幸せをつかむ歌

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ロックスターになる夢を追って家族を捨てたリッキーは、ロック歌手となりライブ活動を続けていました。けれど、それだけでは生活できず、スーパーのレジで何とか食つなぐ貧しい日々を過ごしていました。ある日、別れた夫で既にモーリーンと再婚しているピートから電話があり、娘のジュリーが離婚で落ち込んでいることを知ります。リッキーは、ピートの家に向かい、ジュリーや息子たちと再会。何とか、関係修復しようとしますが...。

 

とってもシンプルで素直にストーリーが進んでいきます。家庭より自身の夢を選んだリッキーが、家族との絆を取り戻していく物語。

 

リッキーが何度か主張している通り、夫となり父親となった男性が、家庭を顧みず夢を追い求めても、案外、それはそれで認められたりするもの。けれど、妻であり母親である場合、男性のようには世間にも家族にも許してはもらえないものです。夫や父親ならよくても、妻や母親ではダメなのか...。女であるが故に感じる悔しさは分かる気がしますが...。

 

それでも、何かと自分に対しては許していることでも、他人がすれば非難することが多く、ちょっとしたことでキレるリッキーの姿を見せつけられると、素直に彼女の心情に気持ちを寄せる気にもなれず...。

 

ピートがリッキーに連絡する気になった背景も今一つ納得できるものがありませんし、ピートやモーリーンからの働きかけを拒否していたジュリーが、何故、リッキーを受け入れたのかも不明確。

 

そもそも、リッキーが音楽に対してそれ程の情熱を持っていたのかというところも今一つ伝わってきません。家族を捨ててまで打ち込んできたことなのだとしたら、まずは、オリジナルソングを捧げたうえで、皆が知っているカヴァー曲で盛り上げる方が良かったような...。

 

リッキー演じたメリルストリープは、本作のためのギターを習ったのだそうですが、見事な演奏と歌唱力で、魅せてくれています。

 

家庭を取るか、仕事を取るかというのは、永遠のテーマかもしれません。特に、主役を女性となる場合においては、まだまだ語られるべきことの多い分野かもしれません。けれど、それだけに、本作の個性を際立たせるひと捻りが欲しかったです。

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炎の人ゴッホ

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伝道こそ自分の使命と思い、ベルギー、ブリュッセルにある伝道師学校で学んだヴィンセント・ゴッホは、1878年、ボルナージュ地方の炭鉱町へと赴きます。神の声を伝えるために人々の生活に入っていきますが、聖職者の権威を貶める行為として教団から非難されます。やがて、病気になったヴィンセントは、弟のテオに連れられて帰郷します。やがて、ヴィンセントは、絵を生涯の仕事とすることを決意。テオの援助を受けながら絵を描き続けますが...。

 

伝道師以降のゴッホの生涯を比較的、オーソドックスに描いた作品と言えるでしょう。"炎の人"のタイトル通り、激しい一面にスポットが当てられています。様々な場面で、家族を友人を周囲の人々を、時に些細な意見の食い違いから、時に言い掛かりとしか思えないような理由で非難し、怒りをぶつけ...。彼を生涯にわたって支えた弟のテオに対してさえ容赦はありません。テオは、このヴィンセントをよく支えたものだと感嘆させられます。ヴィンセントがいかに生きたか、描いたかということも大切なのでしょうが、それ以上に、テオがヴィンセントを支えた理由に興味を惹かれてしまいます。まぁ、作中にも、時折、ヴィンセントが見せる優しさや気遣いにテオが惹かれている様子が描かれますが、それだけではちょっと弱いような...。

 

そして、ゴーギャンとの共同生活や喧嘩も見所となっています。2人の間でたたかわされる議論というにはあまりに喧嘩腰な遣り取りが、2人の絵に対する考え方の違い、それぞれの画家としての資質の違いを見せています。

 

あまりにゴッホに似ているカーク・ダグラスも良かったのですが、ゴーギャンを演じたアンソニー・クインも、如何にもなゴーギャン像を表現していて、ちょっとドキュメンタリーチックなレベルのリアリティが感じられました。

 

ゴッホがゴーギャンのために用意した部屋の壁には、数枚のひまわりの絵が飾られていました。生前、ほとんど絵が売れなかったゴッホですが、今では、この部屋の中の絵だけでも百憶円ではすまないでしょう。絵で食べることができなかったゴッホの絵が、富裕層の投資の対象となっている現実を考えると複雑なものがあったはしますが...。

 

それでも、世界各地の美術館の協力があり、ゴッホの名作の数々が登場するのは嬉しいところ。それだけでも、十分に見応えあります。

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これまでにも、行ってみたいと思っていながら、なかなかチャンスを得られなかったのですが、やっと念願叶いました。

 

森英恵、高田賢三、コシノ姉妹、鳥居ユキ、山本耀司といった一流のデザイナーを輩出している文化服飾学園が運営している服飾専門の博物館です。

 

現在開催中の展覧会は世界の刺繍展。世界約35カ国の様々な刺繍が、地域ごとに分けられて展示されています。

 

刺繍を施された服や装身具などが多数展示されていました。刺繍の技法などについても解説がされていて、刺繍と織物の違いなどについても説明がされています。さらに、実際に触れる刺繍布も置かれていて、刺しゅうを施された生地の肌触りを実感できるような工夫もされていました。

 

刺繍というのは、装飾用か魔除けなどの呪い用かと思っていたのですが、生地の補強、保温効果を高めるといった効用もあったのだそうです。実用的な目的もあり、その上で、美しくありたい、権威高くありたい、無事に安全に過ごしたい、災厄を逃れたいといった願望の現れでもあり...。数々の展示品を見ていると、膨大な回数、布地に針を潜らせながら、模様を作り上げていく過程に込められた情念が伝わってくるようでした。

 

わりと小振りな博物館で、展示数もそれ程多くはないのですが、刺繍の世界をじっくり味わえる工夫もされていて、結構、楽しめました。見応えあります。入場料が大人700円というのもなかなか良心的だと思います。

 

 

公式サイト

http://museum.bunka.ac.jp/exhibition/

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君の名は。

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新海誠監督自らが書き下ろした同名小説を映画化した作品。原作は未読です。

 

岐阜県の山々に囲まれた糸守町の宮水神社に仕える巫女で女子高生の三葉は、時々、妙な夢を見るようになっていました。ある日、学校で、「昨日は、自分のロッカーの場所なども忘れていて変だった」と指摘されます。一方、東京の男子高校生、瀧も妙な夢を見るようになっていて、三葉と同じようなことを友人に言われます。やがて、2人は、時々、入れ替わっていることに気付き...。

 

男女の入れ替わりというのは、平安時代の「とりかへばや物語」など、古くからあるモチーフですが、本作の場合、自身が他の人になってしまうことへの困惑とか、その現象をなくそうと努力するということではなく、入り込んだ人物について知っていくとか、相手が入り込んでいた間の自分(つまり、相手の言動)について知ろうという面が強く感じられ、相手とのコミュニケーションが重視され、そこに相手のために行動しようという意識が強められ、愛が生まれる過程を自然に受け止めることができました。

 

ところどころコミカルな描写で笑わされ、読めない展開にドキドキさせられ、そして、結構、切なさ哀しさ想いの深さに泣かされました。

 

描写が実に細かく丁寧でリアルです。内容的にかなりSF入っているので、実写で描いてリアリティを出すのはなかなか難しいと思うのですが、アニメにしたことで、現実にはあり得ない物語に不思議なリアリティを加えています。アニメで描くべき物語だったということなのでしょう。物語が、それに適した方法で、相応しいあり方で描かれていて、無理なく自然に物語に世界に引き込まれました。

 

SF的恋物語を軸に、組み紐や口噛み酒といった日本の伝統的な要素を絡ませ、やや纏まりの綺麗な分かりやすい物語になり過ぎた感じもしないではありませんが、観る者の気持ちに真っ直ぐに刺さってくるような素直な物語になっています。

 

瀧が憧れたバイト先の奥寺先輩が瀧に言った"君もいつかちゃんと幸せになりなさい"というセリフが心に沁みます。本作に流れる優しさを示す一言だったように思えました。

 

かなりの傑作だと思います。日本のアニメ映画史上に残る一本と言っていいのではないでしょうか。是非、映画館の大きなスクリーンで観ておきたい一本だと思います。お勧めです。

 

 

公式サイト

http://www.kiminona.com/index.html

太陽のめざめ

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育児放棄が疑われる母親は、裁判所に呼び出され、6歳の息子、マロニーをきちんと学校に活かせてないことについて尋ねられて逆切れ。マロニーを置いて部屋を飛び出し、マロニーは判事のフローランスにより保護されます。その後、マロニーは問題行動を繰り返し、16歳の時、フローランスと再会します。フローレンスはマロニーに反省を促しますが、行動が改まらず、フローレンスはマロニーを矯正施設へ移送することを決めます。教育係のヤンやフローランスに支えられ、指導員の娘テスとの恋を経験し、少しずつ変化を見せるマロニーでしたが...。

 

現状のままでは良くないことを認識していないわけではなく、"マトモ"になりたいという想いもないわけではなく、それでも、我慢することができず、ちょっとしたことで感情を爆発させてしまうマロニー。その姿にはふてぶてしさも感じられますが、彼の攻撃は、彼にとっての"最大の防御"でもあることが窺え、周囲を信じたいと思いつつも信じられないでいる哀しさや寂しさがヒリヒリと伝わってきます。

 

そして、そのマロニーの何度も繰り返される問題行動、約束違反、周囲も自分自身も傷つける言動を見ているととても歯痒く、同時に、時には自信を失いかけながらも、時には諦めのかけながらも、誠意杯の愛情を注ごうとするフローランスやヤンの粘り強さに心を揺さぶられます。

 

何故、そこまでしなければならないのか。そんなに手間暇かけてマロニーに関わるよりもっと有意義な仕事があるのではないか...。つい、そんな風に考えてしまいますが、けれど、将来の社会を動かしていくのは今の子どもたちであることを考えれば、自分たちが安心して老後を過ごせる社会にしていくためには、その担い手である子どもたちをきちんと育てるのは重要なことです。子どもに手をかけ、税金を使うことは、株などよりずっと利益を出せる可能性が高い将来への投資と言えるのかもしれません。

 

間違った者、道を踏み外した者を排除するのではなく、社会を支える力を持つ一人の大人として愛を持って導き社会に引き戻す。言うは易く行うは難しです。問題を繰り返すことを理由に排除するのは簡単なことです。厳格に法律を適用することで、裁き罰する側を傷つけることなく、罰することができるのですから。けれど、フローレンスもヤンも、真正面からマロニーと向き合い、傷付き、悩み、苦しみながらも更生させようと踏ん張ります。

 

時々、"3歩進んで2歩下がる"どころか、3歩か4歩は下がっている感じがしますが、それでも、少しずつ、少しずつ、笑顔が見られるようになったり、周囲と溶け込む様子が見られたり、マロニーの成長も見られます。

 

希望を感じさせながらも、手放しでメデタシメデタシと言えるラストではありません。この先、今までとは比べ物にならない程、大きな忍耐力を必要とする場面もあることでしょう、理不尽に直面することもあるでしょう、それを乗り越えて行けるのかどうか、不安は残ります。けれど、そんな部分を含め、こうした問題の難しさが見事に表現されていると思いますし、砂に水をまくような行為も決して全てが無駄になっているのでもないことを伝えてくれています。

 

マロニーが言動を改めて欲しい、これ以上、悪い方向に転がらないで欲しいと願いながら、ドキドキしながら観続けてのラストなので、もっと劇的な展開でスッキリしたい気持ちになってしまうのですが、それをしてしまったら、本作の良さも消えてしまうのでしょう。

 

重く、モヤモヤ感を残す作品ですが、観て良かったと思います。

 

 

公式サイト

http://www.cetera.co.jp/taiyou/

夏は怪談の季節ということなのでしょう、先日、大江戸東京博物館で開催の大妖怪展に行ってきましたが、今回は、太田記念美術館で開催中の怖い浮世絵展です。

 

生前の恨みを晴らすために現れる幽霊、鬼、海坊主、土蜘蛛といった異形の化け物、全身に矢が刺さっていたり、首が飛んだり、刺されていたりといった血みどろの人間...。対象となるものが、本来、忌避したいものであっても、絵師としての好奇心が抑えられることはなかったのでしょう。"怖いもの見たさ"という言葉もありますが、怖いものを紙の上に写し取ろうという熱意というか執念のようなものが感じられます。

 

特に"化け物"系の描写は、"怖い"という以上に"滑稽"だったりして、"コワ可愛い"という感じがします。

 

幽霊にしても化け物にしても、人間の想像力が作り出したもの。理不尽に命を奪われたり、あまりに不条理な死に方をしたりした人々の無念を想って、或いは、理屈の分からない不気味な現象の背景を理解するために作り出した存在なのでしょう。それは、人々が必死になって自分たちが生きている世界を理解し受け入れようとしてきたことの現れであるのかもしれません。

 

"怖い絵"であっても、浮世絵独特の色彩が使われていることもあり、結構、人間もデフォルメされて現実感が薄れるからか、映画でもホラー系、スプラッター系は観ていられない私でも、目を背けたくなったりということはなく、細部まで丁寧に細かく描き込まれた作品の数々をじっくり楽しむことができました。

 

8月28日までということで、もうすぐ終わってしまうのですが、チャンスがあれば是非。お勧めです。

 

 

公式サイト

http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/2016-kowai-ukiyoe

 

太田記念美術館でも販売されていましたが、関連した本も出版されています。

 

イレブン・ミニッツ

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嫉妬深い夫と女優の妻、セクハラな映画監督、刑務所を出て間もないホットドッグ屋、その息子であるバイク便の青年、強盗に失敗した少年、今にも出産しそうな母親とそこに向かう救急士の女性、ホテルの一室でアダルトサイトを観る男女、元カレから犬を取り戻した女性...。彼らの5時からの11分が描かれます。

 

11分の出来事が描かれるのですが、何度も、時間を行ったり来たりしますし、かなり細かくシーンを区切っているので、結構、忙しい感じがします。ただ、午後5時には、時間を告げる教会の鐘が鳴り響くし、登場人物たちが時間を話題にすることも多いので、時間の動きは理解しやすいです。

 

映画監督に滞在中のホテルの部屋に5時に呼び出された女優は、嫉妬深い夫を家に残して出かけますが、夫は、妻を追いかけ、ホテルの厳しいセキュリティを潜り抜け、映画監督が宿泊するフロアまで辿り着きます。

 

刑務所から出たばかりの男は、屋台でホットドッグを売っています。残り僅かなホットドッグを4人の尼僧が買い、残りの1個と未調理の1個を犬を連れた女性が、自分用と犬用に買っていきます。男は、店仕舞いし、バイク便をしている息子と落ち合います。バイク便の青年は、人妻との情事に耽っている最中に5時となったことに気付き、慌てて部屋を飛び出し、父との約束の時間に遅れます。

 

5時の鐘の音を聞きながら、頭の中で時系列を整理しながら観て行けば、何がどうなり、どの場面がどこに繋がっていくのかは、それ程、分かりにくくはないのですが、伏線のようでそうでなかったり、意味ありげなものの結局何だかわからないまま終わってしまう仕掛けもあり、肩透かし感ありました。

 

ラストの展開は、確かにビックリでしたが、こうした群像劇によくある必然性が感じられる繋がり方ではなく、偶然性が強調されているように思えました。私たちは、とかく、出来事の背景に原因や必然を探し、理屈をつけて安心しようとするものですが、本当は、偶然に翻弄されているだけなのかもしれません。そういう意味で、偶然が連鎖するラストは、人生を象徴するものとなっていると言えるのかもしれません。

 

空中をゆらゆらと漂う大きなシャボン玉は儚げで、些細な偶然に翻弄され大きく運命を動かされていく人々の脆弱さを感じさせますし、着陸態勢に入り低空を飛ぶ飛行機は、9.11を想起させながら不気味さを漂わせていて、印象的でした。

 

何だか、ラストに入る前までが壮大な前振りになってしまった感じもありますし、全体としては物足りなさが感じられたり、消化不良な面があったりしっましたが、ところどころ印象的な映像があり、そこそこ楽しめました。

 

 

公式サイト

http://mermaidfilms.co.jp/11minutes/

ゴッドファーザー PARTⅢ

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ゴッドファーザーDVDコレクション/フランシス・フォード・コッポラ
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PARTⅠPARTⅡに続く最終章。

ファミリーのビジネスを合法的なものに変えていこうとしていたマイケル・コルレオーネは、教皇庁への巨額の寄付によって叙勲され、そのパーティに離婚した妻、ケイトと暮らしていた娘のメアリーと息子のアンソニーを招待します。マイケルは、ヴァティカン銀行との提携やヨーロッパの金融業界への進出のチャンスを得ますが...。

マイケルの家族を愛し、守りたいという願いに嘘はなかったはず、そして、厳しい状況の中でも、できるだけ正しくあること、合法的であることを目指したことも事実。けれど、思うようにはならず、血を流さない平和を望みながらも、血で血を洗う抗争から抜け出すことができず、そのために、一番欲しかった家族との温かな繫がりを失うことになります。

そして、本作では、ファミリーの稼業を合法的なものに"浄化"するために聖職者の力を得ようとしますが、その聖職者たちの間に繰り広げられるマフィア顔負けのドロドロとして抗争に巻き込まれていきます。俗世でも神聖な世界でも、そこに何らかの利権が関わってくれば、結局、こんなことになる...ということなのでしょうか。

多分、動機ではなく、手段に問題があったのでしょう。第三者的な立場で状況を見ることができる者がそれを指摘することは簡単ですが、渦中で必死に戦い、瞬時に判断を下していかねばならなかったことを考えれば、マイケルの選択はギリギリのところでの最善だったのかもしれません。ただ、マイケル自身が彼の選択をどう捉えているのか...。"裏切り者だから仕方ない"という言い訳だけでは消化しきれない想いの分部をもう少し見せて欲しかった気もします。

メアリーが殺され、人目を憚らず泣き叫ぶマイケルとそのマイケルに向けられるケイやコニーの視線。特に、ケイのマイケルを見つめる表情が印象的でした。この場面、メアリーを演じたソフィア・コッポラが、あまりに残念な演技力で、そこが惜しまれます。

"ゴッド・ファーザー"シリーズの様式美を引き継いでもいます。マイケルの苦悩、裏切り、抗争、華やかな舞台の裏で繰り広げられる殺戮。けれど、決してマンネリになることなく、個々の物語にそれぞれの力が感じられました。

孤独の中で死を迎えるマイケル。それが、抗争から離れた死であったことに、せめてもの救いを見たくなります。本当に欲しかったのは、愛する家族とともに過ごす平穏な日々のでしょうけれど、少なくとも、命の遣り取りとは離れた場所で過ごすことはできたようですから。死を目前にして、マイケルは、愛した女性たちとの日々を想い起します。殺された最初の妻、離婚したケイ、殺されたメアリー。愛し、守ろうとした女たちを、次々、失っていった寂しさが伝わってきます。

マイケルのものとはかなり違った形ではあっても、人は、多かれ少なかれ、計画していたり、望んでいたものとは違ったところに行き着いてしまったりするもの。そして、自分の想いを実現させるために邁進する体力、気力も、年齢を重ねることで、徐々に、手放していくことになるのも世の常。あまりに違う世界に生きたマイケルですが、意外に、私たちは、自身の姿を重ねることができるのかもしれません。そこが、観る者を引き付ける要因の一つなのかもしれません。

マイケルは、兄、ソニーの忘れ形見であるヴィンセントを後継者に指名します。マイケルよりは、ビトに近い雰囲気を持つヴィンセント。果たして、この先の難しい時代に、ファミリーの舵を取っていけるのか、ちょっと心許ないキャラクターのような気もしますが、どうなるのでしょうか。

マイケルの生涯を描く一大叙事詩を締めくくるに相応しい作品と言えるでしょう。PARTⅠ、PARTⅡの後に観ておきたい作品です。

レインメーカー

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レインメーカー [DVD]/マット・デイモン
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ジョン・グリシャムの小説「原告弁護人」を映画化した作品。原作は未読です。

弁護士志望のルーディ・ベイラーは、コネもなく、ロースクールを卒業後、就職先探しに難航しますが、やっと、悪徳弁護士のブルーザー・ストーンの事務所で働けることになります。ルーディは、ロースクールの実習時代に相談を受けた白血病の青年の母親の相談と一人暮らしの老婦人の遺産問題をそのまま仕事として引き受けることになります。その青年は、骨髄移植の治療費支払いを保険会社から拒否され、余命幾ばくもない状態。しかし、保険会社は、優秀な弁護団を雇い、判事も訴訟に乗り気でなく和解を勧めてきますが...。

タイトルの"レインメーカー"は、法律事務所のトップ弁護士を意味するとのこと。金を雨に例え、事務所に雨(=金)が降らせることができる弁護士ということだそうです。

主演のマット・デイモンが随分と若い感じがして、かなり前の作品...だろうと思ったら、1997年の作品でした。マット・デイモンは1970年生まれですから、当時27歳。

基本的には、経験がなく未熟な正義の味方、ルーディが老練な悪徳保険会社に立ち向かうという物語なのですが、ルーディに勝利をもたらす決定打は、拝金主義的な弁護士であるブルーザーの助言によるものだというのも味なところ。本作の物語が単純な勧善懲悪の物語でなく、ルーディの成長に繋がっていく設定になっていますし、いろいろと考えさせられます。勝訴でルディが金持ちになって...という安易なハッピーエンドにならないところも好感を持てました。

アメリカの医療制度の問題、保険会社の悪徳振り、訴訟社会と弁護士たちの拝金主義、ベトナム帰還兵、DV...。ベトナム帰還兵の問題は、アメリカが関係している他の紛争地域からの帰還兵の問題に変わっていますが、それ以外は、今も解決されていない問題。社会問題として指摘されていながらも、19年たっても、多くは未だ解決されていません。残念なことではありますが、そのためもあり、作品にはあまり古びた感じがありません。

問題の取り上げ方は、多くのものが盛り込まれ、散漫な感じになってしまっていますが、社会にある様々な問題に触れながら、裁判を通じて成長するルディの姿は印象的。ラストのルディの決断も、甘い感じはします。彼が感じたような問題は、どのような仕事の中でも多かれ少なかれあるもの。何らかの"役得"からの誘惑とどう向き合うかというのは、彼が次のキャリアとして考える"教える仕事"の中でも考えなければならないことでしょう。

そして、ルーディも絡んだケリーの離婚成立後の"事件"の処理はあれでよかったのか、疑問が残ります。正当防衛というにはギリギリかもしれませんが、相手の側にかなり非があったことは確かだし、堂々として対処すればよかったのではないかと...。保険の裁判への影響を考えてのことなのでしょうけれど、本当なら、警察が事件の真相を見抜くところなのではないかと...。見抜けなかったということになっているようですが、その辺り違和感がありました。原作がある作品なので、これが原作の問題であればやむを得ないのですが、このエピソードは入れなくてもよかったような気がします。ケリーの元夫が騒いだけれど警察に通報して逮捕されて万々歳で十分だったのではないかと...。

盗聴器まで仕掛けた保険会社側だから、裁判中のルーディの行動を監視していたとしてもおかしくないわけで、"事件"を裁判を有利に進めるための材料に使っていた可能性も考えたりしたのですが、保険会社側はその辺りの情報は持っていなかったようで、意外に情報網は荒いようです。

気になる部分もないではありませんが、法廷での遣り取りなど、ルーディを演じたマット・デイモンと相棒のデック役のダニー・デヴィートの凸凹コンビは味があって楽しかったですし、脇もベテランで固められた出演陣の演技力もあり、迫力を感じましたし、見応えありました。観ておいて損はないと思います。

ぼくの伯父さんの休暇

テーマ:
ジャック・タチ「ぼくの伯父さんの休暇」【DVD】/アンドレ・デュボワ
¥4,104
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ユロ氏が登場する初めての作品。本作ではユロ氏は、誰の伯父さんでもないのですが、日本では、本作よりも第二作である「ぼくの伯父さん」の方が早く公開されたため、邦題に「ぼくの伯父さん」が入れられたとのこと。

多くの人が海辺を目指すバカンス。汽車もバスも大混雑です。ユロ氏も小さなオンボロの車で海辺を目指し...。

パリでも、バカンスの海岸でも、ユロ氏はどこまでいってもユロ氏です。海辺の町で繰り広げられるひと夏の騒ぎ。ただでさえ、普段の堅苦しい生活の息抜きとばかりに弾ける人がいるのでしょうけれど、そこに、ユロ氏が油を注いだり、ヘンな形でプレーキをかけたり...。ユロ氏自身の思惑とは別に、人々の休暇やバカンス客を迎える人々の仕事を掻き回していきます。

ちょっと離れたところで眺めている分には楽しいけれど、身近にいると迷惑な存在ってところでしょうか。つかの間の遊びのためにやってきたバカンス客にとっては、ユロ氏の存在も楽しい想いでの一部なのでしょうけれど、邪魔をされた仕事な人たちにとってはイイ迷惑。ユロ氏に向けられる周囲の人々の視線も、それぞれの立場によって違っていて、その辺りの描写も面白かったです。

繰り返されるゆるいギャグも、休暇という場面設定にピッタリな感じがしました。

フランスの民族文化の資料ともなる得るような時代の雰囲気を感じさせる映像も心に残ります。まさに"古き良き時代"ラ・ベル・エポックなフランスが感じられます。作中で、国民機危機を訴える大統領の声明がラジオから流れる場面がありますが、そんなの関係ないという雰囲気のゆとりのある人々。まぁ、ある意味、困った人々ですが、こうした人々がほんわkと時を過ごせる時代こそが豊かな時代ということになるのかもしれません。

ラストの映像が洒落ていて印象的。

レンタルのDVDで十分かとは思いますが、観ておいて損はない作品だと思います。