プリティ・ヘレン

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3人姉妹の末っ子、ヘレンはNYのモデル事務所でエージェントとして働くキャリア・ウーマン。独身生活と仕事を楽しんでいましたが、突然、長姉夫婦が3人の子どもを遺して交通事故で亡くなってしまい、姉の遺言で、歳のオードリー、10歳のヘンリー、5歳のサラの3人の子どもたちの後見人となり、面倒を見ることになり...。

 

ヘレンが、3人の子どもの面倒を見るハメになり、子どもたちや子どもたちを巡る様々な人々との交流の中で1人の人間として成長する姿が、清々しく描かれています。そして、そこに、お決まりのラブロマンスが絡められ、結末まで簡単に予測できる安定感たっぷりの安心して観られるファンタジーとなっています。

 

あまりに軽くいろいろな物事が決定され、進んでいく辺り、気になったりもしましたが、この軽さとテンポの良さは悪くなかったと思います。

 

特別に印象に残るような部分があるワケではありませんが、そんな中でも、最後の方で読み上げられる、ヘレンに子どもたちを託した理由を書いた長姉からの手紙にはグッときました。このシリアスな部分とコミカルな部分のバランスの悪さは気になりましたが...。

 

特に名作と言える作品だとも思えませんが、"水戸黄門(古い?)"的な安心感があり、重苦しさとも鬱陶しさとも辛さ哀しさからも無縁な気軽に楽しめる作品だとは思います。レンタルのDVDでながら観するには手頃な作品だと思います。

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映画に愛をこめて アメリカの夜

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フェラン監督がニースで映画を撮影しています。ノイローゼ気味のハリウッド女優や気難しい男優、妊娠がバレた新人など、問題あるスタッフをかかえて、撮影はなかなかはかどらず...。

 

映画製作の裏側モノ。タイトルにある"アメリカの夜"とは、夜のシーンを昼間に撮るため、カメラにフィルターをつける撮影の技法のことです。ハリウッドでこの技法が多用されたことが、この名称の由来だそうです。

 

映画の中の物語と現実の物語がリンクし、フィクションとリアルが混じり合っていきます。現実が嘘っぽいというか、何だか芝居がかっているのは、映画出演中の俳優ならではの"職業病”でしょうか。それだけ、演ずるということが生活になっているのかもしれません。

 

そして、我儘な俳優たちの間で右往左往しつつ何とか撮影を進めようとする監督やプロデューサーたち。監督が苦労する姿が強調されているのは、監督自身が脚本に参加し監督役として出演する作品だからかもしれません。"こんなに苦労して映画を撮っている"という主張と、"それでも、楽しいからやめられない"という告白とが伝わってきます。

 

ラストのセリフが本作の伝えたかった一番のことであるのは間違いないでしょう。ドキュメンタリーpっぽさが中途半端なな感じがしましたし、登場人物たちの関係もゴチャゴチャし過ぎた感じはありましたが、映画を撮ることの楽しさに溢れた作品となっています。

 

観ておいて損はない作品だと思います。

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バンコクナイツ

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タイ、バンコク。日本人専門の歓楽街タニヤ通りの人気店、"人魚"でNO.1のラックは、イサーン(東北地方)から出稼ぎに来て5年になっていました。日本人のヒモ、ビンを連れまわし高級マンションでダイヤの首輪の犬と暮らしながら、一方で、ラオスとの国境を流れるメコン川のほとり、ノンカーイ県に暮らす確執の絶えない母、父の違う弟のジミーたち大家族を抱えていました。ラックは種違いの弟を溺愛している。そんな中、あるパーティーで、昔の恋人で元自衛官のオザワと5年ぶりに再会し...。

 

田舎では生活を支えるために十分な収入を得られる仕事に就くことが難しく、都会に出稼ぎに出るラックたち。身体を売る仕事が良いと思っているわけではないラックたちですが、他に選択肢があるワケでもありません。嫌な仕事だと思いつつもそこで必死に稼ごうとするラックたちの姿には、切なさも垣間見られますが、明るさ、逞しさも印象付けられます。

 

そんなラックたちに、家族は縋りつきます。嫌な客を我慢しながらの仕事で稼いで仕送りをした相手が、そのお金を遊びや麻薬に使ってしまう。それを知りつつ、ラックたちは、仕送りを止められません。

 

そして、客であったり、商売する側であったりする日本人たち。お金で面の皮を張るような傲慢な態度の客や、同胞の男たちをカモにし、ラックたちを搾取する男たちの姿は嫌らしいものですが、そんな日本人たちを断罪しようとはしていません。勿論、タイで"悪さ"をするのは日本人だけではなく、ベトナム戦争、インドシナ戦争でタイの人々と国土に傷跡を残したアメリカ人も、かつてタイ王国の一部だったカンボジア北西部を統治していたフランス人の"横暴"も描かれています。彼らには、傲慢で嫌らしい面も見られますが、彼らが出すお金がラックやラックの家族たちを支えている源であるのも現実。

 

バンコクという街の姿をその裏側を含めて描きつつ、そこで蠢く人々の姿に向けられた批判的になることもなくヘンに持ち上げることもないナチュラルでフラットな視線が印象的でした。

 

出演陣は、ほぼ素人さん?という印象を受けました。演技としては稚拙な感じの人も多かったですが、作品自体にドキュメンタリータッチの味わいがあって、その雰囲気には合っていたと思います。

 

都会と田舎、昼と夜、表と裏、猥雑さと美しさ、過去と現在が入り混じります。そして、その中心に"性"があり、人々の生き生きした姿が見られます。そこに、本作の魅力があるのだと思います。

 

3時間を超える作品で、正直、長いとは思いますが、それでも、観ておきたい作品だと思います。

 

 

公式サイト

http://www.bangkok-nites.asia/

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ティエリー・トグルドーの憂鬱

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ティエリーはエンジニアとして長く働いていた会社から集団解雇されました。会社を辞め職安に通うようになりますが、就職面接を受けても上手く対応することができず、就職訓練の場でも、年の離れた若者からその堅さを容赦なく指摘されて、面目をなくします。そんな彼の唯一の救いは、妻と障害を抱えた息子の存在でした。ティエリーはようやくスーパーの警備員の仕事に就きますが...。

 

中年になって職を失う。それも、自身の責任というよりは、経済的な状況や会社の経営状態が原因で。時代の変化が激しい今、特に先進国であれば、何処の国にもそのような状況は生まれているのでしょう。そして、特に簡単に生き方を変えられない年齢層の人は、その厳しさを身に沁みて味わわされることになるのでしょう。

 

スーパーの警備員として仕事をするティエリーが直面する様々な"事件"の様相は、日本的な感覚から見ると違和感を覚える部分も多いです。罪が発覚した際の反応とか、西欧的というかなんというか...。日本でなら、普通、そんな風に開き直りはしないだろうという場面が目につきます。「たかがポイント、万引きじゃない」というのも、違うでしょと突っ込みを入れたくなったりはしました。

 

とは言え、周囲に疑いの目を向け続けなければならない仕事によって精神的に追い詰められるというのは分かる気がします。家族との場面では心の底からの笑顔を見せるのに、それ以外の場面では笑わないティエリーの表情が胸を打ちます。

 

もっとも、酷いブラック企業のニュースを目にすることも多く、中年期の大黒柱が職を失うことで家庭が崩壊する話を耳にすることも少なくない今時の日本にいると、日本のブラック企業よりずっとホワイトな企業で職を得て、心からリラックスできる家庭があるティエリーが、まだ幸せにも思えてきます。いかに、日本の状況が悲惨か...ということでもあるのでしょう。

 

この先を考えると、とてもハッピーとは思えないラストですが、ともかく、彼の精神を傷付けるものから逃げ出したティエリーの選択が彼や家族に取ってよいものだったと思える日が来ることを願わずにはいられません。

 

地味で重い作品ですが、人生について、人の幸せについて考えさせられる作品でした。

クリクリのいた夏

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ジョルジュ・モンフォレの「沼地の子どもたち」を映画化した作品。原作は未読です。

 

今ではもう埋め立てられてしまったフランスの片田舎の沼地。第一次世界大戦後の1930年代、幼かった少女、クリクリは、スズランをブーケにしたり、カエルやカタツムリをとって町で売ったり、貧しいながらも助け合い、自給自足の生活を送っていたその沼地で育ちました。復員兵のガリス、ガリスに依存して生活するリトン、経済的には豊かで街に住んでいるけれど人付き合いが苦手なアメデ。そんな人々が集う沼のほとりでの生活が、リトンの幼い娘クリクリの目を通して語られます。

 

それぞれが何らかの傷を抱えています。世話をされているリトンはガリスに依存していますが、ガリスもリトンの面倒を見ることで自身の存在感を確認しているようなところがあり、共依存の関係が見えてきます。

 

沼地の畔に集まるちょっと奇妙で不器用で、けれど、心優しい人々。お互いに癒される関係がそこにはあり、観ていてもほのぼのと心が温かくなっていきます。その心地よさが、本作の一番の魅力だと言えるでしょう。

 

今の時代、お金が全てのものを図る尺度のようになってしまっていて、お金に大きな価値が置かれています。勿論、通貨が全てを仲介することで、流通が盛んになり、人々の生活が豊かで便利になったことは確かなのですが、一方で、お金を持たずに豊かな生活をするということが時代とともに難しくなっている感じはします。

 

お金に支配される一方で、お金に縛られない生活を夢見てしまったりするものですが、本作には、そんな夢の世界を見ることができます。

 

全体がクリクリの回想として描かれるのですが、クリクリが知り得ないようなエピソードも多々登場し、その設定には無理が感じられます。クリクリのちょっとおませな可愛らしさは本作に味わいを加えているのは確かですが,,,。

 

邦題にも違和感があります。原題通り「沼地の子どもたち」の方がしっくりくるような...。

 

ともあれ、ほっこりできる癒し映画。ゆったりと作品の世界に身を委ねて、その気持ちよさの中に浸りたいものです。

 

観ておいて損はない作品だと思います。

 

 

東京ウィンドオーケストラ

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屋久島の役場で働く樋口は、データの集計をする日々を過ごしています。ある日、町を挙げて有名な吹奏楽団を招いてコンサートをすることになりますが、やってきたのはアマチュアのグループ。出迎えた樋口も、やってきたオケの面々も、違和感を抱きながらも、コンサートに向けて準備を進めていきます。けれど、役場は東京ウィンドオーケストラを呼んだつもりが、東京ウインドオーケストラを呼んでしまったことが発覚。関係者は大騒ぎになり...。

 

ほのぼのして、クスッと笑える雰囲気とドタバタしながらも緩く進んでいく感じは悪くなかったと思います。

 

けれど、"取り違え"の設定が、あまりにあり得なさ過ぎて...。役所が中心になって動いた企画である以上、事前に契約書を取り交わすでしょうし、その前の何度もやり取りするでしょうし、万が一にも、最初の段階でミスがあっても、どこかで必ず発覚するはず。これだけあり得ないと笑うしかないのですが、全体的な雰囲気は良い作品だっただけ、もったいない感じがしました。

 

本物と偽物をほぼ同数の編成にして、たまたまどこかの空港か港に居合わせて取り違えられ全く別の方向に行ってしまって...という流れの方が自然に観られたような...。

 

それはさておき...。

 

招いた側と招かれた側のすれ違いやミスが発覚したあとのバタバタ、そして、樋口のちょっとした成長。冒頭とラストで同じセリフを呟くのですが、ラストには、ささやかながら、大人としての意識のようなものが、漂います。

 

そして、オーケストラの面々も、人前で演奏することの緊張と不安と喜びを感じて、これまで経験したことのない風景を見ました。

 

樋口もオーケストラの面々も、これで大きく成長とか、大変身とか、そう簡単には行かないでしょう。けれど、同じように見えて、ちょっと違いう日々を送ることにはなるのだと思います。

 

“取り違えの経緯”以外の面では、結構、楽しめました。内容的に74分という短さも良かったと思います。

 

 

公式サイト

http://tokyowo.jp/

シルクウッド

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3,024円
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1974年、核の危険を訴え、労働条件改善を求めて活動している最中、謎の事故死をしたカレン・シルクウッドの実話を基にした作品。

カレンが働くプルトニウム工場で放射能漏れが発生。会社側はその責任がカレンにあるという噂を流します。それをきっかけに、カレンは、職場の環境管理の杜撰さと従業員たちがさらされている危険の大きさを知るようになり、環境改善を求めて奔走しますが...。

核物質の扱いとか健康への影響とか、その辺りの知識については古びた感じがしますが、それは仕方がないところ。1983年の作品ですから、30年以上前の映画です。

まぁ、実話通りなのですから、当然といえば当然かもしれませんが、何とも後味のよくない結末です。大きな力を持つ者たちが、自分たちを守ろうとする時、どこまでやるのか...。昔の独裁国家ではなく、現代の民主主義のお手本なはずの国においてさえ、ここまでする...可能性に現実味があることに恐ろしさが感じられます。

命のやり取りというところまではいかなくても、企業の利益の前には、従業員の健康や幸福、環境問題というのは黙殺されがちです。大抵の場合、経営陣にとって、取り換えのきく存在である従業員の問題も、自分が働いているわけでもない職場環境の問題も、他人事でしかないのでしょう。まぁ、いつ被害者に転じるかもしれない労働者たちですら、なかなか切実な問題として捉えられないのですから、仕方ないのかもしれません。本作の事件の舞台となった工場がその後閉鎖されているように、いつか、ツケを払わされる時が来るかもしれないのですが、そのツケでさえ、労働者たちの被害と比較すれば些細なものでしかありません。

私たちも、案外、職場環境改善に関心の薄かったカレンの同僚たちと同じような日々を送っているのかもしれません。私たちは、そんな危うさをもっと認識しなければならないのだと思います。

一方で、何も知らずにいたカレンが、危機感の中で、知識を得て、必死に問題に対処しようとする姿には、人の可能性や世の中の希望のようなものが感じられました。カレンにここまでできるなら、他にも同じように、あるいはよりしっかりと対処できる人も少なくないはず。大きな力に対しても何かできることはあると信じてみたくなりました。

恋愛問題のからませ方や、同居の女性の影の薄さが気になったりもしましたが、いろいろと考えさせられました。

カレンを演じたメリル・ストリープが若いです。若い頃から実力派だったことを改めて実感させられました。

観ておいて損はない作品だと思います。

未来を花束にして

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1912年、ロンドン。洗濯工場で働く24歳のモード・ワッツは、工場の同僚である夫と息子、ジョージの3人で暮らしていました。7歳から洗濯工場で働くモードは、主任となっていました。しかし、モードを含め、女性たちは、男性たちよりも重労働を長時間強いられながら賃金は安く抑えられ、自分の収入は全て夫に管理され、子どもに対し親権を持つこともできず、参政権もなく、セクハラ、モラハラは日常茶飯事と虐げられ、多くの女性たちもその状態を仕方のないことと捉えていました。けれど、そんな中、女性参政権運動の活動家(サフラジェット)たちの運動は、権力に無視され続ける中で過激なものとなっていきます。与えられた役割を従順に果たしてきたモードも、あることをきっかけに運動と関わるようになり...。

今では信じられない程、女性たちが酷く差別されていた時代に人間としての権利を獲得するために闘った女たちの物語です。

イギリスは、本作の時代には、既に女王による統治を経験していて、特にエリザベスⅠ世、ヴィクトリア女王の時代には世界で大きな存在感を示していたわけで、そんな国で女性の参政権を否定するのもどうかと思いますが、事実、そうだったわけです。女王の時代に輝いた国で女性の参政権を否定する側の理屈こそ、客観的な根拠のない感情論のように思われます。

実際、本作で描かれる男性たちの多くは、感情的で暴力的です。紳士の国とはどこの国?という感じですが、女性たちを護るという名目のもと、自分たちの都合の良いように縛り付けるというのも、ありがちなことではあります。

その支配は、巧妙で、当の被支配者が自身の被害に気付かなかったりします。最初は、自分の置かれた境遇を運命として受け入れていたモードの変化を描きながら、その辺りの構造が炙り出されていきます。

サフラジェットの"活動"は、追いつめられる中、過激化し、テロ化していきます。正直、そのやり方には違和感を覚えましたし、受け入れ難いものがありましたが、物語の進行とともに彼女たちへの共感が芽生えてきます。テンポがよく、観る者の気持ちを自然に引き込んでいく力のある作品です。

 

出演陣も実力派揃いで、それぞれの存在館に説得力が感じられました。

 

一票を投じる権利の尊さを実感させられます。本来、当たり前であるはずのことを手に入れる大変さ。私たちは、それを忘れず、先人たちが獲得した権利を大切に行使していくべきなのでしょう。

 

サフラジェットの闘いの難しさに社会の理不尽が感じさせられた一方、彼女たちの闘いから数十年で、参政権など当たり前、女性が、議員はもちろん、裁判官に、首相に、大統領になることが、そんなに大騒ぎすることではなくなるまでになった社会の変革の可能性を見せてもらえました。

 

日本は、G7の中で圧倒的に女性の地位が低いとされていますが、私たちは、もっとそのことに自覚的になり、次の世代のために、より人間としての権利を行使できる社会を作っていくべきなのかもしれません。

 

私たちの社会についても、いろいろと考えさせられる作品でした。

 

一度は観ておきたい作品だと思います。

白い帽子の女

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面倒な夫婦です。かなり、こじらすた感じです。これで、14年も夫婦をやっていたとは、むしろ、たいしたものです。偶然、隣室になってしまった、しかも壁に穴まであったなんて、若夫婦にとってはいい迷惑。平和な日常に、突然、悪魔が忍び寄る、ホラーな体験。何とか乗り越えていって欲しいものです。

さて、肝心のベテラン夫婦のほうですが、演じている2人の現実がオーバーラップされてしまいます。このタイミングで本作を撮ったのは、自分たちの中のものを昇華させるためか、内幕を晒したかったのか、言い訳をしたかったのか...。

青く澄んだ海、輝く砂浜、クラシカルで落ち着いた雰囲気のホテル、美しさを追い求めるような映像は観ていて心地よいのですが、物語の描きかたがアッサリして厚みがないせいか、印象に深く残るものがありません。
 
おフランス的なお洒落感を演出したいという意図は伝わってくるのですが、それがどうも不自然な感じで...。
 
親や親類縁者に家柄や職業で程よく組み合わされてきた時代と違い、イマドキは、恋愛の結果として結婚に行き着くというのが一般的になっています。けれど、結婚後の生活はイベントが続くのではなく、当たり前の日常。どうも、ベテラン夫婦の2人。いつまでも非日常的な恋愛を楽しんでいたくて無理してしまっているようにも見受けられました。

物語自体がシンプルな割に、映像や見せ方に凝り過ぎて、面倒くさい感じが強調されてしまったようにも思われます。もっと短くまとめて、肩ひじ張らずシンプルに徹していれば、もっと自然に楽しめる作品になったのではないかと...。

残念な作品でした。

僕と世界の方程式

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ネイサンは、他の人との意思の疎通が苦手で、自閉症スペクトラムと診断されます。父が事故で亡くなり、幼い頃から母、ジュリーとの2人での生活となりますが、ジュリーは、母親とも心を通わせることがネイサンとの生活に寂しさを感じていました。けれど、ネイサンは数学に関しては突出した才能の持ち主で、ジュリーは、高校の数学教師、ハンフリーズに指導を依頼します。やがて、数学オリンピックのイギリス代表の候補となり、台湾での合宿に参加。そこで、中国代表候補のチャン・メイと出会い...。

コミュニケーションの苦手さ故に周囲を戸惑わせるネイサン、自身の病と折り合いを付けられず孤立するハンフリーズ。ネイサンの数学オリンピック挑戦を通じて、ネイサンもハンフリーズも成長していきます。

台湾での合宿で、ネイサンのライバルとなるルーク。"自閉症だけど数学の才能があるから存在に価値がある"と感じている彼は、数学の能力に縋っています。周囲にそのつもりはなかったかもしれません。けれど、"障害はあるけれど"という枕詞を付けて才能を誉めることは、時として、"才能がなければ存在価値のない者"というメッセージを伝えてしまうのかもしれません。多くの"普通の人"が特に優れた能力がなくとも生きる価値を持つように、障害や病気があっても存在価値はあのですから...。

オリンピックでよい成績を残すことよりも大切なことを知ったネイサン。ずっと"頭がよくない"と馬鹿にしていた母、ジュリーからその"一番大切なこと"を教えられたというのも大きなポイントかもしれません。

ネイサンもチャン・メイも数学オリンピックでの成績よりも大切なものを得て、ジュリーも息子と関係を築け、ハンフリーズも自身の人生を取り戻す。そこに至るまでのそれぞれの過程をシンクロさせながら丁寧に描いていて、深みのある物語になっています。丁寧に張り巡らされた伏線も、きちん回収される隅々まで行き届いた作りになっていて、作品の世界に浸れました。

ユーモアも散りばめられて深刻になり過ぎず、地味ですが見応えのある作品でした。あちこちに登場する数学の問題は、何を問われているかも分からないレベルでしたが、それは気にする必要のないところでしょう。

観ておいて損はないと思います。


公式サイト
http://bokutosekai.com/info/