廣田の農業 -5ページ目

皆で仕込んだ味噌は絶対に美味しいぞ~

24年度元気づくり支援金事業
味噌の仕込み

お天気も良く味噌の仕込み日和

とはいえ

さすがに吹く風は冷たく・・・

豆を煮ている窯の火が温かくて心地よく有難く感じられました。



味噌の仕込み
私にとっては昔幼いころ祖母と一緒にやった
遠い記憶が五感から懐かしく思い出されました。

下は4歳~上は78歳
10人ほどのまさに老若男女にお集まりいただき
年配の方々にはご指導をいただき、
子ども達は遊びながら大いに学んでいました。



薪を焚く匂い
  


大豆を煮る匂い
 


ゆで上がった大豆

 

昔やったやった
大豆の絞り出し機


 

絞り出し機の威力は健在
みんな感激~


 

そしてシートの上で
こねこね
まるめてペッタン

わかりますかね!
絞り出した大豆と麹と塩
そして豆を煮た時に出る飴(煮汁の濃いもの)を混ぜ合わせよくこねて
それを大体持てる大きさに丸める
それをペッタンペッタンと真ん中に集め
またそれを崩して丸め、ペッタン、崩して・・・
これを7回程繰り返します。

昔、やったやった^_^
何回目だった?と数えながら

この行程はほかの人がこねたものと自分のこねたものが混ざり合うようにという理由
それぞれの人の手の菌が入ることで
世界に一つだけの味噌が出来上がるらしい


 

最後はこの桶の中に
ペッタンペッタンと投げ込み

後は半年~1年ほど発酵させます。
発酵が十分にできたところでみんなにお分けする事になります。
出来上がりがとても楽しみです。


 

作業を終えて~

皆で笑顔の茶話会♡


皆で作った手作り味噌は絶対に美味しいぞ~!






地域発元気づくり助成事業に関わっていただいた皆さんへ

東御市島川原活性化事業として
おいで子どもたちの会として活動してまいりました。

荒廃農地の開墾から始まり
大豆の種まき
栽培
収穫
味噌への加工
以上の作業を行い
今年度計画しておりましたすべての事業をこれで終える事になりました。


私どもも力不足で多々不備があったかとは思いますが
此処までにこぎつけた事は
皆様のお力添えのお蔭と感謝いたします。

皆で力を合わせてこの事業が行えたことに感謝いたします。

また今後ともこの御縁を以て
来年度も楽しい事業が行えますことをお願い申し上げます。


ありがとうございました。






 


 

東北にご挨拶 その3

東北の皆様にご挨拶 その2の続き


 
今日一日貴重な時間を割いて同行していただいた柚子さんといったん別れ
一泊予定のペンションへ
実はこのペンションも津波に流され、昨年別の土地に建て直しようやく再開
被災からここに至るまで大変なご苦労を・・・

お米と野沢菜とお花をお礼に
早めに就寝・・・と
地震!結構長い揺れ、だっ大丈夫?
そういえば、柚子さんが別れ際に今晩揺れるかもしれないので気を付けてと
本当に揺れた、翌朝ペンションの方がこの位の揺れはよくあんですよと普通に
話されビックリです、とは言うもののいまだに気が休めない日がつづいています。



  
  
 
約2年前この土地に何もなかったかのような穏やかできれいな日の出
  
  



娘の気持ちをおいてきました。

 
 

感慨深げ?に外をみる親子

朝食をいただき宿をあとに・・・
そして、今回お会い出来なかったお宅のお米をお願いするために
再び柚子さん宅へ
待っていてくれたのは、昨日仕事でお会い出来なかったお父様、これで柚子さんご一家勢揃い
本当にお会い出来て良かった、帰りにはたくさんのお土産をいただき恐縮するばかりです
もっともっとゆっくりとお話をしたかったのですが、帰省の時間がせまり又の再会を誓い家路へと
向かうことに、しかし時間の許す限り現実を見ておきたいと南三陸町、石巻の海岸道路を走ることに
そこで目にしたのはテレビで見た風景、津波にのまれ鉄骨だけがそのまま残された庁舎やホテル
線路が流され駅だけが残った鉄道、そして、災害に遭った時刻で止まった時計がある小学校・・・・
改めて災害の大きさ復興の遅れに言葉を失い胸が苦しくなりました
なんとか無事に家路に着くことは出来たのですが、少しハードスケジュールだったための疲れより
心に大きな疲れが残った2日間になりました、でも絶対に行って実際に見てきてよかった
今回は、またまた柚子さんにご迷惑をお掛けしたうえ、熱いおもてなしを受け感謝の気持ちでいっぱいです
とても温かい柚子さんファミリーにお会い出来て本当によかった
そしてお米で繋いでいただいた皆様にも逆に力をいただいた気がします
ぜひまた、お会いできる日が来ることを願ってます

この被災を風化してはいけない

けっぱれ東北
+

 

東北の皆様にご挨拶 その2

仮設住宅の皆様にわざわざお見送りをしていただきながら
また再会の日を願って皆さんとお別れしました。

その後、お米を通して何度かお便りをいただいているKさん宅に訪問させて頂き、
それもまた不思議に以前から知り合いだったような・・
久しぶりに会った友達ような・・・
これって・・絆?^^

そして、少し離れた気仙沼港方面に在るお宅に向かいました。

何もかも津波に持って行かれ、
住宅の基礎だけが残された平地

車が通れるようにだけ整備された道路を車を走らせ

所々で災害当時の状況や現在の様子などを柚子さんに伺いながら
以前賑わった街だったんだろう・・と

また良くテレビで映されていた大きな船を
実際に目の当たりにし
人間の力では到底及ばぬ
自然の脅威を
感じざるを追えませんでした。

 


数知れずのいろんな被災に見舞われたであろう街をとおり
港から少し離れた高台にあるMさんのお宅に伺いました。
被災後、自力で立てられたプレハブに住まわれていらっしゃいました。
以前は港のすぐそばに家を構えてお子さんお孫さんと共に賑やかにご家族で過ごしていたMさんご夫婦。
被災によって私たちが想像も出来ない状況の中、九死に一生を得たお話や

被災当初、政府が自力での早い復興をとの指示に
何もかも流され、失い、
それでも頑張って
どうにか自力でプレハブの住宅を建て・・
でも、そうした人には政府からの援助は何もなく・・
その後、家族バラバラの生活を強いられ・・

やっぱり
また
被災から2年もたとうとしているのに・・

と またここで政府の対応に疑問を持ってしまいました。

それでもMさん
そんな被災の話をしてくれながら
何にも分かっていない私どもを明るく、やさしく、穏やかに迎え入れてくださいました。

この暖かさ、忍耐

私たちが同じ立場だったとしたら
果たしてこんなふうに出来るのだろうか・・・

 被災された方々それぞれ、その地で生きるために
本当に堪えて頑張っていらっしゃいます。

きっと心に深い傷を持ちながら
それを見せずに