ナチス・ドイツの戦犯、アドルフ・アイヒマンの裁判をTV放送し、世界にホロコーストの実態を知らしめようとした人々の姿を実話をもとに描いた作品。

ホロコーストに関与し、数多くのユダヤ人を強制収容所に送り込んだ元ナチス親衛隊将校、アドルフ・アイヒマンが、15年の逃亡生活の後、1960年にアルゼンチンで逮捕され、翌1961年、イスラエルで裁判が行われることになります。テレビプロデューサーのミルトン・フルックマンは、レオ・フルヴィッツに撮影監督を依頼し、裁判の模様を世界に向けてテレビで放送しようとますが...。

"ユダヤ人問題の最終解決(=ユダヤ人の大量殺戮)"を指揮したとされるアイヒマンが逮捕され、彼が虐殺したユダヤ人が建てたイスラエルで裁判を受けるわけですから、現代史において大きな出来事であることは間違いありません。作中でも示されますが、アイヒマン裁判が始まったのが4月11日、ガガーリンの地球一周が翌日の4月12日、1962年のキューバ危機の原因となるピッグス湾事件が起こるのが4月15日。東西冷戦が激化していく頃で、アイヒマン裁判以上に人々の関心を引く出来事が起こっています。

この裁判を傍聴し、残虐極まりない悪魔のようなアイヒマンを"凡庸な人間"と考察したのが哲学者ハンナ・アーレントで、彼女についての映画も、以前、見ています。アーレントは、そのことで非難されますが、当時の空気の中では、アイヒマンを"悪魔"だと考えるのが一般的で、それを"普通の人間"だと捉えることは、人間に対する裏切りというか、アイヒマンの"悪"を擁護していると受け止められ、非難される行為だったのでしょう。

本作でも述べられていますが、アイヒマンは家庭では子煩悩なよき父親だったと言われています。そして、アルゼンチンで偽名を使って平凡な一市民として生活していた彼がアイヒマンであるとイスラエルの諜報機関が判断した直接の証拠は、妻の誕生日に花屋で妻に贈る花を購入したこと。そんな彼が、大勢のユダヤ人の子どもたちをガス室に送り込み、逮捕されてからもそれを後悔する様子を見せなかったというのです。

"ミルグラム実験"と呼ばれている実験があります。アイヒマンの裁判の翌年の1962年、"アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、特殊な人物であったのか、家族の誕生日に花を贈るような平凡な市民であっても、一定の条件下では、残虐行為を犯すものなのか"という疑問が提起され、それを検証しようと実施されたもので、"アイヒマン実験"とも言われています。そして同様の実験に"スタンフォード監獄実験"と呼ばれる実験があり、映画「es」や「エクスペリメント」でも取り上げられていますが、いずれの実験でも、ごく普通の人間でも、一定の状況下に置かれれば、非人道的なことを行うものであることが実証されています。そして、意外なほどに、自身の"残虐的な行為"に対して後悔や反省がないものであることも。残念なことに、人は、閉鎖的な状況で、命令を受ければ、意外なほど、平気で残虐なことを行い、躊躇することさえないものだということ。自分自身で考え判断してユダヤ人をガス室に送り込むことは難しくても、自身が従うべき相手であるヒトラーの意思に沿うためなら残酷な判断を下すことができるのです。その冷徹な事実に、私たちはどこまできちんと向き合えるのか...。

この"凡庸な人間であったアイヒマンが、大量虐殺を積極的に推し進めたのは何故か"という疑問へのフルヴィッツの拘りは、彼のセリフから伝わってくるのですが、彼が、何故、そうした疑問を抱くようになり、その"何故"をどのように解明しようとしたのかが、今一つ実感できませんでした。彼の疑問を解明するためには、ナチスという組織の性格やアイヒマンの置かれた状況などに対する考察が必要なわけで、アイヒマンの表情を映すだけでは、難しいと思うのです。裁判で、その辺りのことに対する遣り取りがあったのかどうかは分かりませんが、ナチスの行ったことの映像と、被害者の証言でその謎に迫るというのは、そもそも無理があるのではないかと...。

"難しい条件を克服し、様々な妨害にも屈することなく、ジャーナリストの責務として、歴史上の大きな出来事を記録した"という部分、そして、隠されていた事実が事実として表面化されることで、被害を受けたものも救われていくという部分に焦点を絞った方が良かったのではないかと思います。フルックマンやフルヴィッツが行ったこととそのことの意義について、もう少し、丁寧に描いて欲しかったような...。アイヒマン裁判から55年経った今、公開される作品である以上、彼らのしたことが歴史の中でどのような意味を持つのか、その辺りの考察も欲しかったです。

段々、"ナチスが何をしたか"にテーマが移っていき、"フルックマンやフルヴィッツの行為の歴史的意義"という部分が薄くなってしまった感じがします。もちろん、ナチスの行為については、それはそれできちんと描かれるべきことなのですが、本作はそこが中心ではないと思うのです。

本作を観ていると、フルックマンやフルヴィッツが何をしたかということよりも、アイヒマン裁判の映像を観た当時の人々を追体験しているような感じがします。最初は、フルックマンやフルヴィッツに当てられていた視点が、アイヒマン裁判そのものに移っていき、やがて、記録映像を観るアイヒマンの視点と重なっていきます。それはそれで、描き方の面白さは感じられたのですが、映画作品としては焦点がぼけてしまったような...。

描かれている内容自体も本作に登場する記録映像も、私たちにとって知っておくべきことであることは確かです。そして、ホロコーストのような大きな出来事も、時として、事実として受け止められるまで紆余曲折があるものだということも認識すべきことなのでしょう。

一度は観ておくべき作品だと思います。


公式サイト
http://eichmann-show.jp/


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太陽

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劇団イキウメを率いる劇作家で演出家、前川知大の舞台劇を映画化した作品。舞台は見ていません。

バイオテロにより人口が激減した21世紀初頭の世界。ウイルスへの抗体を持った新しい人類が誕生。優れた知能と若く健康な肉体を誇る彼らは、自分たちをノクスと称して社会を支配していました。ただ、紫外線に耐えられず夜間しか活動できないことが弱点でした。一方、ウイルスの感染を免れた旧人類はキュリオと呼ばれ、ノクスから見下される存在になっていました。キュリオの青年、鉄彦(神木隆之介)はノクスに憧れ、ノクスになるための転換手術を受けることを夢見ていましたが、幼なじみの結はキュリオとして誇り高く生きていこうとしていました。鉄彦たちが住む村は、鉄彦の叔父がノクスの巡査を殺害した責任を問われ、経済制裁を受けていましたが...。

基本的な設定は、新鮮さがないとはいえ、悪くなかったと思います。けれど、どうも、作り込みが甘く、あちこち破綻しています。

太陽の光が苦手なら、防護服を作ればよいだけのこと。実際、中に入っていれば太陽の下でも大丈夫な寝袋はあるようですし、ちょっと形を改良して日中に活動できるようにすることなどわけもないことでしょう。森繁が太陽の光を浴びて苦しむ場面もありましたが、鉄彦も結もすぐに脱げる上着を着ていたのに、何故、それで森繁の手を包んでやろうともしなかったのか...。

それに、キュリオの人々の生活が悲惨なように言われていますが、実際はそうでもないような...。人口が大幅に減ったとか言っていますが、健康な生活を維持するための食べ物がないといった描写はありませんし、何かに特別に困っている様子も見られません。男たちは、かなり単細胞で直情的で乱暴な感じもしますが、特別に悪い人々とも思えません。彼らは、ちょっと昔の田舎にはあったような普通の生活をしているわけです。どうしてそれ程までに人口が減ったのか、どうもよく分かりません。

ウイルス問題にしても、ノクスは体内にウイルスを抱えて生きているという設定ということなのですよね。どうやら、キュリオがノクスの血液や体液に曝されると感染の恐れがあるということなのでしょう。森繁が吐いた血液に何人か触れたように見えたのですが、どうなったのでしょうか。一番、濃厚に接触した鉄彦の叔父は死んでいますが、ウイルスのせいではありませんし、他の人への影響とかはあっさりとスルーされて、はぐらかされた感じがしました。

"ノクスからの差し入れ"として彼らが喜んだものもウィスキーとか。生きるために必須のものではありません。嗜好品はなかったけれど、必要最小限のものにまで困っていたわけではないということでしょう。

ノクスの世界の設定も甘いです。彼らの生活を成り立たせている構造なども見えにくく、キュリオの人々が、何故、ノクスの世界を羨むことになるのか、よく分かりませんでした。ノクスの人々が特に幸せな感じもしませんでした。全体的に人間が薄っぺらいというか、穏やかというよりは感情が貧しいという感じで、何だかツマラナイ。

で、キュリオの人々、特に男性陣は、何かと怒鳴り、暴力を振るうだけ。仲間同士団結してノクスに対抗しようという気概もないようで、ノクスに支配されるのも仕方ない、というより、ノクスに管理してもらった方がきちんと生きられる人たちなようにすら思えてしまいます。

キュリオは幸せな人生を送るにはあまりに知性や自己統制力に欠け、ノクスは喜びを得るには感情が薄すぎるといったところでしょうか。

双方の世界の間を仕切るフェンスの警備もかなり緩いです。そもそも日中に活動できないノクスが一人で警備しているのですが、太陽の下でも平気で活動できるキュリオにとって、ここを越えることなど訳もないことでしょう。それをしないということは、キュリオの世界を抜け出ることに大した価値を感じないということ。四国に行った人たちも戻ってこれたわけですし、他の世界との行き来はそれほど難しくない様子。あの検問所が置かれている意味が分かりません。

結が何故、宗旨替えしたのかもよく分かりませんでした。あれだけ反発していた母親のこともすんなりと受け入れてしまうし...。

まぁ、原作の問題であれば仕方ありませんが、きちんと物語の世界を作り上げて欲しかった気がします。あちこち気になって、作品の世界に浸ることができませんでした。何だか、男性陣が、ギャーギャーと喚いて暴れているだけの作品になってしまったようで...。

結がノクスになった後の変化は良かったと思うのです。あきらかに上等な身なりになって、イイ生活をしている風なのに、人間としてはとても薄っぺらくなってしまった感じ。キュリオからノクスに"成り上がること"が本当に幸せなことなのかどうかを観る者に問いかける場面になっていて印象的でした。この部分をテーマにしているのだとは思うのですが、作り込みの甘さ、設定の不思議さ、心情の描き方の浅さなどがあり、何だかよく分からない焦点のぼやけた作品になってしまっています。残念です。


公式サイト
http://eiga-taiyo.jp/


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少し葉っぱが増えました

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先月、麻布十番の十番稲荷神社でいただいてきた桜の苗。2~3日に1回程度のペースで水遣りしてきたら、1カ月半で、少し葉っぱが増えました。桜の育て方について、色々と調べてみたのですが、どうやら、当面は、水遣りくらいしかすることはなさそうです。次に何かすることとしては、晩秋から冬に肥料を入れること。ただ、夏は、鉢の下が高温にならないよう気を付ける必要があるとのこと。気温に注意して、置く場所を考えなければ...。

桜らしくなるのは、まだまだ先になりそうですが、地道に育てていきたいと思います。

↓4月にいただいた時の状態(やはり、比較してみると、成長した感じがします。)
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先日、ここに書いた"Little Pie Factory"のアップルパイ同様、新宿高島屋、催事場で開催中の"春の美味コレクション"で、初めて味を知りました。

"ぐるめくにひろ"のことは、雑誌で読んだか何かで知っていて、いつか食べてみたいと思っていたのですが、それっきりになっていて、今回、高島屋で発見し、これぞチャンスと黒毛和牛のローストビーフを購入。

ぐるめくにひろの製品は、公式サイトから購入することもできるようになっていますが、ローストビーフについては、受注生産品のため、注文してから2週間程度かかるようです。

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で、今回は、80g(薄切りのローストビーフ3枚程度)がパックにされて1600円(税抜)。100g当たり2000円といったところ。決して、お安いものではありませんが、何といっても、和牛を使ったローストビーフですから、まぁ、悪くないお値段かと...。

薄いのに、しっかりと柔らかくジューシーな食感。そして、きちんと牛肉の味わいが感じられ、いかにも良い素材を使って真面目に作っている印象を受けました。ワサビとかマスタードを添えても良いのですが、何もつけず、そのまま食べても十分に美味しかったです。これなら、手に入るまで多少日数がかかったとしても欲しくなります。

これまでに食べたローストビーフの中でも、トップレベルの味でした。これは是非、また、食べてみたいです。ローストビーフ以外にも、ソーセージ、ウィンナー、生ハムなど、それぞれに、きちんと丁寧に作られている感じの味わいでとても美味しかったです。他の製品も色々試してみたいと思います。

お勧めです。


公式サイト
http://www.goodham.com/index.html


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となりのトトロ

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となりのトトロ [Blu-ray]/出演者不明
¥7,344
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物語の舞台は昭和30年代。大学で考古学を研究する学者のお父さん、小学6年生のサツキ、4歳のメイの3人は、豊かな自然と美しい四季があふれる田舎の"お化け屋敷"のような一軒家に引っ越してきます。お母さんは入院中。もう少しで退院する予定なのですが...。

物語そのものについては、左程、魅力は感じられませんでした。幼い姉妹が、新しい環境の中でちょっとした冒険をし、ちょっとした成長をするという物語。そこに、入院中の母への想い、新しくクラスメートとなった男子とのあれこれ、そして、トトロが絡みます。まぁ、よくあるお話という感じがしますし、実際、サツキとメイが成長したかというとよくわからない感じもしますし、物語としてはあまり練られていない感じもします。

まぁ、物語の面白さというよりは、自然に囲まれた生活の美しさ、古き良き時代の懐かしさといったところがメインなのかもしれません。昔の日本の田舎での生活のポジティブな面がとても美しく描かれています。

そして、その美しき自然の中には、純真な子どもにしか見えない豊かな世界が広がっていて、トトロや猫バスもそんな世界の中に存在する。けれど、それは、大人には見えない世界。本作には、現代の社会に生きる私たちが失ってしまったもの、大人になることで失ってしまったものが描かれていて、それが、見る者の中にある郷愁を呼び覚ますのかもしれません。

現実と非現実との境界が曖昧になるのは、子どもの時期にはあること。"イマジナリーフレンド"などとも言われますが、周囲には見えない想像の世界の中に友人を作ったり、その相手と会話をしたりということは、正常な成長の過程にも起こること。物語の世界の中のことを現実として受け止めたりすることもよくあることで、本気になって魔法を使ってみたりもするものです。トトロや猫バスを登場させることで、子どもらしい、現実と非現実を行き来できる世界が上手く作られていると思います。そして、物語の中の現実と非現実の境の曖昧さが、本作の周辺に様々な都市伝説が作られた背景になっているのかもしれません。

そして、本作は、良くも悪くもトトロあってこその作品だと思います。悩みや不安を吸収し、全てを包み込んでくれそうな丸っこいふくよかな姿形、穏やかでユーモラスな表情や立ち居振る舞いは、実に可愛らしく心癒されます。大きなトトロの縫いぐるみを抱きしめたら、それだけで幸せな気分になれそうです。

映画作品として面白いかどうかというと微妙なところですが、トトロはとても魅力的。


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風の谷のナウシカ

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風の谷のナウシカ [DVD]/出演者不明
¥5,076
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宮崎駿オリジナルの原作漫画を映画化した劇場用アニメーション。原作は未読です。

"火の七日間戦争"により、現代文明が滅んだ後の地球。世界は"腐海"と呼ばれる猛毒を放つ森に侵食されつつあります。大国トルメキアは、この"腐海"を焼き払い、人間が支配する世界を取り戻そうと、"巨神兵"の復活を企てます。そして、トルメキアの軍隊は、ナウシカが住む風の谷をも支配下に置こうとします。一方、トルメキアと敵対する"ペジテ"は、腐海に住む"王蟲"を操り、風の谷に駐留するトルメキア軍を風の谷もろとも滅ぼそうとしていました。ナウシカは腐海の植物が大地の毒を浄化している事に気付き、腐海そしてそこに住む"王蟲"たちと人が共存していかなければならないと考え、戦いをやめるよう訴えますが...。

単に、"自然を大切にする"ことを是とする物語ではないと思います。腐海は、人間を拒絶する場でありながら、その中に人が生存できる空間を生み出しています。そもそも、自然は、人類のことを気にしながら存在しているわけではありません。様々な生物が、それぞれの在り方で生きていて、その過程で、他の生き物と縄張りを争ったり、協力したりしているだけ。たまたま、人間にとって役立つ生き物がいたり、"敵"となる生き物がいたり。

そんな中で、人類は、他の生物に比べ、突出して大きな"自分たちにとって便利で快適な環境"を整えるための力を持っていて、それを如何なく発揮している...ということなのでしょう。そして、そんな人類を生み出したのも自然。

地球が誕生してからの途方もない年月を考えれば、人類の歴史などホンの一瞬のことでしかありません。かつて、地球上に繁栄した恐竜が滅びたように、やがて、人類も消えていくのでしょう。人類が生物としての本能に従って活動し、様々な資源を浪費したことを含めて"自然"と考えるべきなのか、それは、都合のよい言い訳に過ぎないのか...。

誰もが納得できる正解を見つけにくい問題だと思います。ナウシカが正しいのか、トルメキアが正しいのか、ペジテが正しいのか、王蟲が正しいのか...。それぞれにそれぞれの理論があり、それぞれの正義があり、それぞれの事情があり、正義か悪かという二者択一ではない世界。価値観の違う者同士は、相手を滅ぼすまで殺しあうしかないのか、共存する手立てを見出すことができるのか...。

描かれている物語以上に、様々な意味や解釈を見出すことができるのも、本作の魅力かもしれません。

そして、空飛ぶ無垢な少女が自身を犠牲にして世界を救うというのは、宮崎駿監督にとっての"永遠のテーマ"なのかもしれません。幼い少女へのサディスティックな感情を読み取ることさえできる物語ですが、そのことは、そんな負の感情もこうした世に認められる作品として昇華できることを示しているようにも思えます。そして、そこに、ある種の"人間の可能性"が感じられるようにも思えます。(もっとも、人を救うという行為は、本質的に自己犠牲を伴うもので、自身が傷を負う覚悟なしに正義を遂行することはできないもので、ナウシカが命を賭けるのは人々を救うものとして当然のことなのかもしれません。そう、アンパンマンが自らの顔を食べさせることで他者を救うように。)


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Cafe Kailaのパンケーキ

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以前、行列ができる店として紹介されているのをTVで見た記憶があります。今回、お店の近くを通ったので、覗いてみたら誰も並んでいない、店内には空席もちらほら...ということで、試してみることにしました。

"カイラ・オリジナル・パンケーキ"とカフェラテ。パンケーキは、ハワイアンサイズ(直径約17cm)とレギュラーサイズ(直径約10cm)の2種類がありました。どちらも1人前が3枚ということで、レギュラーサイズにしました。

苺、ブルーベリー、バナナ、キャラメリゼされたリンゴがタップリ盛られていて、パンケーキはほとんど埋もれています。オレンジが一切れとオーキッドの花も乗せられ、実に華やかな雰囲気です。で、クリームとシロップが添えられていました。

パンケーキは、適度に小麦粉の風味が感じられ、フワフワ過ぎず、モチモチ過ぎず、全体的にバランスが取れた感じで、美味しかったですが、これといった特徴というか、個性が感じられない普通のお味。並んでまでとか、わざわざこのために出かけてまで食べたいかというと、正直なところ、???。量的にも、今回、注文した小さい方のサイズでお腹いっぱい。レギュラーサイズは、カイラ・オリジナル・パンケーキだけで、他のパンケーキメニューは、ハワイアンサイズのみ。2人でシェアしないとキツいかもしれません。

タップリとトッピングされたフルーツ類も基本的には美味しかったですが、苺はきちんと甘いのとほとんど味がしないのと、当たり外れがありました。リンゴのキャラメリゼは、程よい甘さと歯応えで良かったです。添えられたクリームも、くど過ぎず程よい感じ。

見た目はインパクトあるのですが、味は今一つ特別感に欠けた感じが否めません。ちゃんと美味しいことは美味しいのですが...。そして、問題はコストパフォーマンス。
カイラ・オリジナル・パンケーキ レギュラーサイズ 1800円
カフェラテ 570円
ということで、〆て2370円。
残念ながら、気軽にお茶という量やお値段ではありません。もし、ボリュームがレギュラーサイズの4~5割程度で、飲み物と合わせて1000円から1200円程度だったら、近くに用事がある時などに立ち寄りたくなる味だと思います。


公式サイト
http://www.cafe-kaila.com/shop/omote.html


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ハロルドが笑う その日まで

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品質にこだわった小さな家具店を長年経営してきたハロルドは、すぐ隣にIKEAの北欧最大級の店舗ができたことで、倒産に追い込まれてしまいます。さらに妻のマルニィをも失い、怒りに震える彼は、IKEAの創業者カンプラードへの復讐を企てます。カンプラードを誘拐するためIKEA創業の地、エルムフルトを目指す道中、偶然出会った少女エバも計画に加わり...。

IKEAとその創業者が実名で、しかも、主人公から全てを奪い、"クズ"な安物を世の中にばらまく"悪役"として、登場します。散々、ハロルドに酷評され、ドイツ系の創業者が"ナチ"と非難されるエピソードについてもネタにされています。IKEAのロゴマークが頻繁に登場しますし、店内でも撮影が行われているようですし、IKEAという企業の懐の深さが感じられます。(まぁ、これも、IKEAのイメージ戦略なのかもしれません。色々な"悪口"も既出のものでしかありませんし。)

長く使える良いものを作って世に出すことに誇りを持ってきたハロルドと、庶民が気軽に買えるものを社会に供給することに使命感を持つカンプラード。それぞれに主張があり、互いに折り合おうとはせず、ずっと平行線。けれど、正反対の考え方を持っているようで、どこか似た者同士の2人。ハロルドとカンプラードの交流が時にシニカルに時にユーモラスに描かれます。正直、笑っていいのか悪いのかわからないような微妙な空気感なのですが、ちょっと癖になりそうです。

どうやら、ハロルドもカンプラードも、息子とは色々ある様子。この2人と絡んでくるエバも母親との関係に問題を抱えています。

ハロルドとエバの母は、かつての栄光にしがみつくあまり今を受け入れられないのかもしれません。カンプラードの"偉業"も、彼の息子たちに、彼が期待するようには受け止めてもらえていない様子。

何らかの形で問題が解決されてスッキリという物語ではありませんが、色々あっても、全てを失ったかに思えても、その中で人は幸せを見出しながら生きていくことができるのだと示してくれているようにも思えます。ほんのりとした小さな幸せを味わうことができました。

人には、自分のことを認めてくれる誰かが必要で、そういう人が身近にいれば、それだけで幸せになれるものなのかもしれません。


公式サイト
http://harold.jp/


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ミケランジェロ・プロジェクト

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ミケランジェロ・プロジェクト [DVD]/ジョージ・クルーニー,マット・デイモン,ビル・マーレイ
¥3,564
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ロバート・M・エドゼルによるノンフィクション「ナチ略奪美術品を救え 特殊部隊『モニュメンツ・メン』の戦争」を原作といます。原作は未読です。描かれている物語は実話をベースにしていますが、登場人物の名前は架空のものに変えられ、いくつかの史実はドラマに適した形に修正されているとのこと。

ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの命を受け、ドイツ軍は侵攻した欧州各国の美術品を略奪します。それに強い危機感を抱いたハーバード大学付属美術館の館長ストークスはルーズベルト大統領を説得し、美術品や歴史的建造物を保護する部隊、"モニュメンツ・メン"を結成します。中世美術に精通したグレンジャーや建築家キャンベルなどのメンバーを集め、ヨーロッパ各地へ出動します。そんな中、ナチスが劣勢になり、敗退する際に強奪した美術品を故意に破壊するようになり、...。

本作で取り上げられている史実については全く知りませんでした。ナチスが美術品を奪っていたことは知っていましたが、大英博物館にしても、ルーブル美術館にしても、故宮博物院にしても、かつて大国だった国の博物館で、植民地や他国からの収奪品と無縁なところなどないでしょう。フランスも、ナポレオンの時代、各国からの収奪品で所蔵品を一気に増やしたわけですし...。

人々が自分たちの歴史を知り、文化を受け継いでいくためには歴史的な美術品を守ることは大切で、名品の数々が破壊されることは人類にとって大変大きな損害であることも確かでしょう。人の命はもちろん大切ですし、歴史的名作に人命を上回る価値があるという考え方には素直に頷けませんが、力を尽くして守るべき価値があることは間違いないと思いますし、美術品のために命を懸けた人々の行為を人命を軽視したと非難すべきでもないと思います。

そして、本作では、多くの困難の中、犠牲者を出しながらも多くの美術品を取り戻したエピソードが描かれるのですが、全体に描写が抑えめで、彼らが直面した困難や、それを跳ね返していく熱さが今一つ伝わってきません。多少は触れられていますが、戦いに勝つための活動が最優先される中で、味方からの無理解とも闘わなければならない場面も少なくなかったことでしょうし、その中で成果を出すには、そうした困難に抵抗する情熱が不可欠だったのだろうと思うのですが...。

美術品を見つけ出すシーンも、どこか冷めています。もっと、感動や喜びがあっても良かったのではないかと...。膨大な数で、一々感激してなどいられなかったのかもしれませんが、その価値の尊さを知る専門家の集団ですから、私たちが想像する以上の喜びがあったのではないかと思うのですが...。

個々のメンバーのキャラクターの描き方が弱いのも、本作の温度を低くしてしまった原因かもしれません。描かれるエピソードが盛り沢山で焦点がボケてしまったことも一因となっているのでしょう。笑いを意識し過ぎて全体の雰囲気が軽くなってしまったのかもしれません。描かれている史実自体はかなり興味深いものなだけに残念です。

ソ連軍がナチスと同じような扱いをされている点も気になります。アメリカの視点に偏り過ぎた感じが気になりました。"史実"なのかもしれませんが、"戦利品として美術品を持ち帰る"という行為が、当時の価値観から考えて、特別に悪だとも言えないのだろうと思いますし、もう少し、ソ連軍に寄り添った描写がされても良かったのではないかと...。(というか、ソ連軍のエピソードは思い切って削って、"聖母子像"のエピソードに集中しても良かったのかもしれません。)

冒頭で、上司であるナチス親衛隊士官、シュタールにグラスを持ってくるよう命じられた秘書のシモーヌが、グラスに唾を吐きかけるシーン。"OL"を敵に回すと怖いというのは、洋の東西を問わないということでしょう。登場人物のキャラクターが伝わってくる場面でもありますが、嫌な上司への意趣返しが面白かったです。シモーヌがグレンジャーを自宅に招待するエピソードとか、"ネクタイ"とか、シモーヌ関連で印象的な場面がありました。まぁ、これは、シモーヌを演じたケイト・ブランシェットの演技がどうこうということとはまたちょっと別の問題もありますが、良い存在感を出していたと思います。

私たちが、ここに登場するような美術品の数々を見られる背景に彼らの尽力があったことを知ることができる作品として価値があることは間違いありませんが、映画作品として面白いものに仕上がっているかというと微妙なところです。


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スポットライト 世紀のスクープ

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アメリカの新聞「The Boston Globe」の記者たちが、カトリック教会の醜聞を暴いた実話を基にした作品。

2002年、ウォルターやマイクたちのチームは、「The Boston Globe」で連載コーナーを担当していました。ある日、彼らはこれまでうやむやにされてきた、神父による児童への性的虐待の真相について調査を開始します。カトリック教徒が多いボストンにおいて、彼らの行為はタブーへの挑戦であり...。

キリスト教徒、特に、カトリック教徒にとっては、かなり衝撃的な事件だったのだろうと思います。まぁ、日本の場合、宗教的な寛容さというか、いい加減さというか、かなり前の時代から、聖職者の妻帯について、黙認されていたし、宗派によっては、公認されてもいました。そして、男性だけの集団で同性愛があることも。織田信長の森蘭丸は有名ですが、武将だけでなく、聖職者もお気に入りを寝室に侍らせることは珍しくなかったわけで、それが公にされたからと言って、特に社会に衝撃を与えることはなかったのだと思います。

けれど、カトリックにおいては、その辺り、もっと厳格なものとして意識されていたのでしょうし、それだけに、多くの人にとって衝撃的だったのでしょう。そして、この問題は、教会にとって不都合すぎる真実だっただけでなく、信仰する者にとっても認めたくない事実だったのでしょう。

人は都合の悪いことには目を瞑ろうとするし、隠そうとするし、信じたくない情報は遮断しようとするし、色眼鏡で見ようとするもの。そして、事実は闇に葬られ、問題は解決しないまま、被害を大きくし、長引かせていく...ということ自体は、ひとえにカトリック教会だけの問題ではありません。

いずれにしても、こうした力ある者たちの不都合な真実を明らかにするというのは、マスコミの本来の仕事であり、ここにこそ存在意義があり、"言論の自由"という権利の重さがあるのだと思います。こうした事件に対しては非常な嫌悪を覚えますが、妨害にも負けずそれを白日の下に晒しだした人々も存在したということは、社会にとって大きな救いだと思います。

取材に対して妨害もあったことでしょう、本作で描かれている以上の脅迫もあったかもしれません。こうした報道がなされることで傷ついた人も少なからずいたことでしょう。けれど、だからといって事実を表に出さなかったら、その後も多くの被害者を出し続けたことでしょう。未来のために犠牲を払った人々の決断が胸に沁みました。

2015年に、報道の自由度がランキングが61位(2010年の11位からわずかに5年で50位のダウン)とされ、先進諸国の中で最下位となっている日本。私たちこそ、本作を見て考えなければならないのでしょう。

過去に、関連する様々な情報が黙殺された経緯は曖昧にされてしまった感じがありますし、教会側の妨害行為の描き方には、若干、教会側に遠慮した感じもしないではありませんし、放り出されたまま回収されないエピソードもあって、消化不良な感じはありましたが、それでも、本作により、この事実と、事実を明らかにするために戦った人々の姿が広く伝えられたことは、大きな意義のあることだと思います。

一度は見ておきたい作品だと思います。


公式サイト
http://spotlight-scoop.com/


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