らし持っているのが唯一の明かりと化していた。

いよいよ焦ってきた多くの人の不安な声が大きくなり始めた頃、ホテルマンから説明があった。「部屋を全てチェックしたが、とても入れる状況にありません。水道管にダメージがあり、部屋はびっしょり濡れています。これではご宿泊して頂けませんので、ご容赦ください。」当然、お客の一部では悲鳴のような声。しかし、「ホテルロビーは濡れている部分もあるが、解放しますので、不安な方はここに留まって頂いて結構です。」という案内に皆がそれぞれの落ち着ける場所を探し始めた。水に濡れない安全な場所を探し、又ホテルはベッドカバー、シーツ、マット、布団などを提供してくれた。

僕は、電気と水が途絶えているため、又他の避難場所に行くには、荷物が大きすぎるため、ホテルの暗闇でアメリカから担いで来た大きなカバンを受け取り、エレベーターホールの前に一人佇み、これからの行動を考えることにした。

10分の間もあくことなく大きな横揺れがやってくる。その都度、悲鳴が聞かれ、生きた気持ちはできない。しかし、変に外に行っても、仙台には不慣れだし、何が起こるか分からない。隣にあったベッドマットカバーを2つ拝借して、エレベーターの扉に背をもたれさせた。周りでは女の子が鳴き、年老いた女性が辛そうにしている。しかし、僕にもどうしようもなく、ひたすら一人で平静を装う事にした。

1時間もしない時に、又ホテルの人から大きな声でアナウンスがあった。

「ロビーの浸水が考えられるので、仙台駅地下のショッピングモールに移動し、そこで一夜を過ごしましょう。」と。半ば強制的にホテルの階段からつながる仙台駅の地下モールに移動させられる事になった。マットカバーを二つ、大きなバッグに傘とパソコンバッグを抱えて地下に移動。ジェネレータでついた電気は、やけに目を刺激した。

奥の絶好のポジションをKeepして、マットカバーを敷き今日のホームレス生活を覚悟した。目の前にはミスタードーナツの店があるものの、当然閉まってしまい、宣伝のドーナツがやけに美味しそうに見えたものである。

特に着替える場所もなく、トイレにも行ってみたが水が出ない為、排泄後のにおいが充満するトイレでは長くいる事も、着替える清潔さもない。結局スラックスにジャケット、上からは皮のジャンバーを着こんで、まさにホームレスのように寝転がる事に決めた。ホテルのロビーと違って風が遮断されているので、その分寒さを凌げたのは有難い話である。地下にいると余震を感じる事も減り、時折シャッターを揺らす揺れに慄くものの、身の危険を感じるまでにはなっていなかった。携帯は繋がらず、iPhoneのバッテリーはそこをつき、情報も何も入っていない地下でとにかく朝になるのを待つ事にした。それは長く感じた一晩だった。

そうそう、寝ている間にホテルの人たちが、パン2切れと小さなおにぎりを配ってくれた。これが何よりのご馳走で、今後の事も考えて少しずつ食べようと思った時には、最後のパンも平らげてしまっていた。これが、僕の仙台でのDinnerである。
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