ペイド・バック

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2007年のイスラエル映画「ザ・デット~ナチスと女暗殺者~(英語版タイトル)」のリメイク。オリジナルは観ていません。
 
1966年、モサドの工作員レイチェル、デヴィッド、ステファンの3名は、ナチスによる人体実験の罪で戦犯となっていた収容所の外科医、ディーター・フォーゲルを倒した英雄としてイスラエルに帰国します。
1997年のテルアビブ。レイチェルとステファンの娘サラは、両親たちの偉業を本として出版します。そんな時、デヴィッドは何者かに呼び出されますが、そこにステファンの姿を見つけると、道に飛び出し、ダンプに引かれて即死してしまいます。
1965年、レイチェルら3人はフォーゲルを捕らえてイスラエルに連行し裁判を受けさせるために東ベルリンに潜入。計画通りにフォーゲルを拉致しますが...。
 
許されない失敗にどう向き合い、どう処理するか...。なかなか難しい問題です。それが名誉の問題であれ、利益の問題であれ、自分だけのことならペナルティを負う覚悟をするのはそう難しいことではないかもしれません。けれど、自分が属する集団や愛する者たちのプライドやメンツの問題が絡んでくるとどうすべきか迷いも生まれることでしょう。
 
1966年の3人とフォーゲル。若き3人を冷静に観察し、それぞれのキャラクターや人間関係を踏まえた上での駆け引きで、不利な状況を逆転させていく老練なフォーゲルの手腕は敵役ながらアッパレ。流石に戦後20年以上を生き延びてきただけあります。そして、フォーゲルの揺さぶりに翻弄される3人の揺れ動く気持ちも痛々しく伝わってきます。3人は、計画通りに作戦を遂行できない焦りの中、失敗を埋め合わせようとしながら傷を広げてしまいます。訓練された工作員とは言え若さが出てしまったということでしょうか...。街中を破壊するような派手なアクションもなく、工作員たちが、超人的であり過ぎない辺り、リアルが感じられました。
 
現在のレイチェルを演じるヘレン・ミレンが、嘘を吐き続けることの負担感の大きさと真実を明らかにすることのリスクへの懸念の狭間にある者の深い悩みを見事に表現していたと思います。そして、嘘を隠し通せるのかどうかをハラハラしながら見守ることになります。
 
徐々に過去の真実が明らかになり、過去の事件が原因となって現在起きている事件の真相も明らかになっていきます。そして、3人の嘘がどうなるかについても見通しが立っていきます。この辺りの構成が巧く、物語の世界に惹きこまれました。
 
ラスト、本来なら、真実は先ずサラに伝えたかったような気もしますが...。サラにこそ、嘘をついてしまった時の追い込まれた状況、嘘を守ってきた苦しさ、真実を明らかにしようとした決意と覚悟について語るべきではなかったのかと...。真実を知った時のサラの衝撃を気にしたということなのかもしれませんが、いずれ真実が明らかになるのなら、やはり、最初にサラだったのではないかと...。せめて、メモを残した相手に、サラへの伝言を頼むべきではなかったかと...。そこまでのゆとりはなかったということなのかもしれませんが、簡単な一言でもサラへの想いが欲しかったです。
 
若かりし頃の3人と老齢になってからの3人のイメージがピッタリで違和感なく観られた点も良かったと思います。容姿の問題もあるのでしょうけれど、それ以上に、キャラクターがきちんと作り込まれていることが大きな要因なのでしょう。そして、歳を重ねてからのレイチェルを演じたヘレン・ミレンに見劣りしない存在感を見せた若き日のレイチェル役のジェシカ・チャステインが印象的でした。
 
なかなか良質なサスペンスだったと思います。日本では公開されなかったようですが、観ておいて損はない作品だと思います。
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沈黙

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先日、映画、「沈黙-サイレンス-」を観ました。本作はかなり前に読んでいるのですが、今回、映画を観て、改めて原作である本作を読み返してみました。
 
実在のイタリア出身宣教師、ジュゼッペ・キアラ神父をモデルに、史実を基に描かれた小説です。
 
17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師、フェレイラ神父に関する不名誉な噂について、その真相を確かめるため、若き宣教師、ロドリゴとガルペは志願して日本を目指します。2人は旅の途上、マカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に長崎へ辿り着き、厳しい環境の中、密かに信仰を守っていた隠れキリシタンたちに迎え入れられますが...。
 
若きロドリゴが、かつての師であるフェレイラ神父の名誉を回復させることを大きな目的として、切支丹が迫害されていた時代の日本に潜入し、神父としての務めに励みつつ、フェレイラ神父の足取りを探るというストーリーを中心に置いていますが、その中で、信仰とは何か、神は存在するのか、神は何故沈黙するのか、生きるとは何か...という重い問いかけが行われます。そして、日本は、本当の意味でキリスト教を受け入れることができるのかという問題。
 
日本人の信徒たちは「苦しい拷問を受けて死んだとしても、何の苦しみもない天国へ行ける」と信じて殉教します。けれど、天国というのはそう簡単に行けるものではないはずです。それでも、宣教師たちは、その誤りを指摘しません。本当の教義を伝えるより、彼らの信仰を弱めることを恐れたのだと言えるでしょう。そこには、信徒を獲得しキリスト教勢力の増大を図る教会側と新しい神様に救いを求めた者たちとの妥協があったのかもしれません。元々、カトリックは、世界に向けて布教していく中で、各地の土着信仰の考え方に合わせてマイナーチェンジすることはよくあることで、それで、勢力を拡大させてきたのですから、それ自体は特別なことではないのでしょうけれど。
 
フェレイラにしても、ロドリゴにしても、"転ぶ"ことでしか信徒を救えない状況に追い込まれ、"転ぶ"ことを選択します。それは彼らの"弱さ"だったのか、それとも、殉教者として高く評価され、ヒーローになる道を手放せる"勇気"だったのか。神の教えを信じ、自分たちに従う者たちを救うという真の聖職者としての行為が、教会を裏切る行為となることの皮肉。
 
様々な重い問いが投げかけられていますが、それは、カトリックを信仰する家に生まれ、子どもの頃に洗礼を受けながら、日本人である自分とキリスト教の相容れなさに悩んでいた遠藤周作自身の問いとも重なるのだと思います。
 
映画では、神の沈黙への問いかけはあっても、神の存在そのものを疑問視するような部分は薄められています。やはり、キリスト教の影響を強く受けてきた西欧社会には受け入れられにくい部分だったのでしょう。本作では、神の存在への疑問がより鮮明に表現されているように思われます。
 
宗教について、生きるということについて、日本という国の在り方について、答えの出ない様々な問いかけを盛り込みながら、若きロドリゴの苦悩の物語としても楽しめる作品に仕上がっています。
 
映画を観たことをきっかけに読み返してみましたが、改めて、傑作だと思いました。時々、読み返してみたい作品です。
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突然炎のごとく

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アンリ=ピエール・ロシェの同名小説を基にした作品。大枠は原作小説に基づいていますが、ロシェの他の小説のエピソードやセリフも取り入れられているそうです。原作は未読です。
 
モンパルナスで出会ったジムとジュール。文学青年同士の2人はやがて親友となり、美しい女性、カトリーヌと出会った時も2人とも彼女に惹かれてしまいます。そして、熱烈にアタックしたのはジュールでした。彼はカトリーヌと結婚し、祖国に連れ帰ります。けれど、第一次大戦後、久し振りにライン河畔の夫妻の家を訪ねたジムは、ジュールからカトリーヌと一緒になって欲しいと頼まれ...。
 
一種の三角関係が描かれるわけですが、3人とも他の2人に行為を抱いているというところが面白いです。ジムとジュールは親友同士で、2人ともカトリーヌが好きで、カトリーヌはジムもジュールも好き。1人を2人で取り合う三角関係というのも面倒なものですが、本作のような場合においても平穏ではいられないもののようです。
 
ジュールは、関係が冷え切ってしまったカトリーヌを繋ぎとめるためにカトリーヌとジムを結婚させて3人で共同生活することを望み、ジムはそれを受け入れます。3人がその枠の中に納まることができれば、平穏な生活が続いたのかもしれません。
 
けれど、ジムは、この3人の関係から抜け出そうとします。ある意味、"ジムの青春からの旅立ち"だったのかもしれません。3人の関係の外によそ見することはあってもこの世界に留まろうとしていたカトリーヌにとって、ジムの"独立"は受け容れられないものであったのかもしれません。最後には、いつまでも青春を生きていたかったカトリーヌとジュールの2人と青春を脱皮しようとしていたジムが袂を分かたざるを得なかったのです。本作は、終わっていく青春時代の物語なのかもしれません。
 
カトリーヌがシャンソン、"つむじ風"を歌うシーンが印象的です。とっても想い出深い青春という感じが前面に出ている場面だと思います。
 
そして、訪れる悲劇。骨を灰にして撒いて欲しいといったカトリーヌの願いも、2人の灰を混ぜたいというジュールの願いも叶えられなかった模様です。
 
前半部分、少々、退屈を感じたりしましたが、特にカトリーヌがジムと結婚して3人で生活するようになってからは、作品の世界に惹きこまれました。
 
一度は観ておきたい作品だと思います。
 
*本作は小説を原作としていますが、原作者のロシェとドイツの作家、フランツ・ヘッセル、パリでフランツと出会い結婚したヘレンの3人をモデルとしているそうです。小説は、事実をそのままなぞったものではなく、フィクションも多く取り入れられているようですが、ロシェは、ドイツに住んでいたヘッセル一家(フランツ、ヘレン、息子2人)のところに同居し、ベッドを共にし、ヘレンと2人で旅行に出かけたりしていたとのこと。本作で描かれている以上に、激しく複雑な人間関係だったようですが、まさに"小説より奇なり"といったところでしょうか。
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大殺陣

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2,160円
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江戸時代の史実、"甲府宰相怪死事件"の真相に迫ろうとする時代劇。
 
徳川家第四代将軍、家綱の世。大老の酒井は五代将軍に自分の思い通りになる甲府宰相、綱重を立てて天下を我が物にしようとしていました。これに怒った軍学者、山鹿素行と彼の元に結集した10人の同志は綱重暗殺計画を企て...。
 
歴史上の人物が登場しますが、描かれていること自体はフィクションです。史実を基にイメージを膨らませて創作した物語といったところでしょうか。将軍の跡継ぎ問題に絡めた権力争い。いかにもありそうなことではあります。
 
綱重は、三代将軍家光の三男。で、家光の長男である四代将軍家綱の弟で、やはり家光の四男である五代将軍綱吉の兄。そして、六代将軍家宣の父ということになります。だから、彼が第五代将軍に推されるのも尤もなオハナシ。で、酒井のいのままになる人物だったのかというとそれも疑問だったりします。
 
まぁ、そもそもフィクションなので、それは置いといて...。
 
過激派の活動が盛んだった時代、山鹿素行とその一味によるテロ活動を描いた作品ということになるのかもしれません。
 
結構、登場人物が多く、その一人一人のエピソードがアレコレ描かれて、全体に、焦点が絞られず散漫な感じになっていて、作品としての纏まりも弱い感じが否めません。特に前半部分は人と人の関係性やストーリーが分かり辛い感じがしました。
 
単純明快な勧善懲悪ではないことも分かり難さの原因の一つかもしれません。実際、善悪というのは、そう簡単に割り切れるものではないでしょう。考え方、見方を変えれば、どちらにも多少なりとも理屈があるもの。そして、どちらの側にも、大儀と私利私欲が混じり合うもの。そのドロドロこそは、人の世のリアルなのかもしれません。
 
最後は壮絶な戦いが繰り広げられます。刀でバッサバサと切り捨てるという見栄えのする殺陣ではなく、一太刀二太刀では簡単には死なず、埃まみれ、泥まみれ、血まみれでのた打ち回りながら陰惨な殺し合いが続けられます。剣の達人でもない普通の侍たちが刀を振り回してなりふり構わず敵を倒そうとする姿。そこに、人と人が命の遣り取りをするリアリティが感じられます。
 
里見浩太朗が一応、"主役"ということのようですが、こうした泥臭い作品の雰囲気には今一つ合わないキャスティングかもしれません。里見浩太朗は、もっと、作り物のオハナシの中で巧く存在感を出すタイプではないかと...。
 
ただただ襲われるために登場するヒロインは、何のために登場したのかよく分かりませんでした。バッサリと登場場面を切り捨てても、何ら問題なかったのではないかと...。西部劇にも時代劇にも、襲われる美女は欠かせないということなのでしょうか。
 
まぁ、前半部分は、最後の殺陣のお膳立てで、兎に角、リアルな殺し合いを描いてみたかったということなのかもしれません。そこが、何よりの見所で、そこだけな作品な感じがします。
 
それでも、殺陣は一見の価値ありだと思いますが...。

殺しの烙印

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殺し屋NO.3、花田五郎は、ある仕事の失敗から、組織に命を狙われるようになり...。

 

いきなりNo.1の殺し屋の話が出てきたり、大勢が死んだり、殺そうとしていたかと思ったらそうではなかったり...。次々と場面が移り、キャラクターも入れ替わり、何だかよく分からない作品でした。

 

基本的には、組織でNo.3の殺し屋が仕事に失敗して組織に命を狙われ、最終的にNo.1の殺し屋と対決するというシンプルなストーリーなのですが、そこにゴチャゴチャと、必要な同化もよく分からないような要素がいろいろと盛り込まれ、何だかワケが分からなくなっていて、それでも、ヘンなところに凝りまくって、妙に映像は美しかったです。

 

謳い文句から、ニヒルでクールな殺しがカッコよく登場するのかと思ったのですが、ちょっとイメージと違いました。確かに、最初は、凄腕の非情な殺し屋なのですが、ストーリーの進行とともにボロボロになって行ってしまいます。ご飯が炊ける匂いに発情する殺し屋っていうのも良くも悪くも映画史に残りそうなスゴイ設定ですが...。

 

大体、"No.1"に拘るところがカッコよくないのです。本当の意味でN0.1の実力があるのなら、そこに拘泥する必要などなく、勝手に周囲が一番と認め、そう扱ってくれるはず。そこに自身を持てないからこそ、No.1になることに必死にならざるを得ないのでしょう。むしろ、自身の力不足に気付きながら、受け入れられず、自分がNo.1だと周囲に認めさせようと足掻く男の滑稽さのようなものを前面に押し出したら、それはそれで人間ドラマとして面白くなったような気もしますが...。

 

殺し屋たちの射撃の腕前も凄腕というよりアクロバティックというかユニークというか、洗面台の管の下から撃つなんてギャグも取り入れられ、それがまた本作のアバンギャルド度合いを強めています。

 

ワケの分からない渦に飲み込まれる陶酔感を味わうための作品...といったところでしょうか...。

沈黙-サイレンス-

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遠藤周作が実在したイタリア出身の宣教師、ジュゼッペ・キアラ神父をモデルに史実を基に描いた小説「沈黙」を映画化した作品。かなり前ですが、原作を読んだことがあります。私にとって、遠藤周作の小説の中で一番好きな作品で、これまでに読んだ全ての小説の中でも特に印象的な作品のひとつです。
 
17世紀、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師、フェレイラ神父に関する不名誉な噂について、その真相を確かめるため、若き宣教師、ロドリゴとガルペは志願して日本を目指します。2人は旅の途上、マカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に長崎へ辿り着き、厳しい環境の中、密かに信仰を守っていた隠れキリシタンたちに迎え入れられますが...。
 
目を背けたくなるような拷問シーンがあります。そして、その残虐さが、神の"沈黙"とロドリゴの心に沸き起こる神への問いかけの重みを際立たせています。"この場にいるのがイエスならば、酷く殺されようとしている弱き人々を救うために踏み絵を踏むことをよしとしたのではないか?"確かに、律法よりも弱き者たちへの愛を大切にするというのは、イエスの精神に沿った考え方だと言うべきなのでしょう。けれど、それは、教会という組織から評価されることはないでしょう。この"教会という組織への裏切りが弱き者への愛を実践するというイエスの教えの神髄を行うことに繋がる"という点に、教会という組織の抱える矛盾が集約されているようにも思えます。それは、他の宗教においてもあることなのでしょうけれど...。
 
キリスト教が厳しく禁止されていたとはいえ、作中で"井上さま"も言っているように、弾圧も建て前のものとなり、形式的な面も出てきていたのです。踏み絵を踏み、キリストの像に唾を吐けば、丸く収まるというもの。踏み絵もキリスト像も、所詮、偶像なのですから、命を賭けてありがたがる必要などないワケで...。だとすれば、彼らは何のために命を賭けたのか...。それが、"信仰篤き者"としてのプライドならば、それはむしろキリスト教の精神そのものとはズレてしまうワケで...。"真のクリスチャン"として、何が正しく、何が間違っているのか、何が善で何が悪なのか...。"教義を守るということと神の精神を実践することの矛盾"とどう向き合うのか、大いなる矛盾を前にどう行動するのか...。なかなか答えの出ない重い問いかけです。
 
原作は、本作よりも、"日本に入ってきてキリスト教の本質が歪められた"という面に重点が置かれているように思えます。そこには、幼くして洗礼を受けてキリスト教徒となっていた遠藤周作自身が、キリスト教に馴染めずにいたということが反映されているのでしょう。その辺りの焦点の当て方は、原作と違っているのですが、それでも、原作の味わいが濃厚に感じられる作品に仕上がっているのは、製作者の力量ということになるのでしょうか。
 
特に、「人間がこんなに哀しいのに、主よ海があまりにも碧いのです」という原作に登場する名文そのものの美しい風景が印象的です。
 
出演陣、それぞれに力のある演技だったと思いますが、その中でも特筆すべきは、"井上さま"役のイッセー尾形。本作の味わいを決定づける要となる名演だったと思います。"悪役"な彼の"理論"に、説得力が感じられ、そのことで、隠れ切支丹たちやロドリゴたちの苦悩がより明確に前面に浮かび上がってきたのだと思います。
 
ラストには、一つの"救い"が用意されています。ロドリゴの心の奥底にあるものについては原作でも仄めかされているのですが、本作ではそれがより分かりやすい形で表現されています。物語の余韻が薄れた感じもしましたが、"日本の小説"から"世界で観られる映画"になるためには必要な変更だったのかもしれません。
 
全体として、破綻がなく、そつなく纏められた作品だと思います。一方、良くも悪くも驚きに欠けるというか、優等生的に纏まりすぎた感じもあったりはします。賞レースに強さを発揮するタイプの映画であり過ぎる嫌いもあります。けれど、それでも、信仰とは何か、救いとは何か、愛を実践するということはどういうことなのか...いろいろと考えさせられる見応えのある作品だと言えるでしょう。一度は観ておきたい名作であることは間違いありません。
 
160分という長い作品ですが、上映中、その長さを感じさせられることなく、濃密な時間を過ごすことができました。
 
 
公式サイト

終電車

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舞台はナチス占領下のパリ、1942年。夜間外出禁止令が出され、パリ市民は23時以後、出歩くことができなくなっていました。厳しい冬に必要な燃料が得られなかったため、終電まで暖を取る人で劇場は賑わっていました。そんな中、モンマルトル劇場の支配人であり、演出家でもあるルカ・シュタイナーは、ユダヤ人であり、ナチスの侵攻に危機感を募らせていました。ルカが国外に逃亡するということで、妻で女優のマリオン・シュタイナーが支配人代理をつとめていました。彼女は、夫の選んだ新作「消えた女」の相手役として、演技力はあるけれど女性に手の早い俳優のベルナールと契約します。劇場では新作上演の準備が進められていましたが、実は、逃亡したはずのルカは、劇場の地下に潜んでいて...。

 

時代は戦争中。ナチスに占領されているパリなのですが、思いの外、人々の生活は平常運行という印象を受けました。寒さを凌ぐためとはいえ、劇場は賑わっています。そして、きちんと演劇が行われています。そこにはある種のゆとりが感じられます。そして何より、少なくとも劇場などには、必要な燃料があったということ。勿論、様々な不便や窮屈さを強いられていたことは伝わってきますが、占領されているという状況の割には穏やかな日常がそこにあるような...。フランス人のナチスによる占領などに負けず日常を維持しようという気概の表れなのかもしれませんが...。

 

妻と相手役の俳優との恋。本人たちも気付いていない恋に、夫は気付き、夫としては嫉妬を感じつつも、演出家としては、その恋心をより良い舞台を作るために生かしたいという気持ちも働きます。ルカが初対面のベルナールに対する「妻は君に夢中だ」というセリフ。なかなかのものです。

 

ベルナールが気になりながらツンデレなマリオン、マリオンの魅力を認めながらも気後れするベルナール、そして、2人が自覚すらしていない恋心に気付く勘の良さを持ち合わせたルカ。夫としては、そこに目を向けたくないけれど、演出家としてはそこを巧く利用したいのでしょう。例え、そのために、2人の中の恋心の火をつけてしまうことになるとしても。

 

占領下で自分たちの芸術、文化をどう守るかとか、演劇論といった視点から本作を観ることもできるワケですが、この三角関係を中心に観ていった方が面白い作品かもしれません。

 

かなり地味な描かれかたをしてはいましたが、マリオンを演じたカトリーヌ・ドヌーヴの圧倒的な美しさに心を奪われます。ベルナールを演じたジェラール・ドパルデューが今とは随分違う体型です。

 

ラストはおフランスな香りが感じられます。恋愛に白黒つけたり、どちらかを選ぶ必要なんてないってことなのかもしれません。これもあれもあり、どっちも欲しいで何が悪いってことでしょうか。

 

130分を超える長さで、ちょっと間延びする部分もあったりはしましたが、おフランスな三角関係を楽しめました。ラストの映像も、その後をアレコレを想像させるようなシーンで印象的です。

不時着

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離陸直後の飛行機のエンジンにトラブルが起き、サヴェッジ機長は不時着を決意。無事、着陸できるかと思ったその直後、飛行機は大破します。事故原因の調査が始まり、会社の責任を逃れようとする幹部たちは、機長の飲酒疑惑や普段の素行の問題等を取り上げ、機長に全責任を負わせようとしていました。そんな中、彼の親友であった会社の運行部長、マクベインが独自調査に乗り出し...。

 

事故原因が、結構、微妙です。というか、その原因となることが起こった際、コックピットの人たちが何も気にしていないのが不思議だったのですが、当時の感覚としては当然のことなのでしょうか...。今だったら、機器に何らかの影響を与えていないか、何か異常が起こっていないか、確認するに違いないのですが...。

 

そして、不時着前の危機感のなさ。まぁ、ヘンに緊張して慌ててミスすることのないようにということなのかもしれませんが、こんなにのんびりとしていて良いものか...。

 

事故原因の調査の中で、"知られざる機長の人となり"が明らかになっていく過程や、その"真相"が解明されていく過程は、なかなかスリリングで興味深かったです。表現としては、少々、間延びした感じもありましたが...。

 

また、最終的な"原因究明方法"も、あまりに大胆過ぎるというか...。まぁ、今と違ってフライトシミュレーターなどないので、仕方ないのかもしれませんが、それにしても、大きなリスクとコストを背負うこと。まぁ、"篤い友情"の証であるのでしょうけれど、それにしても、ちょっと現実的でないような...。当時、実際に、そこまでした事実があったのでしょうか...。

 

まぁ、このテの、かなり技術的な進歩があった事柄を取り上げた作品は、時代を経て観ると、どうしても古さが感じられてしまいます。それは、致し方のないことでしょう。けれど、マクベインの機長に対する友情といった人間ドラマは、本作の見どころと言えるでしょう。

新宿山ノ手七福神

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七福神巡りです。今回は新宿山ノ手七福神。新宿区内、大久保通沿いにある寺社が中心となっています。

 

御開帳については、弁財天、恵比寿神は1年を通じてなしですし、毘沙門天、大黒天は御開帳の日が限られていますが、御朱印やミニ尊像については、通年で対応をしていただけます。御朱印のスタンプを押していただける専用色紙もありますが、個人の御朱印帳に書き入れていただくこともできます。どこも寺社もどこでどうすれば御朱印をいただけるのか表示がされていて、分かりやすかったです。

 

太宗寺:布袋尊:広く敷地に空間をたっぷりとった形でお堂が配置されています。布袋尊像は、三日月不動尊と同じお堂に安置されています。他にも、境内には、塩かけ地蔵があったり、閻魔堂の中には正面に大きな閻魔像、右手にこれまた大きな奪衣婆像が置かれていたり、江戸六地蔵の三番目である銅造地蔵菩薩坐像があったりします。

 

善國寺:毘沙門天:神楽坂の途中という立地もあるのだと思いますが、いつも賑わっています。御朱印を書いていただくのを待っている間、お寺のオリジナル御朱印帳を受け取っていた方が、お寺の方に神社用とお寺用の御朱印帳を分けるべきか尋ねていらっしゃいました。回答は「どうするかは、個人個人の気持ちだから何とも言えないが、廃仏毀釈の時代ではないのだから、気にすることないのではないか。」とのこと。確かに、ここのお寺の境内にも出世稲荷が祀られていますし、お寺の中に神社があるケースは決して珍しくないので、本来は「分ける必要なし」が正解なのでしょうね。「分けていない御朱印帳には対応してくれない寺社もある」と聞いたし、そこまでいかなくても嫌な顔をされたりするのは避けたいし、神社とお寺の御朱印はだいぶ趣が違ったりするので、私は分けていますが...。

 

経王寺:大黒天:節分、花祭り(4月8日)などに、特別御朱印(500円)が用意されているようです。そんなことだと、またお詣りに来たくなってしまいます。あと、大黒天が御開帳される甲子の日も。ちなみに今年の甲子の日は、2月6日、4月7日、6月6日、8月5日、10月4日、12月3日だそうです。

 

法善寺:寿老人:寺務所の扉を開けると正面の部屋の上部に寿老人の木像が安置されています。本堂には区の文化財に指定されている極彩色の七面明神像が安置されていて、その説明書きがありました。

 

厳島神社:弁財天:小さな無人の祠ですが、きちんと手入れされている感じです。境内が南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜くための弁天社、いわゆる抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つにも数えられました。神社付近一帯には、江戸幕府第五代将軍、綱吉が生類憐みの令を出した時に設けられた25000坪にも及ぶ犬小屋があったそうです。この場で御朱印をいただける期間は過ぎてしまっているので、西向天神社で御朱印をいただきました。

 

永福寺:福禄寿:境内にある小さなお堂に祀られています境内には、大日如来像と、なかなか他では見られない地蔵菩薩の半跏趺坐像が安置されていました。庚申塔や六面地蔵塔など、由緒あるらしき石塔もところどころに置かれています。

 

稲荷鬼王神社:恵比寿神:いろいろなご家庭のお雑煮の写真が展示されていました。お雑煮のバラエティーの豊かさに驚かされます。1831(天保2)年に稲荷と鬼王権現を合祀したとのこと。全国で唯一、"鬼"の名を持つ神社だそうです。拝殿に向かって右手に小さな恵比寿神社があります。その手前には水琴窟。他にも、浅間神社があったり、江戸時代に造られた石造の水鉢を支える愛嬌のある鬼の像など見所の多い神社です。今回の7寺社の中では、善國寺に続く賑わいでした。

 

2017年1月21日に巡りました。他にも何人か七福神巡りをしているらしき人を見かけましたし、団体さんともすれ違いました。通年で御朱印がいただけるということもあり、多くの七福神巡りが7日で終わってしまった後、こちらをという人が結構いるのかもしれません。(まぁ、私もそうですが...。)歩いてもヨシ、電車やバスを利用してもヨシという道のりだと思います。最近、2万歩超えの日々が続いているので、あまり歩かないようにしようと思い、今回は、できるだけ公共の交通機関を利用するルートを考えました。大江戸線や都営バスを細々と利用すると、結構、歩く距離を短縮することができます。けれど、大江戸線は深いので、一々、深いところに降りて、また上がってというのを繰り返さなければならず、歩くのと時間的には大差ないかもしれません。今回は、最初の太宗寺に着いたのが14時20分頃で、最後の鬼王稲荷神社を出たのが16時50分頃。所要は約2時間30分でした。

 

公式サイト

http://www.shinjuku7fukujin.net/

 

新宿山ノ手七福神データ

対象寺社:5寺院、2神社
実施時期:通年

*厳島神社[弁財天]での御朱印は1月1日~7日。それ以外は西向天神社で弁財天の後朱印をいただけます。

*弁財天(厳島神社)と恵比寿神(稲荷鬼王神社)は御開帳なし。

*毘沙門天(善國寺)の御開帳は、1月の寅の日、5月と9月の最初の寅の日のみ。

*大黒天(経王寺)の御開帳は、1月1~7日と大黒天のご縁日である甲子の日のみ。
実施時間:9時~17時00分
距離:約8km
所要時間:2時間30分程度
専用色紙:800円(稲荷鬼王神社では700円)
色紙への御朱印押印:各300円
御朱印帳への書き入れ:各300円
*各神様のミニご尊像(各400円)と、ご尊像を乗せる宝船(1000円)が各寺社で頒布されています。

離愁

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第2次大戦初期(1940年5月)、ベルギーの国境に近いフュノアで平凡な生活をしていた修理業を営むフランス人、ジュリアンは、ドイツ軍のフランス侵攻から逃れるため、身重な妻モニークと娘を連れてスダンから列車に乗ろうとします。けれど、列車に乗り込もうとする人々は多く、妊婦のモニークとまだ子どもな娘は客車に乗れたものの、ジュリアンは妻子と離れ、最後尾の貨車に乗るよう指示されます。その貨車で、ジュリアンは、1人の若く美しい女性、アンナに目を惹かれ...。

 

アンナを演じたロミー・シュナイダーが実に美しく凛として印象的です。彼女の存在感が、本作のかなりの部分を支えていると言ってよいでしょう。

 

本作で描かれるているのは、戦争により生まれた悲劇。戦争がなければ、ジュリアンは妻と子どもたちを愛する善き夫、善き父として平凡ながらも幸せな人生を送ったことでしょう。戦争によってその幸せから見放されましたが、むしろ、アンナとの出会いにより至上の愛を手に入れたのですから、どちらが幸せだったのか、なかなか一概には言い切れない気がします。何が幸せで何が不幸か、そう単純に決めることなどできないものなのかもしれません。そんなところに、人生の複雑さがあるのかもしれません。

 

作中でも指摘されていますが、人々が困難に活き活きと立ち向かう姿も印象的です。戦争に運命を狂わせられる異常事態の中、ある種の興奮の中に置かれているのでしょう。

 

スパイの嫌疑をかけられて逮捕された以上、アンナは確実に処刑されるのでしょう。ジュリアンも、知らぬ存ぜぬを通せば無事でいられるかもしれませんが、アンナを知っていたということになれば、生きる道は建たれること必定。ジュリアンがどう行動しようとアンナが助かることはないのですから、ジュリアンがアンナを見捨てたとしてもアンナの死に責任を感じる必要はないワケで、自分の身を護ることを選んだとしても何ら非難されることはないワケです。その場面、観る者は、心の中で、ジュリアンに「ヤメテ!!」と叫び続けながら、悲劇に繋がるジュリアンの行動を予測してしまうことでしょう。そして、その悪い予感が現実になる様子を目にしながら、愛の力の強さを観ることができたことに安堵もすることでしょう。

 

恐らく、アンナを独りにしてしまったらジュリアンは大きな後悔に苛まれることになり、アンナに触れることで至上の幸福を手に入れたのですから。

 

このラストで、一瞬にして、ありがちなメロドラマが名作と言える映画になったような気がします。ロミー・シュナイダーのジュリアンの行動を悲しむような喜ぶような複雑な想いを抱えながらも、ジュリアンへの強い信頼と愛情を感じさせる表情も心に残りました。

 

列車がドイツ軍に機銃掃射される場面。その前に車中で人々が寛ぐ姿が映し出され、そこにヒットラーたちの笑い声が重ねられ、その後に機銃掃射で多くの人が命を落とすという演出。この辺りも、戦争の悲劇を如実に伝えていて印象的でした。

 

一度は観ておきたい作品です。