『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』 [DVD]/松竹
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現代ヴァンパイアのヴィアゴ(379歳)、ディーコン(183歳)、ヴラド(862歳)、そしてピーター(8000歳)は、ニュージーランドの首都ウェリントンで共同生活を送っていました。夜な夜な楽器演奏会やセクシーダンスをして過ごし、たまに郊外に飛んでいっては馴染みのパブで遊び狂う、なんとも愉快な毎日。けれど、そんなある日の夜、ピーターが大学生のニックをうっかり甘噛みしてしまい、ニックをヴァンパイアに変えてしまいます。さらに、ニックが真っ赤なほっぺの親友で人間のスチューをシェアハウスに招き入れてしまい...。

どこかで見たことのあるようなヴァンパイアたちのどこかで聞いたような物語が描かれています。ドキュメンタリー風に仕上げたところがミソ...なのかもしれませんが、そこは外してしまっているような...。

スチューのキャラクターは面白かったです。普通だったらビックリ仰天、パニック間違いなしの状況でも平気の平左。とても冷静です。驚くだけの余裕もないという感じでもありません。で、仕事で培ったワザを時代に追いついていないヴァンパイアたちに伝授し、空手まで指導し...。このスチューのキャラクターがもっと描きこまれていたら、作品に柱ができて、散漫な感じが薄れ、もっと面白くなったかもしれません。

90分に満たない短い作品でしたが、内容が薄いためか、途中で飽きてしまいました。"狼男"は蛇足、ヴァンパイアの物語に専念し、個々のキャラクターをもっと丁寧に描いた方が物語に厚みが出たのではないかと...。

コメディといえばコメディなのでしょうけれど、今一つ、素直に笑えないのは、本作がニュージーランドの映画で、やはり、日本人な私にはその笑いの感覚が理解できないせいなのかもしれませんが、コメディとしても、中途半端な感じがしました。

全体的にユルくて、軽くて、ショボくて、その割には血みどろな感じ。レンタルのDVDで何かしながら軽く楽しむには悪くないかもしれませんが、それでも、旧作価格になってからで十分ではないかと...。


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世界一美しいボルドーの秘密

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世界一美しいボルドーの秘密 [DVD]/ラッセル・クロウ,フランシス・F・コッポラ,ロバート・パーカー
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由緒あるボルドーの知られざるワインビジネスの真実と、ワインに魅入られた人々に迫るドキュメンタリー。

これは、邦題の問題なのだとは思いますが、秘密でも何でもありませんでした。ボルドーワインの魅力や味の秘密、生産者の努力のあれこれ、熱い想いなどに迫る作品を予測していたのですが、もっと現実的というか、基本的には"商売"の話でした。もちろん、良いワインの生産を続けていくためには、より良いワインを生産するための環境や機材を整える必要があるし、生産者が自分たちの仕事に専念できるための経済的な基盤が必要なワケですから、コストに見合った収入が不可欠だということは分かるのですが...。

原題は"RED OBSESSION"。"赤(ワイン)に憑りつかれた"という意味です。ワインの味に憑りつかれているわけではありません。富を生む手段としてのワインに憑りつかれているのです。そして、本作で憑りつかれた人々として描かれるのが大きな富を手にした中国人たち。

後半では富を手にした中国人たちがワイン市場を席巻する様子が描かれますが、ワインが投機の対象となったのは最近の話ではありません。そして、当然のことながら、生産する側にも、より高く売りたいという気持ちはあるわけです。けれど、高く売れればそれだけで良しということでもなく、人が飲むためのものを生産している以上、より美味しく飲んで欲しい、楽しんで飲んで欲しいという情熱もあり、その思いが、生産へのモチベーションを支えていることも事実。"儲けたい"という欲と"味をよく理解してくれている長年の顧客に楽しんでもらいたい"という想いのせめぎあいがそこに見えてきます。

中国マネーに揺さぶられながらも、"そんなものに蹂躙されはしない。そんなもののために潰されることはない。"という世界有数のワインの生産地としての歴史を築いてきたボルドーのプライドも感じられます。何世紀もの激動の歴史を潜り抜けてきた彼らにとっては、世界に衝撃を与えている中国マネーも恐れるほどのものでもないということなのでしょうか...。。フランス人のものだったボルドーワインの市場にアメリカ人が登場し、日本人が現れ、そして、中国人が姿を見せる。アメリカでもワインが生産されるようになり、日本でも、中国でもワインが生産されるようになる。その変化の中でボルドーは生き残ってきたという自負も垣間見られました。

"美しい"とか、"秘密"とかいうのではなく、今の世界における中国の存在感、その勢いを描いた作品でした。様々な場面で存在感を増している中国。その存在感は、ワインの世界でも大きくなっている現状が見えてきます。

ワインを扱った作品であるにも拘わらず、本作を観てワインを飲みたくなる感じでもないところは何とも残念。ワインの映画としてではなく、世界経済のニュース映像として観るべき作品でしょうか...。


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ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実 [DVD]/出演者不明
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アメリカにとって初めての負けた戦争とも評されるベトナム戦争。その戦争が、なぜ起こり、アメリカはそこで何をしたのか。政治家たちが語る大義、最前線から帰還した兵士の証言、戦死した兵士の家族の哀しみ、村を焼かれ、子どもを殺された人々の叫び...。様々な証言や取材映像、ニュースフィルムによりベトナム戦争の真実に迫ったドキュメンタリー。

多くの場合、戦争は大義のために始められます。やはり、武器を使って人を殺すということは生易しいことではありません。いくらある国を征服したいと考えたところで、大義名分のない中で、大量殺人兵器を駆使して人間を殺しまくることは難しいものです。だから、戦いを仕掛ける時も、"防衛"だと屁理屈を捏ねたり大義を作り出したりする必要に迫られるのでしょう。

悪であるベトナムを"退治"しているつもりだったアメリカが、如何にアジアをベトナムを見下し蔑んでいたかということも見えてきます。黄色い猿だの、理解できない東洋人だの、好き勝手言っています。ベトナムが単なる"敵"である以上に、"下等な人間"として認識されていたのでしょう。ただ、一方で、そこまで相手を悪として、下等な存在として規定しなければ戦いを維持できないのだとすれば、それは、"相手を同じ人間だと認識してしまえば、そう簡単に殺すことなどできない"ということを示していることにもなます。普通の若者を兵士とするために鍛える時、まず、人格を否定することから始めるのも、そうでもしなければ、"命令により躊躇いなく敵を殺す優秀な兵士"にはなり得ないからなのでしょう。

欧米の白人の国に対しては使わなかった兵器を使い、採用しなかった作戦を用い、徹底的に銃弾を撃ち込み、爆弾を落とし、殺戮を繰り返しました。圧倒的な武力や経済力の差が背景にありました。けれど、それでも、アメリカは負けました。何とか、勝ったと言いくるめようと、"大本営発表"を思わせるような情報操作が行われ、"戦勝パレード"までしていますが、やはりどう考えても"負け戦"。優れた知性を持ち正義感旺盛な世界の警察たるアメリカが、悪の権化である黄色い猿に負けたことを認めることが簡単なことでないことは分かります。日本の歴史を振り返っても、同様の状況があるわけで...。

本作は1972年から1974年に製作されていますから、ベトナム戦争が終結する1975年より前に製作されたということになります。現実に戦争が行われている最中の作品ということになるのですが、特定の立場の人に偏ることなく、かなり幅広い立場の人々が登場します。権力の側にあって積極的に戦争を拡げていった者で、勝てるはずだったという想いを捨てきれない者、過誤を認め反省する者。兵士として戦い英雄となった者、心身に大きな傷を負った者、戦いを忌避して脱走した者。破壊の中で身近にいた愛する相手を失った者。住まいや財産、家族を奪われた者。その後も長く続く苦痛を与えられた者。

ある者にとっては、ただ奪われるだけの場であり、ある者にとっては、獲物を狩る場であり、正義を行う場であり、金儲けをするための市場であり、開発した兵器を実験する場であり、権力を誇示するための場であり...。視点を置く場所によって、同じ場が全く違うものに見えてきます。

そして、ベトナムvsアメリカの戦いではあっても、ベトナム側、アメリカ側、どちらも、一枚岩ではありません。それぞれの中に複雑な利害関係が生まれ、そのことで戦争は複雑になり、泥沼化していきます。アメリカが信じていた(あるいは信じたがっていた)ように、"アメリカ=善、ベトナム=悪"ではないことは自明ですが、だからといって、完全に"アメリカ=悪、ベトナム=善"とも言い切れない面もあります。本作は、その辺りもバランスよく描いています。

ベトナム戦争に至る経緯や背景もポイントを押さえて描かれていて、特に予備知識を持たずに観ても分かりやすいと思います。基本的には反戦の立場で描かれた作品だと思いますが、ただアメリカを糾弾するだけの内容にはなっていませんし、極端な平和主義にも立っていません。冷静に事実を描きながら、感傷に訴える場面も入れられています。いろいろな意味で、極端に偏らず、全体にバランス良く纏められていると思います。

アメリカにとってあまりに不都合な歴史をここまで広い視野から俯瞰することができるのは、そして、それを広く公開することができるのは、それでも、まだ、アメリカの民主主義が機能している証拠といえるのでしょう。1974年12月にアメリカで特別上映され、政府の政策補佐官が上映差し止め要求を裁判所に提出したそうですが、最高裁が上映を認め、1975年1月に一般公開されるという経緯を辿っています。果たして、私たちは、こんな風に第二次世界大戦を振り返り、描き、公開することができるのか...。

非常に優れたドキュメンタリー作品だと思います。いろいろな意味で、人間の残酷さや醜さと善き未来を拓く力を感じさせてくれる作品でもあります。目を背けたくなるような映像もありますが、それでも、特に、戦争の気配が色濃くなりつつある今の日本にいる私たちにとって、一度は観ておくべき作品だと思います。


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天空からの招待状

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天空からの招待状 [DVD]/日本語版ナレーション:西島秀俊,オリジナルナレーション:ウー・ニエンジェン
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政府の航空写真家として20年以上航空写真を撮り続けてきたチー・ポーリン監督が、全編空撮という手法を用いて台湾の今を捉えたドキュメンタリー。フォルモサ(麗しの島)と呼ばれる美しい自然や工場排水が流れる河川など、台湾の様々な姿を映し出します。

成程の映像美でした。けれど、本作は、その美しい自然を堪能するためだけの作品ではありません。その美しさが破壊されている現状が合わせて描かれます。生活排水、工場排水で汚染される水、夥しい量のゴミに埋められていく土地、削り取られていく山...。その結果として、被害が大きくなっていく自然災害。

人々がいかに自然を破壊しているかが生々しく描かれます。そして、見る人が見れば、誰がどこで何をしているのかをはっきりと見て取ることができる程しっかりと映されます。本作の映像に感じられる力は、こうした"大人の事情"など気にしない大胆さに支えられているのかもしれません。

自然の中から生まれてきたはずの人間が、自然を大きく破壊していく様子が描かれます。まぁ、自然破壊は人間の専売特許ではなく、多くの生命は、自身の生存のために、周囲の環境に何らかの変化を与えるもの。問題は、その規模とスピードなのでしょう。自然には自ら回復する力があり、その力を超えない範囲で環境に負荷を与えている分には、環境問題など気にすることもなかったのでしょう。

増えすぎた私たち。皆が健康的に生きていくためには、自然から得られる食料や生活必需品の分配を余程うまく工夫する必要があるのだと思います。そしてそのためには、"欲しものをその経済力によって自由に得る"という考え方から脱する必要があるのだと思います。それが私たちにできるのか...。相当に難しい問題だと思います。

ラストにちょっとした希望が描かれますが、とって付けた感は否めませんでした。それでも、何もしないよりはマシってことかもしれませんが...。

映画作品としての纏め方には粗さも感じます。メッセージの伝え方も直球過ぎて環境保護団体の広報のようにも思えてしまいます。そして、"人間が自然を破壊した結果生まれた醜い光景"すら美しく感じられてしまうという点。弛まぬ努力により自然の力と闘いながら山を切り開いていった人間の力の芝らしさすら感じてしまいます。現代の私たちは、古代の人間が作った建造物が含まれる風景を美しく感じます。ピラミッドだって、ナスカの地上絵だって、モアイ像だって、それが造られる際には自然が破壊されたことでしょう。

単純に"自然破壊=悪、自然保護=善"とは言い切れないところに問題の根深さがあるのかもしれません。その辺りにまで迫り切れていないところに本作の弱さがあるのかもしれません。


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野火

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大岡昇平の同名小説を映画化した作品。原作はかなり前ですが読んでいます。同じ小説が、1959年にも市川崑監督により映画化されていますが、そちらは未見です。

日本軍の敗戦が濃厚になってきた、第2次世界大戦末期のフィリピン、レイテ島。1等兵の田村は、肺を病み、部隊を追われて野戦病院へと送られてしまいます。けれど、病院は多くの負傷兵を抱えている上に食料も足りない状況で、そこからも追い出されてしまいます。病院に行けば部隊に戻れと言われ、戻れば、病院に行けと言われ、どちらにも戻れなくなった田村は行くあてもなく島を彷徨います。空腹と孤独により、精神と肉体を衰弱させていく田村でしたが、やがて、同じように敗走する日本兵と出会い...。

登場人物の多くが兵士で、舞台となっているのは戦場なはずなのですが、戦争をしているシーンは僅かでしかありません。田村が一目見れば敗残兵であることが分かる身なりをしているので、観る者は、本作が戦場を舞台にし、兵士を主人公にしている作品であることを認識することができます。けれど、何の戦争が描かれているのか、どこで誰と誰が戦っているのか、戦況がどうなっているのか...といった説明はほとんどなされず、観る者も、田村とともに密林を彷徨うことになります。

そこには滴るような緑が広がり、色とりどりに花が咲き誇り、水の流れもあります。豊かな自然が広がっているのですが、映像を観ていて、締め付けられるような閉塞感に襲われます。田村がどこへ向かっているのか、どこまで行けばこの地獄から逃れられるのか、先にあるものが見えてこない不安からなのかもしれませんが、密室に監禁されているような感覚に襲われました。

生きようという意志のもとに行動していると言うより、ただ、生き物としての本能に支配されながら、先の見通しもなくただ"今"を生きることのために蠢いているように思えてくる田村の行動は、戦争というものの虚しさを伝えています。勝利するための行軍ではなく、戦うための歩みでもなく、ただ生きるため、食べるために彷徨う日々。日本軍が、如何に戦力を浪費したか。アメリカ軍に殺される前に、日本軍の上層部の無能さに殺された兵士たち。背景に、将来のある若者たちを無理やりかき集め、必要な食料や装備も与えずに戦地に送り込みながら、彼らの生命に何の責任も持とうとはしなかった大日本帝国の姿が浮かび上がってきます。この戦いに対する真摯な反省と冷静な振り返りがないままに軍事力を増強して、果たして、日本は、"強い国"になれるのか...。

実際、レイテ戦では、戦場に送られた日本兵の9割、約8万人が戦死しています。レイテ島への輸送途中に受けた敵襲で命を落とした者も多く、病死者、餓死者も多かったとのこと。本作で描かれるように、戦争ができるという状況ですらなかったのでしょう。

戦争をするには、多数の兵士と兵士が活動するための食料や装備が必要で、その戦いを支えるための兵器や兵器を動かすためのエネルギーが必要となります。少子化が進んでいて、食料自給率もエネルギー自給率も低い日本が戦争をして国を守れる可能性がどれ程あるのか...。外交手腕を磨いて戦わない道を探ることでこそ、国と国民を守ることができるのではないかと...。少なくとも、自衛隊を戦場に送る環境を整える前にすべきことがあるのではないかと...。

様々な問題があったことも事実ですが、それでも、日本の政府は、国民を直接、戦場に送ることはしませんでした。70年に亘って国民を戦死させずに来たということは高く評価されるべきことですし、国家として誇るべきことだと思います。そして、それを成し遂げてきたという実績によってこそ、国際社会に貢献できることもあるのではないか...、日本が国家として生き残れる道もあるのではないか...。

上映時間87分。90分に満たない作品ですが、その濃厚さ故か、もっと長く感じられました。血が飛び内臓が飛び出す以上の映像もあり、目を逸らしたくなる場面も多く、実に重く苦しい作品でした。けれど、それでも、今のこの時期だからこそ、観るべき作品だと思います。


公式サイト
http://nobi-movie.com/


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ルック・オブ・サイレンス

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インドネシアで起きた大量虐殺事件の加害者たちを追った"アクト・オブ・キリング"についての感想をここに書いていますが、本作は、同じ事件を被害者の側から捉えた作品となっています。

1960年代のインドネシアで秘密裏に行われ、100万人とも言われる多くの命が奪われた大量虐殺事件。眼鏡技師の青年、アディは、自分が生まれる前に兄が惨殺されたことを知り、さらに加害者たちがインタビュー映像でその模様を喜々として語る姿にショックを受けます。加害者たちがどのような思いで殺りくに手を染めたのかを知りたい、罪を犯したことを自覚させたいと考えたアディは、ジョシュア・オッペンハイマー監督とともに彼らと会うことを決意。視力検査を名目に、彼らと会い、彼らから真実を引き出そうとしますが...。

"加害者"たちの反応には驚きも感じました。けれど、考えてみれば、自然な反応なのかもしれません。彼らは、国家に害をなす敵を数多く退治した英雄なのですから。彼らは、その行為について、称賛されることはあっても、非難されることがあるなどとは思ってもいなかったことでしょう。まして、本作の監督はアメリカ人。"加害者"の「アメリカのために共産主義者を殺した」という主旨の発言も登場しますが、この虐殺の背景には、明確にアメリカの意思が働いていて、監督は、その自分たちを支援し、自分たちを英雄視した側の国の人間なのです。それが、非難される立場に立たされれば、戸惑いもするでしょう、苛立ちもするでしょう、怒りもするでしょう。彼らの側からすれば、"監督に裏切られた"という気持ちは強いでしょう。まして、最初からこの虐殺事件を扱うという前提だった前作とは違い、本作は、視力検査の名目でコンタクトを取っているのですから、その部分で"騙された"という気持ちも抱いたことでしょう。

それでも、自分たちが殺した相手が単なる"国家転覆を目論む自分たちの敵である共産主義者"であった時は、その敵を如何に酷い形で苦しめ、殺したかということを得々と語っていた人物が、それが目の前にしているアディの兄だと知った時には、その所業を否定しようとしたり、命令に従っただけだと責任転嫁したり...。信じられない程、残虐な形で人を殺した彼らですが、その殺した相手が目の前にいる人間の身内だと知って平静でいられる程の悪人ではないのです。

共産主義者が如何に極悪非道であるかを力説するのも、それ程のレベルの悪であるとしなければ、そう簡単に殺せるものではないということでもあるのでしょう。特別に精神的な異常を抱える場合ならともかく、人が人を殺すということは、そんなにハードルが低いものではないはず。(と思いたいものです。)

私たちには理性というタガがあり、基本的に、通常の状態の中で同じ種である人間を殺したりはしないものです。けれど、相手を極悪非道の敵と決めれば、思いの外、残酷になるもの。それ相当の理由が与えられれば、天使にも悪魔にもなれるのが人間なのかもしれません。そして、ある状況の下で悪魔になるのは、本作に登場する加害者たちだけではなく、私たちにも起こり得ることなのです。本作で一番恐ろしいのは、良くも悪くも、人間は状況や環境により大きく変わる可能性があり、平時にはごく当たり前の人でも、非常時には、非道な殺人鬼になるかもしれないし、私たちにもその可能性があるのだということかもしれません。ごく一部の極悪人による行為だと片付けられるのであれば、私たちには無関係なことして安穏としていられます。けれど、そうではないのです。

そして、アディに対する加害者たちの態度も印象的。アディに対して罪悪感を抱く人もいますが、それでも、かつての行為についてできるだけ簡単にカタをつけようという方向に走ります。やはり、足を踏んだ側が、踏まれた側の心情を理解するのは、相当に難しいことなのでしょう。

エンドロールに"ANONYMOUS(=匿名)"という表示が目立ちます。彼らは、本作に関係していることが知られれば、害を被るかもしれない状況にあるということなのでしょう。エンドロールに次々に登場する"ANONYMOUS"という単語に、改めて、この問題の根深さを実感させられました。

殺害の場面についてかなり具体的に説明されますし、それが、相当に酷かったりもして、観終えてからも嫌なイメージが頭から離れなかったりもするのです。そして、自分たちを"裏切った"監督を非難する加害者たちに対し、監督が何を感じ、どう対応したのかについても触れられていないところに物足りなさも感じますが、それでも、一度は観ておくべき作品だと思います。


公式サイト
http://www.los-movie.com/


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雪の轍

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世界遺産カッパドキア。父から遺産として、多くの不動産を受け継いだ元舞台俳優のアイドゥンは、貸家や貸店舗など膨大な資産の管理は弁護士や使用人に任せ、その資産の一つである"オセロ"というホテルで、若くて美しい妻、ニハルと、離婚して出戻ってきた妹、ネジラの3人で、悠々自適の生活をしていました。ある日、使用人の車で移動中、一人の少年に石を投げられ、車の窓が割られます。その少年は、家賃の延滞でトラブルになっていた父の代からの借家人、イスマエルの息子。滞納していた家賃の代わりに家財を没収された際、父のイスマエルが、執行官と揉み合いになり、殴られたことを恨みに思っての行為でした。その頃から、ニハルやネジラとの間に燻っていた感情が露わにされるようになり...。

洞窟を利用した造型が特徴的なホテル、"オセロ"。宿泊客がほとんどいなくなるという冬に入りかけているせいか、本作に登場する宿泊客は、バイクでの気ままな一人旅をしている青年と、何故か日本人カップルの2組、3人だけな様子。このホテルの造型が魅力的で、泊まってみたくなります。

で、舞台は風光明媚な観光地(イエ、実際、映像は美しいのですが...)のはずなのですが、季節柄なのか、寒々として作品を包む雰囲気も重く、息苦しいものとなっています。

人は自分がされたことを理解することはできても、人にしたことを理解するのは難しいものなのかもしれません。登場人物たちの間で遣り取りされる言葉の虚しさは、醜悪でもあり、哀しくもあり、時には、滑稽でさえありました。

アイドゥンは、決して悪人ではありません。家賃を払えない借家人に対しても、特に酷いことをすることもなく、十分に合法な範囲で対応しています。彼に寄生するネジラやニハルに対しても、彼女たちの行動を縛ろうとはしていません。アイドゥンの財産は、父から受け継いだもの。管理も他人任せで、それを得ることについても、維持することについても、自身は何の努力もしていません。そして、父に比べて人望はない様子で、父に対するコンプレックスも抱えている様子。そういった部分が、特に悪人ではないアイドゥンに対する周囲の嫌悪を呼び起こすのかもしれません。が、そのアイドゥンの財力に頼っているネジラやニハルが、その点について非難するのもお門違い。

アイドゥンとニハル、アイドゥンとネジラ、ニハルとネジラ。それぞれの間で会話が続けられ、多くの言葉が行き交い、時には、かなり辛辣な言葉が遣り取りされます。けれど、誰もが、相手と真剣に向き合おうとはしていません。互いに歩み寄ろうとか、相手を理解しようとか、相手の考え方を受け入れようとか、相手の気持ちに寄り添おうとか、そういった方向には行かないようです。アイドゥンは、ニハルと離れようとイスタンブールに向かい、アイドゥンの呼びかけにネジラは応えません。

ネジラやニハルに、自身の抱える問題についての自覚がないわけではありません。ネジラが必死に、自分がここにいる権利を主張するのは、結局はアイドゥンに頼らざるを得ない現状を否定したい故なのでしょうし、ニハルも、そこから気持ちを逸らすために慈善にのめり込んでいることを認めています。そして、アイドゥンを偽善者と非難したニハルは、自身も偽善を為し、相手の怒りにより初めてそのことに気付かされ、ショックを受けます。似た者夫婦なのかもしれません。そのことに気付いたからこそのラストの選択なのかもしれません。

本作に登場する人物の多くは、怒りや苛立ちを抱え、彼らを取り巻く空気は、憂鬱さを増していきます。ラストで語られるアイドゥンのモノローグ。最早、アイドゥンは、ニハルに言葉を伝えようともしていません。けれど、モノローグで語られた彼の想いの通りに彼が行動するのなら、彼の想いはニハルに伝わるのかもしれません。初めて相手に寄り添おうとした言葉が、相手に伝えらえないというのも皮肉な感じがしますが、そこに人間の難しさがあるのかもしれません。

人が人を理解することは簡単ではありません。傷つけ合った者たちが赦し合うこともかなりの困難を伴います。かつては確かにあったはずの愛を取り戻すことも難しいものです。そんな難しさを抱えた人々を閉じ込める雪が、まるで、彼らの中に溜まっていく鬱屈を象徴するかのように降り積もります。けれど、雪はいずれ解けるものでもあります。冬来たりなば春遠からじ。理解し合うことも、赦し合うことも、愛を取り戻すことも、不可能でもありません。アイドゥンとニハルの間にも、そう遠くない先に春が来るのかもしれません。

全編196分。3時間を優に超える長編。映画館に観に行くかどうか、かなり迷ったのですが、意外に、長さを感じずに観ることができました。観に行って良かったと思える作品でした。


公式サイト
http://bitters.co.jp/wadachi/


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神は死んだのか

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神は死んだのか [DVD]/シェーン・ハーパー,ケヴィン・ソルボ,デビッド・ホワイト
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大学に入学したばかりのジョシュ・ウィートンは、ニーチェ、カミュ、フロイト、チョムスキー等の無神論者を信奉する哲学クラスのラディソン教授に信仰心を試されることになります。授業の初日から、"God is dead." 、神の存在を否定する宣言書を提出するよう生徒に強要するラディソン教授。絶対に単位を落としたくない学生たちは言われた通りに書いて提出しますが、ジョシュだけはどうしても受け入れられず、拒否します。そんなジョシュにラディソン教授は"ならば神の存在を全生徒の前で証明しろ"と迫り...。

ある意味、とてもアメリカ的な作品だと思います。元々が、信仰の問題からイギリスでの生活が困難になり、故国を出た人々が建設した国家です。そして、そんなアメリカの中でも一定の勢力を持つ福音主義においては、聖書の権威、キリストの処女降誕、復活、再臨、個人的救い(回心、新生)が信じられています。そして、福音主義の中でも保守的な立場をとり、聖書無謬を信じる根本主義者の多くは歴史的に認められてきた創造論を追認し、近代に登場したチャールズ・ダーウィン以降の進化論を聖書と矛盾するものとして退けています。まぁ、根本主義に分類されない教派にも、創造説を支持するものがありますが...。公教育で創造説あるいは進化論を教える是非が根本主義者によって裁判で問われ、一部の州では創造説を教えることが義務付けられています。科学の研究においても最先端の実績を誇る国で、かなり割合の人が進化論を否定し、創造説を信じているという事実。こうした面でも相当の格差があるくいだということになるのでしょう。

なので、こうした作品が生み出されるのも分かる気はします。"世間の無理解"に飲み込まれることなく、様々な妨害に屈することなく、正面から神のために戦い不利な状況を逆転して勝利する物語を大切にしたい人が相当数存在するのでしょう。

けれど、本作の物語にはかなり無理があります。ラディソン教授の描き方もかなり極端だし、彼に対する悪意が感じられます。神を否定する人間ということで醜悪に描きたかったのでしょう。いくら、自分が無神論だからといって、学生に神を否定することを強要するというのはあまりに極端。大体、イマドキ、大学の講義の内容などについては、事前にきちんと説明がされているはずだし、いきなり宣言書を出せなんてことが通るとは思えません。それこそ、訴訟問題になるでしょう。迫害を受けながらも神への信仰に真摯に向き合う善良なキリスト教徒VS非道で傲慢で専制的な無神論者といった構図には、明らかに無神論者への悪意が見られます。

基本的には、神を信じ、信仰の道を歩むことの素晴らしさが描かれますが、本作を観て、神を信じなかった人間が信仰を持つようになるかと言うと疑問があります。まぁ、それは、私が、クリスマスパーティーを楽しんだ一週間後には除夜の鐘の音を聞きながら一年を振り返り、その数時間後には初詣に行くことに対して特に問題を感じない日本で生まれ育った人間だからなのかもしれませんが、本作の曖昧さを許さない極端な感じには違和感がありました。こんなものを見せられるとそれだけで、信仰を持つことが面倒臭くなってしまうというか...。そう考えると、一神教の民の強靭さを見せつけられるような感じもします。

キリスト教徒でありながら信仰に悩む人、周囲の無信仰な人間に疑問を感じている人に対しては、訴える力を持っているのかもしれませんが...。神は人々を試し、悪を罰する。神を信じないとか、ほかの神を崇拝するというのは、大きな罪。元々が、キリスト教を信仰するということは、"神を絶対的な存在と信じ、神の意の通りに生きることを約束するから、守って欲しい。"との契約を神と交わすこと。だから、ラディソン教授が罰せられるのも当然なのではありますが、やはり、八百万の神の民である私としては後味の悪さを感じます。

このラディソン教授の最後とか、イスラム女子のキリスト教改宗とか、ラディソン教授が神への信仰を認めないのと、他の宗教を認めようとしないのと、結局は同じ穴のムジナにしか思えないのですが...。まぁ、全知全能の唯一の存在である神を信じるならば、その神が森羅万象のすべてを支配していると信じることも、他の神を否定することも、当然のことなのかもしれませんが、彼らのその傲慢さは、本作の物語を信じるような人々がラディソン教授に見るものと全く同じなのだと思うのですが...。

それにしても、こうした信仰を持った人々が世界の運命を決めるための大きな力を持つアメリカの大統領を決定するに当たって一定の力を持つというのは怖ろしいことです。

登場人物の描き方も、あまりに薄っぺらな感じで、青春の物語としても面白味に欠けます。いろいろな意味でかなり残念な作品でした。それでも、アメリカという国が持つ一面や一神教というものの一端を知ることができるという意味では価値のある作品だとは思います。1000円以上の対価を払って映画館に観に行く価値があるとはとても思えませんが、アメリカや一神教の勉強のためにレンタルのDVDで観る分には"ためになる"作品だと思います。


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チャップリンからの贈りもの

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1978年のスイスで実際に起きた事件をヒントにした映画。

1978年、スイスのレマン湖の畔にあるヴヴェイという小さな町。アルジェリアから移民してきたオスマン(ロシュディ・ゼム)は、貧しく、妻の入院費の支払いもままならず、成績優秀な1人娘、サミラの"獣医になるために大学へ進学したい"という願いもかなえてやれそうになりません。そんな中、刑務所を出てきた友人でベルギーからの移民、エディのために、自宅の裏に古びたトレーラーハウスを用意してやります。ある日、チャールズ・チャップリン逝去のニュースが流れます。チャップリンに関する映像を見ていたエディ(ブノワ・ポールヴールド)はチャップリンの遺体を盗み出して身代金を取ろうと思い付き、オスマンを誘いますが...。

実話と同じなのは、チャップリンの棺が2人組の犯人により掘り出され、別の場所に埋められ、遺体と引き換えに金の要求があったという点。で、実際の犯人の2人も、本作の2人のようなドタバタなコンビだったようです。

随分前の出来事で、しかも、小さな田舎町での事件、ではあるのですが、それにしてものんびりし過ぎているような気がします。たった2人で棺を掘り出して運び出すって、かなり重労働なはず。それを誰にも見咎められずやりおおせてしまうなんて、セキュリティは一体どうなっているのか...。まぁ、この部分は、実話部分で、実際にできてしまったことなのですよね...。実話ベースの設定でなければ、「あまりにリアリティに欠ける」とここに書いていたと思います。

チャップリンは弱者の味方だから自分たちを助けてくれるに違いないというのは、あまりに身勝手な思い込みですが、この無謀な計画を思いついたエディのどこか突き抜けた明るいヤンチャな雰囲気は、どこか可愛らしくもありました。それがあるからこそ、ラストへ向けての展開が飲み込めるのでしょう。オスマンは、これで、懲りたのではないかと思いますが、エディはどうなんでしょう?結構、アッケラカンと同じようなことを繰り返してしまうのではないかと...。"天職"を見つけられたから大丈夫ってことなのでしょうか...。

サーカスの登場で、ここからサミラが獣医になる道が開かれるのかと思ったのですが、そうではないようですね。エディが道化として成功して、大勢の観客を集め、サーカスが利益を得て、エディも稼いで、サーカスの動物たちの未来の主治医を育てるっていうもの悪くないと思ったのですが、そこまでしたら、出来過ぎでしょうか?

そして、このような類の事件が、チャップリンの生前に起きていたら、面白がって映画にしたかもしれないと思いました。チャップリンの遺族への配慮もあってこうした描き方になっているのかもしれませんが、そして、それがあればこそ、本作制作にあたって、遺族の全面的な協力を得ることができたのでしょうけれど、チャップリンの遺族や秘書の事件への対応も見事だったと思います。そこに、しっかりとチャップリンの精神が受け継がれているように思えました。

チャップリンに対する愛に溢れた作品です。折角なら、チャップリン本人の映像をもっと入れて欲しかったですが、まぁ、物語自体の主人公がチャップリンというわけではないので、この程度が妥当なのかもしれません。

ちょっとエディとオスマンに対して甘すぎる結末だった感じもしますが、それも、チャップリンへの愛故なのかもしれません。


公式サイト
http://chaplin.gaga.ne.jp/


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ラ・ピラート

テーマ:
ラ・ピラート DVD/ジェーン・バーキン,マルーシュカ・デートメルス,フィリップ・レオタール
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元恋人のアルマの帰りを待つキャロルと謎の少女。夫、アンドリューのところへ戻ったアルマは、自分を待っていたキャロルの姿を見つけると、彼女と熱いキスを交わします。キャロルはアルマを諦められず、アンドリューから奪いに来たのです。2人はアンドリューから逃げ、パリのホテルで激しく愛し合いますが、そこに、アンドリューから捜索依頼を受けた男、"No.5"が現れます。いつしか、アンドリューも、キャロルも、少女も、そして"No.5"までがアルマを自分のものにしたいと欲するようになっていて...。

タイトルの「ラ・ピラート」は仏語で、女海賊、略奪する女、という意味だそうです。

本作は1984年の作品ですから、30年以上前に製作されていることになります。まだ、今よりもだいぶ、同性愛に対する偏見が強かった時期だということを思えば、かなり思い切った作品といえるでしょう。

"略奪"しているのは誰か。まぁ、普通に考えればアンドリューからアルマを奪おうとしているキャロルなのでしょうけれど、4人のハートを奪ったアルマも"略奪者"と言えるでしょう。このジェーン・バーキンが演じるアルマが、中性的な雰囲気で、とても美しく、周囲を虜にするのも無理もないといった感じです。その辺りは、キャスティングが功を奏しているといえるのでしょう。

アルマには、キャロルへの愛もありますが、同時に、同性愛が悪だという認識もあり、アンドリューとの関係を失いたくもなく、キャロルへの想いと自身を縛る常識的な価値観の中で揺れ動きます。今の時代なら、もっとアッケラカンとしていられるのでしょうけれど、この当時は、なかなか一筋縄ではいかなかったということなのかもしれません。今なら、5人で仲良く...という選択肢もアリかもしれません。

少女の存在も印象的。作中で名前を呼ばれることもないのですが、作中では狂言回し的役割を担い、流れを掴み難い物語の核となる存在となっています。アルマの心の奥底にあった願いを叶えた"天使"のようにも思えましたが...。

物語という意味で言えば、何だかよく分かりません。その瞬間瞬間を見るべき作品で、流れを追うべき作品ではないのかもしれません。登場人物たちもそれぞれの感情を爆発させ、やたらと泣き喚きますが、その背景がほとんど描かれず、その揺れの振れ幅の大きい上げ下げが描かれるので、誰に対しても感情移入はしにくかったです。

誰かと誰かが身体を絡ませあっている映像が多くの部分を占めています。この"何はともあれメイクラブ!"的な感じには、おフランスな雰囲気を感じました。


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