ローマに消えた男

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ロベルト・アンドーが自身の小説「空席の王座」を自身の脚本、監督で映画化した作品。原作は未読です。

イタリアの最大野党の書記長、エンリコは国政選挙を目前にして支持率が落ちていることに悩んでいました。支持者からは退陣を迫られ、そのプレッシャーに耐えきれず、書置きを残して行方をくらませてしまいます。秘書のアンドレアは、取り敢えず"急病"ということでその場をしのぎますが、それでいつまでも隠し通せるはずもありません。そんな時、エンリコの妻、アンナからエンリコに瓜二つの双子の兄、ジョヴァンニの存在を聞き、彼をエンリコの替え玉に仕立て上げます。哲学者だったジョヴァンニの演説は、大衆の心を掴み、皮肉にも支持率は急回復します。一方、失踪したエンリコはパリに住む元恋人ダニエルの所に身を寄せ、徐々に精神の安定を取り戻していき...。

身代りを仕立てる物語も、そっくりな双子が入れ替わる物語も珍しくはありません。けれど、その双子が、結構な年齢の大人であること、一方が、社会的に大きな役割を担っていることなどが、新鮮味をもたらしています。

現実に疲れ、過去の幸せだった思い出に逃げ込むエンリコ。ひっそりとした生活から社会の表舞台に現れたジョヴァンニ。それぞれの言動も性格も対照的ですが、同じ女性を好きになったこともあったようですし、2人とも映画の制作に興味を持ったことがあったようですし、政治にも興味を持ったことがあった様子です。

エンリコとジョヴァンニは、それぞれが、いるべき場所にいなかったということなのかもしれません。けれど、ジョヴァンニはいるべき場所に辿り着きました。一方、エンリコはいるべき場所を知ったにもかかわらず、そこからも姿を消してしまいました。それは何故か...。2人と一緒に写真に写っているのですから、ダニエルは、エンリコともジョヴァンニとも接点を持っているということになります。では、ダニエルと付き合っていたのは誰なのか...。エンリコの中にはダニエルへの想いがあったことは間違いないでしょう。そして、ダニエルは、自身がエンリコともジョヴァンニとも付き合っていたと受け止めている様子。でも、もし、ダニエルがエンリコだと思って付き合った相手がジョヴァンニだとしたら...。ジョヴァンニのちょっとした悪戯があったのだとしたら...。エンリコが姿を消したのは、「2人のどちらも愛した」とダニエルが言う"2人"に自分が入っていなかったことを知っていたからなのではないかと...。

作中で映画と政治の類似性が語られます。映画では、役者が登場人物を演じます。そして、いかにリアルにそこに登場人物を存在させるかがカギになるわけですが、哲学者が演じる政治家が人々の心を掴み、政治家として支持を得ていきます。人々をいかに惹き付けるかが問題なのであって、そこに描かれているものが、フィクションなのか現実なのかは問題でないということかもしれません。その辺り、怖い感じもしますが、民主主義社会において、票を得ることが力となるわけで、票を得るためには多くの人を惹き付けなければならず、そのためには、人々を引き付ける物語を提示する必要があるのでしょう。言葉の力というものを感じさせられます。そして、ジョヴァンニの場合、彼が人々の心を掴む演説をする力が彼の病の症状である可能性が否定できず、そうであれば、病の治療の進行とともにその力は失われていく可能性もあり...。

何らかの確執があったらしき2人ですが、その過去についてはほとんど語られません。ただ、ダニエルを中心に3人で撮った一枚の写真が何度か登場します。ダニエルを巡る確執から、2人は接触を断つことになり、ジョヴァンニは精神を病んだということでしょうか。

エンリコとジョヴァンニ。1人2役で同じ俳優が演じているのですから、当然、同じ顔、同じ体形なのですが、最初は、別の人間に見えます。けれど、徐々に似てきて、自分が見ている人物がエンリコなのかジョヴァンニなのか明確でなくなっていきます。この辺りのトニ・セルヴィッロの演技が見事です。この演技があればこその本作なのだと思います。

ラスト。果たして、そこにいるのは、ジョヴァンニなのか、ジョヴァンニ的に変化したエンリコなのか...。含みを持たせる見事なラストでした。実は、エンリコとジョヴァンニは別の人間なのではなく、同じ人間の中にある2つの人格なのではないかとも思ったのですが、この2人とダニエルが並んだ写真がある以上、そういうことにはならないですよね...。あの写真に映っていたのは、2人だけでしたっけ???それを確かめるためにもう一度映画館に...とまでは思えませんでしたが、DVDになったら確認してみたいと思います。(どなたか、教えていただけるとありがたいです。)


公式サイト
http://romanikieta-otoko.com/


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黄金のアデーレ 名画の帰還

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ナチスに奪われたクリムトの名画を取り戻すためオーストリア政府相手に返還訴訟を起こした女性の実話を元に作られた映画作品。

アメリカで暮らす82歳のマリア・アルトマン。彼女は、ある日、オーストリア政府が、ナチスが収奪した美術品を返還すると表明したことを知ります。マリアは、自分を可愛がってくれた伯母のアデーレを描いた"黄金のアデーレ"を取り戻したいと、知人の息子で弁護士になっていたランディに相談します。乗り気でなかったランディでしたが、最初は、その絵の価値の高さ故、そして、徐々にマリアの人柄に惹かれ、絵の返還に真剣に取り組むようになります。けれど、既に"オーストリアの至宝"となっていた名画をオーストラリア政府が手放そうとするわけもなく、マリアの願いは撥ね付けられますが...。

最初、マリア=正義で、非力な彼女が巨悪、オーストリア政府に挑む...といった勧善懲悪的な物語を想像していたのですが、良い方向に外されました。彼女に協力するランディも最初は消極的でしたし、ランディの所属する事務所もマリアの闘いに協力しようとはしませんでした。そんな中でマリアの心にも揺らぎが見られます。そして、オーストリアにも協力者が現れます。オーストリアのものとなっている名画をオーストリアのものとして守ろうとするのも愛国心からなのかもしれませんが、過ちを正せる国にしようとするのも愛国心ゆえ。どうすることが本当に愛するもののためになることなのか...。正義vs悪という単純な闘いとしてでなく、そこに関わる様々な立場が描かれます。

現在のマリアの闘いと、過去のマリアの幸福と苦難とが並行して描かれることで、マリアの闘う理由やその闘いの背景にあるものが伝わってきます。マリアにとって"黄金のアデーレ"を取り戻すことは、単に自分のものになるはずだった美術品を取り戻すということではなく、幸せだった時を取り戻し、奪われた人々との繋がりを取り戻し、亡くした人を蘇らせる行為だったのかもしれません。

そして、何としても絵を死守しようとするオーストリア政府。本作の中では完全に悪役ですが、もし、マリアが取り戻そうとしていたものがこれ程の名画でなければ、ここまで抵抗しようとはしなかったでしょう。"黄金のアデーレ"が魅力的な作品だからこそ、オーストリア政府も強硬な態度に出たのでしょう。こうした絵を良い状態で保管するためには、それなりの設備も手間暇も必要だったでしょうし、その努力はしてきたわけですから。もちろん、観光資源としての価値の問題とか、損得勘定とか、プライドとか、いろいろとあったことでしょうけれど、絵に対する愛情があったことも間違いないのではないかと...。そういう意味では、物語の描き方がややオーストリア政府に厳しくなっていたような感じもしました。それでいながら、ウィーンの市庁舎をロケに提供していたりというところを見ると、オーストリア政府にも相当に寛大な面があるようで...。

勝訴しますが、マリアの表情はどこか晴れません。絵を取り戻したことで癒されるようなレベルの傷ではなかったということなのでしょう。幸福な生活や家族や大切な人々を奪われた恨みや悔しさは、そんなことで埋められる程、浅いものではないはずですから、当然のことでしょう。加害者に罰を与えるとか、賠償させるとか、奪われたものを取り戻すとか、復讐するとか、そういったことで被った害が癒されたり、慰められたりするものではないのかもしれません。そして、彼女自身の中にも、両親を残して国を出たことへの罪悪感が残っていました。絵を取り戻すことに成功したからこそ、既に償う相手がいない自身の"罪"の意識が強くなってしまったのかもしれません。

この手の物語の場合、奪われたものを取り戻したり、加害者に制裁を加えることができたりして万々歳と纏めるケースが多いような気がしますが、実際はそう簡単なものではないはず。その辺りに言及した点が本作をより味わい深いものとしているのだと思います。最初はウィーン行きを拒み、ウィーンに行ってもドイツ語で話すことを拒み英語で通したマリアですが、勝訴後にドイツ語を話す場面が出てきます。それは、彼女が自分の過去を受け入れ、自分を許した瞬間だったのだろうと思います。そして、本当の意味で救われたのかもしれません。この辺り、もう少し、深く描いて欲しかったような気はしましたが...。

ヘレン・ミレンの存在感が見事です。間違いなく名演技なのですが、ヘンな力が入らず、そこに自然にマリアが存在して説得力が感じられました。これまで数々の作品で名演を見せ、圧倒的な存在感を放ってきたヘレン・ミレンですが、多くの出演作の中でも代表的な作品の一つとなるのではないかと思います。

お勧めです。


公式サイト
http://golden.gaga.ne.jp/


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原宿デニール

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原宿デニール [DVD]/武田梨奈,BEE SHUFFLE,麻宮彩希
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原宿で働く女性警官の横山は、先輩刑事との関係に悩んでいました。韓国人のソン(ミンス)はストッキングのデニール数(パンストの生地の厚さを示す単位)を当てる特技を持ち、友人のペクと一緒にデニール当てゲームを楽しんでいました。そんなある日、原宿にやって来たスカウトマンの佐藤が事件を起こし...。

女子中高生が集まり、芸能関係のスカウトマンが沢山いて、流行のものがいろいろあって、オシャレで...というイメージの強い原宿ですが、明治神宮があったり、浮世絵専門の美術館があったり、老舗の落ち着いた雰囲気の喫茶店があったり、意外に伝統や文化が感じられたり、養蜂を行い蜂蜜を採れる位に自然があったりする街でもあります。

世界に誇る和食文化の中でもトップクラスの存在である寿司屋が登場するかと思えば、ストッキングの専門店(原宿には他にコンドームだけを扱ったお店があったりもしますが...)も出てくるし、ちょっと怪し気でエロチックな空気が漂う耳かき屋も出てくるし、スカウトされたい女子たちとスカウトマンも出てきます。

日本人だけでなく、韓国人、フランス人、ウクライナ人も登場し、国際色豊かなところも原宿らしい感じです。登場人物の仕事も、警察官、パンスト屋、耳かき屋、寿司職人、スカウトマンとバラエティー豊かで、これも原宿らしいです。

全体に、アッサリした描き方だし、ところどころ、エピソードからエピソードへの移行がギクシャクしていたりする場面もありましたが、原宿の雰囲気を上手く表現していると思います。

割と原宿に近い場所に住んでいます。特に土日は街を歩く人が多く、それも、かなり若い年代が中心というイメージが強く、近い割には頻度は少ないのですが、それでも、たま~~~には行くことがあります。なので、作中に、よく通る場所が沢山登場していましたし、何度か入ったことのある竹下通りからちょっと細い道を入った場所にある喫茶店"クリスティー"も舞台として使われていましたし、そういう意味からも、興味深く観ることができました。

期待値が低かったからという面もあることは確かだと思いますが、予想外していたよりも楽しむことができました。レンタルのDVDで十分かとは思いますが、気軽に楽しむのには手頃な作品だと思います。


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JIMI:栄光への軌跡

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JIMI:栄光への軌跡 [DVD]/アンドレ・ベンジャミン,ヘイリー・アトウェル,イモージェン・プーツ
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1966年5月、ニューヨーク。ナイトクラブ"チータ"で、マイナーなバンドの一員としてステージに立っているジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックス(アンドレ・ベンジャミン)の演奏を聴いたローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズの恋人、リンダは、ジェイムズの才能に気付き、彼を売りだそうと考えます。やがて、リンダは、ジェイムズに、ジ・アニマルズの元メンバーで、プロデュースの仕事を始めようとしていたチャス・チャンドラーを紹介し...。

タイトルに"栄光への軌跡"とあるので、無名だったジミ・ヘンドリックスが有名になる過程が描かれているのかと思っていたのですが、ほとんど"女性遍歴"を描いた作品でした。女性たちに暴言を吐いたり、暴力を振るう場面もありますが、ヘンドリックスの恋人だったキャシー・エッチンガムは、実際のヘンドリックスは非常に穏やかな人物で、彼女に暴力を振るったことは一度もなく、本作を"虚構"と公に批判しているとのこと。

ジミ・ヘンドリックスのオリジナルの楽曲や演奏が一切使用されていないのは、遺産管理団体の許可が得られなかったからとか。劇中に使用される曲は全てヘンドリックスが当時にカバーした楽曲を現代のセッションプレイヤーが再現したものとなっています。音楽で名を成した人物を描いた作品で、しかも、その人物の生前の演奏を直に耳にしている人もいる位の近い過去の人物を描いている場合、本人の楽曲や演奏がないのは、結構、致命的だと思いますし、その点について、かなり物足りなさを感じてしまいました。

で、ラストも唐突な感じが否めません。一気にスターダムにのし上がり、アメリカでの名声を手にする1976年夏のモンタレー・ポップ・フェスティバルに参加するために旅立つところで終わってしまいます。

この後、母国アメリカを中心に活動を行い、1970年9月18日の深夜から早朝、モニカ・ダンネマンという女性と2人でロンドンのホテルに滞在中に急逝します。デビューからわずか4年程、27歳での死でした。死因は、睡眠前に酒とバルビツール酸系睡眠薬を併用し、睡眠中に嘔吐したことによる窒息死とされていますが、マフィアによる謀殺説やマネジャーだったマイケル・ジェフリーが自分が殺したと言っていたという証言が残されていたり、死の真相に関しては謎も残されています。まぁ、そこを全部とは言いませんが、もう少し、彼の人生をきちんと伝えて欲しかったです。

遺族や関係者が納得できるものとするためにヘンに主人公におもねるような内容にしてしまっては、その人物をきちんと描いた作品とはなり得ないでしょう。けれど、一方で、遺族や関係者の納得が全く得られないと主人公の権利が関係する素材を使えなくなり、伝記映画として物足りない作品になってしまう危険性が大きい。その辺りのバランスのとり方が難しいのでしょうけれど、本作の場合は、かなり大きなマイナスポイントになってしまったと思います。

残念な作品です。


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ロスト・イン・マンハッタン 人生をもう一度 [DVD]/リチャード・ギア,ジェナ・マローン,スティーヴ・ブシェミ
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NYのとあるアパートへやって来て、すっかり汚れた空き部屋の清掃に取りかかろうとしていた作業員たちは、そこに勝手に入り込んで寝ていたひとりのホームレスの男を発見します。作業員たちによってアパートから追い出されたホームレスのジョージは、寝る場所を求めてNYを彷徨いますが、やがてホームレスのための収容施設にたどり着き、そこで寝泊まりすることになります。かつては職に就き、妻子をあり、真っ当な生活をしていたジョージですが、職も家族も住処も失い、人生のどん底。そんな中で、疎遠になってしまった娘マギーとの関係を修復しようと奮闘しますが、マギーは、自分を捨てた父親を許せず...。

NYでのホームレスの日常が淡々と描かれます。ジョージのこれまでの人生については、ところどころに情報が提示されますが、何故、今に至ったのか、その辺りが明確にされるわけではありません。まぁ、はっきりとした原因がなくても、ズルズルとホームレスになってしまう可能性は誰にでもあり、一度、その泥沼にハマってしまうとなかなか這い上がれないということなのかもしれません。そして、映し出される退屈な日々も、ホームレスの生活そのものなのかもしれません。そういう意味で、リアルにホームレスを描いたということなのかもしれませんが、そこにだけこだわり過ぎて、映画作品としての面白さが犠牲にされてしまった感じは否めません。

NYのホームレスたちがどのように生きているのかがドキュメンタリータッチで描かれ、NYのホームレス事情のお勉強の教材という雰囲気が強いため、そこに絡められているジョージとマギーの父と娘の物語が浮いてしまっている感じがします。この父と娘の物語にしても、そこに至るまでの経過の描き方が薄いため、迫ってくるものが感じられませんでした。

まぁ、親子関係という面でいえば、この2人の場合、作中で描かれている範囲内ではどうみても父親がダメダメで、ジョージに対して同情の余地なしという感じなので、ラストの展開には首をかしげたくなる部分もあります。父親らしかった時期もあったということなのかもしれませんが、今のダメダメ振りからは想像しにくいので、そうした過去があるという設定ならそれを匂わせる描写が欲しかったです。

もう少し、作品を動かす物語に力が欲しかったです。そこが弱かったため、ホームレスの日々をリアルに淡々と描いただけの平板で退屈な作品になってしまった感じがします。

原題は"Time out of mind"。ずっと以前からとか、太古からとかいった意味だそうですが、1997年にリリースされたボブ・ディランの30枚目のアルバム"タイム・アウト・オブ・マインド"にインスパイアされたものだとか。


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俺物語!!

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"別冊マーガレット"で、2012年1月号から連載されている川原和音原作、アルコ作画の少女漫画を実写映画化した作品。原作は未読です。

情に厚い硬派な日本男児の剛田猛男は困った人を見ると手助けせずにはいられない優しさの持ち主。スポーツ神経抜群で男子にはモテモテ。けれど、ほとんどオジサンにしか見えないごつくて大きな体といかつい顔のせいで、人助けをしても襲ってきたと勘違いされてしまうことも多く、女子には全然モテません。高校に入学して間もないある日、イケメンで性格もよく成績優秀で全女子生徒にモテモテの幼馴染で高校も同じ学校に通う砂川誠と一緒に街を歩いていた猛男は、しつこくナンパされている女子高生の大和凛子を助け出します。猛男は一目で凛子を好きになります。後日、御礼を言いたいと、凛子が猛男と誠を学校の前まで訪ねてきます。猛男は、凛子の言動を目にし、これまでの経験から、誠を好きになったに違いないと受け止め、気落ちしながらも、必死になって凛子と砂川の仲を取り持とうとしますが...。

原作では、比較的早い段階で猛男と凛子が付き合い始め、その後、猛男のライバルが登場するなどの波乱万丈があり、現在も連載が続いているとのこと。本作では、その原作の冒頭部分である猛男と凛子が出会った後の擦れ違いのアレコレが描かれています。どの程度、原作通りのストーリーになっているのかは分かりませんが、あまりに典型的なラブコメで、予想通りに展開していくベタベタな擦れ違いと胸キュンな"美女と野獣物語"がコミカルにテンポよく表現されていて、笑わされ泣かされながら、最初から最後までしっかりと楽しめました。特に、クライマックスの誠のLINEによるメッセージで、猛男が凛子の気持ちに気付いていく流れには、泣かされました。

まぁ、凛子の真意に気付かない猛男のあまりの鈍さは、大袈裟な感じもしました。猛男は自分で自分を"頭が悪い"と言っていますが、成績優秀な誠と同じ高校に入るだけの学力はあったわけで、あれだけ人助けのできる猛男なのですから人の気持ちを理解する能力は十分にあったはず。この"勘違い"の原因は過去のトラウマで、これまでの彼の経験を考えればそれも理解できる範囲でしょう。この辺り、上手く処理していると思います。凛子の健気さと猛男の純情が胸に沁みてきました。

一方、2人の傍にいる誠。猛男の気持ちには最初から気付いていたでしょうし、凛子の真意についても最初からかどうかは別としてかなり早い段階で気付いています。当然、もっとずっと早い段階で、キューピット役を果たすこともできたでしょう。作中では、一応、何度か試みた様子は見られ、その度にお約束の邪魔が入っていますが、もっと真剣に何とかしようとしても良かったのではないかと思います。2人のあまりの純情振りにその状況を楽しみたくなってしまった気持ちも分かるような気もしますが、その辺り、ちょっと意地悪な感じもして、"性格も良い"という誠の人物設定に反する感じもしました。"誠は本当は猛男が好き"という設定であれば、そこは、"可愛らしい嫉妬"と受け止められるレベルなのですが...。

そして、本作で一番印象的だったのは、猛男役の鈴木亮平。実に説得力のある演技でした。彼の存在があればこそ、これ程の面白い作品になり得たのだと思います。この猛男の存在感の大きさがあったから、これだけ笑えて泣けて楽しめたのだと思います。さらに、凛子を演じた永野芽郁の健気な可愛らしさや涙を浮かべる眼の美しさも印象的でした。

今の時期、映画館で公開されている作品に観ておきたいものが多く、本作はスルーしてDVD待ちしようとしていました。けれど、評判の高さを知り、やはり、映画館で観たくなり、映画館での鑑賞を予定していた他の作品に替えて観に行ってきました。そうして良かったです。お勧めします。


公式サイト
http://ore-movie.jp/


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FOUJITA -フジタ-

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1920年代パリ、日本人画家、フジタが描く裸婦像は"乳白色の肌"と称賛され、彼は時の人となった。一躍エコール・ド・パリの人気者となったフジタは、雪のように白い肌を持つリシュー・バドゥーと出会い、自らユキと名付け彼女と共に暮らし始めます。やがて第2次世界大戦が始まり、フジタは日本に帰国し戦争画を描くようになり...。

小栗康平監督は寡作なので、全作品を観たことがあるという人は少なくないと思うのですが、これまでに制作されている映画作品は、1981年の"泥の河"、1984年"伽耶子のために"、1990年"死の棘"、1996年"眠る男"、2005年"埋もれ木"の5作のみ。1981年から2015年の34年間で6作という少なさ。"眠る男"からは、映画館で観ているのですが、今回も、10年振りの作品ということで、映画館に行ってきました。

レオナール・フジタ(藤田嗣治)は、法律を学ぶためにフランスに滞在していた時に絵を描き始めていて、フランスで美術教育を受けているということもあるのかもしれませんが、日本でというより、フランスを始め、海外での評価が高い画家です。まぁ、日本であまり評価されていない一因としては、本作でも描かれている戦時中に陸軍美術協会理事長をしていたことや、戦争画を描いたことなどもあるわけですが、戦後、パリに戻り、1955年にはフランス国籍を取得、日本国籍は抹消し、1957年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られています。1968年1月29日、ガンのためスイス、チューリッヒで死去し、遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バルクに埋葬されています。

藤田嗣治が、パリで人気を博していた時期と日本に帰って戦争画を描いた時期を描いています。パリで日本画の技法を取り入れた絵を描いて絶賛を浴び、日本で西洋的な技法による戦争画を描いたフジタ。パリでも、日本でも、異邦人として存在したのでしょうか。その画風の違いは、裸婦と戦場という対象の違いによるのか、自分の意思により描いたかどうかの違いによるのか、描く環境の違いによるのか...。それとも、パリでも、日本でも、異邦人として存在したということなのか...。

ラストに登場する礼拝堂は、フジタが80歳となった1966年からフレスコ画を手掛けたランスにあるフジタ礼拝堂。やはり、本作にも登場する5番目の妻、君代夫人は、2009年東京で亡くなり、2003年にここに改葬されたフジタとともに、葬られています。

他の作品でも強く印象付けられることなのですが、一コマ一コマが重厚な油絵のような映像美に圧倒されました。この映像は、是非、映画館の大きなスクリーンで観たいものです。"大きなスクリーンで観るべき作品"であることが映画の最大の魅力であり、そこに映画を映画館で観る意義があるのだと思うのですが、そういう意味で、本作は映画らしい映画なのだと思います。そして、これまでの小栗康平監督作品の中でも、映像美という点で際立つ作品となっていると思います。

けれど、その一方で、物語の面白さとか、登場人物の感情表現などが犠牲にされてしまっている感じが否めませんでした。フジタの喜びや苦悩を感じ取ることはできても、その時々の感情が彼の人生においてどのような意味を持ち、彼の仕事や人生にどう影響を与えたのかといった部分があまり感じ取れないというか...。その辺りが原因しているのか、ところどころ睡魔に襲われたりもしました。

ラストに登場する礼拝堂は、フジタが80歳となった1966年からフレスコ画を手掛けたランスにあるフジタ礼拝堂。フジタは1959年にカトリックの洗礼を受けているのですが、激動の時代を生き抜いたフジタが辿り着いた心境がここに表現されているのかもしれません。最後まで連れ添った5番目の妻、君代夫人は、2009年東京で亡くなり、2003年にここに改葬されたフジタとともに、葬られています。

オダギリ・ジョーが良かったです。これまで、あまり好きな俳優とは言えなかったのですが、これまで気になっていたヘンに肩に力が入った感じがなく、実に自然に藤田嗣治としてそこに存在していた感じがしました。

映画館で観て良かった作品であることは間違いありませんが、面白い映画だったかというと微妙な感じです。


公式サイト
http://foujita.info/


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コードネームU.N.C.L.E.

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1960年代、アメリカで制作され、日本を含む世界各国で放映されたTVドラマ"0011ナポレオン・ソロ"を元にした映画作品。TVドラマは未見です。というより、生まれる前か覚えていない時期の放映ということになるかと思います。

東西冷戦の最中の1960年代前半。国際犯罪組織が核兵器を開発するためにドイツ人科学者、テラー博士を引き入れたとの情報を得たCIAは、行方を掴めなくなっているウド・テラー博士の居所を探ることを敏腕エージェント、ナポレオン・ソロに命じます。ソロは、テラー博士について情報を持っている可能性のある娘、ギャビーがいる東ベルリンを訪れます。自動車の整備士をしているギャビーと接触したソロは、彼女の協力を得られることになり、彼女を連れて西ベルリンに向かいます。ところが、東ベルリンに入った時からソロを尾行していた人物がいました。その相手は、KGBのスパイ、イリヤ・クリヤキンで、執拗に追跡されますが、やっとの思いで振り切り、西ベルリンに逃れます。ところが、クリヤキンとコンビを組んで、国際犯罪組織が開発したと思われる核弾頭と核兵器に関する情報が収められたディスク(というよりテープの時代。登場する記憶媒体もどうみてもテープですし...。)の回収の任務によう指示され...。

1960年代という設定が良かったと思います。何だかやけに大きい感じの盗聴装置とか、古さが感じられる通信機器とか、生体認証系の技術が誕生する前の施錠システムとか、全体にアナログな感じが漂いますが、こうした映画作品で、あり得なさを左程気にせずにドキドキハラハラを愉しむためには、この位の科学技術レベルが程よいのかもしれません。

設定はなかなか面白かったと思います。アメリカもソ連も、それぞれに大国として存在し、互いに対立していたわけですが、まだまだ核兵器を持つ国が少なかったこの頃、"核保有国"として利害が一致する局面があったのは確かでしょう。そして、この2カ国は、きちんと管理能力があって、(遵守するかどうかは別として)一応のルールを気にしている国が核を持つならともかく、その点で安心感を持てない相手が核を持つことの恐ろしさを本当の意味で理解できる数少ない国の一つであったことも確かでしょう。なので、事実かどうかは別としても、こうした"協力関係"というのが、リアルに感じられます。

アクションもありますが、派手になり過ぎず、大掛かりになり過ぎず、程よくバランスが取られていると思います。ただ、全体的にオシャレ感を出そうとし過ぎたのか、全体にアッサリとして、物語も浅くなってしまっている感じもします。それでも、あまり何も考えず、サラッと楽しむには手頃な作品だと思います。

ギャビーが分かりやすく怪し気だったり、割に早い段階でギャビーが何者について大きなヒントが示されたりといった親切過ぎる場面もありましたし、ソロが捕らえられる場面の彼の行動は、本人も言っていますが、あまりに無用心。これまで小説やドラマや映画の中で繰り返されてきたシーンでもあり、勧められた時点で怪しいと考えるのは、基本中の基本なのではないかと...。そこは引っかかるものもありましたが、全体としては気楽に楽しめる物語になっていたと思います。

ラストを観ると続編があるような...。というより、続編を作ることが前提となっているとしか思えないラスト。取り敢えず、最初の続編は観ようかなぁと思います。


公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/codename-uncle/


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ゼロの未来

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ゼロの未来 [DVD]/クリストフ・ヴァルツ,デヴィッド・シューリス,メラニー・ティエリー
¥4,536
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近未来の世界。孤独な天才プログラマー、コーエン・レスは、コンピューターで世界を支配するマンコム社で、「エンティティ解析」の仕事をしていました。彼は人生の喜び、探している答えを教えてくれる電話がかかってくると信じ、その電話を待ちわびていました。会社の代表取締役であるマネージメントに面会するため、上司のジョビーが開催したパーティに出席したコーエンは、マネージメントに会い、より生産性が上がり、人生の意味を教えてくれる電話を逃すリスクもないとして、在宅勤務をしたいと要求し、認められます。コーエンは自身が住む荒廃した教会にこもって仕事を始めます。新しい仕事は、「ゼロ」という謎の数式を解読することでしたが、何カ月かけても答えは一向に見つかりません。やがて、そのストレスがピークに達し、仕事で使用していたスーパーコンピューターを壊してしまいます。そんな時、ジョビーのパーティーで会った女性、ベインズリーが彼の元を訪ねて来ます。最初は戸惑うコーエンでしたが、次第に彼女に惹かれていきます。また、同じ頃、「ゼロ」の秘密を知る青年、ボブとも出会い...。

近未来の世界の街の風景やコーエンの住む古びた教会、勤務する会社、インテリア、人々の服装...。全てが思い切り派手で、賑やかでした。あまりに情報量が多く、その映像を観ているだけで疲れてきます。意味ありげで、意味無さげで、未来というよりはアンティークな感じがする既視感のある背景。特に、電話。今だって、電話なんてどこにいても受けることができます。既に、携帯電話もあるし、固定電話にかかってきても転送できるのですから。近未来なら、なおさらのこと、電話を自宅で待つ必要などないでしょう。何が何だか良くわかりません。で、その賑々しさに反して、そこで繰り広げられる物語は地味というか、古典的というか、ありきたりというか...。特にやり甲斐や意義が感じられるわけでもないけれど、取り敢えず与えられた仕事は黙々とこなすコーエンは、近未来の人ですが、イマドキの社畜サラリーマンのよう。このアンバランスが、心地悪さの一番の原因なのではないかと思います。

"コンピューターに支配され、人間が本来の自分を見失う未来"というアプローチからは、もう卒業すべきなのではないかと...。もっと前、20年とか、30年とか前なら、ネットとは関係ないところで不自由なく生活できたかもしれませんし、ネットのない世界に戻れたかもしれません。けれど、今、それは不可能でしょう。目指すべき方向性は、コンピューターやネットなら離れるということでなく、上手く折り合いをつけるということにならざるを得ないのではないかと...。

「『ゼロ』という謎の数式の解読」と言いながら、他の数字とは違うゼロという数字の特殊性やそこに感じられるある種の魔力のようなものがあまり伝わってこなかったところも期待外れ。その"「ゼロ」へのこだわり"が、どうも中途半端で、そのために、コーエンの本気度やその反応としての狂気も宙ぶらりんになってしまっている感じがしました。

コーエンの住む場所が、荒廃した教会というのは、教会がもう人々が心を寄せる場所でなくなっているということなのでしょうか。そんな場所にしがみついて電話を待つコーエンは、ひたすら神の声を待つ迷える子羊なのでしょうか。神がいなくなった教会で、神の声を待つ彼を監視するのは、キリスト像の本来頭があるはずの場所やマリア像の眼があるはずの場所に会社により備え付けられたカメラ。神の支配を逃れ、会社の奴隷となったイマドキの人間の姿がそこにあるということでしょうか。

結構な監視社会なのですが、不思議と暗さが感じられず、人々が抑圧を感じていない様子だったり、監視に抵抗しようとしていないのは、監視されることにすら馴らされてしまっているということなのかもしれません。コーエンも、結局、脱出はできない...ようですし...。逃げられる先なんてそうあるものではなく、自分の夢の中にでも逃げるしかないってことでしょうか...。それでも、上手く逃げられたらメデタシメデタシってことなのでしょうか...。誰とも繋がれない孤独を癒そうとするかのように一人称として"我々"という言葉を使うコーエンが、"私"というようになった時、孤独を受け入れることができたのかもしれません。他人と繋がることで孤独が癒され幸せになるのではなく、自分の孤独を受け入れることで幸福を得られるということなのでしょうか。

分かったような分からないような、中途半端なままに終わってしまいます。映画作品として魅力的な作品とは思えませんでしたし、楽しめたかというと、かなり微妙でした。


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トラップ

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トラップ [DVD]/パスカル・エルベ
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2カ月後には帰国する予定のデニスの部隊は、戦地から基地に戻る途中でゲリラに襲撃され、壊滅的な被害を受けます。生存者はデニスとムラートの2人だけ。銃撃戦を制した2人は、敵の潜んでいた場所を調べ、大量のヘロインを発見します。それを自分のものにしようとするムラートと、軍に通報しようとするデニスは対立。争ううちに、デニスは地雷を踏んでしまい...。

砂漠に一人取り残され、動くこともできない状況に追い込まれた兵士がどうなるか...という作品なのですが、意外に"一人"ではありませんでした。まぁ、大量のヘロインと人質を残しているのですから当然ですが、ヘロインや人質を取り戻しにやってくる人々がいるわけです。とは言え、そうした人々とは言葉が通じないようで、状況を打開するための助けを得ることはできません。一方で、何故、彼らはデニスを放置したのかという疑問も残ります。あの状況で一人ぽつんと立っているデニスを見れば、何かが起こっていることは想像できるでしょうし、地雷に気付くことも難しいことではないでしょう。デニスの生き死にに特別な感情がないのなら、安全な場所まで移動して射殺するという方法をとることができたわけです。何故、それをしなかったのか...。

ラストに登場するゲリラ兵も無用心。もっと警戒心を持ってデニスと対峙すべきではなかったかと...。どうも、デニスの周囲に現れる人々には、デニスに対する警戒心が薄いようで、そのために、本来、かなりスリリングな状況であるはずなのに、今一つ緊迫感が感じられません。いつ何が起こるかわからないドキドキハラハラ感が、こういった作品の醍醐味だと思うのですが、その肝心なところが浅くなってしまったために、ツマラナクなってしまったのだろうと思います。

自宅に残してきた妻に電話する場面は良かったと思います。平和な故国と戦場との落差を実感させられ、妻への愛情と思い遣り、妻との絆から湧き出る生への意欲といったものが伝わってくる印象的な場面でした。何気ない風を装う夫の異変を感じ取っている妻の様子にも、夫婦の深い繋がりが感じられます。

この場面を中心に据え、思い切りハラハラな緊迫場面2パターン、助かる可能性が感じられる場面1パターンを絡ませ、ラストにもう少し捻りがあれば、もっとずっと面白い作品になったのではないかと思います。残念な作品でした。

地雷の上に取り残されたというシチュエーションで思い出される映画に「ノー・マンズ・ランド」という作品があります。ここには感想を書いていませんが、かなり前に観ています。ボスニア紛争が題材になった作品で、塹壕に倒れていた兵士を死んでいるものと勘違いした敵兵が、彼を地雷の上に移動させたことから巻き起こる騒動が描かれます。あれこれあって、兵士は地雷の上に置かれたまま一人その場に取り残されてしまうのですが、スリリングな展開があり、笑いがあり、戦争の愚かさを実感させられ、実に印象的な作品でした。

その傑作と言うべき作品と比較してはいけないのかもしれませんが、残念な作品でした。


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