シルビーの帰郷

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ある日、母親に、車に乗せられ、祖母の家に連れて行かれたルースとルシールの姉妹。母は、彼女たちを祖母に託し、車で、湖に飛び込みます。姉妹の父親は行方不明で、姉妹は祖母に育てられることになりますが、2人が十代半ば頃、祖母も亡くなります。そこに、突然、母の妹、シルビーが現れ、姉妹と暮らし始めますが...。


このシルビーが、まさに、破天荒。常識も、マナーも、法律でさえも、彼女にとっては、取るに足らないもののよう。周囲の気持ちなどには全く無頓着な様子で、我が道を行きます。


学校を休みがちになった姉妹の様子に気付いても、注意をすることもなく、叱責することもなく、却って、彼女たちに誘いをかけたり...。そんな叔母に反発し、学校に戻る妹のルシール。最初は、ルシールは、姉のルースも、シルビーの影響から抜け出させようとしますが、ルースはシルビー寄り。


もちろん、シルビーの前に、彼女たちを育てた祖母の力もあるのでしょうけれど、シルビーの影響に染まらず、自分の道を拓いていこうとするルシールの見事さ。そこには、単に"か弱い"だけでない子どもの一つの可能性が感じられます。


自分の将来のために、家族を捨て、家を出るルシール。その奇矯な素行ゆえに周囲との摩擦を起こし、家を追われるシルビーとルース。


シルビーの登場から、シルビーとの生活がいつか破綻することが予測されるわけですが、その破綻がいつどのような形で引き起こされるのか、本作を観る者は、そこにも興味を惹かれながら、本作を観ることになります。


姉妹の母の自殺の原因も、シルビーの行動の背景にあるものも、示されないままに物語りは進んでいきます。自殺も、シルビーのハチャメチャは言動も、ある種の"事件"ではありますが、全体的には、あまり起伏のないストーリーで、当たり前の日常が描かれているようにも見えます。


山と湖に囲まれた田舎町。そこに穿たれた小さな穴とその波紋。それにより別たれた姉妹の人生。美しい自然に彩られた地に、人が現れ、人が去り...。映像の美しさと出演陣の味わいのある演技が心に沁みます。


やがて、町で暮らせなくなったシルビーとルースは、逃げるように、家を出、町を出ます。ルースにとっては、新たな場所への旅立ち。けれど、シルビーにとっては、これまでの、転々としてきた人生の繰り返しかもしれません。そして、ルースにとって、落ち着かない人生のスタートとなるのかもしれません。


ラスト。彼方に続く線路。その先にあるのは、光か闇か...。真っ直ぐな線路は、彼女たちの長い人生を象徴するようです。遠くの闇に消えていく線路の先にあるものは、絶望のありでもあり、闇に白く光る線路は、希望のようでもあり...。交わることなく、どこまでも平行に続く2本のレールは、交わることのない、シルビーと世間、ルースとルシールを現すようでもありました。


以前、ビデオで販売されていたものの、DVD化はされていないようですね。今回、新宿TSUTAYAで見つけてレンタルしましたが、DVD化してもらいたい作品の一つです。

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モスクワ 天使のいない夜

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モスクワから100Km離れた地方都市、サラトフに住むボブは、レスリングの選手でしたが、試合での負傷をにより引退を余儀なくされ、今は、マフィアのボディーガード。ある時、ボスから、かつての友人、ワレーラを探し、彼が持ち逃げした金を取り返すか殺すように命じられます。ボブは、バイクで、モスクワに向かいます。モスクワでワレーラを見つけますが、すぐに金を揃えられないというワレーラに1日の猶予を与えます。その後、夜のモスクワで、ネットという少女に出会い、彼女としばらくともに過ごします。ボブは、足を洗い、ネットとモスクワを出ることを決意しますが...。




[以下、ネタバレあり]








いつかは殺人を犯し、自分も殺されることになると気付きながらも、破滅への歩みを止めることができなかったボブ。そう、彼は、元々、田舎から大都会モスクワに憧れを抱いてやってきたわけではありません。彼の中にあったのは、モスクワへの夢などではなく、ある種のどうしようもなさ。


ペレストロイカ後の混沌としたロシアの状況で、若者は、大都会に出て一花咲かせようという夢をも奪われているのでしょうか。それとも、若者たちが、そんな単純な夢に騙されないくらい進化しているということなのでしょうか。


ボブは、人生をあきらめているかのようで、けれど、一方で、若者らしい無邪気な夢を見たりすることも...。彼の心情は、混沌とした様子を見せるモスクワの映像に重なります。共産主義一色だった時代から自由主義になり、強固な縛りから自由になった社会。その自由は、堅固な柱を失った不安定さをも生み出します。その混沌とした街の雰囲気とボブの揺れ動く内面が時代を映し出しているようです。


自分の運命を悟りつつ、一瞬にして崩れ去った幸せを「短かったが十分ともいえる」と振り返るボブの哀しさが胸に迫ります。


冒頭とラストの雪に覆われた真っ白な風景が印象的です。2つの真っ白な世界の映像の間に挟まれる夜のモスクワの暗い映像。その対比が見事でした。


映像と登場人物たちの心情、彼らを包み込む時代に雰囲気がバランスよく表現され印象的な作品に仕上がっています。


DVDでは出されていないようで、入手しにくい映像のようで、残念ですが、一度は観ておきたい作品だと思います。

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探偵 スルース

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以前、本作でマイロ・ティンドルを演じたマイケル・ケインがアンドリュー・ワイクとなり、2007年にリメイクされた作品 を見ましたが、そのオリジナルである本作のビデオ版をTSUTAYAで見付けたので、借りてきました。


世界的に有名なイギリスの推理小説家、アンドリュー・ワイクは、ロンドン郊外にある豪華な屋敷に美くしい妻、マーゲリットと住んでいました。彼女には、美容院を経営するマイロ・ティンドルという愛人がいましたが、その存在を知ったアンドリューは、マイロを屋敷に呼び寄せます。アンドリューは、離婚を迫るマイロに、マーグリットは贅沢な女であるからマイロに彼女を満足させることはできないと告げ、彼に大金を手に入れる方法を教えます。それは、アンドリューが金庫に保管している宝石をマイロが盗み出して海外で売り飛ばし、マイロはその代金を、アンドリューは保険金を手に入れようという計画で...。


名優2人による対話劇。その迫力に息を呑みました。追い詰め、追い詰められ、立場が入れ替わり...。


89分となったリメイク版に比べ、138分という長さもあったのだとは思いますが、それぞれの人物像がセリフに反映され、作品に深みが感じられました。舞台となったアンドリュー宅も、現代的な邸宅になっていたリメイク版より、作品の雰囲気を盛り上げるものとなっていたと思いますし、ところどころに配された人形たちが効果的に使われていて印象的でした。


ドンデン返しの楽しみがある作品ではありますが、展開を知っていても、名優同士の対決は十分に楽しむことができます。元々が舞台劇として作られたものなので、当然なのでしょうけれど、映画というよりは、舞台劇の映像を見ているといった感じはあり、映画として考えれば、やや、舞台仕立てが地味で、映像的なヒネリが足りない感じがしなくもありませんでしたが、それでも、138分をたっぷりと作品の世界に引き込まれ、楽しむことができました。


リメイク版と本作とどちらかを観るということなら、本作がお勧め。両方に攻守を変えたマイケル・ケインが出演していることもあり、両方を見比べるのも、興味深いものがあります。


なかなか、お勧めの作品です。入手困難なのが残念ですが...。



探偵<スルース>@映画生活

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セントラル ステーション

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リオ・デ・シャネイロの中心部の駅で代書屋を営む元教師のドーラ。字の読み書きが出来ない人のため、代金を取って、手紙を代筆し投函することを生業にしています。人々の感情に鈍感になっていったドーラは、人々の思いがこもった依頼に対しても、何の責任も感じなくなっていきます。ある日、夫に戻ってくるようにという手紙を頼まれますが、突然の事故で彼女は死亡。ドーラは、残された彼女の息子、ジョズエと出会いますが...。


このドーラが、相当に酷いオバサンとして登場します。代書屋といっても詐欺紛いというか、いい加減というか...。お客がウラを知ったら、「金返せ!」だったでしょう。子どもに邪険にするワ、嘘をつくワ、酒飲みで酔っ払いだワ、盗むワ...。トンでもない!


そんなドーラのところに、母を亡くした男の子が一人取り残されます。決して、子どもが好きだったり、子どもに親切だったりはしないドーラ。当然のことながら、2人の関係はギクシャクします。ぶつかり合ったり、反発しあったりする2人のやり取りは、妙に不器用でぎこちなく、それでも、徐々に、それぞれの変化や成長が見られ、微笑ましさが感じられます。


望んだわけではないのに、行動をともにするようになる2人。激しく反発しあいながらも、徐々に、心を溶かされ、相手に心を開いていく様子が、心に沁みてきました。


2人の行為をどこまで許容できるか...というところで、評価が分かれる作品かもしれません。完全に犯罪行為もしてしまっているわけですから。それでも、心温まるロードムービーとして、なかなか印象的な作品だったと思います。


全体に黄色っぽい映像は、意図したものか、風土が反映されたものか、期せずしてそうなってしまったということなのか...。


現在、DVDは市販されていないようですね。私はTSUTAYAでVHSをレンタルしての鑑賞でした。なかなか観る機会を得られない作品だとは思いますが、お勧めです。一度は観ておきたい作品だと思います。



セントラル・ステーション@映画生活

牢獄

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1949年の白黒の作品ですから、もう、かなり古いわけで、さすがに、私も、この地上に、全く影も形も現していなかったわけですが...。


映画監督、マッティンの撮影現場に、恩師のポールが訪れ、"地上の地獄"をテーマにした栄の企画を持ちかけます。マッティンが脚本家のトーマスに相談すると、トーマスは「自分もこの世の地獄をモチーフにした話を暖めている」と、売春婦のビルギッタと愛人のペーテルの物語をマッティンに語り出し...。


本作では、2つの"地獄"が描かれます。


まずは、ビルギッタの地獄。愛人と姉に売春をさせられる生活。その中でやっと授かったペーテルとの間の子ども。けれど、ペーテルと姉に、その子を奪われ...。


一方、トーマスの地獄。仕事に行き詰まり、妻との仲は冷え込み、仕事は行き詰まり...。


この2人の地獄。ビルギッタの抜き差しならない状況に比べ、トーマスの"地獄"は甘い感じがしてなりません。この辺り、やや、バランスを欠いた感はありますが、それぞれの生きている地獄が「抜けるに抜けられない」点は共通していると言うことなのでしょうか。


ビルギッタはその境遇から、トーマスは過程から抜け出すことができません。イヤ、ビルギッタの場合は、抜け出せたと解釈すべきなのでしょうか?


そこに地獄があり、そこでは悪魔が微笑む。神の手は届かず...。単に「見えにくい」に過ぎず、人に「見つけにくい神の存在を探し当てる力」を要求しているだけなのかもしれませんが...。


全知全能であるはずの神。けれど、そんな神にも救えない人が、世の中にはたくさんいて...。それは、人間が悪いのか、悪魔が強すぎるのか、神が弱すぎるのか...。本作は、悪魔の存在を描きつつ、神の不在を印象付けます。


地獄、神、信仰といった重いテーマに取り組もうとする強い意思が感じられる作品です。必ずしも、そのことに成功しているとも、面白い映画作品になりえているとも思えないのですが、ズシリとした重みが感じられる作品です。



牢獄@映画生活




http://www.eigaseikatu.com/tb/tb?movie_id=18942

静かなる一頁

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ドストエフスキーの「罪と罰」をベースに、19世紀ロシア文学の精神世界を、ソクーロフが感じるままに映像として表現した映画。


老婆を殺した孤独な青年と娼婦に身をやつしながら魂の純潔を守ろうとする少女との出会いが、濃霧に包まれた19世紀末のとある都市を背景に描かれます。


モノトーンの全体に暗い映像、抑えられたセリフ、77分という短さ...。けれど、本作で語られていることは多く深く重く...。とても濃密な感じがする作品でした。


ドストエフスキーの作品を読むと、そこに、過剰なまでの挿話が織り込まれ、登場人物の背景に関してかなりの情報が詳らかにされ、読んでいて、その過剰さに疲れてしまうことが多いのですが、そのドストエフスキーの「罪と罰」をベースにしながら、相当に抑制された雰囲気になっています。そして、抑制されながらも、多くを感じさせる映像。相当に力のある印象的な映像表現でした。

「神を信じ、救いを求めるべき」と言う少女の美しさ!彼女こそ、天使と言うべきなのかもしれません。


孤独、暗さ、先行きの不透明さ...。そして、その果てに差し込む一筋の光。少女の存在は、その一筋の光を見せてくれるようでもあります。弱々しく、世間の片隅に追いやられた存在、けれど、そこに確かに存在するもの。


中心的で目立つ存在ではないけれど、きちんと目を向けることができれば、確かに見えるもの。それこそ、"神"なのかもしれません。


現在、ソフトは販売されていないようで、TSUTAYAでビデオを借りての鑑賞となりました。入手困難な作品となってしまっているようですが、観ておいて損はない作品だと思います。



静かなる一頁@映画生活

蜘蛛女のキス

テーマ:

南米のある国の刑務所の監房の中。そこには、政治犯のバレンティン、ホモセクシュアルで風紀罪に問われたモリーニの二人の男が入られられていました。映画好きのモリーニは、かつて観た映画の話をバレンティンに語り聞かせていますが、バレンティンは、その話にうんざりし、同士と連絡を取ることもできず、悶々と日々を過ごしています。同房に居合わせながら全く別の世界を持つ二人は、衝突を繰り返しながらも、徐々に、その距離を縮め...。


ボーイズ・ラブ...という雰囲気では全くなく、耽美的な雰囲気でもなく...。綺麗でも若くもないホモセクシュアルな男性と政治犯の間に芽生える"愛"の物語。


前半は、ほとんどが牢獄の中。二人だけの空間で交わされる会話。モリーナの語る映画のストーリーが、単調な映像に変化を与え、二人の運命を予感させます。


そして、この出会いによって、大きく運命を変えられる二人。それは、人生をかけた恋となり...。


狭い空間に二人だけ。しかも、二人とも、そこから自由に出ることはできず、例え、嫌な相手であっても離れることはできません。そんなにっちもさっちもいかない狭苦しさの中で、それでも、徐々に溝を埋めていく二人。そして、その背景に隠されたものが徐々に明らかにされていきます。その過程で、モリーナの語る映画のストーリーが効いています。


後半、やや、分かりにくい部分があるのと、マルタが何だったのか置き去りにされてしまった感があるのと、少々、イメージに流されてしまった感じもしましたが、全体としては、巧く世界が作り込まれ、印象的な作品となっています。


どうやら、DVD化はされておらず、入手困難な状態になっているのは残念ですが、TSUTAYAでのVHSをレンタルは可能。


お勧めです。一度は観ておきたい作品です。



蜘蛛女のキス@映画生活



http://www.eigaseikatu.com/tb/tb?movie_id=3354

桜桃の味

テーマ:

桜桃の味



カンヌ映画祭のパルムドールを受賞した作品です。


ある男が、自殺の手助けをしてほしいと出会った人々に頼みます。けれど、誰も彼の頼みに耳を貸そうとはしませんでした。唯一、彼の願いを聞き入れようとしてくれた老人は、彼に人生の素晴らしさを語りだします。老人の話を聞くうちに、男の心は...。


自殺したい男が一人。そして、彼は、自殺を助けてくれる人を探しています。直接、彼を傷つけるような行為をしてもらおうというのではなく、依頼している内容は、ほんのちょっとしたこと。そして、用意した多額の報酬。ところが、引き受けてくれる人が、なかなか、現れません。


バディは、自殺を決意したといっても、一片の躊躇する気持ちも抱えていたのでしょう。そして、それだからこそ、手助けをしてくれる人を求めたのでしょう。本当に、確実に死にたいのなら、一人で死ぬ方法だっていくらでもある。それなのに、人の手を借りようと、次々にいろいろな人に働きかけていく...。


彼の頼みを引き受けようと約束した老人の語る誰の人生にもあるような小さな小さな幸せの数々。それは、本当に些細なものでしたが、消せない輝きを放つもの。弱く細いけれど、確かに存在する輝き。その弱さゆえに大切に、細さゆえに心を捉えてはなさないもの。


老人の話が、男の心を溶かし、観る者の心に沁みて行きます。それは、地味だけれど、大切にしたい温かな存在。老人の話も本作自体も。悩みと苦しみの果てに、こうした語りに出会える...そこに、救いがあるのでしょう。


老いてなお瑞々しい老人の感性。本作にも、老練な瑞々しさが感じられます。観ておいて損はない作品だと思います。



桜桃の味@映画生活

路 YOL

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1982年のカンヌ映画祭でグランプリと国際批評家大賞をダブル受賞した作品です。ビデオで販売されていたのですが、随分前に廃盤になり、今は入手困難のようです。新宿TSUTAYAでレンタルしました。


撮影時、監督のユルマズ・ギュネイは、投獄されており、獄中から撮影についての指示を出し、撮影終了後、脱走し、亡命先のフランスで編集作業を行ったということで話題にもなった作品です。トルコでは1999年まで公開が禁止されていたとのこと。


トルコ、イムラル島の刑務所から、5日間の仮出所を許された男たちが、それぞれの故郷へ向います。軍によるクーデターが起こり、戒厳令がひかれた軍政下のトルコ。刑務所を仮出所した5人の男たちは...。




<以下、ネタバレあり>








セイットの妻、ジネは、セイットが入獄中、食べるための売春をしたことがばれて実家へと帰されました。セイットは、ジネのいる雪深い山奥の村へと向います。彼は、家名を守るため、自らの手で罪を犯した妻を殺さなければならないのです。


ユスフは、結婚したばかりで引き離されてしまった妻の元へ向う途中、仮出所の証明書を紛失し、検問で引っかかり、故郷を訪ねることを諦めざるを得なくなります。


メメットは、一緒に、銀行同等を行った際、見殺しにしてしまったため、義兄の親族から恨まれています。何とか、妻と息子を義兄の親族の元から取り返し、他所の土地へ逃れようとしますが、その途中、彼の命を狙っていた義弟に殺されてしまいます。


メヴリュットは、婚約者の元を訪ねますが、彼女の親戚たちが常に2人を監視。それにたまりかねた男は、売春宿に飛び込んでしまいます。


クルド人のオメールは、故郷に戻って、兄がゲリラとして戦闘に参加し命を落としたことを知ります。慣習に従い、彼は想いを寄せていた相手との結婚を諦め、兄の妻との結婚を余儀なくされます。さらに、彼は、兄の遺志を継ぐため、ゲリラとなる道を選びます。


一家の男性が稼いできてくれないことには収入を得ることが難しい社会の中で、ジネは、セイットがいない間、どうやって食べていけばよかったのか。


確かにメメットにも非があったかもしれないけれど、元々、銀行強盗は義兄の発案...とのこと。犯罪には、リスクが伴うのも当たり前のこと。メメットだけが、非難されるのもヘンな話...。


メヴリュットは、「他の男とは口をきくな」「親族以外とは話をしてはいけない」「(メヴリュットが)許すこと以外口にするな」云々と言った挙句に、婚前の交際を制限しようとする婚約者の親族を「封建的」だと非難します。


オメールは、クルド人の自由のために闘おうとするわけですが、イスラムの因習から逃れることはできません。


トルコの抱える様々な問題、矛盾が描かれます。多くのものが詰め込まれ、いろいろな疑問が投げかけられます。


人々の生活や行動を縛る様々な慣習。それが破られたとなれば、家族、親族同士の間で、命が遣り取りされるほどの大きなもの。そんな厳格さに息が詰まる思いがします。


映像は、全体に、暗めで抑えられています。その暗さが、問題の重さ、大きさを表すようでもあります。訴えかけてくるものがあまりに大きく、その重さに圧倒されるような作品です。


そして、表現しようとされたものがあまりに大きく、残念ながら、それに較べて、表現する技術があまりに荒削りというか、こなれていないというか...。正直、観ていて、映画作品として楽しめる、という作品だとは思えませんでした。製作者サイドの情熱の激しさ、熱さは伝わってくるのですが、観る側は、それなりの覚悟を持って受け止めないと、その激しさの前にタジタジとするばかりというか...。


それにしても、獄中にあって、こうした映画の撮影を指示できたというのですから、トルコという国、なかなか、長閑な一面も持っているということですよね。


多分、私たちから見ると、本作で描かれるトルコ社会の不寛容さは絶望的。けれど、ある部分では、トルコ社会の方が、おおらかで、トルコ社会で生まれ育って、その中に馴染んでいる人から見ると、私たちの生活する日本社会の方が、不寛容にうつる場面があるのかもしれません。


製作者側の気迫が感じられる迫力ある作品。覚悟を持って観るべき作品でしょう。






路@映画生活

セレブレーション

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1995年、デンマークで結成された映画監督集団"ドグマ95"(このブログで感想を書いた作品の中では、「イデオッツ 」「ミフネ 」「ダンサー・イン・ザ・ダーク 」「幸せになるためのイタリア語講座 」が該当)の第1回作品。


鉄鋼王ヘルゲの60歳の誕生日を祝うパーティが開かれることになり、長男クリスチャン、次男ミケル、長女ヘレーネや、親戚たちが集まってきます。やがて、晩餐会が始まり、スピーチを求められたクリスチャンは、父の過去の秘密を暴きます。その衝撃的なスピーチの後も、祝宴は続行されますが...。


この家族、相当に凄まじい。息子と娘をレイプする父親。その父親の行為を見てみ見ぬ振りをする母親。父親の誕生パーティの席で父親の罪を暴露する長男。自分勝手ですぐにキレて暴力的で人種差別主義者な次男。父親に受けた傷のために自殺する次女。


鉄鋼王として名を成した父親の60歳の誕生日(日本でなら"還暦"ということになりますが、デンマークでも60歳というのは特別な意味を持つのでしょうか?)を祝う日に露にされる父親の罪と家族の傷。


思いもかけない驚愕の話が出され、それでも、粛々と続いていく祝宴。スピーチの内容の衝撃度よりも、その後も何事もなかったかのように祝宴が続いていくことに、この一族の病理が現れているような感じがします。


"ドグマ95"のルールに基づき、人工的な照明が排除され、そのために、特に夜の場面などは、醜かったことも確か。けれど、クリスチャンのスピーチとヘレーネにより見つけられ読み上げられた自殺した次女の遺書により、重い問題が掘り返された一族の面々が抱えているであろう不安や恐れといったものが、その不鮮明な映像で表現されているようにも思えます。


夜が開け、朝の日差しが射した時の映像の清々しさが印象的でした。それは、まさに、夜明。暗い夜が去り、明るい昼が来ることを予感させるような映像。そして、その後に続く、父親の自らの罪を悔いる言葉。


ストーリーの展開と、夜から朝への時の移り変わりが重なり、一族の人々を包み込む光が彼らの今後を予感させるようでもあります。


父親の懺悔はあったものの、問題に気付きながら何もしてこなかった母親の罪、何かと都合の悪いことは他人のせいにしてすぐにキレるミケルの人間的な問題など、いくつかのことは置き去りにされたまま、突然、ラストを迎えます。特にこのミケルの描き方が、なかなか、強烈なだけに、ミケルについてはもう少し突っ込んで欲しかった気がします。この辺り、消化不良な感じがしてモヤモヤ感が残ります。


そして、エンドロールに流れるオルゴールのメロディー。登場人物たちによる歌はあるものの、ドグマ95の方針に則ってBGMが使われていないだけに、その音楽が胸に沁みこんできました。


今回、TSUTAYAでビデオをレンタルしましたが、DVDは出ていないようですね。観る手段が限られてしまう作品ですが、一見の価値ありだと思います。