善き人のためのソナタ

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1984年、冷戦下の東ベルリン。東ドイツの秘密警察、諜報機関であった国家保安省(シュタージ)のヴィースラーは、反体制派であるとの疑いがかけられていた劇作家ドライマンとその同棲相手である舞台女優のクリスタの監視を命じられます。彼らの住まいに盗聴器を仕掛け、24時間体制で監視をするという徹底したもの。それまで、逮捕された反体制派の尋問に実績のあったヴィースラーですが、盗聴をする中で耳にした言葉や音楽に心を動かされるようになり...。


作中のセリフでも、レーニン「ベートーヴェンのピアノソナタ『熱情』を本気で聴いてしまう人は悪人にはなれない」という言葉が紹介されています。また、本作の題名である「善き人のためのソナタ」は、作中でドライマンが友人の演出家イェルスカから誕生日にプレゼントされたピアノ曲のタイトルです。絵を描くことが好きだったヒトラーに画才があれば、独裁者にはならなかったかもしれないという説もありますが、本物の芸術には、人の善なる部分を引き出す力があるということなのでしょう。


ただ、本作では、ヴィースラーが「善き人のためのソナタ」にいかに心を奪われたかという部分は、比較的、あっさりとしていましたし、ドライマンたちに肩入れするようなった背景も、意外に、サラッと流されていました。冒頭の場面を見る限り、ヴィースラーは相当に筋金入りで、目的のためなら手段は選ばず、被疑者の権利や心情になど目もくれないタイプ。今までにも、いろいろな被疑者を相手にしてきただろうに、何故、このケースに限って、心を動かされたのか...。

それよりも、ジュリアの、自分の仕事の成功や安定のためにシュタージの幹部との関係を断ち切れない状況、逮捕されたことで揺れる心、ドライマンを裏切ってしまったことについての後ろめたさと後悔...。シュタージに目をつけられ、利用された者の悲劇が印象的でした。


ベルリンの壁崩壊後、本人が閲覧できるようになったシュタージなどにより集められた個人情報の記録を読んだドライマンが、その監視の状況を知り、ジュリアの裏切りを知ってショックを受ける場面も胸を打ちました。国家が個人を監視することの恐ろしさは、こういったところにあるのでしょう。末端の国民の間にも監視の網が張りめぐさられる。そして、ごく身近にいる人間をも信じられなくなる。この辺りの恐怖感にゾクゾクとしました。


この恐ろしさの後に、一筋の光が描かれます。絶望の淵に立たされたドライマンは、自分を救ったヴィースラーの存在に気付きます。そして、ドライマンからヴィースラーへ一つのメッセージが...。かつて、敵同士だった二人が繋がりあう瞬間が美しく、心に沁みました。そもそも、ヴィースラーがドライマンに肩入れするようになったというところに、どんな人間も良い方向に変わる可能性を見出せるということなのでしょう。


冷戦下の東ベルリンから壁が崩壊した後のベルリンに射した光とは何だったのか?壁の崩壊は全ての人のあらゆる面にプラスの影響をもたらした訳ではなく、物価の高騰、福祉の後退等の悪影響も及ぼしています。冷戦下の社会を懐かしく思う人も少なくないことでしょう。けれど、体制の変化により、人々が取り戻したもが確実にあったのだということが示されたラストだと思います。


全体に暗く重い雰囲気に覆われていましたが、静かであるけれど消すことのできない光が感じられる美しい作品になっていたと思います。



公式HP

http://www.yokihito.com/



善き人のためのソナタ@映画生活
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